【台高】木梶川トロッコ道と加賀山トロッコ道を歩く 戦前の山旅に思いをはせ

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わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

【台高】木梶川トロッコ道と加賀山トロッコ道を歩く 戦前の山旅に思いをはせ

投稿記事 by わりばし »

【日 付】2015年10月31日(土)
【山 域】台高
【コース】駐車場7:45---9:35白滝---11:40南タワ---13:30駐車場
【メンバー】単独

 グーさんが見つけたトロッコ軌道跡が昭和16年版「近畿の山と谷」住友山岳会編に載っている。私もこの本を持っているのだが、読んだ記憶がない。確認すると私のは昭和11年版で木梶方面を歩いた記録は無く、16年版で新たに付け加わった箇所のようだ。kzoさんがかかわってみえる「三重県の森林鉄道」に16年版の記載があるので、これを頼りに木梶川トロッコ道と加賀山トロッコ道の探索に出かけた。

 木梶林道のゲートは以前は閉まっていたが、今日は開いている。工事が終了したのだろうか。ラッキーと思いつつ木梶山直登谷出合に下りる林道分岐先の空き地に駐車する。月初めにも来ているのだが、帰ってからkzoさんのHPを見ると架線場までのトロ道を見逃しているのがわかり再度歩きにきた。

 以前直登谷を登った時に出合の橋の石積みが立派なのと、橋の丸太が細くなりつつも残っているのが印象に残っている。トロッコがわたる頑強な橋だとわかり納得した。出合の左岸の飯場跡にはグーさんが並べたビンやビール瓶がいくつかころがっている。その中に「NIPPON BEER」と書かれたビール瓶があった。現在のサッポロビールが昭和24年から32年まで使っていた商標で、戦後間もなくの物のようだ。

 橋の反対側の右岸には石積みのトロ道が終点のベニア板製造工場跡まで続いている。石積みの台地には土管や鉄枠などが残っていた。来た道を戻り飯場への橋を過ぎると道は林道で寸断されてしまう。

 林道に沿ってトロ道は進み林道の傾斜がきつくなりかけたあたりでガレ場を下りる。大きな岩が重なった下にトロッコレールを発見。川床にも落ちている。このあたりはレールは残っていたものの山抜けで土砂に埋もれるか流された感じだが、トロ道に間違いない。しばらくするとグーさんが発見した小尾根を巻く軌道が残っている場所に着く。ここからはトロ道はしっかり残っており山道として歩ける状態になる。

[attachment=4]IMG_0155.jpg[/attachment]
 トロ道にはトロッコレールがそこかしこに放置されているものの当時の軌道の状態のまま残っていたのは小尾根を巻く地点だけだった。トロ道は途中から三本に分かれる。上部のトロ道は標高を維持しながら切通しの先で山抜けして切れている。対岸の植林の中に石積みやレールも残されておりトロ道だとわかるものの不明瞭でわからなくなる。

 中段の道は排水施設のような構造物まで続いている。

下段の道は、上段と中段が分岐したその先で石積みを使いながら分かれている。下段はすぐに木梶川沿いまで下りていく。ここには、規模の大きな石積みが広範囲に広がっており建物があったのかもしれない。また、ワイヤーが対岸に渡されておりトロッコの車輪が残っていた。

[attachment=3]IMG_0169.jpg[/attachment]
 架線場に続くトロ道は上段や中段のトロ道と比べ物にならないくらい規模の大きなしっかりとした石積みが多用されており、木梶川トロッコ道の中心となる道であることがわかる。立派なトロ道を歩いていくと石垣に守られた広場に到着し、ここが終点の架線場になる。下から見ると山城を思わせる二段の石積みを設けて広場を作っている。手積みのこれだけ立派な架線場の石積みは初めて見た。この広場にもレールが残されておりトロッコがここまで来ていたことがわかる。

[attachment=2]IMG_0182.jpg[/attachment]
 戦前に住友山岳会は、この架線場からベニア板製造工場まで下段のトロ道を歩いている。この架線場までのルートを確かめるために架線場の尾根を下るとすぐに杣道になり木梶川に降り立った。白滝の落ち口で、ここに木梶三滝登山道の白滝コースが来ており、杣道には赤い矢印つきの「別ルート気をつけて」という木製看板までつけてあった。どうやら、白滝コースは昔からの道を転用したようで、住友山岳会はこの道を使い白滝の落ち口まできて尾根を上りトロ道を辿ったようだ。白滝を見に行った後、住友山岳会と同じ経路でもどった。

[attachment=1]IMG_0191.jpg[/attachment]
 架線場の木材は南タワを経由して奈良県側の杉谷に降ろしたようだ。そこで、駐車地から鳴滝駐車場まで歩き、ここから南タワに向かう。植林を上がって行くと稜線手前でトロ道に出会う。これは加賀山事務所が管轄していた加賀山トロッコ道で、主稜線東側の950m付近の破線道がこれに当たる。とりあえず南タワに向かう。隧道があったとされる場所は、落ちていて切通しになっている。奈良県側に出るとトロ道は少し続くが植林で消える。ここから杉谷へは架線で下したのだろう。

[attachment=0]IMG_0213.jpg[/attachment]
 カステラに羊羹をはさんだ「シベリア」を食べながら休憩。真正面に見える木梶山がきれいに色づいている。

 ここから破線道をハッピノタウを巻き南東方向に下って行く。何カ所かわかりにくい所があるがしっかり続いている。植林地では現役の杣道として使われており歩きやすいのだが、伐採地になると道も不明瞭になるしイバラだらけで歩きにくいことこの上ない。二ヵ所の伐採地を通過してへきへきして、地蔵谷手前の伐採地はパスして植林から下りた。とはいうものの南タワからのびる加賀山トロ道はほとんど辿れた。

 戦前に住友山岳会が歩いた木梶川トロッコと加賀山トロッコ道を辿れたことに感慨深いものを感じつつ帰路についた。


添付ファイル
南タワの切通し
南タワの切通し
白滝
白滝
架線場
架線場
中段トロ道と下段トロ道
中段トロ道と下段トロ道
木梶川トロッコ軌道
木梶川トロッコ軌道
pana
記事: 190
登録日時: 2011年3月07日(月) 19:16

Re: 【台高】木梶川トロッコ道と加賀山トロッコ道を歩く 戦前の山旅に思いをはせ

投稿記事 by pana »

わりばしさんこんにちわ~
わくわくしながら読ませてもらいました。
何度も何度も読みました。最後には印刷して地図を見ながら読みました~♪

いいですね。ロマンを感じます。
トロッコ道というのはなんとなく郷愁を感じますね。
添付ファイル
尾鷲古和谷林道から先のトロッコ道
尾鷲古和谷林道から先のトロッコ道
アバター
わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】木梶川トロッコ道と加賀山トロッコ道を歩く 戦前の山旅に思いをはせ

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、panaさん。

わくわくしながら読ませてもらいました。
何度も何度も読みました。最後には印刷して地図を見ながら読みました~♪

そう言ってもらえるのはありがたいです。
住友山岳会は
木梶ー三滝ー架線場ー(木梶川トロ道)-ベニア板製造工場ー(木馬道)-鳴滝ー加賀山事務所ー(加賀山トロ道)-南タワー(クモガセ中腹道)-木梶
というルートをたどったようです

トロッコの車輪
トロッコの車輪
いいですね。ロマンを感じます。
トロッコ道というのはなんとなく郷愁を感じますね。

芥川の「トロッコ」が思い出されます。
そういや台湾で撮った「トロッコ」という映画も見たなあ。
調べたら芥川の小説をモチーフに作った映画でした。

https://www.youtube.com/watch?v=fqD-pBGANN8
kzo
記事: 36
登録日時: 2014年2月12日(水) 19:24

Re: 【台高】木梶川トロッコ道と加賀山トロッコ道を歩く 戦前の山旅に思いをはせ

投稿記事 by kzo »

わりばしさんこんばんは。やっぱり詳しい方がレポートされると深みが全然違いますね!写真の枚数が少ない!表現力が違いますね。。。
私ももう一回見に行きたいのですが、時間ができないままです。
 林道に沿ってトロ道は進み林道の傾斜がきつくなりかけたあたりでガレ場を下りる。大きな岩が重なった下にトロッコレールを発見。川床にも落ちている。このあたりはレールは残っていたものの山抜けで土砂に埋もれるか流された感じだが、トロ道に間違いない。しばらくするとグーさんが発見した小尾根を巻く軌道が残っている場所に着く。ここからはトロ道はしっかり残っており山道として歩ける状態になる。
この辺りが一番良く残ってますね。他の区間がレールがばらばらになる位荒れてしまっているのに、ここだけうまく残っているのが不思議ですね。意図があったのでしょうか。
 トロ道にはトロッコレールがそこかしこに放置されているものの当時の軌道の状態のまま残っていたのは小尾根を巻く地点だけだった。トロ道は途中から三本に分かれる。上部のトロ道は標高を維持しながら切通しの先で山抜けして切れている。対岸の植林の中に石積みやレールも残されておりトロ道だとわかるものの不明瞭でわからなくなる。
前回私は上部軌道を見失ってしまい、下段へ降りてしまいましたが、後で地図を見てみたらこの先(下段架線場の上部)にも怪しげな広場があるじゃないですか。次回はここへ行ってみたいと考えています。
 中段の道は排水施設のような構造物まで続いている。
材木運搬との関係が判らない状態ですよね。
 架線場に続くトロ道は上段や中段のトロ道と比べ物にならないくらい規模の大きなしっかりとした石積みが多用されており、木梶川トロッコ道の中心となる道であることがわかる。立派なトロ道を歩いていくと石垣に守られた広場に到着し、ここが終点の架線場になる。下から見ると山城を思わせる二段の石積みを設けて広場を作っている。手積みのこれだけ立派な架線場の石積みは初めて見た。この広場にもレールが残されておりトロッコがここまで来ていたことがわかる。
下段はかなりしっかりとした遺構となっていますよね。他に比べて新しいのでしょうか。その割にはスタート地点に何があったのか、上部軌道との繋がりがはっきりしないですよね。。。
 架線場の木材は南タワを経由して奈良県側の杉谷に降ろしたようだ。そこで、駐車地から鳴滝駐車場まで歩き、ここから南タワに向かう。植林を上がって行くと稜線手前でトロ道に出会う。これは加賀山事務所が管轄していた加賀山トロッコ道で、主稜線東側の950m付近の破線道がこれに当たる。とりあえず南タワに向かう。隧道があったとされる場所は、落ちていて切通しになっている。奈良県側に出るとトロ道は少し続くが植林で消える。ここから杉谷へは架線で下したのだろう。
こちらは2011年に林道(地蔵谷っていうんですね!)から南タワまでトレースしたのですが切り通しや路盤はありましたが、架線の基礎や石垣などは発見できませんでした。先日行った時に林道から皆伐部分を見てみると、すごいヤブ・・・もう一回南タワまで行く自信はありません。住友山岳会記録には木梶川源流沿いに青田川分水嶺付近まで軌道が続いていたということですので、それが本当であればまだ加賀山トロッコは完乗できていません。でもどちらかというと私もわりばしさんの仰るように地蔵谷出合付近で終点だと思うのですが。。。どうなんでしょうね。

実はグーさんのレポートまではこの2つの軌道は繋がっていたと思ってまして、もっと標高の高いところの白滝付近に目をつけておりました。
空振りは当然でしたね(笑)
またトロッコレポート、よろしくお願いします!
アバター
わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】木梶川トロッコ道と加賀山トロッコ道を歩く 戦前の山旅に思いをはせ

投稿記事 by わりばし »

おはようございますkzoさん。
 林道に沿ってトロ道は進み林道の傾斜がきつくなりかけたあたりでガレ場を下りる。大きな岩が重なった下にトロッコレールを発見。川床にも落ちている。このあたりはレールは残っていたものの山抜けで土砂に埋もれるか流された感じだが、トロ道に間違いない。しばらくするとグーさんが発見した小尾根を巻く軌道が残っている場所に着く。ここからはトロ道はしっかり残っており山道として歩ける状態になる。
この辺りが一番良く残ってますね。他の区間がレールがばらばらになる位荒れてしまっているのに、ここだけうまく残っているのが不思議ですね。意図があったのでしょうか。

小尾根を巻くのに軌道が曲がっている地点なので、かたづけにくかったという気もします。
それにしても、戦争中の鉄供出をよく免れましたね。
戦争に必要な物資を運ぶという認識だったのかなあ。

 トロ道にはトロッコレールがそこかしこに放置されているものの当時の軌道の状態のまま残っていたのは小尾根を巻く地点だけだった。トロ道は途中から三本に分かれる。上部のトロ道は標高を維持しながら切通しの先で山抜けして切れている。対岸の植林の中に石積みやレールも残されておりトロ道だとわかるものの不明瞭でわからなくなる。
前回私は上部軌道を見失ってしまい、下段へ降りてしまいましたが、後で地図を見てみたらこの先(下段架線場の上部)にも怪しげな広場があるじゃないですか。次回はここへ行ってみたいと考えています。

さすがです。
地図から目星をつけるなんか。
上段トロ道が来ていてもおかしくないですからね。
ここから架線で運ぶ事も可能でしょうし。
 中段の道は排水施設のような構造物まで続いている。
材木運搬との関係が判らない状態ですよね。

分岐からは短い距離なのにあえてトロ道でつなぐ意味のある場所だったのでしょう。
コンクリートの排水施設のような構造物は何なんでしょうね。
ベニア板に関係してるのかな?
 架線場に続くトロ道は上段や中段のトロ道と比べ物にならないくらい規模の大きなしっかりとした石積みが多用されており、木梶川トロッコ道の中心となる道であることがわかる。立派なトロ道を歩いていくと石垣に守られた広場に到着し、ここが終点の架線場になる。下から見ると山城を思わせる二段の石積みを設けて広場を作っている。手積みのこれだけ立派な架線場の石積みは初めて見た。この広場にもレールが残されておりトロッコがここまで来ていたことがわかる。
下段はかなりしっかりとした遺構となっていますよね。他に比べて新しいのでしょうか。その割にはスタート地点に何があったのか、上部軌道との繋がりがはっきりしないですよね。。。

下段トロ道のスタート地点はベニア板製作工場なんじゃないですか。
下段トロ道の補強にはいろんな石積みやコンクリートなど様々な方法でなされています。
時代が新しいというより、木梶川トロッコ道の幹線軌道として初期から最後まで長きに渡って使われてきたという感じです。
木梶川トロッコ道の石積み
木梶川トロッコ道の石積み
 架線場の木材は南タワを経由して奈良県側の杉谷に降ろしたようだ。そこで、駐車地から鳴滝駐車場まで歩き、ここから南タワに向かう。植林を上がって行くと稜線手前でトロ道に出会う。これは加賀山事務所が管轄していた加賀山トロッコ道で、主稜線東側の950m付近の破線道がこれに当たる。とりあえず南タワに向かう。隧道があったとされる場所は、落ちていて切通しになっている。奈良県側に出るとトロ道は少し続くが植林で消える。ここから杉谷へは架線で下したのだろう。
こちらは2011年に林道(地蔵谷っていうんですね!)から南タワまでトレースしたのですが切り通しや路盤はありましたが、架線の基礎や石垣などは発見できませんでした。先日行った時に林道から皆伐部分を見てみると、すごいヤブ・・・もう一回南タワまで行く自信はありません。住友山岳会記録には木梶川源流沿いに青田川分水嶺付近まで軌道が続いていたということですので、それが本当であればまだ加賀山トロッコは完乗できていません。でもどちらかというと私もわりばしさんの仰るように地蔵谷出合付近で終点だと思うのですが。。。どうなんでしょうね。

ここちゃんと読んでませんでした。
住友山岳会は地蔵谷から南タワまで歩いたのですが、加賀山トロッコ道は木梶尾根まで続いてるんでしたね。
木梶尾根は草地のような平らな地形でトロ道をつけるのは訳ないと思います。
ここも調べてみる価値がありそうですね。
加賀山トロッコ道切通し
加賀山トロッコ道切通し
加賀山トロッコ道奈良県側
加賀山トロッコ道奈良県側
実はグーさんのレポートまではこの2つの軌道は繋がっていたと思ってまして、もっと標高の高いところの白滝付近に目をつけておりました。
空振りは当然でしたね(笑)
またトロッコレポート、よろしくお願いします!

こちらこそよろしくお願いします。
新しい発見があるといいですね。
zipp
記事: 1165
登録日時: 2011年3月09日(水) 22:49

Re: 【台高】木梶川トロッコ道と加賀山トロッコ道を歩く 戦前の山旅に思いをはせ

投稿記事 by zipp »


 わりばしさん、こんばんは。
資料にあたってからとレスを伸ばしてたんですが、結局kzoさんの資料のみ読んでのレスです。

 以前直登谷を登った時に出合の橋の石積みが立派なのと、橋の丸太が細くなりつつも残っているのが印象に残っている。トロッコがわたる頑強な橋だとわかり納得した。出合の左岸の飯場跡にはグーさんが並べたビンやビール瓶がいくつかころがっている。その中に「NIPPON BEER」と書かれたビール瓶があった。現在のサッポロビールが昭和24年から32年まで使っていた商標で、戦後間もなくの物のようだ。

 橋の反対側の右岸には石積みのトロ道が終点のベニア板製造工場跡まで続いている。石積みの台地には土管や鉄枠などが残っていた。
 べニアねぇ。当時最先端の工場になるのでは?
単なる製板工場だったりして。工場の動力は水車なのかなぁ?

トロ道は途中から三本に分かれる。上部のトロ道は標高を維持しながら切通しの先で山抜けして切れている。対岸の植林の中に石積みやレールも残されておりトロ道だとわかるものの不明瞭でわからなくなる。
中段の道は排水施設のような構造物まで続いている。
下段の道は、上段と中段が分岐したその先で石積みを使いながら分かれている。下段はすぐに木梶川沿いまで下りていく。ここには、規模の大きな石積みが広範囲に広がっており建物があったのかもしれない。

 中段の「排水施設」は、水車による動力施設かな?下段が架線場跡なんですね。

架線場の木材は南タワを経由して奈良県側の杉谷に降ろしたようだ。
 架線場は何処と繋がってったんでしょうね?

奈良県側に出るとトロ道は少し続くが植林で消える。ここから杉谷へは架線で下したのだろう。
 この南タワの北側の三重県側に、住友山岳会が触れている「新道」跡が残ってます。

 ここから破線道をハッピノタウを巻き南東方向に下って行く。何カ所かわかりにくい所があるがしっかり続いている。植林地では現役の杣道として使われており歩きやすいのだが、伐採地になると道も不明瞭になるしイバラだらけで歩きにくいことこの上ない。二ヵ所の伐採地を通過してへきへきして、地蔵谷手前の伐採地はパスして植林から下りた。
 随分昔に辿ったことがあり、途中辿れなくて降りたのは橋の先だったかな?
このトロ道は、ゼエノ谷の魚止滝まで続いてますね。ここに橋を架ければ、平坦なゼエノ谷ですから奥の方まで辿れるでしょう。

 下のトロッコ道の終点はベニヤ工場で、その先は木馬道なのですか。
この道は、鳴滝上の橋右岸へ道は抜けていたと思います。木梶山から降りてくる尾根先に道型も残っておりました。

  工場と架線場の位置は、逆の方が分かりやすいんだけど?どうなんだろう。
南タワは、その「ベニヤ工場」から見渡せるでしょうに。

   zipp
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わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】木梶川トロッコ道と加賀山トロッコ道を歩く 戦前の山旅に思いをはせ

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、zippさん。

 以前直登谷を登った時に出合の橋の石積みが立派なのと、橋の丸太が細くなりつつも残っているのが印象に残っている。トロッコがわたる頑強な橋だとわかり納得した。出合の左岸の飯場跡にはグーさんが並べたビンやビール瓶がいくつかころがっている。その中に「NIPPON BEER」と書かれたビール瓶があった。現在のサッポロビールが昭和24年から32年まで使っていた商標で、戦後間もなくの物のようだ。

 橋の反対側の右岸には石積みのトロ道が終点のベニア板製造工場跡まで続いている。石積みの台地には土管や鉄枠などが残っていた。
 べニアねぇ。当時最先端の工場になるのでは?
単なる製板工場だったりして。工場の動力は水車なのかなぁ?

どうなんでしょうね。住友山岳会の記録には「休止中のベニア板製造工場」と書いてありますからね。
動力は水車ぐらいしか考えつかないです。
ベニア板工場跡
ベニア板工場跡
トロ道は途中から三本に分かれる。上部のトロ道は標高を維持しながら切通しの先で山抜けして切れている。対岸の植林の中に石積みやレールも残されておりトロ道だとわかるものの不明瞭でわからなくなる。
中段の道は排水施設のような構造物まで続いている。
下段の道は、上段と中段が分岐したその先で石積みを使いながら分かれている。下段はすぐに木梶川沿いまで下りていく。ここには、規模の大きな石積みが広範囲に広がっており建物があったのかもしれない。

 中段の「排水施設」は、水車による動力施設かな?下段が架線場跡なんですね。

下段が架線場まで続く長い中央軌道です。
中段は排水施設にしか見えないのですが、ここに何があったのかな?
中段の構造物
中段の構造物
中段の構造物(内部)
中段の構造物(内部)
架線場の木材は南タワを経由して奈良県側の杉谷に降ろしたようだ。
 架線場は何処と繋がってったんでしょうね?

杉谷の資料を見ないとくわしい事はわからないですね。

奈良県側に出るとトロ道は少し続くが植林で消える。ここから杉谷へは架線で下したのだろう。
 この南タワの北側の三重県側に、住友山岳会が触れている「新道」跡が残ってます。

住友山岳会はこの新道を使って木梶に下りたのかな。

 ここから破線道をハッピノタウを巻き南東方向に下って行く。何カ所かわかりにくい所があるがしっかり続いている。植林地では現役の杣道として使われており歩きやすいのだが、伐採地になると道も不明瞭になるしイバラだらけで歩きにくいことこの上ない。二ヵ所の伐採地を通過してへきへきして、地蔵谷手前の伐採地はパスして植林から下りた。
 随分昔に辿ったことがあり、途中辿れなくて降りたのは橋の先だったかな?
このトロ道は、ゼエノ谷の魚止滝まで続いてますね。ここに橋を架ければ、平坦なゼエノ谷ですから奥の方まで辿れるでしょう。
 下のトロッコ道の終点はベニヤ工場で、その先は木馬道なのですか。
この道は、鳴滝上の橋右岸へ道は抜けていたと思います。木梶山から降りてくる尾根先に道型も残っておりました。

記録を読む限りでは、ベニア工場以降は木馬道でこれを歩いたようですね。
加賀山トロッコ道がつながると面白いんだけど。

  工場と架線場の位置は、逆の方が分かりやすいんだけど?どうなんだろう。
南タワは、その「ベニヤ工場」から見渡せるでしょうに。

私もそう思うのですが、あの立派な架線場の石積みを見ると架線場の位置は間違いないと思います。
BENISHIJIMI
記事: 1
登録日時: 2023年12月01日(金) 13:07

Re: 【台高】木梶川トロッコ道と加賀山トロッコ道を歩く 戦前の山旅に思いをはせ

投稿記事 by BENISHIJIMI »

 加賀山トロッコ道について、これを経営していた人について、私が務めていた会社の社長をしていた人が、経営いしていたことが分かっています。
詳細についてご連絡したいのですが。 北川喜芳
アバター
わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】木梶川トロッコ道と加賀山トロッコ道を歩く 戦前の山旅に思いをはせ

投稿記事 by わりばし »

 わざわざご連絡ありがとうございます。
ヤブコギのプライベートメッセージでPCのアドレスを送りました。
こちらの方に連絡いただけますでしょうか。
よろしくお願いします。 

                わりばし
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