【南大台】 マブシ嶺・中の嶺-尾鷲道を歩く

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zipp
記事: 1165
登録日時: 2011年3月09日(水) 22:49

Re: 【南大台】 マブシ嶺・中の嶺-尾鷲道を歩く

投稿記事 by zipp »


 keikokuさん、こんばんは。

 尾鷲道の地名についてスレッドを改めて詳しくかければいいんですが、それもままならぬまま今日にいたってます、

 光山・・・。
 昭文社の山高地図では、年度が違うだけで光山の位置が変遷しています。
1184標高点だったり、マブシ嶺の三角点だったりと。
 この「光山」という地名は奈良県側ではなく三重県側の呼び名であることははっきりしているようです。
この山域の谷、光谷とか関係していることはまず確かだろうと。
わたしの想像ですが、1352標高点の山が光山だと思ってます。二ノ又谷側は岩盤で、陽を浴びると光ります。

 一本木・・・。
 あの白い立派な標識は、(「地蔵峠」~「コブシ峰」間に付けられています。)間違いが多いようです。
先にも書きましたが、マブシ嶺三角点の南の直下あたりに 一本の大きなブナがあったから誰かが付けたのでしょう。尾鷲道の道型沿いに小さなプレートがあるかと思います。

   zipp
keikoku
記事: 108
登録日時: 2012年1月17日(火) 03:28
お住まい: 愛知県半田市

Re: 【南大台】 マブシ嶺・中の嶺-尾鷲道を歩く

投稿記事 by keikoku »

 zippさん、さっそくの御返答ありがとう御座いました。

 光山の件ですが、
 当日問題になったのは、ふたつの標識が標高点1184mのところにではなく、その東の小ピークにあったことでした。これについては、他の場所でもあるように、標高が高い方にではなく、下から見たもしくは見える山に名前が付いている場合がけっこうあるということです。今回の場合、たとえば水無峠から見ると、見えるのは標高点1184m方ではなく、その東の小ピークであるような感じがします。その意味で、標識通り標高点の東のピークも有りうると思うわけですが、そのプレートに1184mと表示してありますので、単に間違えている可能性も大です。
 それよりも、zippさんが言うように、標高点1352mの地点というのは、卓見のようにも感じます。この地点は、その水無峠から見ると顕著なピークに見えるからです。まさにそのピークには何らかの名前が欲しいし、で付けるならば光谷が上がって来ていることにより「光山」と付けられていても決しておかしくはないでしょう。
 この件、zippさんか、わりばしさんあたりに掘り下げて探求してもらえるとありがたいですね。期待しています。
アバター
わりばし
記事: 1767
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: お地蔵様が見つかりました

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、キタさん。
お久しぶりです。


 わりばしさんが「追分峠」と言っているのは、この一つ目の切り通しのところのことなのでしょうか?
 それで、「地蔵峠」というのは二つ目の切り通しのところなんでしょうか?[/quote]

そうです。

峠というのは林道が出来てからの後付けの名前なのでややこしいのですが・・・
林道が出来るまでは尾根通しで行けましたからね。

「地蔵峠」は林道を作った時に地蔵さんが発見された場所にある峠
「追分峠」は追分地蔵を安置した峠とういう意味だったと記憶しています。
ですから本来は追分=分岐として尾根上に設置されており
右左に分岐の道がくるように安置されていたのでしょう。

                  わりばし


          
kitayama-walk
記事: 719
登録日時: 2011年6月06日(月) 01:33
お住まい: 京都市中京区
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Re: お地蔵様が見つかりました

投稿記事 by kitayama-walk »

 わりばしさん おはようございます。

 地蔵峠と追分峠の違いが理解できました。
 最初、「追分峠のお地蔵様を見逃して残念でした」と言われたので、その地蔵はどこにあるのかと疑問に思いました。
zippさんの書き込みを読んで見当はつけたのですが、次に行くのはいつになるかなと思っていたところでした。
見つかったお地蔵様
見つかったお地蔵様
> 峠というのは林道が出来てからの後付けの名前なのでややこしいのですが・・・
> 林道ができるまでは尾根通しで行けましたからね。


 わかればなるほどと思ってしまいます。
 追分峠は林道ができる前の峠なんですね。
一つ目の切り通しが追分峠
一つ目の切り通しが追分峠
> 地蔵峠は林道を作った時に地蔵さんが発見された場所にある峠で、追分峠は追分地蔵を安置した峠とういう意味
> だったと記憶しています。ですから本来は追分=分岐として尾根上に設置されており、右左に分岐の道がくるよう
> に安置されていたのでしょう。


 その解説で疑問も氷解しました。
 この前、辿ったとき、一つ目の切り通しのところで、「お地蔵様」と書かれた標識が転がっていました(立てられておらず)。
これは何だ!と思ったのですが、ははん、ここが追分峠でお地蔵様があるところだとピンときたわけです。そこで、切り通しの
上に登っていく踏み跡もあったものですから、ここを辿るとお地蔵様が見つかりました。
こちらが地蔵峠と呼ばれているところ
こちらが地蔵峠と呼ばれているところ
written by kitayama-walk
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