【鈴鹿】 小又谷出合から池ノ谷、河倉峠、真ノ谷の廃道を訪ねる

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【鈴鹿】 小又谷出合から池ノ谷、河倉峠、真ノ谷の廃道を訪ねる

投稿記事by keikoku » 2017年7月04日(火) 20:56

 かつて、藤原町山口から近江の君ヶ畑へと御池藤原山塊を越える杣道が有った。それが杣道の使命を終えてからも、しばらくは登山道として命脈を保っていたが、ついにうち捨てられ、廃道となってしまった。その軌跡を辿り、何とか少しでも正確な軌跡をGPSログ記録として残しておこうと、その廃道を辿ってみた。

【日 付】   2017年6月17日
【山 域】   鈴 鹿
【メンバー】  単 独
【天 候】   晴 れ
【ルート】    小又谷出合駐車場 10:24-池ノ谷分岐 10:55-河倉峠 12:17-土倉岳 12:23(往復)-真ノ谷 13:48-白船峠分岐 14:14-河倉峠 16:02-土倉岳南尾根 16:12-小又谷 16:30-小又谷出合駐車場 17:01

 実はこの作業は、2000年にも挑戦してみたことがあった。しかし、その時は現在のようなGPSもなく、デジタルな記録として残すことはできなかったし、またそれほど正しくも辿れなかったと思う。資料として、少しばかりの写真が残っているだけだ。今回は、それも使いながら再度歩いてみたということだ。
 このルートは、昭和50年代くらいまではよく使われていたようで、山口兄弟版の登山ガイド、新旧「鈴鹿の山」にはその案内が載っていた。それが貴重な資料となり、ルートも簡単に分かりそうなものだが、実際に辿るとそうはうまくは行かない。それは、ルートの大半が山の斜面に付けられていたということだ。多くの地点で崩れ、道アトが全くなくなっているところもあるからだ。

 今回も前回と同じように小又谷出合駐車場から歩き、真ノ谷へ向かう。まずは、小又谷林道を歩き池ノ谷出合を目指す。もちろん昔は、このような林道はなく、旧「鈴鹿の山」には谷中を辿った案内が載っているが、新「鈴鹿の山」においてはすでに林道はあったから、林道ができたのは昭和40年代半ばと考えられる。
 ノタノ坂分岐を過ぎ、桂川出合を過ぎて次の谷間を注意しながら歩く。ここら辺りは、谷と林道にかなりの高低差があり、林道のどこからかから下りなければいけない。出合を明らかに過ぎてしまってから林道を戻り、ちょっとした尾根筋が谷へ下りていたので、そこから下りてみると、道アトが有るではないか。その道アトから振り返って見ると斜めに林道から下りて来ている。林道からでは分かりにくかった、谷への下り口、下り道は残っていた。
 
 下り立った谷は、上下の堰堤に挟まれ、谷の出合は平坦だった。その池ノ谷を少し進むと、「造林公社営林地」の立て札があるが、これは前にも見ており、同じところへ来ていることが確認できる。年度別植栽面積表というのが書いてあったが、48,49,51年度とあった。ほぼ、40年前である。
 それから池ノ谷を何度も渡り返しながら歩く。出合から10mばかりのところに、旧「鈴鹿の山」にもあった「二筋滝」があるが、今日は一筋しかほとんど流れていない。2000年の時には、名の通り二筋であったが、一筋は枯れてしまったのだろうか。
 さらにずっと谷沿いに歩いて行くが、時々道アトらしきものが現れて往時ここが「道」であったことが確認できる。
 
 池ノ谷は、それほどの悪場はなく、小滝がいくつもあるが、みな難なく越せるくらいのものである。それも、これが「みちすじ」として使われた理由であろう。
 沢が二分するところで、水量のある左俣にとる。ここが地図で谷が90度曲がっている辺りになる。傾斜は緩やかになるが、水量は減り谷が狭くなる。さて、この先どこかで谷を離れ、右の尾根に向かって上がって行くのだろうが、その道アト、痕跡はあるのだろうか。
 
 さらに谷を詰め、河倉峠の真下辺りに来るが、右にはそれらしき道アトは見られない。河倉峠西南斜面は、植林となっているので、その時に道アトは無くなってしまったのだろうか。谷が幾つもに分かれる辺りで、峠に向かって直登してみることにした。途中で、道アトの痕跡が見つかることを期待して。
 ほんのちょっとした尾根筋上をひたすら真っ直ぐに登って行くが、植林時のアトは有っても、昔の道アトは見られなかった。急斜面を幹、枝をつかんで引き寄せながら上がって行く。150m近い登りを20分近く掛けて登って行くと明るさの見える稜線が近づいてくる。一気に上がると、少し細長い河倉峠に辿り着いた。
 昔はヤブっぽく、白い木柱もあったが、今は何も無い。以前は、この峠から天狗堂や、それこそ琵琶湖までの展望が利いたようであるが、今は植林が育ってしまって、展望はない。
 
 峠に登り着いて少し土倉岳の方へ向かうと、左に古い道が緩やかに下りて行っている。おそらくこれが、昔の道なのだろう。つまり峠へは、谷筋をもっと進んで、回り込むように上がっていたのだろう。これは、帰りにこの道アトを辿ってみることにする。
 峠からヤブの無い気持ちのよい尾根道を土倉岳まで行ってみる。ここには、山頂部の少し南寄りに三角点があるのだが、昔はヤブでなかなかその三角点を見つけられなかった。本当に隔世の感である。山頂部を北寄りに立ち御池岳を眺める。ヤブがすべて消え、何だか丸裸状態で、あられもない姿のように見えてしまう。でも、これが今の御池岳なんだ。
 
 さて、河倉峠へ戻り、御池岳東南部の斜面に昔の「道」を探しに出発する。途中のポイントは、土倉谷とその支流を、また最近亀尾といわれている尾根をどこで越えて行くかだろう。峠から北側の斜面に向かっては、然したる道アトは見られない。斜面を左斜めに向かって、道アトを捜しながら下りて行く。今は、ヤブがすっかり無く、どこでも歩けてしまう分返って昔の道アトを探し辿るのは難しいのかもしれない。
 
 谷筋の手前にちょっとした肩のようなところがあるので、行ってみると炭焼きのカマ跡だった。道アトのようなものも有るのでおそらくここは通っていたのだろう。そこからすぐに土倉谷の支流に下りるのだが、明らかな道アトが付けられている。ここは間違いないと安心した気持ちになる。それを越えすぐに土倉谷本筋を越えるのだが、そこまでははっきりと辿ることができた。その土倉谷の谷筋にはすぐ上に滝が有るのだが、そこは前にも通っているところだった。
 しかし、それを越え再び斜面を行くのだが、ここからがはっきりとしない。ちょっとした尾根筋に差し掛かると再び道アトが現れる。ここを通っていたのも間違いないだろう。
 そこから亀尾筋までは、だいたい微かではあるが道アトが見られた。亀尾と交差するところは、亀尾の尾根が一服しているところで、ちょっとした小場になっていた。おそらく昔の杣人、登山者もここで一服したことであろう。
 
 尾根からしばらくは道アトも見られ、カマ跡に辿り着いた。ここまでも、正確に辿れたのではないかと思う。しかしこの先、石灰岩の崩壊筋が幾つもあり、当然そこには何のアトも見られない。カマ跡から高度を落とさずに進んでみたが、ここはおそらくもう少し高度を早めに落として、荒場を少しでも避けて行くのだろうと思われた。高度を落としながら進むと、再び道アトらしき感じがあったが、それほどはっきりとはしない。それからさらに高度を下げると真ノ谷が間近に来てしまった。これはおそらく、下り過ぎなんだろうと思う。確認できている真ノ谷との合流点よりも少し手前で真ノ谷に下りてしまった。
 少し谷筋を行くと、真ノ谷河倉峠分岐点に出た。ここからは、緩やかに斜面を登って行く道アトが有るので、本当はそこへ出ないといけないわけだ。
 戻りは、ここから逆に辿ってみることにして、さらに真ノ谷を行き、白船峠からの下降点を確認しに行く。
 
 白船峠から真ノ谷への道は、峠からほぼそのまま真ノ谷へ下る道と、御池岳に向かって峠からトラバース気味に尾根を北西に下りて行く道が有った。しかし、その北西に下りて行くトラバース道は、登山地図から消えてしまって、今は真っ直ぐに下りる道のみが記されている。峠から北西にトラバースする道は、峠からははっきりと残っているのだが、最後真ノ谷へ下りる点がはっきりとしない。昔の写真を元に、その下降点を確認してみようというものだ。
 少し前に白船峠からそのトラバース道は辿っているので、だいたいの下降点は分かっている。今日は、その昔の写真との照合だ。写真は、96年のもので真ノ谷との分岐には、はっきりと白船峠への案内が付いている。現場で、写真と合わせてみるとその案内の貼ってあった大きな木がない。しかし、その奥に写っている木々は、何となくそんな雰囲気のものがある。丹念によく見てみると、おそらく豪雨による大水で谷は荒れて谷際にあった木々が流されてしまったのだろう。確かに今の谷は削られたばかりの感じだ。分岐点は、ここで間違いないだろう。
 
 再び真ノ谷河倉峠分岐点へ戻る。今度はこちら側から辿ってみることにする。「よく踏まれた山道が右岸山腹へと登っている」と「鈴鹿の山」にはあるが、現在は本当に微かな道アトというくらいのものだ。しばらくは、真ノ谷とそれほど離れず緩く登っているが、谷筋と離れる辺りから少しずつ高度を上げる。しかし、その辺りに来ると石灰岩の崩壊筋のため道アトも無くなってくるが、来た時よりも低い高度を行くと、少しは崩壊地を避けられて歩きやすい。そんな道アト沿いにエビネの群生地が三ヶ所ほど見られた。来た時は見られなかったのだが、ほんの少しの差で見つけられたりするものだし、その逆もあるということだ。
 来る時に通ったカマ跡で一休みする。それから、再び道アトを捜し拾いながら、亀尾を越え、土倉谷やその支流を越えて行くが、来た時と大きくは変わらない。最後土倉谷支流を越えて、来た時に寄ったカマ跡からは、本当に薄いがそれらしきアトを辿ると、峠の東南よりへ出た。この辺りはどこを歩いても変わらないだろう。
 
 峠からは、来る時に見つけた道アトから下りて行ってみる。はっきりとした道アトは少し行くと消えてしまったが、その辺りから左に回り込んで池ノ谷へ下りて行っていたのであろう。帰路は、谷沿いに下りるのではなく、土倉岳南尾根を辿って下りて行く。ヤブのなくなった今となっては、このルートを辿る方がはるかに簡単だ。尾根は、それほどの急坂でもなく、スムーズに小又谷へ下りてしまった。
 
 結果として、だいたいは辿れたのではないかと思う。小又谷から河倉峠は、尾根の歩き安さから、谷道が使われることもその優位性も無くなったと言ってよいだろう。河倉峠真ノ谷間は、道アトがもう少ししっかりとしていれば、使えるのだろうが、今後とも物好きだけの世界として微かに跡を留めて行くことだろう。
keikoku
 
記事: 91
登録日時: 2012年1月17日(火) 03:28
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Re: 【鈴鹿】 小又谷出合から池ノ谷、河倉峠、真ノ谷の廃道を訪ねる

投稿記事by クロオ » 2017年7月08日(土) 07:20

keikokuさん、こんにちは。


【鈴鹿】 小又谷出合から池ノ谷、河倉峠、真ノ谷の廃道を訪ねる
 かつて、藤原町山口から近江の君ヶ畑へと御池藤原山塊を越える杣道が有った。それが杣道の使命を終えてからも、しばらくは登山道として命脈を保っていたが、ついにうち捨てられ、廃道となってしまった。その軌跡を辿り、何とか少しでも正確な軌跡をGPSログ記録として残しておこうと、その廃道を辿ってみた。


 こういう山旅がしてみたい。
 こういう、こだわりの持てる、目的がある山歩きがいいなあと思います。


小又谷出合駐車場 10:24-池ノ谷分岐 10:55-河倉峠 12:17-土倉岳 12:23(往復)-真ノ谷 13:48-白船峠分岐 14:14-河倉峠 16:02-土倉岳南尾根 16:12-小又谷 16:30-小又谷出合駐車場 17:01


 私が分かるところは、小又谷出合駐車場と、土倉岳と、真ノ谷くらいで、あとはkeikokuさんの文章から思い巡らすしかありません。
 小又谷駐車場から河倉峠までは、池ノ谷に用が無いのなら、ノタノ坂から尾根を歩いた方が歩きやすそうに思えました。
 河倉峠から真ノ谷は、御池岳東ボタンブチの急斜面の傾斜が少し落ち着いたところを通ってるようです。


 峠からヤブの無い気持ちのよい尾根道を土倉岳まで行ってみる。ここには、山頂部の少し南寄りに三角点があるのだが、昔はヤブでなかなかその三角点を見つけられなかった。本当に隔世の感である。


 尾根はブナ林の気持ちのいい尾根でした。
 2012年に土倉岳に登ったときは、あの方のプレートがありました。真新しいのしか見たことないのですが、ここのは文字が消えかかっていました。






 山頂部を北寄りに立ち御池岳を眺める。ヤブがすべて消え、何だか丸裸状態で、あられもない姿のように見えてしまう。でも、これが今の御池岳なんだ。


 秋に行ったのですが、昔を知らないので、紅葉がきれいで結構いい眺めだと思いました。





 貴重な山旅お疲れ様でした。


                クロオ
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登録日時: 2011年2月20日(日) 09:08
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Re: 【鈴鹿】 小又谷出合から池ノ谷、河倉峠、真ノ谷の廃道を訪ねる

投稿記事by Kasaya » 2017年7月08日(土) 09:24

keikokuさん おはようございます、
河倉峠を越えるコースの探索ですね。私も真の谷から河倉峠は2回ほど歩きました。
やはり古いガイドブックには道が載っているので行けるかなと思ってたどったのです。
結果はkeikokuさんの印象と同じような感じです。
道があったりなかったり。ところどころに現れる窯跡近辺は道もはっきりしていることが多く
正規ルートなんだろうと推測できますが、あとは実際ようわかりませんでした。
御池の裾に大きな石雪崩跡が何か所かありそこを横切るともう道もよく分からなくなった感じです。
この道をたどっているときの唯一の収穫は道の真ん中に鹿の角2本そろって落ちていたのを拾ったこと。
やっぱり誰も通らない道だと実感する次第です。

たまにはこんな道の探索も面白いですが、これからの季節では暑すぎてちょっとしんどいですね
kasaya
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記事: 701
登録日時: 2011年2月20日(日) 14:34

Re: 【鈴鹿】 小又谷出合から池ノ谷、河倉峠、真ノ谷の廃道を訪ねる

投稿記事by ハリマオ » 2017年7月08日(土) 17:55

Keikokuさん、こんにちは 

ついにうち捨てられ、廃道となってしまった。その軌跡を辿り、何とか少しでも正確な軌跡をGPSログ記録として残しておこうと、その廃道を辿ってみた。

かつて奥村さんや山田さんが活躍しておられたころの匂いがする懐かしい山行ですね。
すっかりグータラになった私にはまぶしいです。

実際に辿るとそうはうまくは行かない。それは、ルートの大半が山の斜面に付けられていたということだ。多くの地点で崩れ、道アトが全くなくなっているところもあるからだ。

御池岳の南斜面は地形が厳しいですからね。1000m鉢巻山行のときは苦労しました。

 それから池ノ谷を何度も渡り返しながら歩く。出合から10mばかりのところに、旧「鈴鹿の山」にもあった「二筋滝」があるが、今日は一筋しかほとんど流れていない。2000年の時には、名の通り二筋であったが、一筋は枯れてしまったのだろうか。

出合いから10mというのはタイプミス? 200mくらい奥だったと思います(写真添付)
美しい二条の滝は荒れた道筋のなかのオアシスですね。
「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」
という崇徳院の和歌にぴったりなので、勝手に崇徳院の滝と呼んでいます。
昭和46年の山渓アルパインガイドに「小又谷と池の谷は踏み跡も消えがち」と書いてあるので、荒れてから久しいようです。

水量のある左俣にとる。ここが地図で谷が90度曲がっている辺りになる。

河倉古道も池の谷を詰めるより、この二股の間の尾根に付けた方が楽な行程になったように思われます。

 
 さらに谷を詰め、河倉峠の真下辺りに来るが、右にはそれらしき道アトは見られない。河倉峠西南斜面は、植林となっているので、その時に道アトは無くなってしまったのだろうか。

この間は探索していないので分かりませんが、後世まで残る地形ではありませんね。奥村さんの地図ではkeikokuさんの右折した850m出合から支流通しで一直線に河倉峠へ上がっていますね。それが古道をトレースしたものかどうかは分かりませんが。

 
 さて、河倉峠へ戻り、御池岳東南部の斜面に昔の「道」を探しに出発する。途中のポイントは、土倉谷とその支流を、また最近亀尾といわれている尾根をどこで越えて行くかだろう。

亀尾と名付けたのは私ですが、谷は小谷でも名前があるのに対して、尾根は余程の顕著な尾根でないと名前がありません。だからこの無名尾根に名前を付けても歴史的地名の冒涜にはならないと考えています。まあ、何処の地名でも最初は誰かが適当に付けたと思われますし^^
で、河倉道と亀尾の交点は都合3回通過していますが、記憶ではテープがあったと思います。
 
亀尾と交差するところは、亀尾の尾根が一服しているところで、ちょっとした小場になっていた。おそらく昔の杣人、登山者もここで一服したことであろう。


Keikokuさんのトラックを拝見すると930mで亀尾と交差していますが、私が見たコバはちょうど1000mなので同じ所ではないようですね。テープがあったのでここが古道だなと、その時は思ったのですが・・・2002年10月にはミルキーでkeikokuさんも一緒に行ってますよね。記憶はどうですか? 残念ながらコバの写真撮ってなかった。
 
しかしこの先、石灰岩の崩壊筋が幾つもあり、当然そこには何のアトも見られない。カマ跡から高度を落とさずに進んでみたが、ここはおそらくもう少し高度を早めに落として、荒場を少しでも避けて行くのだろうと思われた。

私も鉢巻のおりに崩壊筋に手を焼きました。正確に昔の道をトレースするのは、今となっては難しいですね。

それからさらに高度を下げると真ノ谷が間近に来てしまった。これはおそらく、下り過ぎなんだろうと思う。確認できている真ノ谷との合流点よりも少し手前で真ノ谷に下りてしまった。

分岐点は石にペンキで書いてあったような記憶がありますが、今でもあるのかな?

 
白船峠から真ノ谷への道は、峠からほぼそのまま真ノ谷へ下る道と、御池岳に向かって峠からトラバース気味に尾根を北西に下りて行く道が有った。しかし、その北西に下りて行くトラバース道は、登山地図から消えてしまって、今は真っ直ぐに下りる道のみが記されている。

へえ、そうなんですか。トラバースの方がハッキリした道に思えますが。茨川の古地図には白舟から真っすぐ下りるようになっています。でも現代の地図に記すほどの形はないですがね。

峠から北西にトラバースする道は、峠からははっきりと残っているのだが、最後真ノ谷へ下りる点がはっきりとしない。

テント場の、北東から小谷が下りてくるところでは?

 そんな道アト沿いにエビネの群生地が三ヶ所ほど見られた。来た時は見られなかったのだが、ほんの少しの差で見つけられたりするものだし、その逆もあるということだ。

それはよく思いますね。トラバースは高度が10m違うと風景が違います。

 帰路は、谷沿いに下りるのではなく、土倉岳南尾根を辿って下りて行く。ヤブのなくなった今となっては、このルートを辿る方がはるかに簡単だ

私は南尾根920m辺りから左へ取って池の谷屈曲点へ下りたことがあります。尾根は楽勝ですが、谷は疲れました。 
 
河倉峠真ノ谷間は、道アトがもう少ししっかりとしていれば、使えるのだろうが、今後とも物好きだけの世界として微かに跡を留めて行くことだろう。

 そんな所を往復するとは物好きも極まれりですね^^
面白いレポ有難うございました。

    ハリマオ
ハリマオ
 
記事: 452
登録日時: 2011年8月31日(水) 14:06

Re: 【鈴鹿】 小又谷出合から池ノ谷、河倉峠、真ノ谷の廃道を訪ねる

投稿記事by keikoku » 2017年7月09日(日) 09:22

    クロオ さん、こんにちは。

 今回は、こんな際物レポに返信頂き、ありがとう御座いました。まあ、どんなもんだろうと開く人はいるにしても、まともに読んでくれる人がいるとは思っていませんでしたが、ホントご苦労様でした。誰も返信する人がいないので、山友のクロオさんが、余りにかわいそうだと思って返信して頂いたことでしょうが、とても嬉しく思います。ホント、お気遣い頂き、申し訳ありませんでした。 

 こういう山旅がしてみたい。
 こういう、こだわりの持てる、目的がある山歩きがいいなあと思います。


 全く大したことではないのですが、あんなところを歩くのに、何かしら命題がないと歩けませんよね。でも、全く「キワ」の世界の話ですが、何かしら見つけて、その探索に出掛けるというのは、それはそれでおもしろいところがあるものです。今度、探索命題が見つかり、クロオさんにも共感して頂けましたら、ぜひいっしょにお供下さい。よろしくお願いします。

 小又谷駐車場から河倉峠までは、池ノ谷に用が無いのなら、ノタノ坂から尾根を歩いた方が歩きやすそうに思えました。

 現状では、まったくその通りでしょうね。このルートが使われていたのは、辺り相当なヤブだった頃の話です。ノタノ坂を越えて、茨川へ下りる道こそはっきりとしていましたが、ノタノ坂から北への尾根通しは、微かな道アトこそあったものの、相当なヤブでけっこうなやぶこぎをしないと抜けられないものでした。西尾さんの「鈴鹿の山と谷」が出て、少しずつそんなヤブ尾根を歩く人が出始めた20年前でさえたいへんでしたので、それ以前は推して知るべしという状況だったことでしょう。
 そんな状況だったからこそ、歩きにくいとはいえ、まだ谷通しのこのルートが使われていたことなんでしょう。

河倉峠から真ノ谷は、御池岳東ボタンブチの急斜面の傾斜が少し落ち着いたところを通ってるようです。

 それはそんなこともないんですよ。時々、そんな「傾斜が少し落ち着いたところ」を通ってはいるのですが、やはり大半はそこそこの傾斜地を横切って行くしかないんです。しかし、よく使われた頃は、そんな斜面に「道」が付けられ、もう少しは歩きやすかったことでしょうが。

 尾根はブナ林の気持ちのいい尾根でした。

 今は、本当にそうですね。
 2012年に土倉岳に登ったときは、あの方のプレートがありました。真新しいのしか見たことないのですが、ここのは文字が消えかかっていました。

 写真は、kitaさんのものなんですか。残念ながら、今はないかもしれませんね。

 秋に行ったのですが、昔を知らないので、紅葉がきれいで結構いい眺めだと思いました。

 それはそうなんでしょうね。今の御池が、御池であって、まあ私のは、単なる「郷愁」というヤツですね。

 また、そんな話でもしながら、ボツボツとあの辺りも歩きに行きましょう。よろしくお願いします。

                                           keikoku sakakibara
keikoku
 
記事: 91
登録日時: 2012年1月17日(火) 03:28
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Re: 【鈴鹿】 小又谷出合から池ノ谷、河倉峠、真ノ谷の廃道を訪ねる

投稿記事by keikoku » 2017年7月09日(日) 11:08

   kasaya さん こんにちは。

 そうですか。kasayaさんも歩かれましたか。ガイドブックは、山渓のアルパインガイド「鈴鹿の山」ではないかと思いますが、もう40年くらい前のものですから、さすがにもうほとんどそのルートを辿る人はいないでしょうね。御池岳に年に何千人の人が入るのか分かりませんが、そんな物好きは、今では数年にひとりくらいのものではないでしょうか。
 道アトは、ところどころ残っているのですが、何せ元々斜面に恣意的に付けられたものですから、斜度の緩いところは残っていても、そうじゃないところは、道アトも流れてしまっていますね。また、そんな緩いところには、昔の杣人もそんなところに釜を作ったのでしょうね。
 御池の東南斜面の部分だけは、他で笹が全盛だった頃にも、それほどではなかったような記憶があります。昔は、そんな斜面を辿っていると、エビネやクマガイソウのちょっとした群落を見つけても、記録しておくことが難しく、もう一度行こうと思ってもなかなか難しかったですね。ただ、実際にそのつもりで行けば、その目当てに辿り着けなくても、別の群落を新たに発見もしたりしましたが。それを思うと今のGPSのログはすごいことですね。ホント、昔の辿った道アトも残しておきたかったものです。
 でも、たまにはそんなところを辿ってみるのも悪くはないですね。予期せぬお土産やら、発見があったりしますからね。秋になったら、そんな変人同士で、ぶらつきに行きましょう。

                          keikoku sakakibara
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記事: 91
登録日時: 2012年1月17日(火) 03:28
お住まい: 愛知県半田市

Re: 【鈴鹿】 小又谷出合から池ノ谷、河倉峠、真ノ谷の廃道を訪ねる

投稿記事by keikoku » 2017年7月11日(火) 11:34

      ハリマオ さん、こんにちは 

 まずは、こんな専門的というと聞こえはよいが、超マニアックな世界の話を細かく読んで頂き、誠にありがとう御座いました。でも、そんな世界にもおもしろさがあることを、もちろんハリマオさんも知っているんですよね。

すっかりグータラになった私にはまぶしいです。

 何をおっしゃるウサギさんではなく、ハリマオさん。奥村さんは、80過ぎてからもいっしょに御池に登っていましたからね。それでは、近藤さんにしかられますよ、「登れん俺に変わって、御池回りをせんか。」と。

御池岳の南斜面は地形が厳しいですからね。1000m鉢巻山行のときは苦労しました。

 お、ハリマオさんも鉢巻き山行をされましたか。私は、97年の6月に、山田さん、山本さんと右回り、左回りと2回行きましたよ。確か1000m基準だと思いましたが、GPSの記録も無く、実際にどう辿れたははっきりとしません。

出合いから10mというのはタイプミス? 200mくらい奥だったと思います(写真添付)
美しい二条の滝は荒れた道筋のなかのオアシスですね。

 確かにそうでした。出合から200mくらい奥ですね。

「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」
という崇徳院の和歌にぴったりなので、勝手に崇徳院の滝と呼んでいます。

 和歌の教養の無い私ですが、この歌は知っています。いい感じの歌だなあと思っていました。でも、崇徳院って、日本歴代最大級の怨霊だって知っていましたか。ちょっと現地は薄暗いので、それを思うと夏には効果抜群です。

昭和46年の山渓アルパインガイドに「小又谷と池の谷は踏み跡も消えがち」と書いてあるので、荒れてから久しいようです。

 これは若干意味が違うように思います。ハリマオさんの言うアルパインガイドは、山口兄弟の「鈴鹿の山」の新版、おそらく昭和40年代半ばに最初にでたものだと思います(ちなみに、旧版「鈴鹿の山」は、昭和41年6月の発行となっています)。その時点では、ルートとしてはよく歩かれているもので案内もしたけど、「沢通しは道がなく」ということであって、荒れているということとはちょっとニュアンスが違うように思いますよ。このルートが、歩かれなくなったのはもう少し後のことではないでしょうか。
 しかし、ハリマオさんの二筋滝の写真の水量は見事ですね。ちょっと前に雨が降った後でしたか。先日は、残念ながらショボいものでした。

河倉古道も池の谷を詰めるより、この二股の間の尾根に付けた方が楽な行程になったように思われます。

 そうですね。もう、池ノ谷自体に入る意味が無くなりましたね。今、小又谷駐車場からいち早く河倉峠なり土倉岳に行こうとするなら、現在一般的なノタノ坂から尾根を辿るか、池ノ谷の右岸尾根というか土倉岳の南尾根を辿ったらけっこう簡単に辿り着けることでしょうからね。

 さらに谷を詰め、河倉峠の真下辺りに来るが、右にはそれらしき道アトは見られない。河倉峠西南斜面は、植林となっているので、その時に道アトは無くなってしまったのだろうか。

この間は探索していないので分かりませんが、後世まで残る地形ではありませんね。奥村さんの地図ではkeikokuさんの右折した850m出合から支流通しで一直線に河倉峠へ上がっていますね。それが古道をトレースしたものかどうかは分かりませんが。

 奥村さんも、2000年の時の私と同じように、谷から最短的に峠に上がっているのでしょうね。しかし、「鈴鹿の山」の記述、地形、現地の様子からすると私や奥村さんが谷から離れた地点よりもう少し谷沿いに進んでから尾根に上がり、まさにUターンをするように河倉峠へ向かったようです。それが、峠からはしばらく道アトとして残っているのです。前回、歩いた後に奥村さんと話した時には、奥村さんも分からずにそこは、とにかく峠へ目指して登ったというようなことを言っておられたような気がします。

亀尾と名付けたのは私ですが、谷は小谷でも名前があるのに対して、尾根は余程の顕著な尾根でないと名前がありません。だからこの無名尾根に名前を付けても歴史的地名の冒涜にはならないと考えています。まあ、何処の地名でも最初は誰かが適当に付けたと思われますし^^
で、河倉道と亀尾の交点は都合3回通過していますが、記憶ではテープがあったと思います。

 そうでしたか。昔、「亀尾」という地名は聞いたことがなかったので、最近言われるようになったのだろうとは思っていましたが、ハリマオさん命名とは知りませんでした。まあ、名前はなければ、適当に思ったようにまずは付けたらよいのですよ。それが定着するかどうかは、また別なんですから。ぜひとも、「亀尾」は命名者が案内をして、後生にまで残るように多く人に伝えて下さい。
 
Keikokuさんのトラックを拝見すると930mで亀尾と交差していますが、私が見たコバはちょうど1000mなので同じ所ではないようですね。テープがあったのでここが古道だなと、その時は思ったのですが・・・2002年10月にはミルキーでkeikokuさんも一緒に行ってますよね。記憶はどうですか? 残念ながらコバの写真撮ってなかった。

 私はこの山行の前、6月の初旬に東のボタンブチから亀尾を辿り真ノ谷へ下りましたが、確かに1000m辺りにもコバはありましたね。昔のルートは、そこまで高度を上げる必要が無かったでしょう。
 2002年10月の山行には確かに私もいっしょに行きましたが、まだGPSを持っていなかったのでログが残っておらず、記録も、「コグルミ谷-真ノ谷-御池東南端-」としか書いてありません。真ノ谷から東南端へ直登するのではなく、そんな亀尾の方を回ったのでしたか。もし、ハリマオさんがその時のGPSログをお持ちなら、ぜひ頂けませんか。興味あります。写真はあるのですが、どこなのか見当も付きません。ちなみにそれが、2001年に次ぐ2回目でしたでしょうか。
 
私も鉢巻のおりに崩壊筋に手を焼きました。正確に昔の道をトレースするのは、今となっては難しいですね。

 確かにそうですね。でもまあ、だいたいはというか、5m以内くらいには収まるっているのではないかと思います。まったくのそのままは無理でしょうね。

分岐点は石にペンキで書いてあったような記憶がありますが、今でもあるのかな?

 ペンキの文字は、見当たりませんが、分岐点の木にテープが巻いてあります。以前は、ポリ袋に入った案内がありましたが、今は案内のようなものは一切ないですね。

トラバースの方がハッキリした道に思えますが。茨川の古地図には白舟から真っすぐ下りるようになっています。でも現代の地図に記すほどの形はないですがね。

 現在も道アトとしては、そのトラバース道の方が概ねよく残っていますね。ただ、最後があやふやなだけで。そのトラバース道は、けっこうなブナ林で、鈴鹿の中では秀逸なブナ林だと思います。

峠から北西にトラバースする道は、峠からははっきりと残っているのだが、最後真ノ谷へ下りる点がはっきりとしない。

テント場の、北東から小谷が下りてくるところでは?

 私、そのテント場というところが、今となってははっきりと分からないのです。 

トラバースは高度が10m違うと風景が違います。

 まったくその通りですね。3m離れたところに道アトがあっても、なかなか気が付きません。

 そんな所を往復するとは物好きも極まれりですね^^
面白いレポ有難うございました。

 こちらこそ、本当にこんなものをちゃんと読んで頂いて申し訳ないくらいです。しかし、この世界は世界で、知る人ぞ知るおもしろいものがありますよね。滅多に出会うことがありませんが、現代のネット社会のお陰ですね。ぜひ今後ともよろしく願いします。また、ハリマオさんの探求山行も楽しみしていますので、よろしくお願いします。

                       keikoku sakakibara
keikoku
 
記事: 91
登録日時: 2012年1月17日(火) 03:28
お住まい: 愛知県半田市

Re: 【鈴鹿】 小又谷出合から池ノ谷、河倉峠、真ノ谷の廃道を訪ねる

投稿記事by ハリマオ » 2017年7月12日(水) 13:29

keikokuさん、再度です。 

2002年10月の山行には確かに私もいっしょに行きましたが、まだGPSを持っていなかったのでログが残っておらず、記録も、「コグルミ谷-真ノ谷-御池東南端-」としか書いてありません。真ノ谷から東南端へ直登するのではなく、そんな亀尾の方を回ったのでしたか。もし、ハリマオさんがその時のGPSログをお持ちなら、ぜひ頂けませんか。

私がログを取りだしたのは2003~4年からですので、残念ながらありません。
GPSの使い方がよくわからず、現在位置のチェックだけに使っていました。
でも記憶と写真を照合して手書きで作成したものを載せておきます。昼食は奥の池。
メンバーは御池杣人さん、たろぼうさん、keikokuさん、マンテマさん、金丸さん、山ちゃん、やまぼうしさん、小田さん、panaさん、とっちゃん、私の11名。だれかログ持ってるかも?

ペンキの文字は、見当たりませんが、分岐点の木にテープが巻いてあります。以前は、ポリ袋に入った案内がありましたが、今は案内のようなものは一切ないですね。

真の谷の土倉分岐の写真ありました。もう消えたのかな。


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登録日時: 2011年8月31日(水) 14:06


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