【鈴鹿】青川峡が消え辰砂に出会う

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わりばし
記事: 1770
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

【鈴鹿】青川峡が消え辰砂に出会う

投稿記事 by わりばし »

【日 付】2015年5月17日(日)
【山 域】鈴鹿
【コース】青川P7:45---11:02緑青滝 ---13:43三神谷口---15:33青川P
【メンバー】わりばし、Kさん

 Kさんから治田鉱山遺跡を案内してほしいという依頼があり、1年ぶりに治田鉱山探索に出かける。青川峡キャンピングパーク前にある大鉢山駐車場はロープが張られ使えないので、林道ゲート前に駐車した。この地点で川に土砂が流れ込んで水量が少なくなっているのがわかる。このかぼそい流れも2年前にできた巨大堰堤で消える。巨大堰堤は土砂で埋もれ役をなしていない。そればかりか、堰堤の上にはキャタピラでならした跡と土砂を積んで出来た平地が林道横に出来ている。どうやら堰堤の上に大量の土砂が堆積し、これを苦肉の策でどけているようだ。

 1年前は河原が土砂で埋まっているという感じだったが、今は土砂が堆積して台地のようになり青川峡は水の無い土砂砂漠になってしまった。ここに渓谷があったことなど、まったく想像できない。

 林道終点だったヤスミをすぎた下り藤では、土砂が堆積し中洲が消えており、立ち枯れた木が名残を残しているだけだ。女郎屋があった下り藤もそのうち場所もわからなくなるだろう。

 銚子谷の出合は、土砂の堆積場といった感じで巨大な土砂山脈が連なっている。巨大堰堤からここまで青川に水は流れていない。支谷の出合で流れ込む水はあるが本谷に合流した途端に土砂に吸い込まれ消えている。この先の桧谷出合の大滝から流れる水も10m持たずに消えていた。

[attachment=0]IMG_8777.jpg[/attachment]
 大量の土砂は銚子谷やザラン谷の崩壊による。谷の崩壊が谷と谷をつなぎ面の崩壊になっていて、その先端は遠足尾根の稜線に達しているのが中尾から見えた。土砂の堆積が止まることは当分ないだろう。青川峡に水が戻ることはあるのだろうか。

[attachment=2]IMG_8774.jpg[/attachment]
 日ノ岡に上って行く。日ノ岡稲荷横の空き地を掘り返していると、精錬クズのカラミがどれだけでも出てくる。ここに吹床(簡易精錬所)があったようだ。日ノ岡の上り口にテープがあったが、この先も崩壊しているので登山道を使い治田峠に向かうのも大変だろう。

 日ノ岡を越えた所で入渓。しばらく進むと二股で、黒ダキハゲから下りてきている左股から土砂が流れてきていて、本流の桧谷は大丈夫だ。
大きな滝もないので沢を歩いたほうが安全で早い。ただ、二条5mは左岸を巻くが滑りやすい落ち葉に崩壊気味の道がいやらしい。

 5m滝を越えると緑青滝で、上部の石垣も残っている。緑青は銅の青緑色のサビの事で、この滝の上部の中尾に緑青岩が南河内絵図(1774年)に画かれており、ここからきたようだ。桧谷銅山の鉱脈を暗示するかのような青緑色の岩は特別な意味があったようだ。私はこの岩の青緑色はコケだと思っていたのだが、Kさんによると銅の緑青が浮き出ているのかもしれないということだった。緑青の浮き出た岩がいくつか落ちていたそうで、今回はその一つを採取してきた。地質学の専門家のいう事には説得力がある。

 滝の右手に仙右衛門鋪があり、水をたたえた坑口が開いている。治田鉱山中最大の坑で1630年代の銅山古図に画かれている古い坑になる。何重にも積み上げられた石垣や排水用の水路跡なども健在だった。

 ここから七曲りまでが坑口の密集地帯なので沢から探索する。暗いゴルジュの谷を歩いていくと左岸の崖中程に坑口があり喜左衛門鋪が見える。少し行った滝の淵沿いに長方形に彫られた坑口があった。淵をへつりながら近づくと一部鍾乳化した古い坑で、位置的に銀座鋪のようだ。治田鉱山の坑口をいくつか見てきたが、きれいな四角形の入口は初めて見た。坑口の岩盤が硬かったのか人が入れるぎりぎりの幅で彫られていた。これだけはっきりした人工物なのになぜか今まで気づかなかった。両方とも江戸時代の坑で、よく残っていたものだ。

[attachment=4]IMG_8761.jpg[/attachment]
 七曲りを上りはじめると吹床のあった平坦地に着く。最初土の斜面とすべる落ち葉に苦労しながら上っていくとツヅラ折れの道になり、ひとふんばりで高コバについた。ここは風がよく通り気持ちよかった。

 もうひと上りで中尾で、合流地点からは正面に与左ハゲが見える。中尾を下るが、人がまったく歩いていないようで、折れた太い枝が道の上にたくさん放置されたままだった。以前は少し残っていたテープを完全に撤去されていた。当初は、途中から三神谷に下りるつもりだったが、すべる落ち葉とパートナーもいるのでそのまま中尾を下った。

 三鉱谷を少し上りかえすと三神谷の出合で、ここには精錬の焼き窯が4基(17釜)が以前は残っており治田鉱山遺跡の中でも注目すべき場所だった。1年前に4基中、三鉱谷側にあった2基(7釜)が土石流で流された所だ。三鉱谷は1年前より荒れていて心配だったが、ぎりぎり2基は残っていた。しかし、時間の問題のように思う。

[attachment=1]IMG_8775.jpg[/attachment]
 この精錬跡は規模も大きく原形に近い形で残っているのだが、この窯で何を精錬したのか記録が残っていない。Kさんが窯の高さが低いのと連窯の数が多いのを見て「銅を精錬するには温度が上がりきらないのでは。」と言っている。すぐさま焼口の中や、周りの石を調べ始めると「これだな。」とレンガ色の鉱石を手に取った。辰砂(しんしゃ)で、銅に比べると低温で加熱するだけで水銀が取り出せるそうだ。

[attachment=3]IMG_8772.jpg[/attachment]
 辰砂は水銀の鉱石で、日本では古来「丹」と呼ばれていた。辰砂を産出する水銀鉱床群の分布する地域には丹生や丹生川の名が残っている。青川には奈良時代より続く丹生川という集落があり、青川も昔は丹生川とよばれその源流となる竜ヶ岳も江戸時代には丹生川山と呼ばれていた。

 血の色でもある朱は、活力と蘇生、死霊封じに通じるとして古代より珍重されてきた、神社の鉄丹(べんがら)の朱もここからきている。丹生川という地名からして当初は辰砂を求めて山に入り、その後に銀・銅の採掘がはじまったのだろうが、辰砂が残っていたとは思いもしなかった。窯の周りを見ると辰砂がたくさん落ちている。専門家はやはり違う。このあたりにだけ落ちているので、どこかから採掘してここで水銀を取り出したようだ。

 水銀は、漢方薬や白粉・朱墨・朱漆の原料として珍重されたので、一儲けできたのだろう。そうしたこともあり、水銀に関する記述はきれいに消されている。

 土砂砂漠に変わり果てた気が重くなる帰り道だったが、辰砂と銀座鋪が確認できたのは大きかった。ただ、青川の今後が心配でならない。


添付ファイル
大滝
大滝
三神谷出合の窯
三神谷出合の窯
崩壊は稜線に到達
崩壊は稜線に到達
辰砂
辰砂
銀座鋪
銀座鋪
グー(伊勢山上住人)
記事: 2228
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:10
連絡する:

Re: 【鈴鹿】青川峡が消え辰砂に出会う

投稿記事 by グー(伊勢山上住人) »

わりばしさん、こんばんは。
山歩きから釣り師に宗旨替えしたのじゃなかったの?
ビギナーズラックはもう卒業したのですか?

きれいな四角形の入口は初めて見た。
これだけはっきりした人工物なのになぜか今まで気づかなかった。


歩き尽くして、知り尽くしていると思っていたのに、初見がありましたか。

Kさんが窯の高さが低いのと連窯の数が多いのを見て「銅を精錬するには温度が上がりきらないのでは。」
焼口の中や、周りの石を調べ始めると「これだな。」とレンガ色の鉱石を手に取った。辰砂(しんしゃ)


ほお、その道の専門家さんですか。すごいですね。

一儲けできたのだろう。そうしたこともあり、水銀に関する記述はきれいに消されている。

そうなんだろうか? と、グーは感じるのですが・・・

わりばしさんのレポがヤブネットに復活してきたことが嬉しいです。


                グー(伊勢山上住人)
落第忍者
記事: 1229
登録日時: 2011年2月20日(日) 15:31
お住まい: 三重県伊賀市
連絡する:

Re: 【鈴鹿】青川峡が消え辰砂に出会う

投稿記事 by 落第忍者 »

わりばしさん、おはようございます。

膝に水が溜まるそうですが、もう治りましたか?
それとも騙し騙しで歩かれているのかな?

わりばしさんのレポとしては半年振りですね。
乾留工場とか鉱山跡とか、本来は機械関係の私が興味を示さないといけないのかもしれませんが、どうもその気になりません。
隣の尾根には良く行くのですが、青川峡には入ったことが無くて、難解なレポが一層強みを増しているように思えてしまいます。

片や人為的に崩されて行く山、その一方で自然崩壊する山と、どちらにしても昔の姿が失われていくのは悲しいことですが、それも仕方の無いことなのかもしれません。
専門家が入られたことで何らかの対策が施されるといいですね。
落第忍者
山猪
記事: 97
登録日時: 2011年4月15日(金) 21:39
お住まい: 愛知県名古屋市

Re: 【鈴鹿】青川峡が消え辰砂に出会う

投稿記事 by 山猪 »

わりばしさん、ご無沙汰してます。

本日(5/21)、青川キャンピングパークからの入山で、大鉢山~遠足尾根~県境尾根~孫田尾根の周回してきました。

ガラン谷はもちろんですが、青川流域全般に崩壊が著しいと感じました。

写真①銚子谷源頭付近より下流方向。
P5210198.JPG
写真②草木付近から対岸(遠足尾根)の谷の崩壊
P5210218.JPG
あと写真はありませんが、県境尾根から孫田尾根へ多志田谷山をトラバースしている牛道も崩壊のため通行不能でした(大高巻きで、多志田山山頂着)。

写真③治田峠の看板(青川通れたんですね・・・・・)
当初から、遠足~孫田の周回を予定していたので問題無かったですが、治田から下る予定をたてていたら、泣きながら孫田尾根に向かう事になったでしょう。
P5210209.JPG
by サンチョ
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わりばし
記事: 1770
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】青川峡が消え辰砂に出会う

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、グーさん。

山歩きから釣り師に宗旨替えしたのじゃなかったの?
ビギナーズラックはもう卒業したのですか?

これはこれで面白いですねえ。
やはり地元の食材がいいようです。

きれいな四角形の入口は初めて見た。
これだけはっきりした人工物なのになぜか今まで気づかなかった。


歩き尽くして、知り尽くしていると思っていたのに、初見がありましたか。

岩壁ばっかり見ていて水線のあたりは見ていなかったのでしょうね。 :mrgreen:
緑青が浮き出た岩にしてもまったく気にもしていませんでした。
見方を変えるとこんなにも違うのかとつくづく思いました。
緑青の浮き出た岩
緑青の浮き出た岩
Kさんが窯の高さが低いのと連窯の数が多いのを見て「銅を精錬するには温度が上がりきらないのでは。」
焼口の中や、周りの石を調べ始めると「これだな。」とレンガ色の鉱石を手に取った。辰砂(しんしゃ)


ほお、その道の専門家さんですか。すごいですね。

装備に鉱物採取用のハンマーが入っておりました。
ここに来るまで地質が専門とは知らなかったんです。
星かと思っていたもんですから・・

一儲けできたのだろう。そうしたこともあり、水銀に関する記述はきれいに消されている。

そうなんだろうか? と、グーは感じるのですが・・・

勢和の丹生出身の人もこれだけ朱の濃いのは見たことないと言っていたので良質のものなのでしょう。
それなのに辰砂(赤色硫化水銀)の記述がまったく無く。
「これでいつ製錬したものか釜内を見ても製錬の痕跡は分からない。」(「伊勢治田銀銅山の今昔」)と書かれているから不思議でしょ。


わりばしさんのレポがヤブネットに復活してきたことが嬉しいです。

ありがとうございます。
ボチボチですが・・・お付き合いくださいませ。 :P
                
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わりばし
記事: 1770
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】青川峡が消え辰砂に出会う

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、落第忍者さん。

膝に水が溜まるそうですが、もう治りましたか?
それとも騙し騙しで歩かれているのかな?

今は水は溜まっていません。
全速力でマラソンや駅伝をしなけりゃ大丈夫みたいです。
それのしても、長くかかり今年のスノー衆を棒に振ってしまいました。 :oops:

わりばしさんのレポとしては半年振りですね。
乾留工場とか鉱山跡とか、本来は機械関係の私が興味を示さないといけないのかもしれませんが、どうもその気になりません。
隣の尾根には良く行くのですが、青川峡には入ったことが無くて、難解なレポが一層強みを増しているように思えてしまいます。

日常生活からときははなたれに山に行くというのもありますからね。 :P
今回はKさんからの依頼がなければ行ってなかっただろうなあ。

鉱石を砕いた石臼
鉱石を砕いた石臼
片や人為的に崩されて行く山、その一方で自然崩壊する山と、どちらにしても昔の姿が失われていくのは悲しいことですが、それも仕方の無いことなのかもしれません。
専門家が入られたことで何らかの対策が施されるといいですね。

このところの自然災害で、昔メインだった道が歩けなくなり登山道も変わってきていますね。

 青川道     →  孫太尾根
 ホダカ谷道  →  金山尾根・遠足尾根
 坂本谷道   →  木和田尾

ただ、青川の崩壊の仕方は尋常ではないので難しいでしょう。

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わりばし
記事: 1770
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】青川峡が消え辰砂に出会う

投稿記事 by わりばし »

山猪さんお久しぶりです。

本日(5/21)、青川キャンピングパークからの入山で、大鉢山~遠足尾根~県境尾根~孫田尾根の周回してきました。
ガラン谷はもちろんですが、青川流域全般に崩壊が著しいと感じました。

青川周回コースですか。
崩壊の様子がよくわかりますねえ。

あと写真はありませんが、県境尾根から孫田尾根へ多志田谷山をトラバースしている牛道も崩壊のため通行不能でした(大高巻きで、多志田山山頂着)。

草木からの写真で三鉱谷が崩壊しているのがよくわかります。
多志田山は三鉱谷の源頭部ですので、思った以上に崩壊が進んでいます。
念仏滝は大丈夫なんだろうか?

写真③治田峠の看板(青川通れたんですね・・・・・)
当初から、遠足~孫田の周回を予定していたので問題無かったですが、治田から下る予定をたてていたら、泣きながら孫田尾根に向かう事になったでしょう。

堰堤工事は2年前に終わっているので通れます。
ただ、長い土砂砂漠歩きが待っていますので、孫太尾根経由の方がいいような。
治田峠から伊勢側の溝道と中尾地蔵には一見の価値がありますが・・
今気づきましたが、中尾地蔵ってなんでここにあるのかな?
もしかしたら中尾にあった地蔵さんを見守りやすい生活道のあった峠下に移したのかな。

中尾地蔵
中尾地蔵

久々に山猪さんに合いたいなあ。
オフ会でお会いできるといいですね。
:P
zipp
記事: 1165
登録日時: 2011年3月09日(水) 22:49

Re: 【鈴鹿】青川峡が消え辰砂に出会う

投稿記事 by zipp »



 ヒザミス溜まりのわりばしさん、こんばんは。

 Kさんから治田鉱山遺跡を案内してほしいという依頼があり、1年ぶりに治田鉱山探索に出かける。
 「Kさん」・・・「K川」さんか?と思ったけど、ちがったようです(^^;

 1年前は河原が土砂で埋まっているという感じだったが、今は土砂が堆積して台地のようになり青川峡は水の無い土砂砂漠になってしまった。ここに渓谷があったことなど、まったく想像できない。
 わたし的には、青川がまだよい時に歩いておいてよかった!としみじみ思う。


緑青は銅の青緑色のサビの事で、この滝の上部の中尾に緑青岩が南河内絵図(1774年)に画かれており、ここからきたようだ。桧谷銅山の鉱脈を暗示するかのような青緑色の岩は特別な意味があったようだ。私はこの岩の青緑色はコケだと思っていたのだが、Kさんによると銅の緑青が浮き出ているのかもしれないということだった。緑青の浮き出た岩がいくつか落ちていたそうで、今回はその一つを採取してきた。地質学の専門家のいう事には説得力がある。
 う~んとね。
わりばしさんのレポには、わりばしさんの知識不足による勝手な思い込み情報に拠るレポが散見されるので(^^;、やっぱセンモンカと同行されるのをお勧めします(^^)。

 水銀は、漢方薬や白粉・朱墨・朱漆の原料として珍重されたので、一儲けできたのだろう。そうしたこともあり、水銀に関する記述はきれいに消されている。
 グーさんも書かれてましたが、たぶんそうではないと思う。
地名として「丹生」があるのだから、水銀が採れたのは間違いないでしょう。単に文書として、わりばしさんがみたモノには残ってないだけなんでしょう。
 水銀と銅、鉱山の時代的にはへだたりもあったのかも?お調べくださいまし(^^)

 辰砂は水銀の鉱石で、日本では古来「丹」と呼ばれていた。辰砂を産出する水銀鉱床群の分布する地域には丹生や丹生川の名が残っている。青川には奈良時代より続く丹生川という集落があり、青川も昔は丹生川とよばれその源流となる竜ヶ岳も江戸時代には丹生川山と呼ばれていた。

 血の色でもある朱は、活力と蘇生、死霊封じに通じるとして古代より珍重されてきた、神社の鉄丹(べんがら)の朱もここからきている。丹生川という地名からして当初は辰砂を求めて山に入り、その後に銀・銅の採掘がはじまったのだろうが、辰砂が残っていたとは思いもしなかった。窯の周りを見ると辰砂がたくさん落ちている。専門家はやはり違う。このあたりにだけ落ちているので、どこかから採掘してここで水銀を取り出したようだ。


 東大寺の大仏にも使われている(だったっけ?)三重県内の旧勢和村の丹生鉱山や丹生の大師さん辺りを、膝に水たまりをかかえるわりばしさんは、サンポしてみるにはいかも(^^)。

 土砂砂漠に変わり果てた気が重くなる帰り道だったが、辰砂と銀座鋪が確認できたのは大きかった。ただ、青川の今後が心配でならない。

 青川から、また竜へ登りたいと思っているのだけど、大ブナはすでに流され、遠足尾根近くの湧水湧き出している辺りから崩壊が伸びているようですね。

   zipp
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わりばし
記事: 1770
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】青川峡が消え辰砂に出会う

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、zippさん。

 Kさんから治田鉱山遺跡を案内してほしいという依頼があり、1年ぶりに治田鉱山探索に出かける。
 「Kさん」・・・「K川」さんか?と思ったけど、ちがったようです(^^;

「K川」さんじゃなく「K原」さんでした。

 1年前は河原が土砂で埋まっているという感じだったが、今は土砂が堆積して台地のようになり青川峡は水の無い土砂砂漠になってしまった。ここに渓谷があったことなど、まったく想像できない。
 わたし的には、青川がまだよい時に歩いておいてよかった!としみじみ思う。

私も学生時代に歩き、緑豊かな渓谷に中日キャンプ場とヒルが元気だったのを覚えています。
ただ、今回は水さえ完璧に消えてしまったので、1年前の歩きと比べても印象がかなり違いました。

緑青は銅の青緑色のサビの事で、この滝の上部の中尾に緑青岩が南河内絵図(1774年)に画かれており、ここからきたようだ。桧谷銅山の鉱脈を暗示するかのような青緑色の岩は特別な意味があったようだ。私はこの岩の青緑色はコケだと思っていたのだが、Kさんによると銅の緑青が浮き出ているのかもしれないということだった。緑青の浮き出た岩がいくつか落ちていたそうで、今回はその一つを採取してきた。地質学の専門家のいう事には説得力がある。
 う~んとね。
わりばしさんのレポには、わりばしさんの知識不足による勝手な思い込み情報に拠るレポが散見されるので(^^;、やっぱセンモンカと同行されるのをお勧めします(^^)。

ハハハ・・・ :mrgreen:
まあ論文じゃないですからねえ。
思い込みの世界に浸るというのもおつなもんです。

 水銀は、漢方薬や白粉・朱墨・朱漆の原料として珍重されたので、一儲けできたのだろう。そうしたこともあり、水銀に関する記述はきれいに消されている。
 グーさんも書かれてましたが、たぶんそうではないと思う。
地名として「丹生」があるのだから、水銀が採れたのは間違いないでしょう。単に文書として、わりばしさんがみたモノには残ってないだけなんでしょう。
 水銀と銅、鉱山の時代的にはへだたりもあったのかも?お調べくださいまし(^^)

治田鉱山のバイブルと言っていい黒川さんの本にもこの窯で何をいつの時代製錬したのかわからないとしていて、辰砂に関する記述が無いんですよね。
これだけ落ちているのに?
辰砂
辰砂
 辰砂は水銀の鉱石で、日本では古来「丹」と呼ばれていた。辰砂を産出する水銀鉱床群の分布する地域には丹生や丹生川の名が残っている。青川には奈良時代より続く丹生川という集落があり、青川も昔は丹生川とよばれその源流となる竜ヶ岳も江戸時代には丹生川山と呼ばれていた。

 血の色でもある朱は、活力と蘇生、死霊封じに通じるとして古代より珍重されてきた、神社の鉄丹(べんがら)の朱もここからきている。丹生川という地名からして当初は辰砂を求めて山に入り、その後に銀・銅の採掘がはじまったのだろうが、辰砂が残っていたとは思いもしなかった。窯の周りを見ると辰砂がたくさん落ちている。専門家はやはり違う。このあたりにだけ落ちているので、どこかから採掘してここで水銀を取り出したようだ。


 東大寺の大仏にも使われている(だったっけ?)三重県内の旧勢和村の丹生鉱山や丹生の大師さん辺りを、膝に水たまりをかかえるわりばしさんは、サンポしてみるにはいかも(^^)。

大仏の金メッキ用に使われたようです。
この丹生川も奈良時代には地名があったので同じような使われ方をしたのでしょう。
また、丹生に遊びに行こうかな。


 土砂砂漠に変わり果てた気が重くなる帰り道だったが、辰砂と銀座鋪が確認できたのは大きかった。ただ、青川の今後が心配でならない。

 青川から、また竜へ登りたいと思っているのだけど、大ブナはすでに流され、遠足尾根近くの湧水湧き出している辺りから崩壊が伸びているようですね。

湧水のあたりは崩壊しているみたいですね。
最初は遠足尾根側だけだったのですが、三鉱谷もやられています。
それに土砂の量が半端ないです。
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