【南大台】 マブシ嶺・中の嶺-尾鷲道を歩く

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kitayama-walk
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【南大台】 マブシ嶺・中の嶺-尾鷲道を歩く

投稿記事 by kitayama-walk »

【日 付】 2015年12月20日(日)
【天 候】 晴れ
【山 域】 南大台
【メンバー】kitayama-walk(単独行)

【コース】 8:00林道ゲート(駐車地)-8:20地蔵峠-8:45古和谷道(尾鷲道)分岐-8:50又口辻-9:15神明水-9:30新木組峠-10:00木組峠-10:15一本木-11:00▲マブシ嶺(コブシ嶺)12:00-12:20P1216-12:30一本木-12:50P1245-12:55木組峠-13:15新木組峠-13:50▲中の嶺(中の岳・委細谷の頭)14:00-14:20竜辻14:30-14:45又口辻-14:50古和谷道分岐-15:00地蔵峠-15:25林道ゲート(駐車地)
GPS軌跡図
GPS軌跡図
 尾鷲道は、かつて尾鷲から大台ヶ原への登山道として利用されていたが、昭和36年に大台ヶ原ドライブウェイの開通で徐々に利用されなくなり、今では歩く登山者も少なく荒廃している。2013年のGWに大台ヶ原から尾鷲道を辿り、尾鷲辻-堂倉山-地倉山-雷峠-マブシ(コブシ)嶺-木組峠-新木組峠-中の嶺(中の岳)とピストンしたことがある。今年は尾鷲道が開通して100周年を迎えるそうだ。そこで今回は反対側からマブシ嶺まで辿ってみることにした。尾鷲から古和谷林道を辿る、かつての尾鷲道が廃道化しており、現在では林道栃山木組線が利用されているというので、この林道を使ってマブシ嶺まで辿ることにした。よく調べてみると、尾鷲道(登山道)は又口辻からは新木組峠までは尾根の北側をトラバースしており、また新木組峠からマブシ嶺直下までも尾根の西側をトラバースしている。そこで帰路は尾根を忠実に辿ることにし、新木組峠からは中の嶺-竜辻を経て又口辻に戻ることにした。

 京都からは尾鷲は遠いように思われるが、高速道路(新名神、伊勢道、紀勢道)を使うと意外と時間的に近い。京都東ICから海山ICまで約2時間で行ける。海山ICからはR42の銚子橋手前で県道760に入り、銚子川に沿ってどんどんと進んでいくと最後の集落を過ぎて左手に吊り橋があるところで先が通行止になっていた。しかし、この手前に林道栃山木組線の入口がある。この林道はかなり長いが、舗装されていて、落石も少なく通行には不便がない。水無峠まで舗装されて(約8㎞)30分ほどで着けるが、この先の2.5㎞の地道は一部荒れている箇所があり、普通車でも入れないことはないが、かなり厳しい。10分ほど地道をゆっくりと走ると鉄製のゲートがあり、ここに駐車することになる。

<林道ゲート~新木組峠>
 林道は所々大きな石がゴロゴロしているところがあるものの、歩く分には問題がない。少しずつ登っていき、地蔵峠の手前で大きく蛇行している。そして切り通しになったところが地蔵峠である。林道はさらに続いているが、峠の左手に白い木の表示板があり、木組-又口辻を案内している。尾根に取り付くまでは急登になっているが、尾根に出てしまえば、緩やかな傾斜になる。地蔵峠が標高1000mだからマブシ嶺(1411m)まで標高差は400mしかない。途中、古和谷道分岐(尾鷲に下る道)には「大台ヶ原 尾鷲道」の新しい標識が付けられていた。さらに進むと又口辻にやってきた。左が又口に下る道、右が尾鷲道、真ん中の尾根道が帰路に使うことになる。往路は右の尾鷲道を進む。この部分の尾鷲道は、尾根の北側から東側をトラバースしている。気温が低いため、登山道には霜柱がたくさんできていてザクザクを踏んで歩く。尾根を見上げるとブナなどの落葉した自然林が青空をバックにいい感じだ。最初は西に向かっていた道が次第に北に向かうようになり、小さな木橋を渡ると神明水という水場にやってきた。ここは尾鷲道唯一の給水点になっている。今は耳を澄ますと微かに水音が聞こえる程度の水量しかない。左手に見える尾根が次第に下がってきて登山道と出合ったところが新木組峠である。白い標識があるが、この先にある木組峠と区別するために「新」木組峠と命名されている。

<新木組峠~木組峠>
 新木組峠からは尾根道となる。以前は尾根の西側にトラバース道があったようであるが、現在では崩落して通行できないようだ。木組峠との中間点あたりで眺望が開けてくる。竜口尾根の向こうに少し白くなった大峰山脈の山々は見える。釈迦ヶ岳、孔雀岳、仏生ヶ岳、八経ヶ岳、弥山と続いている。釈迦ヶ岳は槍のように尖って見える。北方面には、大台ヶ原の大蛇嵓から本ゴヤ嶺にかけての台地が見え、その右側にマブシ嶺が見えている。昼が近いなら、ここでランチしたい場所である。尾根を辿って進むと落とし穴が待っている。木組峠に下るポイントを見落としてはいけない。今回は白い小さな標識が設けてあったので間違えることはなかった。これに気づかず、そのまま直進(東進)してしまうと、光山(P1184)に向かうことになる。この迷点では左手に直角に曲って下った鞍部が木組峠である。静かな佇まいの感じのいいところだ。峠の西側にある木組谷から峠名がついている。
大峰山脈1
大峰山脈1
<木組峠~マブシ嶺>
 木組峠からの尾鷲道は、起伏のある県境尾根を避けて、尾根の西側にトラバースするようになっている。又口辻から新木組峠までのトラバース道と同様にしっかりと作られている。木組峠から最初は左手に下っていくと、すぐにトラバース道となる。アップダウンのない道なので歩きやすい。尾根の小ピークのP1245とP1216の中間点の鞍部に一本木と書かれた白い標識があった。その命名は謎であるが、ここで一旦尾根と出合う。しかし、再びP1216の西側を巻くように続いている。そして、ブナ、ミズナラ、ヒメシャラなどが林立する平坦地に出てくると稜線になる。緩やかな登りを過ぎると右に大きくカーブして、マブシ嶺への約200mの急登となる。疎林の中を登るとやがて左の眺望が開け、大峰山脈が眼前に広がる。そして、左側が崩落した尾根をどんどん登っていくとマブシ嶺に到着した(11:00)。ゲートから約3時間というペースである。
マブシ嶺山頂
マブシ嶺山頂
<マブシ嶺山頂にて>
 マブシ嶺という名前は、三重県出身の探検家松浦武四郎の「乙酉掌記」の「大臺原山上指掌圖」には「マブシ嶺」の文字があり、この「マ」を「コ」と読み間違えたのではないかと言われている。マブシ嶺の山頂には樹木はなく、裸地になっている。それだけに眺望は抜群である。西には大峰山脈の弥山以北の、行者還岳、大普賢岳、山上ヶ岳などの山並みがあり、北には大台ヶ原、そして東には熊野灘や尾鷲の町が見える。ここには三等三角点(点名:雷峠Ⅰ)がある。今日は快晴無風の天気に恵まれたので、ここでランチタイムだ。スーパーのサービスタイムで半額のチゲ鍋に追加の豚バラ肉と餅を用意した。もちろんアワワは欠かせない。誰一人いないマブシ嶺で至福のひとときを過ごすことができた。
熊野灘が見える
熊野灘が見える
チゲ鍋&アワワ
チゲ鍋&アワワ
<マブシ嶺~新木組峠>
 1時間しっかりとランチした後は引き返すことになるが、当初の予定どおり、県境尾根を忠実に辿ることにした。マブシ嶺直下の平坦地から尾根に乗り、まずP1216をめざす。左にほぼ直角に曲がってから、今度は右に直角に曲がる。多少のアップダウンがあるが、大したことはない。途中に天に向かってまるで千手観音のように手を広げているブナがあった。一本木に下ってきて標識を見てから、再び尾根を辿りP1245に向かう。ここからは再び熊野灘が見える。P1245から真っ直ぐ下ると木組峠だ。新木組峠までは往路を辿ることになる。

<新木組峠~又口辻>
 新木組峠からは県境稜線を辿ることになるが、前回も三角点峰の中の嶺(中の岳)までは歩いたので様子はわかっている。まずはca1305のピークをめざすが、この手前に展望地がある。大峰山脈から大台ヶ原、マブシ嶺にかけての展望は最高である。前回はここでランチタイムを取ったが、今回も天気がよく、眺望は素晴らしい。ca1305ピーク周辺はブナなどの自然林に囲まれた雰囲気がいいところだ。中の嶺までは一旦70mほど下ってから登り返すことになるが、結構急降下することなる。中の嶺(中の岳)は二等三角点(点名:西原)があり、別名委細谷の頭とも呼ばれている。委細谷は山頂より西南にある坂本ダム湖に注ぎ込む谷の名前である。山頂には樹木があるが、西方面は一部伐採されていて大峰山脈や竜口尾根などの眺望がある。中の嶺から少し東に下ったところにかなり大きな杉があった。おそらく県境最大の大杉であろう。さらに小さなアップダウンを繰り返すと竜辻と呼ばれるピーク(1265m)に着いた。ここは南方向の眺望があり、熊野灘と尾鷲の町が一望できるところだ。小休止の後、南に向かい県境尾根から逸れて北東方向の尾根に乗る。所々右手に眺望の開けたところがある。自然林の中を下っていくと又口辻に戻ってきた。あとは来た道を林道ゲートまで戻った。
最高の眺望
最高の眺望
中の嶺山頂からの眺望
中の嶺山頂からの眺望
竜辻から尾鷲の町を見る
竜辻から尾鷲の町を見る
written by kitayama-walk
アバター
わりばし
記事: 1763
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【南大台】 マブシ嶺・中の嶺-尾鷲道を歩く

投稿記事 by わりばし »

こんにちは、kitayama-walkさん。

 尾鷲道は、かつて尾鷲から大台ヶ原への登山道として利用されていたが、昭和36年に大台ヶ原ドライブウェイの開通で徐々に利用されなくなり、今では歩く登山者も少なく荒廃している。2013年のGWに大台ヶ原から尾鷲道を辿り、尾鷲辻-堂倉山-地倉山-雷峠-マブシ(コブシ)嶺-木組峠-新木組峠-中の嶺(中の岳)とピストンしたことがある。今年は尾鷲道が開通して100周年を迎えるそうだ。そこで今回は反対側からマブシ嶺まで辿ってみることにした。尾鷲から古和谷林道を辿る、かつての尾鷲道が廃道化しており、現在では林道栃山木組線が利用されているというので、この林道を使ってマブシ嶺まで辿ることにした。よく調べてみると、尾鷲道(登山道)は又口辻からは新木組峠までは尾根の北側をトラバースしており、また新木組峠からマブシ嶺直下までも尾根の西側をトラバースしている。そこで帰路は尾根を忠実に辿ることにし、新木組峠からは中の嶺-竜辻を経て又口辻に戻ることにした。

昨年のこの時期にこのルートを歩こうとしたのですが、雪と膝に水が溜まりだしたので清五郎滝と追分地蔵を見物して帰ってきました。

 京都からは尾鷲は遠いように思われるが、高速道路(新名神、伊勢道、紀勢道)を使うと意外と時間的に近い。京都東ICから海山ICまで約2時間で行ける。海山ICからはR42の銚子橋手前で県道760に入り、銚子川に沿ってどんどんと進んでいくと最後の集落を過ぎて左手に吊り橋があるところで先が通行止になっていた。しかし、この手前に林道栃山木組線の入口がある。この林道はかなり長いが、舗装されていて、落石も少なく通行には不便がない。水無峠まで舗装されて(約8㎞)30分ほどで着けるが、この先の2.5㎞の地道は一部荒れている箇所があり、普通車でも入れないことはないが、かなり厳しい。10分ほど地道をゆっくりと走ると鉄製のゲートがあり、ここに駐車することになる。

高速が伸びて近くなりましたね。
以前は、津からでも往復するのは大変でした。
ゲートまで行かれましたか。
私は吹雪いており雪が積もりかけで、パンクを恐れて水無峠に駐車しました。

<林道ゲート~新木組峠>
 林道は所々大きな石がゴロゴロしているところがあるものの、歩く分には問題がない。少しずつ登っていき、地蔵峠の手前で大きく蛇行している。そして切り通しになったところが地蔵峠である。林道はさらに続いているが、峠の左手に白い木の表示板があり、木組-又口辻を案内している。尾根に取り付くまでは急登になっているが、尾根に出てしまえば、緩やかな傾斜になる。地蔵峠が標高1000mだからマブシ嶺(1411m)まで標高差は400mしかない。途中、古和谷道分岐(尾鷲に下る道)には「大台ヶ原 尾鷲道」の新しい標識が付けられていた。さらに進むと又口辻にやってきた。左が又口に下る道、右が尾鷲道、真ん中の尾根道が帰路に使うことになる。往路は右の尾鷲道を進む。この部分の尾鷲道は、尾根の北側から東側をトラバースしている。気温が低いため、登山道には霜柱がたくさんできていてザクザクを踏んで歩く。尾根を見上げるとブナなどの落葉した自然林が青空をバックにいい感じだ。最初は西に向かっていた道が次第に北に向かうようになり、小さな木橋を渡ると神明水という水場にやってきた。ここは尾鷲道唯一の給水点になっている。今は耳を澄ますと微かに水音が聞こえる程度の水量しかない。左手に見える尾根が次第に下がってきて登山道と出合ったところが新木組峠である。白い標識があるが、この先にある木組峠と区別するために「新」木組峠と命名されている。

私は軟弱にもこのあたりで戻りましたが・・

キタさんおしい事をしましたね。
追分峠の由来となった道分石が林道を少し登った所にあるんです。
「右きくみ(木組)、左出口」と彫られて道標となっている地蔵さんで、松浦武四郎が明治20年に歩いた時にあったもののようです。
道分石
道分石
お疲れ様でした。
雪山には少し早そうだし、私も再び南に行こうかな。

                                      わりばし
雨子庵
記事: 491
登録日時: 2011年10月12日(水) 19:40
お住まい: 名古屋(ときどき青田(飯高))

Re: 【南大台】 マブシ嶺・中の嶺-尾鷲道を歩く

投稿記事 by 雨子庵 »

kitayama-walkさん  オヒサです
雨子庵です。・・・・オフ会でお顔は拝見したようなくらいの印象でスイマセン。
・・・オフ会は転校生はこんなカンジなんだろうなの気分なので・・・。

尾鷲道、京都からですか。スゴイですね。
ゆっくり読ませていただきます。
私も何とか歩きとおしたいのですが、いつも挫折(机上のみ)してしまいまして・・・。
この記録はよい刺激になります。

今夜も久しぶりに妄想を膨らまして、踏破を目指したいと思います。

とりあえずは来年の目標がヒトツできました・・・。

雨子庵 
zipp
記事: 1165
登録日時: 2011年3月09日(水) 22:49

Re: 【南大台】 マブシ嶺・中の嶺-尾鷲道を歩く

投稿記事 by zipp »


 kitayama-walkさん、こんばんは。
 絶好のピーカンの日に歩かれて羨ましい。


2013年のGWに大台ヶ原から尾鷲道を辿り、尾鷲辻-堂倉山-地倉山-雷峠-マブシ(コブシ)嶺-木組峠-新木組峠-中の嶺(中の岳)とピストンしたことがある。
 これは大変ですね、復路が登りになるのは。

今年は尾鷲道が開通して100周年を迎えるそうだ。そこで今回は反対側からマブシ嶺まで辿ってみることにした。尾鷲から古和谷林道を辿る、かつての尾鷲道が廃道化しており、現在では林道栃山木組線が利用されているというので、この林道を使ってマブシ嶺まで辿ることにした。
 尾鷲道100年は、正確に云うと尾鷲の林業・資産家の土井氏が尾鷲道を寄進して100年で、その道は又口道でした。
そして近年、尾鷲や紀北の地元の人たちが、古和谷道を整備されて通れるようになりました。

また新木組峠からマブシ嶺直下までも尾根の西側をトラバースしている。
マブシ嶺三角点直下からも西側をトラバースして雷峠(檜の大木のあるところ、東川の大谷から道との三叉路)に続いてました。今は崩壊しちゃって通れませんが。

 京都からは尾鷲は遠いように思われるが、高速道路(新名神、伊勢道、紀勢道)を使うと意外と時間的に近い。京都東ICから海山ICまで約2時間で行ける。
 はやいっ!
kitaさん、飛ばし過ぎ!! ・・・ってわけでもないのかな?

この林道はかなり長いが、舗装されていて、落石も少なく通行には不便がない。水無峠まで舗装されて(約8㎞)30分ほどで着けるが、この先の2.5㎞の地道は一部荒れている箇所があり、普通車でも入れないことはないが、かなり厳しい。10分ほど地道をゆっくりと走ると鉄製のゲートがあり、ここに駐車することになる。
 「清五郎滝の氷瀑」が、近年観光名所となってるため、冬場は落石も退けられて通りやすくなります。
しかし、舗装されると氷雪が付くと恐いんだよね、ガードレールもなくそのまま谷底だし(^^;。


少しずつ登っていき、地蔵峠の手前で大きく蛇行している。そして切り通しになったところが地蔵峠である。林道はさらに続いているが、峠の左手に白い木の表示板があり、木組-又口辻を案内している。
 この白い木の標識は地元の人が付けたのですが、調べもせず付けたみたい。
「地蔵峠」の名称も、この標識から付いたようなものです。龍辻から来た道と木組み峠から来た道が合流する追分の地蔵さんが、稜線にあるのだけど、手前の林道が稜線を越えるところにあります。

白い標識があるが、この先にある木組峠と区別するために「新」木組峠と命名されている。
 「新」の字が標識に足されてます(^^;。

竜口尾根の向こうに少し白くなった大峰山脈の山々は見える。釈迦ヶ岳、孔雀岳、仏生ヶ岳、八経ヶ岳、弥山と続いている。釈迦ヶ岳は槍のように尖って見える。
 この日は、すばらしい眺望だったでしょうね。

尾根を辿って進むと落とし穴が待っている。木組峠に下るポイントを見落としてはいけない。今回は白い小さな標識が設けてあったので間違えることはなかった。これに気づかず、そのまま直進(東進)してしまうと、光山(P1184)に向かうことになる。
 p1184を山高地図は「光山」と書いてますが、間違いです。

尾根の小ピークのP1245とP1216の中間点の鞍部に一本木と書かれた白い標識があった。その命名は謎であるが、ここで一旦尾根と出合う。
 この標識の場所は、間違いです。
一本木は、マブシ嶺三角点直下あたりで、一本の大きなブナがあったからだそうです(1970年代後半の山高地図の開設から)。

 マブシ嶺という名前は、三重県出身の探検家松浦武四郎の「乙酉掌記」の「大臺原山上指掌圖」には「マブシ嶺」の文字があり、この「マ」を「コ」と読み間違えたのではないかと言われている。
 この辺りの地名は、畔田伴存の「和州吉野郡群山記」を読んでたであろう武四郎翁が、地元の案内のものに確認しつつ地名を拾ったのでしょうね。マブシ嶺は「群山記」にも載ってます。
 ちなみに、マブシ嶺は、誰かが勝手につけた山名板「地倉山」をそのまま地図の名称を載せた「山高地図」のピークでしょう。
尾鷲道は、ピークも三角点も通ってはいないのです。

眺望は抜群である。西には大峰山脈の弥山以北の、行者還岳、大普賢岳、山上ヶ岳などの山並みがあり、北には大台ヶ原、そして東には熊野灘や尾鷲の町が見える。
 さぞ、最高の眺望でしょう!
この日なら、志摩半島から那智の烏帽子山まですっきり見れたことでしょうね。

まずはca1305のピークをめざすが、この手前に展望地がある。大峰山脈から大台ヶ原、マブシ嶺にかけての展望は最高である。
 ですね~。
 ここから大台ケ原を見ると、布団を被った頭を出した人の寝姿にみえなかったでせうか(^^)。武四郎翁はそう云ってました。

ca1305ピーク周辺はブナなどの自然林に囲まれた雰囲気がいいところだ。
 ここが委細谷の龍辻になるように思う(註)。東ノ川から植林が登ってきてますね。

中の嶺までは一旦70mほど下ってから登り返すことになるが、結構急降下することなる。中の嶺(中の岳)は二等三角点(点名:西原)があり、別名委細谷の頭とも呼ばれている。
 へぇ、「委細谷ノ頭」なんて山名板があったのかな?「中ノ嶺」という古くからの名称でいいと思うけど。
以前に「新木組峠の高」なる山名板が掲げられたときには、うんざりしましたが(^^;。

中の嶺から少し東に下ったところにかなり大きな杉があった。おそらく県境最大の大杉であろう。
 大きな杉だけど、尾鷲や熊野の山には、県境も含めてもっと大きな杉が眠ってそうです。

さらに小さなアップダウンを繰り返すと竜辻と呼ばれるピーク(1265m)に着いた。
 このピークがいつの間にか「龍辻」と称されているのは、わたし的には嬉しい。
もしかしたら、県境稜線をさらに一段降りたところかもしれないけど(^^;。

 kitaさん、眺望のよい静かな山行が楽しめて良かったですね♪
わたしも、レポで楽しめました(^^)。

 註) 訂正 「ここが委細谷の龍辻になるように思う」
正しくは 「ここが細又谷の龍辻になるように思う」
   「龍」とは、吉野(現奈良県)と紀州(現三重県)の国境の龍(柳)ノ谷を指すと考えられます。
    
最後に編集したユーザー zipp [ 2016年1月03日(日) 23:21 ], 累計 1 回
   zipp
kitayama-walk
記事: 719
登録日時: 2011年6月06日(月) 01:33
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Re: 【南大台】 マブシ嶺・中の嶺-尾鷲道を歩く

投稿記事 by kitayama-walk »

 わりばしさん こんばんは。

> 昨年のこの時期にこのルートを歩こうとしたのですが、雪と膝に水が溜まりだしたので清五郎滝と追分地蔵を見物して帰ってきました。

 「雪と膝に」? やはり、この尾鷲道は気になりますか?
 清五郎の滝というのもあるようですが、マブシ嶺をめざしたので見ることができませんでした。
 「追分地蔵」というのはよくわかりません。

> 高速が延びて近くなりましたね。以前は、津からでも往復するのは大変でした。
> ゲートまで行かれましたか。私は吹雪いており雪が積もりかけで、パンクを恐れて水無峠に駐車しました。


 そうなんですね。最初は新名神ができて鈴鹿が近くなったかと思ったら、伊勢道・紀勢道ができて、台高が近くなりました。
 そんなに飛ばさなくても、早朝の時間帯なら早く行けますね。

 もちろん、ゲートまで行きましたよ。舗装は水無峠で終わっていましたが、そこから地道が続いていましたからね。
 地上高の高いフォレスターなので平気でした。普通車ならば結構恐かったでしょうね。行きのときにはゲート前に駐車している
車はなかったですが、帰ってきたら普通車が1台駐まっていました。よく来れたもんです。
帰ってきたらゲートに1台の車があった
帰ってきたらゲートに1台の車があった
地蔵峠の切り通し
地蔵峠の切り通し
地蔵峠にある白い木の標識
地蔵峠にある白い木の標識
> キタさんおしい事をしましたね。追分峠の由来となった道分石が林道を少し登った所にあるんです。
> 「右きくみ(木組)、左出口」と彫られて道標となっている地蔵さんで、松浦武四郎が明治20年に歩いた時にあったもののようです。


 地蔵峠なら地蔵さんがあってもおかしくないのになかったな。
 でも、実際にはあるんですね。林道を少し登ったところというと、切り通しのどちら側なんでしょうか。
 白い木の標識に従った尾根に登ったものですから、分からなかったのです。反対側の尾根にあるのかな?
切り通しの左手(東側)に地蔵がある?
切り通しの左手(東側)に地蔵がある?
written by kitayama-walk
kitayama-walk
記事: 719
登録日時: 2011年6月06日(月) 01:33
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Re: 【南大台】 マブシ嶺・中の嶺-尾鷲道を歩く

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 雨子庵さん あけおめです。と、年越しのレスになりました。

> 尾鷲道、京都からですか。スゴイですね。

 遠いと思っていたのですが、高速が伸展しているので、そうでもありません。
 台高の主稜線はほぼ歩いたので、その次は尾鷲道と思っていました。大台ヶ原からマブシ嶺(そして中の嶺)までは
ピストンしたので、おおよその感じがつかめていました。確かに、マブシ嶺や中の嶺の手前からの眺望は素晴らしい。
そんなことをもう一度体験してみたいと思っていました。それは晴れが保証された日でないと。そんなことを思いながら
行ける日を待っていたんですね。とうとうやってきました。それが12月20日でした。予想どおり、絶好の山日和でした。
GPS軌跡図1
GPS軌跡図1
GPS軌跡図2
GPS軌跡図2
> 私も何とか歩きとおしたいのですが、いつも挫折(机上のみ)してしまいまして・・・。
> この記録はよい刺激になります。今夜も久しぶりに妄想を膨らまして、踏破を目指したいと思います。


 しかし、本来の尾鷲道は、古和谷林道からやってきています。ここはこれまで廃道化していたそうですが、地元の人
により復元されているようです。今年暖かくなったら辿ってみようかと思います。
新木組峠です
新木組峠です
木組峠です
木組峠です
一本木の標識
一本木の標識
 隊長さん(金丸勝美さん)のHPからです。
http://homepage3.nifty.com/photocb/
written by kitayama-walk
kitayama-walk
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登録日時: 2011年6月06日(月) 01:33
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Re: 【南大台】 マブシ嶺・中の嶺-尾鷲道を歩く

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zippさん、あけおめです。

> 絶好のピーカンの日に歩かれて羨ましい。

そりゅあ、この日を待っていたんですからね。
 待ちに待った日だったんです。だから、天気についてはいうことなしでした。

> 尾鷲道100年は、正確に云うと尾鷲の林業・資産家の土井氏が尾鷲道を寄進して100年で、その道は又口道でした。
> そして近年、尾鷲や紀北の地元の人たちが、古和谷道を整備されて通れるようになりました。


 それは知りませんでした。単に100周年ということだけを耳にしましたので。
 熊野古道センターのHPには、以下のように書かれていました。
「尾鷲市から大台ヶ原へ登る唯一の登山道である尾鷲道が開通してから今年2015年で100周年を迎えます。
この道は奈良県大台ヶ原にある神習教大台ヶ原大教会(通称:大台教会)へ参拝するための参詣道として、
尾鷲の林業家土井輿八郎が大正4年(1915)に拓いた道です。かつてはこの尾鷲道を利用して多くの参詣者
や登山者が大台ヶ原への行き帰りに利用した道ですが、長い間歩く人が途絶え廃道となっていました。しかし
近年の登山ブームで歩く人も多くなり暫定的ですが歩けるまでに復活しています。道中に はトロッコ軌道跡や
インクライン跡などの産業遺産が見られ、また大峯山脈をはじめ紀伊山地の山並みを望むことができます。」

 当時は、又口辻から又口に下る道が本来の尾鷲道だったということですかね。古和谷道というのは、又口辻よりも少し
手前にある分岐ですが、最近はここに新しい「尾鷲道」の表示がありますね。分県登山ガイド「三重県の山」の著書のひ
とりである金丸勝美氏が「マブシ嶺」を紹介していますが、今回はそのコースを辿りました。しかし、金丸氏は最近古和谷
道からのトレッキングをしておられますね。
http://homepage3.nifty.com/photocb/

> マブシ嶺三角点直下からも西側をトラバースして雷峠(檜の大木のあるところ、東川の大谷から道との三叉路)に続い
> てました。今は崩壊しちゃって通れませんが。


 そうなんですか。これも初耳です。雷峠は以前通過したことがありますが、檜の大木というのが記憶にありません。

> (京都東ICから海山ICまで2時間ほどで行ける) 速いっ!kitaさん、飛ばし過ぎ!! ・・・ってわけでもないのかな?

 まあ時速80㎞というわけではありませんが、そこそこのスピードでいくと2時間あまりですね。もちろん、車の少ない早朝
の時間帯ならではのことです。

> 「清五郎滝の氷瀑」が、近年観光名所となってるため、冬場は落石も退けられて通りやすくなります。
> しかし、舗装されると氷雪が付くと恐いんだよね、ガードレールもなくそのまま谷底だし(^^;。


 清五郎の滝というのも聞きますが、この氷瀑が名所になっているのですか。zippさんはご覧になったことがあるのですね。
長い林道ですが、水無峠までは舗装されているので無理なく進めてよかったと思っています。冬場は違うのかと少々不安を
感じました。

> (地蔵峠の標識) この白い木の標識は地元の人が付けたのですが、調べもせず付けたみたい。
> 「地蔵峠」の名称も、この標識から付いたようなものです。龍辻から来た道と木組峠から来た道が合流する追分の地蔵さんが
> 稜線にあるのだけど、手前の林道が稜線を越えるところにあります。


 竜辻からきた道というと尾根道ですよね。これが木組峠からきた道と合流する地点は又口辻ではありませんか。地蔵さんは
どこにあるのでしょうか。今言われている地蔵峠とは違うところにあるのですよね。地点を教えてほしいですね。

> (この先にある木組峠と区別するために「新」木組峠と命名されている) 「新」の字が標識に足されてます(^^;。

 私の最初、木組峠と新木組峠の二つがあるのが不思議でした。でも、今はわかります。白い標識に「新」の字が補足されて
いましたね。
新木組峠です
新木組峠です
> (釈迦ヶ岳、孔雀岳、仏生ヶ岳、八経ヶ岳、弥山と続いている。釈迦ヶ岳は槍のように尖って見える。)
> この日は、すばらしい眺望だったでしょうね。


 はい。この眺望を見るためにやってきたと言ってもいいくらいです。きてよかったと思う瞬間でもありました。
釈迦ヶ岳ですね。
釈迦ヶ岳ですね。
行者還岳ですね。
行者還岳ですね。
> P1184を山高地図は「光山」と書いてますが、間違いです。

 うんと、山と高原地図には、P1184は載っていないと思うのですが。つまり、下にちょうど切れている部分だと思うのです。
木組峠がやっと載っている程度です。

> (尾根の小ピークのP1245とP1216の中間点の鞍部に一本木と書かれた白い標識があった)この標識の場所は間違いです。
> 一本木はマブシ嶺三角点直下あたりで、一本の大きなブナがあったからだそうです(1970年代後半の山高地図の開設から)。


 一本木というのは大きなブナがあったことからの命名でしたか。そういえば、マブシ嶺の直下あたりに「一本木」と書かれた
古いプレートがありましたが、そこなんでしょうか。
一本木のプレート
一本木のプレート
> この辺りの地名は、畔田伴存の「和州吉野郡群山記」を読んでたであろう武四郎翁が、地元の案内のものに確認しつつ
> 地名を拾ったのでしょうね。マブシ嶺は「群山記」にも載ってます。ちなみに、マブシ嶺は誰かが勝手につけた山名板「地
> 倉山」をそのまま地図の名称を載せた「山高地図」のピークでしょう。尾鷲道は、ピークも三角点も通ってはいないのです。


 zippさんは、この辺りが詳しいようですね。その畦田翠山の「吉野群山記」というのは江戸時代ですよね。松浦武四郎が
読んでということですから。物の本によると、文政から天保にかけての著書だと言われていますね。しかし、三角点の設置
は明治になってからのことですから、マブシ嶺に三角点を設置したのは別の意味があったのでしょうね。

> (ca1305のピークの手前に展望地がある)
> ここから大台ヶ原を見ると、布団を被った頭を出した人の寝姿にみえなかったでせうか(^^)。武四郎翁はそう云ってました。


 なるほど、見ようによっては、そう見えないでもないですね。
 釈迦が寝ているというのは、阿蘇にありましたね。
布団を被った頭を出した人の寝姿?
布団を被った頭を出した人の寝姿?
> (ca1305ピーク周辺)ここが委細谷の龍辻になるように思う。東ノ川から植林が登ってきてますね。

 このあたりの山名はちょっとややこしいところがあるのでしょうか。伊勢山の会の「宮川源流」には、ca 1260が竜辻、三角点峰
(1297.4m)が中の岳(委細谷の頭)と記されています。しかし、ca1305は無名ですね。

> へぇ、「委細谷ノ頭」なんて山名板があったのかな?「中ノ嶺」という古くからの名称でいいと思うけど。
以前に「新木組峠の高」なる山名板が掲げられたときには、うんざりしましたが(^^;。


 はい、このとおり、「委細谷の頭」というプレートがありましたね。もちろん、「中の嶺」というプレートもありました。
委細谷の頭のプレート
委細谷の頭のプレート
> (中の嶺から少し東に下ったところにかなり大きな杉があった)
> 大きな杉だけど、尾鷲や熊野の山には、県境も含めてもっと大きな杉が眠ってそうです。


 杉の大木というのは、あまりないです。やはり切り倒されてしまうからでしょうか。
 だから、こんなに大きな杉の木にはちょっとびっくりしました。

> (竜辻と呼ばれるピーク(1265m)に着いた)
> このピークがいつの間にか「龍辻」と称されているのは、わたし的には嬉しい。
> もしかしたら、県境稜線をさらに一段降りたところかもしれないけど(^^;。


 今回初めて竜辻というピークを踏みましたが、ブナがあって、眺望もあって、いいところでした。ここでランチタイム
してもいいところですね。さきほどのca1305の手前の場所と並んでいいところでした。
竜辻のブナ
竜辻のブナ
竜辻から尾鷲を見る
竜辻から尾鷲を見る
> kitaさん、眺望のよい静かな山行が楽しめて良かったですね♪
> 私も、レポで楽しめました(^^)。


 はい、ありがとうございます。誰にも会わない静かな山行。しかも眺望も抜群の日に歩けて僥倖でした。
written by kitayama-walk
zipp
記事: 1165
登録日時: 2011年3月09日(水) 22:49

Re: 【南大台】 マブシ嶺・中の嶺-尾鷲道を歩く

投稿記事 by zipp »


 kita」さん、再びどうも。
本年もヨロシク!

> P1184を山高地図は「光山」と書いてますが、間違いです。
 うんと、山と高原地図には、P1184は載っていないと思うのですが。つまり、下にちょうど切れている部分だと思うのです。
木組峠がやっと載っている程度です。

 そうでした(^^;
いまの山高地図には、木組峠以南は載ってなかったですね。以前の山高地図のことでした。失礼しました。
その山高地図も、「光山」は別な山を指してたりして変遷がありました。

 一本木というのは大きなブナがあったことからの命名でしたか。そういえば、マブシ嶺の直下あたりに「一本木」と書かれた古いプレートがありましたが、そこなんでしょうか。
 その通りです。

 zippさんは、この辺りが詳しいようですね。その畦田翠山の「吉野群山記」というのは江戸時代ですよね。松浦武四郎が読んでということですから。物の本によると、文政から天保にかけての著書だと言われていますね。しかし、三角点の設置は明治になってからのことですから、マブシ嶺に三角点を設置したのは別の意味があったのでしょうね。
 三角点の点名は、雷峠ⅠだったかⅡですね。
「雷峠」という地名も武四郎翁が歩いた頃には無かった地名でしょう。「雷峠」イコール「ヲチウチ越え」でいいのかと思います。

> (ca1305ピーク周辺)ここが委細谷の龍辻になるように思う。東ノ川から植林が登ってきてますね。
 すみません!
これ間違いました。委細谷ではなく「細又の龍辻」の間違いです。後で訂正しておきます。

 このあたりの山名はちょっとややこしいところがあるのでしょうか。伊勢山の会の「宮川源流」には、ca 1260が竜辻、三角点峰(1297.4m)が中の岳(委細谷の頭)と記されています。しかし、ca1305は無名ですね。
 この辺りと云うか、尾鷲道全般にややこしくした元凶は、昭文社の山高地図の地名ですね(^^;。


 以下の点については、ここヤブコギネットで「尾鷲道」で検索した該当レポとurlを載せておきますので参照してください。

分県登山ガイド「三重県の山」の著書のひとりである金丸勝美氏が「マブシ嶺」を紹介していますが、今回はそのコースを辿りました。しかし、金丸氏は最近古和谷
道からのトレッキングをしておられますね。
[url]http://homepage3.nifty.com/photocb/


 清五郎の滝というのも聞きますが、この氷瀑が名所になっているのですか。

 竜辻からきた道というと尾根道ですよね。これが木組峠からきた道と合流する地点は又口辻ではありませんか。地蔵さんは
どこにあるのでしょうか。今言われている地蔵峠とは違うところにあるのですよね。地点を教えてほしいですね。



台高南部、レポ二つ。【台高】清五郎滝から木組峠周回
http://old.yabukogi.net/forum/6815.html
2007年2月12日

【台高】三ツ俣谷から又口道(尾鷲道)
http://old.yabukogi.net/forum/8400.html
2007年8月11日

【台高】眩しき大展望・マブシ嶺
http://old.yabukogi.net/forum/11527.html
2008年01月06日

【台高】古和谷とろ山歩 (銚子川水系)
http://old.yabukogi.net/forum/19339.html
2009年02月22日

【台高】尾鷲と上北山村を繋ぐ『道』
http://old.yabukogi.net/forum/19656.html
2009年03月07日

【台高】望外の大滝越えてマブシ嶺で昼寝。+翁の足跡。
viewtopic.php?f=4&t=970&p=7888&hilit=%E ... 1%93#p7888
2012年06月10日

【台高】紅葉追いかけて、古和谷。
2013年11月24日
viewtopic.php?f=4&t=2455&p=14207&hilit= ... %93#p14207

【台高】年末の微妙な時期にマブシ嶺
easy pace さんのレポ
2013年12月30日
viewtopic.php?f=4&t=2468&p=14282&hilit= ... %93#p14282

   zipp
kitayama-walk
記事: 719
登録日時: 2011年6月06日(月) 01:33
お住まい: 京都市中京区
連絡する:

お地蔵様が見つかりました

投稿記事 by kitayama-walk »

 わりばしさん こんにちは。

> キタさんおしい事をしましたね。
> 追分峠の由来となった道分石が林道を少し登った所にあるんです。
> 「右きくみ(木組)、左出口」と彫られて道標となっている地蔵さんで、松浦武四郎が明治20年に歩いた時にあったもののようです。


 昨年12月に訪れたときには、何にもわからず気づきませんでした。
 わりばしさんの指摘を受けて、次に訪れるときは、この地蔵様を見つけようと思いました。

 それで昨日12/11にマブシ嶺に登る機会があったので、今度こそ、お地蔵様を見つけることをミッションにしました。
 今回はすぐに見つかりました。あの林道を進むと、切り通しが2つあって、2つ目の切り通しのところに「地蔵峠」という
表示があって、ここから尾根に取り付くようになっていることから、よくわからなかったのです。
お地蔵様が見つかりました
お地蔵様が見つかりました
 わりばしさんの指摘を受けて、これは最初の切り通しのところではないかと勘を働かせて、左手(東側)の尾根を見ると
踏み跡らしきものがあったので、これを辿るとすぐにありました。大きな木の下に祀ってありましたね。
「右きくみ 左出口」と彫られています。
「右きくみ 左出口」と彫られています。
 わりばしさんが「追分峠」と言っているのは、この一つ目の切り通しのところのことなのでしょうか?
 それで、「地蔵峠」というのは二つ目の切り通しのところなんでしょうか?
written by kitayama-walk
keikoku
記事: 108
登録日時: 2012年1月17日(火) 03:28
お住まい: 愛知県半田市

Re: 【南大台】 マブシ嶺・中の嶺-尾鷲道を歩く

投稿記事 by keikoku »

 例の、標高点1184mを光山というのは間違いだと、zippさんが言っていますね。その意味は、やはり現地に標識が有った場所、標高点1184mのひとつ東の小ピークを「光山」というという意味でしょうか。確かにふたつのピークは、標高こそ標高点1184mの方が高いですが、標高点1184mのすぐ西には尾根が続いているので、目立つのはその東のピークでそれを光山と言っていた可能性はありますよね。
 また、一本木の位置についても間違いだと言っておられるので、その辺りも再度zippさんに詳しくお話して頂きたいのもです。
zipp
記事: 1165
登録日時: 2011年3月09日(水) 22:49

Re: 【南大台】 マブシ嶺・中の嶺-尾鷲道を歩く

投稿記事 by zipp »


 keikokuさん、こんばんは。

 尾鷲道の地名についてスレッドを改めて詳しくかければいいんですが、それもままならぬまま今日にいたってます、

 光山・・・。
 昭文社の山高地図では、年度が違うだけで光山の位置が変遷しています。
1184標高点だったり、マブシ嶺の三角点だったりと。
 この「光山」という地名は奈良県側ではなく三重県側の呼び名であることははっきりしているようです。
この山域の谷、光谷とか関係していることはまず確かだろうと。
わたしの想像ですが、1352標高点の山が光山だと思ってます。二ノ又谷側は岩盤で、陽を浴びると光ります。

 一本木・・・。
 あの白い立派な標識は、(「地蔵峠」~「コブシ峰」間に付けられています。)間違いが多いようです。
先にも書きましたが、マブシ嶺三角点の南の直下あたりに 一本の大きなブナがあったから誰かが付けたのでしょう。尾鷲道の道型沿いに小さなプレートがあるかと思います。

   zipp
keikoku
記事: 108
登録日時: 2012年1月17日(火) 03:28
お住まい: 愛知県半田市

Re: 【南大台】 マブシ嶺・中の嶺-尾鷲道を歩く

投稿記事 by keikoku »

 zippさん、さっそくの御返答ありがとう御座いました。

 光山の件ですが、
 当日問題になったのは、ふたつの標識が標高点1184mのところにではなく、その東の小ピークにあったことでした。これについては、他の場所でもあるように、標高が高い方にではなく、下から見たもしくは見える山に名前が付いている場合がけっこうあるということです。今回の場合、たとえば水無峠から見ると、見えるのは標高点1184m方ではなく、その東の小ピークであるような感じがします。その意味で、標識通り標高点の東のピークも有りうると思うわけですが、そのプレートに1184mと表示してありますので、単に間違えている可能性も大です。
 それよりも、zippさんが言うように、標高点1352mの地点というのは、卓見のようにも感じます。この地点は、その水無峠から見ると顕著なピークに見えるからです。まさにそのピークには何らかの名前が欲しいし、で付けるならば光谷が上がって来ていることにより「光山」と付けられていても決しておかしくはないでしょう。
 この件、zippさんか、わりばしさんあたりに掘り下げて探求してもらえるとありがたいですね。期待しています。
アバター
わりばし
記事: 1763
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: お地蔵様が見つかりました

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、キタさん。
お久しぶりです。


 わりばしさんが「追分峠」と言っているのは、この一つ目の切り通しのところのことなのでしょうか?
 それで、「地蔵峠」というのは二つ目の切り通しのところなんでしょうか?[/quote]

そうです。

峠というのは林道が出来てからの後付けの名前なのでややこしいのですが・・・
林道が出来るまでは尾根通しで行けましたからね。

「地蔵峠」は林道を作った時に地蔵さんが発見された場所にある峠
「追分峠」は追分地蔵を安置した峠とういう意味だったと記憶しています。
ですから本来は追分=分岐として尾根上に設置されており
右左に分岐の道がくるように安置されていたのでしょう。

                  わりばし


          
kitayama-walk
記事: 719
登録日時: 2011年6月06日(月) 01:33
お住まい: 京都市中京区
連絡する:

Re: お地蔵様が見つかりました

投稿記事 by kitayama-walk »

 わりばしさん おはようございます。

 地蔵峠と追分峠の違いが理解できました。
 最初、「追分峠のお地蔵様を見逃して残念でした」と言われたので、その地蔵はどこにあるのかと疑問に思いました。
zippさんの書き込みを読んで見当はつけたのですが、次に行くのはいつになるかなと思っていたところでした。
見つかったお地蔵様
見つかったお地蔵様
> 峠というのは林道が出来てからの後付けの名前なのでややこしいのですが・・・
> 林道ができるまでは尾根通しで行けましたからね。


 わかればなるほどと思ってしまいます。
 追分峠は林道ができる前の峠なんですね。
一つ目の切り通しが追分峠
一つ目の切り通しが追分峠
> 地蔵峠は林道を作った時に地蔵さんが発見された場所にある峠で、追分峠は追分地蔵を安置した峠とういう意味
> だったと記憶しています。ですから本来は追分=分岐として尾根上に設置されており、右左に分岐の道がくるよう
> に安置されていたのでしょう。


 その解説で疑問も氷解しました。
 この前、辿ったとき、一つ目の切り通しのところで、「お地蔵様」と書かれた標識が転がっていました(立てられておらず)。
これは何だ!と思ったのですが、ははん、ここが追分峠でお地蔵様があるところだとピンときたわけです。そこで、切り通しの
上に登っていく踏み跡もあったものですから、ここを辿るとお地蔵様が見つかりました。
こちらが地蔵峠と呼ばれているところ
こちらが地蔵峠と呼ばれているところ
written by kitayama-walk
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