【鈴鹿】政所蓬谷鉱山を辿る沢旅  宮の谷・金山谷・脇ノ谷

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【鈴鹿】政所蓬谷鉱山を辿る沢旅  宮の谷・金山谷・脇ノ谷

投稿記事by わりばし » 2017年6月25日(日) 12:22

【日 付】2017年6月24日(土)
【山 域】鈴鹿
【コース】政所駐車場7:30---8:00役所跡------10:35山の神峠---12:06岳---13:15政所駐車場
【メンバー】単独

 「近江鈴鹿の鉱山の歴史」の最初の四分の一は政所蓬谷鉱山の記述にさかれている。16世紀後半、茨川蛇谷鉱山と同時期に銀山として開鉱し、明治時代には大阪商工会議所初代会頭の五代友厚が鉱山経営を行っている。治田鉱山の採掘を行った五代アイの父で、NHKの朝ドラ「あさが来た」でディーン・フジオカが演じていた。大阪商工会議所と大阪証券取引所に現在でも銅像がある当時の鉱山王である。

 政所蓬谷鉱山はこの本関連では出てくるのだが、これ以外では出てこない。谷に入っての調査もされていないようなので、本にある小椋勝治さん(明治37年生まれ)の聞き取りを参考に政所に向かった。工房宮の谷から林道は続いており入口を少し入った場所に駐車する。


 心もとない宮の谷の流れを見ながら林道を歩く。右岸の石垣に注意しながら歩くと、対岸に石垣で作られた二段の台地があった。その先は堰堤で、これを越えると谷は広がり複数段の石垣に囲まれた大規模な台地が右岸にある。最下段の台地を探っていると井戸があった。これは、鉱山の廃水で谷川が汚れるために飲料水用として掘ったもので「吊り池」と呼ばれていた。ここが、鉱山事務所の置かれていた「役所跡」で間違いないようだ。役所跡の上部には「吹き屋跡」といわれた製錬所があったようだが製錬くずのカラミは見つけられなかった。堰堤下の石垣は「四方銀谷鉱山新景」絵図の料亭と見える場所で、「寿司屋跡」と呼ばれた遊郭のようだ。


 役所跡は支流である金山谷が流れ込んでいる合流地点にあり、金山谷入口には銀色に輝く新型堰堤があった。堰堤の下を歩き谷に入る。小規模な登れる滝をこなしながら坑口がないか岩肌を見ながら歩く。両岸が狭まった連瀑の中を倒木が埋め尽くしているので、巻くことにする。獣道が続いており、右岸のバンドを使って巻いた。バンドは昔から鉱山に向かう巻き道として使われていたようだったが、人が通っていない落ち葉の巻きは気を使う。


 小滝を上るが思ったより上部に手がかりがなく慎重に越えると坑口があった。その上の右岸には石垣がありカラミもあるのでここで第1次の製錬をおこなっていたようだ。その先の左岸には右岸よりも大掛かりな石垣がありここが居住場所だったようだ。どうやらここが金山谷の中核施設のようだ。


 ここで谷は二つに分かれる本流は右俣のようなので、脇ノ谷と思われる左俣を進む。しばらく上ると坑口があり、最初は暗くてわからなかったが坑道の坑木まで残っていた。明治17年には蓬谷鉱山は廃坑になっているので130年以上前の坑木が残っていたのには驚いた。


 谷のまわりはヤブのない土の肌が丸見えの蟻地獄のようになってきた。これは治田鉱山の上部と似ており、鉱山の影響で草木が育ちにくいのかもしれない。谷も立ってきたので谷横の岩尾根をモンキークライムで子尾根にたどり着きひと上りで東山と旭山を結ぶ稜線に出た。

 旭山には寄らずに山ノ神峠に向かう。ここは員弁の人たちが遠足尾根に取り付き茶屋川に下ったのち政所に出稼ぎに出向いた時に使った峠で、ここを下れば政所はもうすぐだ。当時は政所は茶やタバコで栄えたようで、蓬谷鉱山の人夫たちもおそらくこの峠を使ったことだろう。

 このまま政所に下ってもよかったのだが、あまりに時間が早いので岳経由で帰ることにした。

 歴史に忘れ去られようとしている政所蓬谷鉱山の金山谷・脇ノ谷を辿りいくつかの産業遺産を見つけられたのは収穫だった。

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Re: 【鈴鹿】政所蓬谷鉱山を辿る沢旅  宮の谷・金山谷・脇ノ谷

投稿記事by 宮指路 » 2017年6月25日(日) 23:27

わりばしさん、おはようございます。

 「近江鈴鹿の鉱山の歴史」の最初の四分の一は政所蓬谷鉱山の記述にさかれている。16世紀後半、茨川蛇谷鉱山と同時期に銀山として開鉱し、明治時代には大阪商工会議所初代会頭の五代友厚が鉱山経営を行っている。



以前、政所~山の神峠経由で岳に登ったことがありましたが、まさかここに鉱山跡があったなんて気が付きませんでした。

治田鉱山の採掘を行った五代アイの父で、NHKの朝ドラ「あさが来た」でディーン・フジオカが演じていた。大阪商工会議所と大阪証券取引所に現在でも銅像がある当時の鉱山王である。


こちらの鉱山は御父上が手掛けられたということですね。

役所跡の上部には「吹き屋跡」といわれた製錬所があったようだが製錬くずのカラミは見つけられなかった。堰堤下の石垣は「四方銀谷鉱山新景」絵図の料亭と見える場所で、「寿司屋跡」と呼ばれた遊郭のようだ。



ちょっとした手掛かりから昔の佇まいを想像するのも面白いですね。
下り藤のように昔の鉱山に遊郭は付き物のようです。

 
小規模な登れる滝をこなしながら坑口がないか岩肌を見ながら歩く。両岸が狭まった連瀑の中を倒木が埋め尽くしているので、巻くことにする。獣道が続いており、右岸のバンドを使って巻いた。


なかなか鉱口が見つからなかったようですね

 
小滝を上るが思ったより上部に手がかりがなく慎重に越えると坑口があった。その上の右岸には石垣がありカラミもあるのでここで第1次の製錬をおこなっていたようだ。その先の左岸には右岸よりも大掛かりな石垣がありここが居住場所だったようだ。どうやらここが金山谷の中核施設のようだ。


やっと目標物が見つかってヤレヤレですね

 
ここで谷は二つに分かれる本流は右俣のようなので、脇ノ谷と思われる左俣を進む。しばらく上ると坑口があり、最初は暗くてわからなかったが坑道の坑木まで残っていた。明治17年には蓬谷鉱山は廃坑になっているので130年以上前の坑木が残っていたのには驚いた。



これだけしっかり残っているのは貴重な歴史物と言えるでしょう。
本の著者もこれは見つけていないのでしょうね

 谷のまわりはヤブのない土の肌が丸見えの蟻地獄のようになってきた。これは治田鉱山の上部と似ており、鉱山の影響で草木が育ちにくいのかもしれない。


檜谷や三神谷を詰めていないので分かりませんが、独特の雰囲気でしょうね

 
旭山には寄らずに山ノ神峠に向かう。ここは員弁の人たちが遠足尾根に取り付き茶屋川に下ったのち政所に出稼ぎに出向いた時に使った峠で、ここを下れば政所はもうすぐだ。



歴史のある峠のようですね。以前行った時、石碑のようなものがあったような記憶があります。


 
歴史に忘れ去られようとしている政所蓬谷鉱山の金山谷・脇ノ谷を辿りいくつかの産業遺産を見つけられたのは収穫だった。



貴重な調査をありがとうございました。

                                                                       宮指路
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登録日時: 2011年2月27日(日) 21:13

Re: 【鈴鹿】政所蓬谷鉱山を辿る沢旅  宮の谷・金山谷・脇ノ谷

投稿記事by SHIGEKI » 2017年6月26日(月) 21:06

わりばしさん こんばんは。

【山 域】鈴鹿
【コース】政所駐車場7:30---8:00役所跡------10:35山の神峠---12:06岳---13:15政所駐車場

このルート?? で、よくぞこのルートのために滋賀県までおいでくださいまし・・・



 「近江鈴鹿の鉱山の歴史」の最初の四分の一は政所蓬谷鉱山の記述にさかれている。16世紀後半、茨川蛇谷鉱山と同時期に銀山として開鉱し、明治時代には大阪商工会議所初代会頭の五代友厚が鉱山経営を行っている。治田鉱山の採掘を行った五代アイの父で、NHKの朝ドラ「あさが来た」でディーン・フジオカが演じていた。大阪商工会議所と大阪証券取引所に現在でも銅像がある当時の鉱山王である。

なるほど、鉱山あと探索でしたか!

 政所蓬谷鉱山はこの本関連では出てくるのだが、これ以外では出てこない。谷に入っての調査もされていないようなので、本にある小椋勝治さん(明治37年生まれ)の聞き取りを参考に政所に向かった。工房宮の谷から林道は続いており入口を少し入った場所に駐車する。

いろんな工房できてますね、蛭谷にも木工工房あります。

 心もとない宮の谷の流れを見ながら林道を歩く。右岸の石垣に注意しながら歩くと、対岸に石垣で作られた二段の台地があった。その先は堰堤で、これを越えると谷は広がり複数段の石垣に囲まれた大規模な台地が右岸にある。最下段の台地を探っていると井戸があった。これは、鉱山の廃水で谷川が汚れるために飲料水用として掘ったもので「吊り池」と呼ばれていた。ここが、鉱山事務所の置かれていた「役所跡」で間違いないようだ。役所跡の上部には「吹き屋跡」といわれた製錬所があったようだが製錬くずのカラミは見つけられなかった。堰堤下の石垣は「四方銀谷鉱山新景」絵図の料亭と見える場所で、「寿司屋跡」と呼ばれた遊郭のようだ。

この石垣は素晴らしい雰囲気保ってますね。
遊郭ですか?? で、寿司屋跡 と呼ばれていた。寿司屋ではなく遊郭でしたか?


 役所跡は支流である金山谷が流れ込んでいる合流地点にあり、金山谷入口には銀色に輝く新型堰堤があった。堰堤の下を歩き谷に入る。その上の右岸には石垣がありカラミもあるのでここで第1次の製錬をおこなっていたようだ。その先の左岸には右岸よりも大掛かりな石垣がありここが居住場所だったようだ。どうやらここが金山谷の中核施設のようだ。

カラミ?何でしょう? 中核施設 わりばし さんの頭には往事の状況が浮かんでいるのでしょう。

興味深い山歩きですね。


 ここで谷は二つに分かれる本流は右俣のようなので、脇ノ谷と思われる左俣を進む。しばらく上ると坑口があり、最初は暗くてわからなかったが坑道の坑木まで残っていた。明治17年には蓬谷鉱山は廃坑になっているので130年以上前の坑木が残っていたのには驚いた。

画像の「木」らしいもののことですね。世紀を跨いでの発見ですね。感動ものでしょう!!


 歴史に忘れ去られようとしている政所蓬谷鉱山の金山谷・脇ノ谷を辿りいくつかの産業遺産を見つけられたのは収穫だった。

素晴らしい収穫ですよ!! 今、生存者で知ってる人はもういないんでしょうね。

鈴鹿の鉱山のことでいつも思うのが、何百年前の古い歴史がもっともらしく語られるのに、近代のたった100年前の
鉱山の街が人々の記憶からも消えてしまいそうなんですね。
もう、語れる人もおられないんでしょうか?
ちなみに、政所の 「きの花」またの機会にお立ち寄りください。
https://www.facebook.com/shigeki.okumura.18   参考です。

素晴らしい歴史の探訪 お疲れ様でした。 興味深く拝見、ありがとうございました。
    では また 山中の寿司屋で
                    SHIGEKI
    
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登録日時: 2011年7月25日(月) 18:30

Re: 【鈴鹿】政所蓬谷鉱山を辿る沢旅  宮の谷・金山谷・脇ノ谷

投稿記事by わりばし » 2017年6月27日(火) 06:00

おはようございます、宮指路さん。

 「近江鈴鹿の鉱山の歴史」の最初の四分の一は政所蓬谷鉱山の記述にさかれている。16世紀後半、茨川蛇谷鉱山と同時期に銀山として開鉱し、明治時代には大阪商工会議所初代会頭の五代友厚が鉱山経営を行っている。



以前、政所~山の神峠経由で岳に登ったことがありましたが、まさかここに鉱山跡があったなんて気が付きませんでした。

寿司屋跡や役所跡は林道から見えていますが、植林がされているのでわかりづらいです。


役所跡の上部には「吹き屋跡」といわれた製錬所があったようだが製錬くずのカラミは見つけられなかった。堰堤下の石垣は「四方銀谷鉱山新景」絵図の料亭と見える場所で、「寿司屋跡」と呼ばれた遊郭のようだ。



ちょっとした手掛かりから昔の佇まいを想像するのも面白いですね。
下り藤のように昔の鉱山に遊郭は付き物のようです。

江戸時代後期の鉱山経営方法を記した「坑場法律」には鉱山繁栄のための必須施設として生産施設のほかに料理所・歓楽街(遊郭)・日和会所(博打場)があげられています。
かせいだ金も博打と遊郭に巻き上げられるというシステムなんでしょう。


 
小規模な登れる滝をこなしながら坑口がないか岩肌を見ながら歩く。両岸が狭まった連瀑の中を倒木が埋め尽くしているので、巻くことにする。獣道が続いており、右岸のバンドを使って巻いた。


なかなか鉱口が見つからなかったようですね

小椋さんの聞き取りに谷の上部に坑口はあるということだったのですが
適度な岩壁を見ると見てしまいます。
:mrgreen:

 
小滝を上るが思ったより上部に手がかりがなく慎重に越えると坑口があった。その上の右岸には石垣がありカラミもあるのでここで第1次の製錬をおこなっていたようだ。その先の左岸には右岸よりも大掛かりな石垣がありここが居住場所だったようだ。どうやらここが金山谷の中核施設のようだ。


やっと目標物が見つかってヤレヤレですね

谷の上部で製錬をしていたという情報は無かったのでカラミを見たときはビックリでした。


 
ここで谷は二つに分かれる本流は右俣のようなので、脇ノ谷と思われる左俣を進む。しばらく上ると坑口があり、最初は暗くてわからなかったが坑道の坑木まで残っていた。明治17年には蓬谷鉱山は廃坑になっているので130年以上前の坑木が残っていたのには驚いた。



これだけしっかり残っているのは貴重な歴史物と言えるでしょう。
本の著者もこれは見つけていないのでしょうね

著者も抗木のことは書いていないのでこの坑口は見ていないと思います。
脇ノ谷では江戸時代に落盤事故があり36人が亡くなったという話も伝わっているようです。


 
旭山には寄らずに山ノ神峠に向かう。ここは員弁の人たちが遠足尾根に取り付き茶屋川に下ったのち政所に出稼ぎに出向いた時に使った峠で、ここを下れば政所はもうすぐだ。



歴史のある峠のようですね。以前行った時、石碑のようなものがあったような記憶があります。

私は見てないのですが、この石碑が峠の由来となった山の神です。


 
歴史に忘れ去られようとしている政所蓬谷鉱山の金山谷・脇ノ谷を辿りいくつかの産業遺産を見つけられたのは収穫だった。



貴重な調査をありがとうございました。

こちらこそ、レスありがとうございました。
鈴鹿でこれだけ大規模なのに忘れ去られそうな鉱山があることに驚きました。


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Re: 【鈴鹿】政所蓬谷鉱山を辿る沢旅  宮の谷・金山谷・脇ノ谷

投稿記事by わりばし » 2017年6月28日(水) 06:35

おはようございます、SHIGEKIさん。

 政所蓬谷鉱山はこの本関連では出てくるのだが、これ以外では出てこない。谷に入っての調査もされていないようなので、本にある小椋勝治さん(明治37年生まれ)の聞き取りを参考に政所に向かった。工房宮の谷から林道は続いており入口を少し入った場所に駐車する。

いろんな工房できてますね、蛭谷にも木工工房あります。

そうですね。ただ、値段が張ります。手間がかかりますからね。
祖父が日野なので江戸時代の日野椀をいくつかもっていますが、昔は日常雑器だったのに。


 心もとない宮の谷の流れを見ながら林道を歩く。右岸の石垣に注意しながら歩くと、対岸に石垣で作られた二段の台地があった。その先は堰堤で、これを越えると谷は広がり複数段の石垣に囲まれた大規模な台地が右岸にある。最下段の台地を探っていると井戸があった。これは、鉱山の廃水で谷川が汚れるために飲料水用として掘ったもので「吊り池」と呼ばれていた。ここが、鉱山事務所の置かれていた「役所跡」で間違いないようだ。役所跡の上部には「吹き屋跡」といわれた製錬所があったようだが製錬くずのカラミは見つけられなかった。堰堤下の石垣は「四方銀谷鉱山新景」絵図の料亭と見える場所で、「寿司屋跡」と呼ばれた遊郭のようだ。

この石垣は素晴らしい雰囲気保ってますね。
遊郭ですか?? で、寿司屋跡 と呼ばれていた。寿司屋ではなく遊郭でしたか?

まあ寿司屋と遊郭が合体した感じで、通称「寿司屋」と呼んでいたのでしょうね。



 役所跡は支流である金山谷が流れ込んでいる合流地点にあり、金山谷入口には銀色に輝く新型堰堤があった。堰堤の下を歩き谷に入る。その上の右岸には石垣がありカラミもあるのでここで第1次の製錬をおこなっていたようだ。その先の左岸には右岸よりも大掛かりな石垣がありここが居住場所だったようだ。どうやらここが金山谷の中核施設のようだ。

カラミ?何でしょう? 中核施設 わりばし さんの頭には往事の状況が浮かんでいるのでしょう。

興味深い山歩きですね。


カラミは鉱石から金属を製錬するときに出る鉄クズで、スラグとも呼ばれています。
製錬の場と生活の場を分けて左岸の汚れていない水を飲み水として使っていたのでしょう。


 ここで谷は二つに分かれる本流は右俣のようなので、脇ノ谷と思われる左俣を進む。しばらく上ると坑口があり、最初は暗くてわからなかったが坑道の坑木まで残っていた。明治17年には蓬谷鉱山は廃坑になっているので130年以上前の坑木が残っていたのには驚いた。

画像の「木」らしいもののことですね。世紀を跨いでの発見ですね。感動ものでしょう!!


そうです。
湿気に強い木を選んで使っているのですが・・
こんなに持つんだなと。 :shock:


 歴史に忘れ去られようとしている政所蓬谷鉱山の金山谷・脇ノ谷を辿りいくつかの産業遺産を見つけられたのは収穫だった。

素晴らしい収穫ですよ!! 今、生存者で知ってる人はもういないんでしょうね。

鈴鹿の鉱山のことでいつも思うのが、何百年前の古い歴史がもっともらしく語られるのに、近代のたった100年前の
鉱山の街が人々の記憶からも消えてしまいそうなんですね。
もう、語れる人もおられないんでしょうか?


語れる人はいないでしょうね。
インターネットで調べても「近江鈴鹿の鉱山の歴史」の焼き写ししか出てこないですから。


ちなみに、政所の 「きの花」またの機会にお立ち寄りください。

帰りに納豆作ってるんだと思ってのぞいたのですが、この日は閉まっていたかな?
また寄ってみます。


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登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
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Re: 【鈴鹿】政所蓬谷鉱山を辿る沢旅  宮の谷・金山谷・脇ノ谷

投稿記事by skywalk » 2017年6月28日(水) 10:25

わりばしさん、こんにちは。

明治時代には大阪商工会議所初代会頭の五代友厚が鉱山経営を行っている。
五代様そんなことしていたんだ。「あさが来た」は見ていましたが、そのようなことは語られていなかったので知りませんでした。

ここが、鉱山事務所の置かれていた「役所跡」で間違いないようだ。役所跡の上部には「吹き屋跡」といわれた製錬所があったようだが製錬くずのカラミは見つけられなかった。堰堤下の石垣は「四方銀谷鉱山新景」絵図の料亭と見える場所で、「寿司屋跡」と呼ばれた遊郭のようだ。
役所跡というだけあって、しっかりした石垣ですね。遊郭まであったの。鉱山ラッシュに沸いていたんですね。

小滝を上るが思ったより上部に手がかりがなく慎重に越えると坑口があった。
見つかりましたね。しっかりした坑口だ。

明治17年には蓬谷鉱山は廃坑になっているので130年以上前の坑木が残っていたのには驚いた。
本当に驚きだ。早くに閉山したんですね。随分昔から掘っていたのかな。

歴史に忘れ去られようとしている政所蓬谷鉱山の金山谷・脇ノ谷を辿りいくつかの産業遺産を見つけられたのは収穫だった。
鉱山調査お疲れさまでした。
skywalk
 
記事: 203
登録日時: 2011年3月07日(月) 21:33

Re: 【鈴鹿】政所蓬谷鉱山を辿る沢旅  宮の谷・金山谷・脇ノ谷

投稿記事by わりばし » 2017年6月29日(木) 06:08

おはようございます、skywalkさん。

明治時代には大阪商工会議所初代会頭の五代友厚が鉱山経営を行っている。

五代様そんなことしていたんだ。「あさが来た」は見ていましたが、そのようなことは語られていなかったので知りませんでした。

当時は殖産興業に戦争の影響で鉱山経営も盛んだったようです。


ここが、鉱山事務所の置かれていた「役所跡」で間違いないようだ。役所跡の上部には「吹き屋跡」といわれた製錬所があったようだが製錬くずのカラミは見つけられなかった。堰堤下の石垣は「四方銀谷鉱山新景」絵図の料亭と見える場所で、「寿司屋跡」と呼ばれた遊郭のようだ。

役所跡というだけあって、しっかりした石垣ですね。遊郭まであったの。鉱山ラッシュに沸いていたんですね。

ただ明治期には採算が合わなかったようで、囚人を安く使っています。囚人を住まわせるための監獄跡という地名も残っています。


小滝を上るが思ったより上部に手がかりがなく慎重に越えると坑口があった。

見つかりましたね。しっかりした坑口だ。

明治の坑口にしてはよく残ったと思います。

明治17年には蓬谷鉱山は廃坑になっているので130年以上前の坑木が残っていたのには驚いた。

本当に驚きだ。早くに閉山したんですね。随分昔から掘っていたのかな。

享保19年(1734)ぐらいには掘られていたようなので約300年前です。

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登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
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Re: 【鈴鹿】政所蓬谷鉱山を辿る沢旅  宮の谷・金山谷・脇ノ谷

投稿記事by 山日和 » 2017年6月29日(木) 22:28

わりばしさん、こんばんは。

【コース】政所駐車場7:30---8:00役所跡------10:35山の神峠---12:06岳---13:15政所駐車場

実はこのあたりは私のエアポケット地帯なんです。(^^;)

「近江鈴鹿の鉱山の歴史」の最初の四分の一は政所蓬谷鉱山の記述にさかれている。16世紀後半、茨川蛇谷鉱山と同時期に銀山として開鉱し、明治時代には大阪商工会議所初代会頭の五代友厚が鉱山経営を行っている。治田鉱山の採掘を行った五代アイの父で、NHKの朝ドラ「あさが来た」でディーン・フジオカが演じていた。

へえー、そうなんですか。それを知って朝ドラ見てたらもっと興味深かったかも。 :shock:

心もとない宮の谷の流れを見ながら林道を歩く。右岸の石垣に注意しながら歩くと、対岸に石垣で作られた二段の台地があった。その先は堰堤で、これを越えると谷は広がり複数段の石垣に囲まれた大規模な台地が右岸にある。最下段の台地を探っていると井戸があった。これは、鉱山の廃水で谷川が汚れるために飲料水用として掘ったもので「吊り池」と呼ばれていた。ここが、鉱山事務所の置かれていた「役所跡」で間違いないようだ。役所跡の上部には「吹き屋跡」といわれた製錬所があったようだが製錬くずのカラミは見つけられなかった。堰堤下の石垣は「四方銀谷鉱山新景」絵図の料亭と見える場所で、「寿司屋跡」と呼ばれた遊郭のようだ。

さっぱりわかりませんが、なんやら面白そうな感じはします。 :mrgreen:

小滝を上るが思ったより上部に手がかりがなく慎重に越えると坑口があった。その上の右岸には石垣がありカラミもあるのでここで第1次の製錬をおこなっていたようだ。その先の左岸には右岸よりも大掛かりな石垣がありここが居住場所だったようだ。どうやらここが金山谷の中核施設のようだ 
ここで谷は二つに分かれる本流は右俣のようなので、脇ノ谷と思われる左俣を進む。しばらく上ると坑口があり、最初は暗くてわからなかったが坑道の坑木まで残っていた。明治17年には蓬谷鉱山は廃坑になっているので130年以上前の坑木が残っていたのには驚いた。


昭和の時代まで稼働していた神崎川上流の鉱山と違って、明治初期の遺構がそのまま残っているのは驚きですね。一見の価値がありそうです。 :D

歴史に忘れ去られようとしている政所蓬谷鉱山の金山谷・脇ノ谷を辿りいくつかの産業遺産を見つけられたのは収穫だった。

わりばしさんならではレポでしたね。お疲れさまでした。

                         山日和


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Re: 【鈴鹿】政所蓬谷鉱山を辿る沢旅  宮の谷・金山谷・脇ノ谷

投稿記事by わりばし » 2017年6月30日(金) 06:16

おはようございます、山日和さん。

【コース】政所駐車場7:30---8:00役所跡------10:35山の神峠---12:06岳---13:15政所駐車場

実はこのあたりは私のエアポケット地帯なんです。(^^;)

山日和さんにも鈴鹿で歩いていない所があるんだ。 :o

「近江鈴鹿の鉱山の歴史」の最初の四分の一は政所蓬谷鉱山の記述にさかれている。16世紀後半、茨川蛇谷鉱山と同時期に銀山として開鉱し、明治時代には大阪商工会議所初代会頭の五代友厚が鉱山経営を行っている。治田鉱山の採掘を行った五代アイの父で、NHKの朝ドラ「あさが来た」でディーン・フジオカが演じていた。

へえー、そうなんですか。それを知って朝ドラ見てたらもっと興味深かったかも。 :shock:

五代アイなんてまったく出てこなかったですからね。
次女だから少しは出るかと思っていたのですが・・

心もとない宮の谷の流れを見ながら林道を歩く。右岸の石垣に注意しながら歩くと、対岸に石垣で作られた二段の台地があった。その先は堰堤で、これを越えると谷は広がり複数段の石垣に囲まれた大規模な台地が右岸にある。最下段の台地を探っていると井戸があった。これは、鉱山の廃水で谷川が汚れるために飲料水用として掘ったもので「吊り池」と呼ばれていた。ここが、鉱山事務所の置かれていた「役所跡」で間違いないようだ。役所跡の上部には「吹き屋跡」といわれた製錬所があったようだが製錬くずのカラミは見つけられなかった。堰堤下の石垣は「四方銀谷鉱山新景」絵図の料亭と見える場所で、「寿司屋跡」と呼ばれた遊郭のようだ。

さっぱりわかりませんが、なんやら面白そうな感じはします。 :mrgreen:

このあたりの資料は、大阪商工会議所の図書館の物のようです。


小滝を上るが思ったより上部に手がかりがなく慎重に越えると坑口があった。その上の右岸には石垣がありカラミもあるのでここで第1次の製錬をおこなっていたようだ。その先の左岸には右岸よりも大掛かりな石垣がありここが居住場所だったようだ。どうやらここが金山谷の中核施設のようだ 
ここで谷は二つに分かれる本流は右俣のようなので、脇ノ谷と思われる左俣を進む。しばらく上ると坑口があり、最初は暗くてわからなかったが坑道の坑木まで残っていた。明治17年には蓬谷鉱山は廃坑になっているので130年以上前の坑木が残っていたのには驚いた。


昭和の時代まで稼働していた神崎川上流の鉱山と違って、明治初期の遺構がそのまま残っているのは驚きですね。一見の価値がありそうです。 :D

堰堤の間で役所跡もかろうじて残っていたし。
ラッキーでした。


歴史に忘れ去られようとしている政所蓬谷鉱山の金山谷・脇ノ谷を辿りいくつかの産業遺産を見つけられたのは収穫だった。

わりばしさんならではレポでしたね。お疲れさまでした。

ありがとうございます。
沢に入り人の痕跡に出会うとほっとします。 

                      
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