【南伊勢】米子浜の塩竈集落跡に遊ぶ 局ヶ頂・赤石鼻・網代浜・塩竈浜
Posted: 2017年12月18日(月) 21:03
【日 付】2017年12月17
日(日)
【山 域】南伊勢
【コース】道行竈駐車場7:48---9:57赤石鼻---10:12網代浜---10:44米子浜11:24---12:51塩竈浜13:51---14:25道行竈駐車場
【メンバー】単独
グーさんのレポを見て、平家落人伝説の八ヶ竈を思い出した。南伊勢には竈の字を持つ集落が入り江の奥まったところにあり、落人達はここで塩焼き竈を築いて製塩で生計を立てていたというものだ。そして南北朝、北畠の時代に山林を領するようになったようだ。
道行竈を過ぎ、阿曽浦と山道の分岐の広場に駐車して歩く。田圃を見ながら進むと猪垣がありそこには大量のミツバチの巣箱が置かれていた。これだけ大規模なのは初めて見た。立派な山道で平家街道と呼ばれているようだ。
峠の塩竈浜分岐より局ヶ頂に向かう。ロープやらベンチと至れり尽くせりの登山道で熱くなりカッパを脱いだものの稜線に出ると風が吹き再び着ることに。稜線からは塩竈浜が朝日に照らされて光って見える。局ヶ頂からは赤石鼻に向かってウバメガシの森を急降下。断崖絶壁エリアは基本的に稜線の反対側に道がつけられており、眼下には熊野灘の水平線が広がっている。
赤石鼻の海はエメラルドグリーンに透き通っていた。ここからは沿岸は進めないので森の中を下る。森に入るとあがりこが目立つ。途中から枝分かれした木で、大木を1mぐらい上の部分で伐採してそこから枝分かれした木を炭焼きや薪として使ったなごりだ。備長炭の材料となるウバメガシといいあがりこといい塩竈の火の材料として使われたのだろう。ウバメガシはもともと海岸や崖に多いが、このあたりの多さを考えると長い年月をかけて増やしていったのではないかと思う。
[attachment=4]DSCF0486.jpg[/attachment]
最初の谷筋をすぎ子尾根を越えた谷筋を下ると網代浜に着く。静かな浜辺の前では地元の漁師が小舟から箱眼鏡と長竿で漁をしている。独り占めののどかな景色だ。浜の端にはルートの目印に木に浮きがつけられている。ロープをつたい上っていくと、途中から水平道となる。地形図でもわかるように切れ落ちた崖の弱点をついて沿岸に道がつけられている。落ちたら終わりなので慎重に進むと米子浜に導かれた。このルートは南勢テクテク会が整備しているが、昔から使われていた杣道を使ったようだ。
[attachment=3]DSCF0501.jpg[/attachment]
米子浜は広く奥が深い。海岸の玉砂利は大きくそろっていて今日巡った浜の中で一番きれいだった。浜の端にはテクテク会の道標があるが、相賀浦方面へのものだった。
[attachment=2]DSCF0507.jpg[/attachment]
森のようになった米子浜の奥に進むと石垣が出てきた。石垣はしっかりしたものになり小さな集落のような規模になってきた。陶器の水がめや風呂のように四角に組まれた石積みに竈跡がある。塩竈の跡かもしれない。集落の先に行くと猪垣も出てきた。ということはここに畑があったということか。さらに石積み道が続いており沢をまたぐように石積みで橋を渡した跡もある。どんどん進んでいくと立派な炭窯跡が2つありここで石積み道は途絶えていた。ウマベガシをこの炭窯で炭にして、石積み道を通って集落まで運び塩竈の燃料にしたようだ。コンパクトに塩竈の要素が詰まっており塩竈集落跡と考えていいだろう。米子浜に集落があったという記録を見ていないので驚いた。赤崎竈や芦浜と同じく津波で流され廃村となったのだろうか。
[attachment=1]DSCF0508.jpg[/attachment]
予定していた上る尾根は過ぎており、炭窯跡から上る。標高を上げ日のあたる尾根にさしかかるとシダの群落にひっかかった。突破は無理そうなので、日陰の谷沿いに逃げて上る。稜線近くになり再び肩の高さのシダに阻まれるが、あと少しなので正面突破すると登山道に出た。たどり着いたのはP216だった。
[attachment=2]DSCF0507.jpg[/attachment]
[attachment=0]DSCF0524.jpg[/attachment]
登山道に入れば楽ちんそのもので北峰を越え再び局ヶ頂へ、そこにはたくさんの登山者がいた。当初は東峰先の南尾根を下るつもりでいたがシダ漕ぎはもう嫌なので、赤石鼻に向かう途中の分岐から塩竈浜に下ることにした。この道を利用する人は多いようでしっかりとしたふみ跡が残りシダ漕ぎをすることなく浜に着いた。
塩竈浜の入り江でまったりとすごし、至福のひと時だった。塩竈浜といい網代浜といい火にちなんだ地名が多いのは偶然ではないだろう。ちなみに網代のシロは火をたくべき場所という意味がある。
今日はたくさん歩いたので平家街道で戻ることにした。途中気になる石垣を見つけ追っていくと地形図にあるため池の堤防とその水路だった。ため池は、現在は水が抜かれているが石垣とコンクリートでわざわざ堤防でせき止めて作ったようだ。その運搬に使われたのか車の残骸が近くに残っていた。何のためにため池を作ったのだろうと思う。
今回は思いもしなかった米子浜の塩竈集落跡に出会えて幸運だった。しかも、そのいとなみを示すように、遺跡がまとまって見られたのは良かった。
どこの人がどの時代に生活し、どうした理由で集落を捨てたのか・・・興味は尽きない。
日(日)
【山 域】南伊勢
【コース】道行竈駐車場7:48---9:57赤石鼻---10:12網代浜---10:44米子浜11:24---12:51塩竈浜13:51---14:25道行竈駐車場
【メンバー】単独
グーさんのレポを見て、平家落人伝説の八ヶ竈を思い出した。南伊勢には竈の字を持つ集落が入り江の奥まったところにあり、落人達はここで塩焼き竈を築いて製塩で生計を立てていたというものだ。そして南北朝、北畠の時代に山林を領するようになったようだ。
道行竈を過ぎ、阿曽浦と山道の分岐の広場に駐車して歩く。田圃を見ながら進むと猪垣がありそこには大量のミツバチの巣箱が置かれていた。これだけ大規模なのは初めて見た。立派な山道で平家街道と呼ばれているようだ。
峠の塩竈浜分岐より局ヶ頂に向かう。ロープやらベンチと至れり尽くせりの登山道で熱くなりカッパを脱いだものの稜線に出ると風が吹き再び着ることに。稜線からは塩竈浜が朝日に照らされて光って見える。局ヶ頂からは赤石鼻に向かってウバメガシの森を急降下。断崖絶壁エリアは基本的に稜線の反対側に道がつけられており、眼下には熊野灘の水平線が広がっている。
赤石鼻の海はエメラルドグリーンに透き通っていた。ここからは沿岸は進めないので森の中を下る。森に入るとあがりこが目立つ。途中から枝分かれした木で、大木を1mぐらい上の部分で伐採してそこから枝分かれした木を炭焼きや薪として使ったなごりだ。備長炭の材料となるウバメガシといいあがりこといい塩竈の火の材料として使われたのだろう。ウバメガシはもともと海岸や崖に多いが、このあたりの多さを考えると長い年月をかけて増やしていったのではないかと思う。
[attachment=4]DSCF0486.jpg[/attachment]
最初の谷筋をすぎ子尾根を越えた谷筋を下ると網代浜に着く。静かな浜辺の前では地元の漁師が小舟から箱眼鏡と長竿で漁をしている。独り占めののどかな景色だ。浜の端にはルートの目印に木に浮きがつけられている。ロープをつたい上っていくと、途中から水平道となる。地形図でもわかるように切れ落ちた崖の弱点をついて沿岸に道がつけられている。落ちたら終わりなので慎重に進むと米子浜に導かれた。このルートは南勢テクテク会が整備しているが、昔から使われていた杣道を使ったようだ。
[attachment=3]DSCF0501.jpg[/attachment]
米子浜は広く奥が深い。海岸の玉砂利は大きくそろっていて今日巡った浜の中で一番きれいだった。浜の端にはテクテク会の道標があるが、相賀浦方面へのものだった。
[attachment=2]DSCF0507.jpg[/attachment]
森のようになった米子浜の奥に進むと石垣が出てきた。石垣はしっかりしたものになり小さな集落のような規模になってきた。陶器の水がめや風呂のように四角に組まれた石積みに竈跡がある。塩竈の跡かもしれない。集落の先に行くと猪垣も出てきた。ということはここに畑があったということか。さらに石積み道が続いており沢をまたぐように石積みで橋を渡した跡もある。どんどん進んでいくと立派な炭窯跡が2つありここで石積み道は途絶えていた。ウマベガシをこの炭窯で炭にして、石積み道を通って集落まで運び塩竈の燃料にしたようだ。コンパクトに塩竈の要素が詰まっており塩竈集落跡と考えていいだろう。米子浜に集落があったという記録を見ていないので驚いた。赤崎竈や芦浜と同じく津波で流され廃村となったのだろうか。
[attachment=1]DSCF0508.jpg[/attachment]
予定していた上る尾根は過ぎており、炭窯跡から上る。標高を上げ日のあたる尾根にさしかかるとシダの群落にひっかかった。突破は無理そうなので、日陰の谷沿いに逃げて上る。稜線近くになり再び肩の高さのシダに阻まれるが、あと少しなので正面突破すると登山道に出た。たどり着いたのはP216だった。
[attachment=2]DSCF0507.jpg[/attachment]
[attachment=0]DSCF0524.jpg[/attachment]
登山道に入れば楽ちんそのもので北峰を越え再び局ヶ頂へ、そこにはたくさんの登山者がいた。当初は東峰先の南尾根を下るつもりでいたがシダ漕ぎはもう嫌なので、赤石鼻に向かう途中の分岐から塩竈浜に下ることにした。この道を利用する人は多いようでしっかりとしたふみ跡が残りシダ漕ぎをすることなく浜に着いた。
塩竈浜の入り江でまったりとすごし、至福のひと時だった。塩竈浜といい網代浜といい火にちなんだ地名が多いのは偶然ではないだろう。ちなみに網代のシロは火をたくべき場所という意味がある。
今日はたくさん歩いたので平家街道で戻ることにした。途中気になる石垣を見つけ追っていくと地形図にあるため池の堤防とその水路だった。ため池は、現在は水が抜かれているが石垣とコンクリートでわざわざ堤防でせき止めて作ったようだ。その運搬に使われたのか車の残骸が近くに残っていた。何のためにため池を作ったのだろうと思う。
今回は思いもしなかった米子浜の塩竈集落跡に出会えて幸運だった。しかも、そのいとなみを示すように、遺跡がまとまって見られたのは良かった。
どこの人がどの時代に生活し、どうした理由で集落を捨てたのか・・・興味は尽きない。