【台高】いにしえの尾鷲道と古和谷トロッコ

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わりばし
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登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
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【台高】いにしえの尾鷲道と古和谷トロッコ

投稿記事 by わりばし »

【日 付】2016年1月3日(日)
【山 域】台高
【コース】クチスボダム駐車場7:00---8:46古和谷林道終点---11:08龍辻11:35---15:10クチスボダム駐車場
【メンバー】単独

 以前から気になっていた尾鷲道の古和谷ルートを歩くことにした。この道は大台ケ原大教会の参拝道として尾鷲の林業家土井輿八郎が大正4年(1915)につけ、その一部をたどるように昭和11年(1936)に古和谷土場からトロッコ道がつけられた場所だ。

 キタヤマさんのレポに銚子川沿いの県道760が林道栃山木組線手前で通行止になっているとあったので、尾鷲北ICから国道425に入り便石山の尾根筋にある坂下トンネルを通りクチスボダム駐車地に着いた。

 県道760に入るとすぐに古和谷林道の起点になる矢所で、昭和4年にトロッコ軌道が海山につながるまでは、ここから朝来た坂下峠を越えて尾鷲に木材は運ばれた。林道入り口にはゲートがあり入れず、林道終点まで5キロは歩かされる。

 林道の側溝には頑丈そうなふたがしてある。よく見ると、トロッコ軌道のレールを溶接して作ってある。この林道にもトロッコが走っており、軌道を利用して多くのふたがレール製だった。古和谷は美しい渓流で、水鳥が羽を休める大きな淵が何か所かあった。

 林道には大きな水たまりがいくつもあり、夜中にまとまって降ったようだ。発電用の取水口をすぎ古和谷橋をわたり右岸に移る。この時点では、505標高点から続く破線道を使い栃山尾根に取りつき帰りに尾鷲道で下ってくるつもりだった。堰堤の対岸にテープがあるので行くと石積みの上に朽ちかけた作業小屋があった。破線道は、この小屋を起点に杣道として使われていたのだろう。ヤブの先にもテープがあるが、少し歩いただけで濡れてしまう。雨後にヤブに入ってびしょ濡れになるのは嫌なのでパス。もう少し先の木製ハシゴのかかる杣道もハシゴとわからないぐらい朽ち果てて使われておらずヤブが必至な感じなので素直に林道終点から尾鷲道を歩くことにした。

 しばらく歩くと林道終点の古和谷土場で、ここが尾鷲道の登山口になる。歩き出すとすぐにトロッコ軌道のままのレールが残されている。軌道が落ちた所は新しい橋がかけられており、最近整備したようだ。橋の橋脚にもレールが使われていた。石積みで守られたトロッコ道はしっかり残っている。登山道が植林に上っていく箇所は、その先が切通しになりその前は落ちていた。谷はこのあたりで二俣に分かれるが道は左股右岸を進んで行く。

[attachment=4]IMG_0562.jpg[/attachment]
 下部のトロッコ道はここまでで、ここから石積み階段を上って行く。その横にはインクラインの立派な石垣が威嚇するかのような存在感で立っている。インクラインというのは、傾斜面にレールを引き物を運ぶ貨物用ケーブルカーのことで、古和谷インクラインは2本レールの単線で途中で行き違いができるようになっていた。

[attachment=3]IMG_0476.jpg[/attachment]
 道はインクラインから少し離れながらもつかず離れずで上って行く。この上りは大正時代のもののようでていねいに作られた階段状の苔生した石がそこかしこに残っている。道のポイントには杉の大木や立ち枯れた古木が残されており古道の雰囲気を感じさせる。

 石垣に守られた上部のトロッコ道に着く。この高さまでインクラインが来ているはずなので、確かめにいくとつながっていた。上部のトロッコで運んだ木材を、ここでインクラインに乗せて下し、下部のトロッコで土場まで運んだということだろう。

 切通しを使いながらトロッコ道は進んで行く、石積の橋などもしっかり残っており歩きやすい。河原が近づいてくると対岸にわたる地点で、テープもあり間違うことは無い。
 
 左岸にも再び大正時代のものと思われる苔生した石の階段が出てきて歩きやすい。こういうふうにていねいに作ると溝道にはならないんだなあとあらためて実感する。この道にも目印に残された杉の立ち枯れた古木が何本かある。誰が付けたのか山賊小屋跡という名前の植林小屋跡にはお決まりのビール瓶や一升瓶が残されていた。

[attachment=2]IMG_0474.jpg[/attachment]
 しばらく進むと稜線が見渡せる場所に出て、ここからP1053のコルに向けて尾根を直登する。ここには杉の大木や炭窯跡が残されている。胸突き坂と呼ばれる場所だが、ここにも石の階段を伴ったツヅラ折れの道がつけられており歩きやすい。この尾根は植林の尾根だが、こうした風情を残した古道というのはいいもんだ。

[attachment=1]IMG_0515.jpg[/attachment]
 コルから又口辻に向けて上って行く。ここも植林だが残された木は栂で、植生が変わったようだ。栃山林道からの道との合流点には、尾鷲道の看板がありしめ縄が飾ってあった。又口辻で尾鷲道と分かれそのまま上り、ブナが目立ちだすと龍辻だった。龍辻からは尾鷲の町と熊野灘の展望が開けており、マブシ嶺や大台ケ原も良く見えた。山頂には「山字古和谷官・・」と刻まれた石柱があった。今日は真冬とは思えないぐらい暖かく風もないポカポカ陽気で、のんびり昼食をとった。

[attachment=0]IMG_0510.jpg[/attachment]
 帰りは上段トロッコ道の終点を確かめたかったので来た道を戻ることにした。ゆったり気分で歩いていると三ツ矢サイダーの瓶が落ちている。確かめるがそれほど古いものでもなさそうだと周りを見ると見覚えのある瓶があった。カゴメの青色の八角瓶でコルクでフタをするタイプのようだ。同じものを鈴鹿の千種街道でも見つけたことがある。当時は山にトマトケチャップを持っていくのが流行っていたのだろうか。

 尾鷲道は古道を忠実にたどっていて、目印の木や苔生した石段を歩くのは楽しい。上段のトロッコ道まで戻り上流にしばらく進むと二俣で石積みが終わりトロッコ道の終点に着いた。ここからは龍辻がさえぎる物なく真正面に見え近くの大木にはワイヤーがかかっていた。龍辻方面からワイヤーで木を降ろし、ここから上部トロッコ道、インクライン、下部トロッコ道を使い古和谷土場に運んだのだろう。そこから古和谷林道上にあったトロッコ軌道で矢所の中土場まで運び、当初は坂下峠を越えて尾鷲に搬出していたようだ。

 大正時代の面影を残す尾鷲道といい、しっかり残っている古和谷トロッコといい良いものを見せてもらった。

添付ファイル
龍辻の石柱
龍辻の石柱
龍辻から見た尾鷲市街
龍辻から見た尾鷲市街
苔生した石段
苔生した石段
インクライン
インクライン
トロッコ軌道
トロッコ軌道
zipp
記事: 1165
登録日時: 2011年3月09日(水) 22:49

Re: 【台高】いにしえの尾鷲道と古和谷トロッコ

投稿記事 by zipp »


 わりばしさん、こんばんは。

この道は大台ケ原大教会の参拝道として尾鷲の林業家土井輿八郎が大正4年(1915)につけ、その一部をたどるように昭和11年(1936)に古和谷土場からトロッコ道がつけられた場所だ。
 昭和11年(1936)、この年は土場からインクラインを介して上部軌道が開設された年ですね。矢所から土場までは昭和2年、木馬道としては大正6年だとか。(「三重県の森林鉄道」より)
 大台ケ原に登る尾鷲道の起点ルートは、森林開発拠って左右されますが、思ってた以上に早い段階(戦前?)で古和谷からルートが使われたのかもしれませんね。
ただ、土井氏が寄進した又口道は、北山索道の古和谷駅を擁するがために利便が良くて長く使われたのでしょう。

林道入り口にはゲートがあり入れず、林道終点まで5キロは歩かされる。
 近年、頑強なゲートに変わりますた。釣氏がバイクで入り込んでたのかな?


この時点では、505標高点から続く破線道を使い栃山尾根に取りつき帰りに尾鷲道で下ってくるつもりだった。
 この破線道あってるんでしょうかね?
橡山から、古和谷に降りる道があるんですが何処に降りるのか不明です。
いっそ、古和谷左岸尾根を末端から辿るのも面白いかもしれませんよ。尾根への取り付きは鉄塔順視路もありますし…(^^;。

堰堤の対岸にテープがあるので行くと石積みの上に朽ちかけた作業小屋があった。
 この辺りの林道に、山ノ神を祀った跡があったような記憶があるけど。

 下部のトロッコ道はここまでで、ここから石積み階段を上って行く。その横にはインクラインの立派な石垣が威嚇するかのような存在感で立っている。インクラインというのは、傾斜面にレールを引き物を運ぶ貨物用ケーブルカーのことで、古和谷インクラインは2本レールの単線で途中で行き違いができるようになっていた。
 初めて行った時は、2段になっているインクラインを登りました。
二ノ俣のインクラインは、小さなものでしたがここは、立派ですね。石積みが凄い。大杉谷水越のインクラインは、長くて傾斜がきつい。大台ケ原牛石のインクラインは、自然に溶け込みつつあります。西大台にもあったっけ。
わたしは、マニアではないけど、結構インクラインを歩いてますね(^^;。

河原が近づいてくると対岸にわたる地点で、テープもあり間違うことは無い。

 ここには、吊橋の残骸のケーブルが残ってますね。
わたしは、この対岸の平地が「山賊小屋」だとずーっと思ってました。
よって、先日kitayama-walkさんのスレッドに「尾鷲道」で検索したレポを貼ったのですが、「山賊小屋」の箇所は間違ってました。
 わたしはまだ、古和谷左俣の二俣から稜線までの道は歩けてないのです。



ここにも石の階段を伴ったツヅラ折れの道がつけられており歩きやすい。この尾根は植林の尾根だが、こうした風情を残した古道というのはいいもんだ。
 又口道を歩いてみてください。ここは石積みの立派な古道です。稜線へ乗っかるまではね。古和谷に降りるあたりからはっきりしなくなるけど。

 コルから又口辻に向けて上って行く。ここも植林だが残された木は栂で、植生が変わったようだ。
 古和谷の伐採は、栂等の黒木目当てでしたからね。今も「地蔵峠」辺りには、伐採されずに残ったツガの古木が多いですね。

栃山林道からの道との合流点には、尾鷲道の看板がありしめ縄が飾ってあった。
 年越しで尾鷲から大台ケ原をピストンされた方なのかな(^^)。

龍辻からは尾鷲の町と熊野灘の展望が開けており、マブシ嶺や大台ケ原も良く見えた。
 ここを「龍辻」といっていいのかどうかは、もう一つわだかまりがあるのです。
東ノ川・出口集落から委細谷の道を登って来て稜線、しばらく歩いて1210mピークなんです。
ここから、さらに稜線を下って登って1310mピークまで登るだろうか?
 「龍」は、「龍・竜(柳)の谷」のリュウであることははっきりしています。
「龍辻」は、1210p(この西には平地がある)か、(さらに稜線を下った1100m辺りではないかと考えます…これは勘違いです、これはありえないでしょう。1月9日修正)。この辺りから地形図に破線が残るトラバース道と繋がっていたのではと。土井氏が寄進した又口道もさらに古い古道を利用してたろうから。

 帰りは上段トロッコ道の終点を確かめたかったので来た道を戻ることにした。ゆったり気分で歩いていると三ツ矢サイダーの瓶が落ちている。確かめるがそれほど古いものでもなさそうだと周りを見ると見覚えのある瓶があった。カゴメの青色の八角瓶でコルクでフタをするタイプのようだ。同じものを鈴鹿の千種街道でも見つけたことがある。当時は山にトマトケチャップを持っていくのが流行っていたのだろうか。
 何処まで辿られたのかな?
えっ!ケチャップ!? 当時そんなものがあったんですかい???

そこから古和谷林道上にあったトロッコ軌道で矢所の中土場まで運び、当初は坂下峠を越えて尾鷲に搬出していたようだ。
 トロッコで相賀に運ばれてたと思ってたけど、魚跳の軌道開設までの当初は違って尾鷲に運ばれてたんですね。矢所には索道もあったろうしですね。

 大正時代の面影を残す尾鷲道といい、しっかり残っている古和谷トロッコといい良いものを見せてもらった。
 わりばしさん、この辺りのさらに古い明治の遺構なども辿りませんか(^^)。
やっぱ、先人は凄い「道」を開いてますよ。
最後に編集したユーザー zipp [ 2016年1月10日(日) 00:02 ], 累計 1 回
   zipp
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わりばし
記事: 1767
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
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Re: 【台高】いにしえの尾鷲道と古和谷トロッコ

投稿記事 by わりばし »

zippさん、おはようございます。

この道は大台ケ原大教会の参拝道として尾鷲の林業家土井輿八郎が大正4年(1915)につけ、その一部をたどるように昭和11年(1936)に古和谷土場からトロッコ道がつけられた場所だ。
 昭和11年(1936)、この年は土場からインクラインを介して上部軌道が開設された年ですね。矢所から土場までは昭和2年、木馬道としては大正6年だとか。(「三重県の森林鉄道」より)
 大台ケ原に登る尾鷲道の起点ルートは、森林開発拠って左右されますが、思ってた以上に早い段階(戦前?)で古和谷からルートが使われたのかもしれませんね。
ただ、土井氏が寄進した又口道は、北山索道の古和谷駅を擁するがために利便が良くて長く使われたのでしょう。

なるほど北山索道の古和谷駅に通う道でもあったのか。

この時点では、505標高点から続く破線道を使い栃山尾根に取りつき帰りに尾鷲道で下ってくるつもりだった。
 この破線道あってるんでしょうかね?
橡山から、古和谷に降りる道があるんですが何処に降りるのか不明です。
いっそ、古和谷左岸尾根を末端から辿るのも面白いかもしれませんよ。尾根への取り付きは鉄塔順視路もありますし…(^^;。

破線道は、ほとんど消えているようです。
古和谷に下りる道は、P970の南尾根を使いながらこの先の梯子の残骸の場所につながってるようです。

堰堤の対岸にテープがあるので行くと石積みの上に朽ちかけた作業小屋があった。
 この辺りの林道に、山ノ神を祀った跡があったような記憶があるけど。

川べりに傾いた土台が残っていました。
レール製のふた
レール製のふた
 下部のトロッコ道はここまでで、ここから石積み階段を上って行く。その横にはインクラインの立派な石垣が威嚇するかのような存在感で立っている。インクラインというのは、傾斜面にレールを引き物を運ぶ貨物用ケーブルカーのことで、古和谷インクラインは2本レールの単線で途中で行き違いができるようになっていた。
 初めて行った時は、2段になっているインクラインを登りました。
二ノ俣のインクラインは、小さなものでしたがここは、立派ですね。石積みが凄い。大杉谷水越のインクラインは、長くて傾斜がきつい。大台ケ原牛石のインクラインは、自然に溶け込みつつあります。西大台にあったっけ。
わたしは、マニアではないけど、結構インクラインを歩いてますね(^^;。

苔辻に上って行く堂倉谷インクラインもありますね。


河原が近づいてくると対岸にわたる地点で、テープもあり間違うことは無い。

 ここには、吊橋の残骸のケーブルが残ってますね。
わたしは、この対岸の平地が「山賊小屋」だとずーっと思ってました。
よって、先日kitayama-walkさんのスレッドに「尾鷲道」で検索したレポを貼ったのですが、「山賊小屋」の箇所は間違ってました。
 わたしはまだ、古和谷左俣の二俣から稜線までの道は歩けてないのです。

河原沿いに石積みの小屋跡があります。
地べたに柱も置いてありました。
トロッコ道終点
トロッコ道終点
ここにも石の階段を伴ったツヅラ折れの道がつけられており歩きやすい。この尾根は植林の尾根だが、こうした風情を残した古道というのはいいもんだ。
 又口道を歩いてみてください。ここは石積みの立派な古道です。稜線へ乗っかるまではね。古和谷に降りるあたりからはっきりしなくなるけど。

又口道よさそうですね。
でも、リュウノ谷の朽ちた吊橋を渡らなきゃならないんじゃ・・ :o

 コルから又口辻に向けて上って行く。ここも植林だが残された木は栂で、植生が変わったようだ。
 古和谷の伐採は、栂等の黒木目当てでしたからね。今も「地蔵峠」辺りには、伐採されずに残ったツガの古木が多いですね。

そうなんだ、高価な木ねらいでしたか。

龍辻からは尾鷲の町と熊野灘の展望が開けており、マブシ嶺や大台ケ原も良く見えた。
 ここを「龍辻」といっていいのかどうかは、もう一つわだかまりがあるのです。
東ノ川・出口集落から委細谷の道を登って来て稜線、しばらく歩いて1210mピークなんです。
ここから、さらに稜線を下って登って1310mピークまで登るだろうか?
 「龍」は、「龍・竜(柳)の谷」のリュウであることははっきりしています。
「龍辻」は、1210p(この西には平地がある)か、さらに稜線を下った1100m辺りではないかと考えます。この辺りから地形図に破線が残るトラバース道と繋がっていたのではと。土井氏が寄進した又口道もさらに古い古道を利用してたろうから。

たしかに、辻って場所じゃないですよね。

 帰りは上段トロッコ道の終点を確かめたかったので来た道を戻ることにした。ゆったり気分で歩いていると三ツ矢サイダーの瓶が落ちている。確かめるがそれほど古いものでもなさそうだと周りを見ると見覚えのある瓶があった。カゴメの青色の八角瓶でコルクでフタをするタイプのようだ。同じものを鈴鹿の千種街道でも見つけたことがある。当時は山にトマトケチャップを持っていくのが流行っていたのだろうか。
 何処まで辿られたのかな?
えっ!ケチャップ!? 当時そんなものがあったんですかい???

カゴメケチャップは明治の末には作られていたようです。
瓶裏のロゴでカゴメとわかるのですが、いつの時代だろう?
昔は、おにぎりにケチャップつけるのがトレンディだったりして。 :lol:
カゴメの八角瓶
カゴメの八角瓶
そこから古和谷林道上にあったトロッコ軌道で矢所の中土場まで運び、当初は坂下峠を越えて尾鷲に搬出していたようだ。
 トロッコで相賀に運ばれてたと思ってたけど、魚跳の軌道開設までの当初は違って尾鷲に運ばれてたんですね。矢所には索道もあったろうしですね。

龍辻越の尾鷲峠もこのあたりの北山側からの呼び名と考えられます。

 大正時代の面影を残す尾鷲道といい、しっかり残っている古和谷トロッコといい良いものを見せてもらった。
 わりばしさん、この辺りのさらに古い明治の遺構なども辿りませんか(^^)。
やっぱ、先人は凄い「道」を開いてますよ。

いいですねえ。
このあたりも高速道路の開通で本当に近くなりました。
                                              
 
kzo
記事: 36
登録日時: 2014年2月12日(水) 19:24

Re: 【台高】いにしえの尾鷲道と古和谷トロッコ

投稿記事 by kzo »

わりばしさん、zippさんこんばんは。

先に秀逸なコメントがあり、私が差し出がましく出る余地無いですが、賑やかしに。。。
 県道760に入るとすぐに古和谷林道の起点になる矢所で、昭和4年にトロッコ軌道が海山につながるまでは、ここから朝来た坂下峠を越えて尾鷲に木材は運ばれた。林道入り口にはゲートがあり入れず、林道終点まで5キロは歩かされる。
私も2回程歩きました。トロッコ跡林道は他に無い程傾斜がきつく、当時のブレーキ手は怖かったでしょうね。
谷は本当に綺麗ですね。見とれながら歩きましたが、何回もとなるとちょっと・・・
 左岸にも再び大正時代のものと思われる苔生した石の階段が出てきて歩きやすい。こういうふうにていねいに作ると溝道にはならないんだなあとあらためて実感する。この道にも目印に残された杉の立ち枯れた古木が何本かある。誰が付けたのか山賊小屋跡という名前の植林小屋跡にはお決まりのビール瓶や一升瓶が残されていた。
ここ話に聞いたことがあります。行ってみたいです!栃山林道から尾根を歩いた時に案内看板がありましたね。いつになるかわかりませんが、私も行きます!
 帰りは上段トロッコ道の終点を確かめたかったので来た道を戻ることにした。ゆったり気分で歩いていると三ツ矢サイダーの瓶が落ちている。確かめるがそれほど古いものでもなさそうだと周りを見ると見覚えのある瓶があった。カゴメの青色の八角瓶でコルクでフタをするタイプのようだ。同じものを鈴鹿の千種街道でも見つけたことがある。当時は山にトマトケチャップを持っていくのが流行っていたのだろうか。
草木のみならず、瓶の知識もお持ちなんですね。飯場跡は何度も目にしてますが、一升瓶位しか目に止まってませんでした。私ももっと注意深く観察しようと思います。
 大台ケ原に登る尾鷲道の起点ルートは、森林開発拠って左右されますが、思ってた以上に早い段階(戦前?)で古和谷からルートが使われたのかもしれませんね。
ただ、土井氏が寄進した又口道は、北山索道の古和谷駅を擁するがために利便が良くて長く使われたのでしょう。
私は北山索道の駅を訪れようとしていますが、R425の通行可否に振り回されています。県道760も通行不可で、最近は早朝尾鷲で牛丼を食べてからR425に入るのがルーティンになっています。高速で本当に便利になりましたよね。昨年末は古和谷右岸尾根を末端から登り、京良谷駅を探しに行きましたが、空振りでした。この辺りは発電施設の建設で遺構が上書きされたんでしょうか・・・?もっと調べてみたいと通っていますが、本当に山深く己の技量が知れているのでその内痛い目に遭いそう・・・

また興味深いレポートやコメント、よろしくお願いします!
zipp
記事: 1165
登録日時: 2011年3月09日(水) 22:49

Re: 【台高】いにしえの尾鷲道と古和谷トロッコ

投稿記事 by zipp »


 わりばしさんヨコヤリ失礼します。
kzo さん、お久にこんばんは!

私は北山索道の駅を訪れようとしていますが、昨年末は古和谷右岸尾根を末端から登り、京良谷駅を探しに行きましたが、空振りでした。この辺りは発電施設の建設で遺構が上書きされたんでしょうか・・・?
 北山索道の京良谷の駅跡ですが、たぶん・・・というところはわかってます。
わたし自身、京良谷を遡行したんだけど、途中まででレポを残してないんです。
いま、改めて確認していないので間違ってたらゴメン!だけど、林道が谷を渡るところと取水堰堤の間の谷の左岸にそれらしきところがあります。
京良谷遡行の記録を読むと突然谷に人工物が現れたみたいに記録している箇所になるかと思います。
痕跡としては谷のコンクリと周りを囲むようにある石積みと生活の痕跡ぐらいしかわたしには見つけられず、索道の延長線ではあるが、駅跡であろうとは確信は持てないけど、たぶん索道の駅跡だと思われます。

   zipp
zipp
記事: 1165
登録日時: 2011年3月09日(水) 22:49

Re: 【台高】いにしえの尾鷲道と古和谷トロッコ

投稿記事 by zipp »

 
 わりばしさん、再びです。

≫えっ!ケチャップ!? 当時そんなものがあったんですかい???

カゴメケチャップは明治の末には作られていたようです。
瓶裏のロゴでカゴメとわかるのですが、いつの時代だろう?
昔は、おにぎりにケチャップつけるのがトレンディだったりして。 :lol:


 きょう某飯場跡で、カゴメ印の八角瓶を拾いました。
側面には、カゴメマークの下に 「カゴメの香り」と刻印されています。
このビンと同じところに、「磯小町」と刻印されたビンが2種(伊勢乾物株式会社の海苔の佃煮ビン)です。
 んで、帰って来てから調べました。「香り」でピン!ときましたからね(^^)。
これは、カゴメのケチャップの広口瓶ではなく、カゴメの「のり佃煮」ビンでした。

[attachment=0]DSCN3301_800.jpg[/attachment]
                                              
添付ファイル
飯場跡のビン。<br />両側は「磯小町」びん。右から二つ目がカゴメの「のり佃煮」びん。<br />それにほぼ無傷のコップ。
飯場跡のビン。
両側は「磯小町」びん。右から二つ目がカゴメの「のり佃煮」びん。
それにほぼ無傷のコップ。
   zipp
アバター
わりばし
記事: 1767
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】いにしえの尾鷲道と古和谷トロッコ

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、kzoさん。
 県道760に入るとすぐに古和谷林道の起点になる矢所で、昭和4年にトロッコ軌道が海山につながるまでは、ここから朝来た坂下峠を越えて尾鷲に木材は運ばれた。林道入り口にはゲートがあり入れず、林道終点まで5キロは歩かされる。
私も2回程歩きました。トロッコ跡林道は他に無い程傾斜がきつく、当時のブレーキ手は怖かったでしょうね。
谷は本当に綺麗ですね。見とれながら歩きましたが、何回もとなるとちょっと・・・

急勾配でフォードの四気筒エンジンをつけて走ったと書いてありましたね。
この日は、たくさんの鳥たちが淵で骨休めをしておりました。
古道の木
古道の木
 左岸にも再び大正時代のものと思われる苔生した石の階段が出てきて歩きやすい。こういうふうにていねいに作ると溝道にはならないんだなあとあらためて実感する。この道にも目印に残された杉の立ち枯れた古木が何本かある。誰が付けたのか山賊小屋跡という名前の植林小屋跡にはお決まりのビール瓶や一升瓶が残されていた。
ここ話に聞いたことがあります。行ってみたいです!栃山林道から尾根を歩いた時に案内看板がありましたね。いつになるかわかりませんが、私も行きます!

小規模な小屋跡です。
私的には、その前後の古道の石段が良かったです。
小屋跡
小屋跡
 帰りは上段トロッコ道の終点を確かめたかったので来た道を戻ることにした。ゆったり気分で歩いていると三ツ矢サイダーの瓶が落ちている。確かめるがそれほど古いものでもなさそうだと周りを見ると見覚えのある瓶があった。カゴメの青色の八角瓶でコルクでフタをするタイプのようだ。同じものを鈴鹿の千種街道でも見つけたことがある。当時は山にトマトケチャップを持っていくのが流行っていたのだろうか。
草木のみならず、瓶の知識もお持ちなんですね。飯場跡は何度も目にしてますが、一升瓶位しか目に止まってませんでした。私ももっと注意深く観察しようと思います。

ビールの刻印やインク瓶など時代が特定できる物もあるので、すくに反応してしまいます。
また、楽しいレポ期待してます。 :mrgreen:
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わりばし
記事: 1767
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】いにしえの尾鷲道と古和谷トロッコ

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、zippさん。

≫えっ!ケチャップ!? 当時そんなものがあったんですかい???

カゴメケチャップは明治の末には作られていたようです。
瓶裏のロゴでカゴメとわかるのですが、いつの時代だろう?
昔は、おにぎりにケチャップつけるのがトレンディだったりして。 :lol:


 きょう某飯場跡で、カゴメ印の八角瓶を拾いました。
側面には、カゴメマークの下に 「カゴメの香り」と刻印されています。
このビンと同じところに、「磯小町」と刻印されたビンが2種(伊勢乾物株式会社の海苔の佃煮ビン)です。
 んで、帰って来てから調べました。「香り」でピン!ときましたからね(^^)。
これは、カゴメのケチャップの広口瓶ではなく、カゴメの「のり佃煮」ビンでした。

私が見た2つの八角瓶は無地だったので、わからなかったんですが、海苔の佃煮でしたか。
カゴメが海苔の佃煮を作っていたとは知りませんでした。 :!:
佃煮入れとしては斬新でオシャレな入れ物です。

それにしてもzippさんが行った飯場の人は海苔の佃煮が好きだったんですねえ。 :mrgreen:
カゴメ 海苔の佃煮 看板
カゴメ 海苔の佃煮 看板
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