【鈴鹿】陰の景観 カジロ谷・銚子谷(ヒキノ)
Posted: 2018年10月22日(月) 19:43
【日 付】2018年10月21日(日)
【山 域】鈴鹿
【コース】脇ノ谷駐車場7:21---8:10540m二俣------9:40ヒキノ---11:1012m滝---12:00脇ノ谷駐車場
【メンバー】単独
「人工物が荒廃し自然に帰る姿はあわれであるが、時に明るく、しかももの悲しい鈴鹿の特徴をよく表して第一級の景観である。」と茶屋川や山ノ神峠のあたりを陰の景観として西尾本には書かれている。この山域で西尾氏推薦のカジロ(喜十郎)谷を詰めあがりヒキノを経て銚子谷を下ることにした。
先週は谷の標識にまどわされて脇ノ谷を登ってしまった。愛知川上流漁業組合が立てた看板がこのあたりは大きく違っている。カジロ(喜十郎)谷の看板のある谷が脇ノ谷で、銚子谷の看板のある谷がカジロ(喜十郎)谷になる。カジロ(喜十郎)谷に掛かる銚子橋という間違った名前に引きずられてしまったようだ。
銚子谷の看板の所から入渓する。最初はS字になっていていきなり滝かと思わせるが、何もなく谷は開けてくる。ゆるやかな谷で炭窯跡も多くみられ、喜十郎が炭窯をかまえていた谷なのだろう。小滝をいくつかこなすと枯れた木のかかる8m滝で、これは右から巻く。小滝を進むとカジロ大滝が見えた。5mの前衛滝とすり8mのカジロ大滝の二段になっている。5m滝を右から巻き鉢状になったカジロ大滝を見に行く。ふたたび右から巻くと平流になる。
540mの二俣は窯跡だけでなく、一升瓶や鍋などの生活痕が残る広々とした場所だ。林道の出合からカジロ滝を越えるまで、鉄パイプでできた橋脚の残骸が左岸に残っている。送電線設置前の西尾本にはこの記述はないので、送電線関連の飯場が二俣にありそのための道だったのかもしれない。
600mの二俣では小滝の続く谷に進む。小滝が連続しているがだんだんと倒木やガレにおおわれだしたので右の尾根に逃げた。人間にとっては急な斜面も獣にとってはちょうど良いようで獣道がいくつも横断していた。明るい二次林の森にいやされながら登る。すると目の前に黒々とした物が並んでいる。放置された植林で、興ざめしてしまう。
植林が切れると鉄塔で見晴らしがよく竜ヶ岳・御池岳・天狗堂が見える。中でも二次林の上から突き出す麦藁帽子のような天狗堂の姿は印象的だった。ヒキノには木が生え林間から景色が見える。西尾本の時代は萱原だったようだが、時の移り行きを感じる。
ヒキノ手前の鉄塔から銚子谷に下る。昔はススキ原の斜面だったようだが今は二次林の急斜面だ。少しもどったゆるやかな斜面から下るが途中で岩壁になって落ちている。しかたがないので登り返してひとつ西側の斜面から下る。長年の雨で源頭部が深くえぐれており苦労するが、どうにかザイルを出さずに降りられた。
上りなら問題のない滝も下る場合は気を使う。4m滝は右側にトラバースして右を下りた。銚子谷の源頭部は急激に高度を下げており、V字状の谷を下る。少し開けてきたなと思った所に4mスラローム滝が出てきた。スラローム状になったナメは見えるが、その下がどうなっているのかわからず釜だけが見えている。滝上の木にザイルを通し下降する。見えていない所はヌルヌルの岩壁で、ザイルを出して正解だろう。上る場合はザイルなしでもどうにかなりそうだ。
ナメ状の2m滝を下り、1m滝をすぎると高度感のある場所に出た。これが12m滝だろうが、下が見えない。ザイルを出して中吊りになるのは嫌なので、巻くことにする。落ち口から巻けそうな所もあるが嫌らしい。下りの巻きなので安全な所がいい。右岸の子尾根のあたりが明るくなっているので、トラバースしながら近づくと岩尾根が下までつながっており安全に巻けた。出合のあたりは台地になっており窯跡もあった。出合から茶屋川を渡り林道に上った。
カジロ(喜十郎)谷も銚子谷も昔人の痕跡をたどれる二次林におおわれた鈴鹿らしい谷だった。西尾氏が陰の景観と言った意味がわかるような気がする。二つの谷ともに堰堤が一つもなく昔の姿を残している。現在の鈴鹿で堰堤の無い谷なんて奇跡に近い場所かもしれない。
【山 域】鈴鹿
【コース】脇ノ谷駐車場7:21---8:10540m二俣------9:40ヒキノ---11:1012m滝---12:00脇ノ谷駐車場
【メンバー】単独
「人工物が荒廃し自然に帰る姿はあわれであるが、時に明るく、しかももの悲しい鈴鹿の特徴をよく表して第一級の景観である。」と茶屋川や山ノ神峠のあたりを陰の景観として西尾本には書かれている。この山域で西尾氏推薦のカジロ(喜十郎)谷を詰めあがりヒキノを経て銚子谷を下ることにした。
先週は谷の標識にまどわされて脇ノ谷を登ってしまった。愛知川上流漁業組合が立てた看板がこのあたりは大きく違っている。カジロ(喜十郎)谷の看板のある谷が脇ノ谷で、銚子谷の看板のある谷がカジロ(喜十郎)谷になる。カジロ(喜十郎)谷に掛かる銚子橋という間違った名前に引きずられてしまったようだ。
銚子谷の看板の所から入渓する。最初はS字になっていていきなり滝かと思わせるが、何もなく谷は開けてくる。ゆるやかな谷で炭窯跡も多くみられ、喜十郎が炭窯をかまえていた谷なのだろう。小滝をいくつかこなすと枯れた木のかかる8m滝で、これは右から巻く。小滝を進むとカジロ大滝が見えた。5mの前衛滝とすり8mのカジロ大滝の二段になっている。5m滝を右から巻き鉢状になったカジロ大滝を見に行く。ふたたび右から巻くと平流になる。
540mの二俣は窯跡だけでなく、一升瓶や鍋などの生活痕が残る広々とした場所だ。林道の出合からカジロ滝を越えるまで、鉄パイプでできた橋脚の残骸が左岸に残っている。送電線設置前の西尾本にはこの記述はないので、送電線関連の飯場が二俣にありそのための道だったのかもしれない。
600mの二俣では小滝の続く谷に進む。小滝が連続しているがだんだんと倒木やガレにおおわれだしたので右の尾根に逃げた。人間にとっては急な斜面も獣にとってはちょうど良いようで獣道がいくつも横断していた。明るい二次林の森にいやされながら登る。すると目の前に黒々とした物が並んでいる。放置された植林で、興ざめしてしまう。
植林が切れると鉄塔で見晴らしがよく竜ヶ岳・御池岳・天狗堂が見える。中でも二次林の上から突き出す麦藁帽子のような天狗堂の姿は印象的だった。ヒキノには木が生え林間から景色が見える。西尾本の時代は萱原だったようだが、時の移り行きを感じる。
ヒキノ手前の鉄塔から銚子谷に下る。昔はススキ原の斜面だったようだが今は二次林の急斜面だ。少しもどったゆるやかな斜面から下るが途中で岩壁になって落ちている。しかたがないので登り返してひとつ西側の斜面から下る。長年の雨で源頭部が深くえぐれており苦労するが、どうにかザイルを出さずに降りられた。
上りなら問題のない滝も下る場合は気を使う。4m滝は右側にトラバースして右を下りた。銚子谷の源頭部は急激に高度を下げており、V字状の谷を下る。少し開けてきたなと思った所に4mスラローム滝が出てきた。スラローム状になったナメは見えるが、その下がどうなっているのかわからず釜だけが見えている。滝上の木にザイルを通し下降する。見えていない所はヌルヌルの岩壁で、ザイルを出して正解だろう。上る場合はザイルなしでもどうにかなりそうだ。
ナメ状の2m滝を下り、1m滝をすぎると高度感のある場所に出た。これが12m滝だろうが、下が見えない。ザイルを出して中吊りになるのは嫌なので、巻くことにする。落ち口から巻けそうな所もあるが嫌らしい。下りの巻きなので安全な所がいい。右岸の子尾根のあたりが明るくなっているので、トラバースしながら近づくと岩尾根が下までつながっており安全に巻けた。出合のあたりは台地になっており窯跡もあった。出合から茶屋川を渡り林道に上った。
カジロ(喜十郎)谷も銚子谷も昔人の痕跡をたどれる二次林におおわれた鈴鹿らしい谷だった。西尾氏が陰の景観と言った意味がわかるような気がする。二つの谷ともに堰堤が一つもなく昔の姿を残している。現在の鈴鹿で堰堤の無い谷なんて奇跡に近い場所かもしれない。