【台高】赤嵓滝谷でタイムマシーンにおねがい

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わりばし
記事: 1767
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

【台高】赤嵓滝谷でタイムマシーンにおねがい

投稿記事 by わりばし »

【日 付】2014年7月20日(日)
【山 域】台高
【コース】千石林道P7:10---11:00二俣乾留工場11:25---桧塚劇場13:15---千石林道P15:30
【メンバー】単独

 飯高の青田と蓮(千石)の山中に大正時代に乾留工場がそれぞれ第1工場から第5工場まであった。第1次世界大戦の時期に無煙火薬の材料のアセトンが不足し、原材料を作る乾留工場が全国各地に出来た。飯高郷土史には経営者は神戸の鈴木たまと書かれているが、これは鈴木よねの間違いで、当時三井・三菱を凌駕するとまで言われた大財閥鈴木商店がからんでいたようだ。

 鈴木商店については以下のサイトをご覧ください。
  鈴木商店記念館                 
      http://www.suzukishoten-museum.com/
 その時歴史は動いた「巨大商社 鈴木商店の挫折」  http://bizdoga.blog.fc2.com/blog-entry-3638.html

 青田の乾留工場は集落から近かったこともあり、工場の場所は特定されているが土管やレンガといった残留物はほとんど残っていない。蓮の場合は千石林道終点付近に点在しており、運び出すのは大変だということもあり残留物が残されている。先週も赤嵓滝谷のあたりをうろついていたが、時間切れで赤嵓滝を越えた乾留工場跡から桧塚劇場に上った。

 千石林道Pに駐車するとなんと3台も停まっている。準備をしている人と話していると、皆さん渓流釣りで、先行者は奥の平谷で、この人は千石谷をつめるようだ。千石林道は、以前と違い井戸谷までは土砂がどけられているが、その先は手つかずの状態だ。先週は林道終点から喜平小屋谷出合に向けて下ったが、今回は赤嵓滝谷左岸の山道を使う。この道は廊下状の8m滝の滝口に下りており、CS5m滝と廊下を避けてつけられたようだ。谷に下り道は笹ヶ峰方面の植林を上がって行く。入渓してすぐに二俣で、左俣には赤嵓滝が流れている。

 赤嵓滝は、滝口に光がさし黒い岩肌と周りの緑のコントラストが幽玄な雰囲気をかもしだしている。均整のとれた30mの斜瀑で、手前のトチノキの大木が存在感を示している。トチノキの実はアセトンの製造に使われたことから乾留工場の谷の入り口にふさわしいたたずまいだ。

[attachment=4]IMG_8359.jpg[/attachment]
 巻き道は右岸のトチノキに下りてきている斜面を上り一端小谷に下りる。そこから滝口向かって小尾根を乗越すと大きな倒木が横たわった滝口に着く。

[attachment=2]IMG_8374.jpg[/attachment]
 谷の平流を歩くと左岸に乾留工場跡があり、土管とレンガが残っている。赤いレンガの上に耐火レンガを積んだようで、釜口の鉄製の枠もあった。赤レンガには刻印は無かったが、白レンガと言われた耐火レンガには刻印があり、すべて網目模様でモルタルの付きを良くするためにつけられていた。これを調べれば乾留工場の出来た年が特定できそうだ。この乾留工場跡の白レンガは「SHINSGAWA」の刻印がされた品川白煉瓦製のものと「BIZENㅡINBE 」と刻印されたレンガがある。zippさんは、「BIZENㅡINBE」のレンガを九州耐火煉瓦製と書いていたが、九州耐火の工場は岡山県片上で岡山県伊部にあったのは品川白煉瓦なので、同じ会社のレンガかもしれない。ここには通常の大きさの白レンガの他に大型の白レンガもあった。

[attachment=3]IMG_8376.jpg[/attachment]
 先週出向いた喜平小屋谷の乾留工場跡のレンガには「KINJO F.B」と刻印されており、生産量と「金城」という名前からして愛知県刈谷にあった東洋耐火煉瓦製と思われる。ただ愛知県で耐火レンガを作っていたのが他にも3カ所(中京耐火、瀬戸耐火、加藤春吉)あるので、その可能性も捨てきれない。

 なおも平流を進むと正面に黒い高台がCo1070mの二俣に着く。右岸の高台には大規模な乾留工場跡が残っており土管とレンガでおおい尽くされている。ここの白レンガは「SHINSGAWA」「BIZENㅡINBE」の他に「IGAㅡBATA」「RENSEKISHA」の物が見つかった。どうやら窯ごとに同じ会社の白レンガを積み上げたようだ。それにしてもこれだけ多くの会社の白レンガを使うというのはどうした事なのか。効率の面からみれば良いはずはなく、在庫の少ない中一時期に全国からかき集めたような気がする。

[attachment=1]IMG_8379.jpg[/attachment]
 右俣の歩きやすい斜面を上った左岸の高台には住居跡があったようで、zippさんの言うようにビール瓶と割れた酒屋の陶器の通い徳利や茶碗などの生活痕があった。ただ、百年前の住居跡で居住期間も短かっただけに、それ以外のものは見つからなかった。その中で、サクラビールの瓶が目についた。サクラビールは、鈴木商店系列の帝国麦酒株式会社が大正2年に発売し、大正13年まで鈴木商店が販売を行っていた。鈴木商店が経営している乾留工場でのサクラビールということは大正13年以前のものと言うことか。当時、高価だったビールだけに鈴木商店からの祝儀だったのだろうか。

[attachment=0]IMG_8385.jpg[/attachment]
 右俣のゴーロをすぎると歩きやすい小さい斜瀑が続く。二俣に着くと右俣の岩肌から水が流れ落ちる10m滝があるが、ここは左俣を選ぶ。自然林の谷だけに明るく気持ちがいい。

 6mクラスの滝を越えていくと両岸が迫ってゴルジュ状になり、これも上っていくと尾根が広がった源頭の雰囲気になり、Co1320mの二俣を越えてから稜線に上がった。明神岳と奥峰を結ぶ登山道に出て、桧塚劇場に向かう。桧塚劇場からは緑濃き夏の奥峰が見え、風もあり心地よい。帰りはP1253から南東に降りる尾根に乗ろうと思ったが、植林の杣道をたどるうちに結局北に向かう尾根に乗らされ、千石平の登山口に降りた。

 今日探索した乾留工場は、赤嵓滝が壁となって人の行く手を阻み、大正時代のレンガや土管、ビール瓶などが奇跡的に残されており、タイムマシーンで時空を飛び越えた気分だ。先週はモモクロの「泣いてもいいんだよ」を口ずさみながら登ったが、今回はサディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシーンにおねがい」のメロディが出てきた。あなたにとってミカ・バンドの歌姫は、ミカなのか桐島カレンそれとも木村カエラなのかな。
添付ファイル
二俣の生活痕
二俣の生活痕
二俣の乾留工場
二俣の乾留工場
釜口の鉄製の枠
釜口の鉄製の枠
大きさの違う白レンガ
大きさの違う白レンガ
赤嵓滝
赤嵓滝
シュークリーム
記事: 2065
登録日時: 2012年2月26日(日) 17:35
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】赤嵓滝谷でタイムマシーンにおねがい

投稿記事 by シュークリーム »

わりばしさん、おはようございます。
赤嵓滝谷でしたか。歴史好きのわりばしさんには宝石箱みたいに見えたでしょうね。この谷、それほど難度は高くなくて、源流域は「太古の森」のよい雰囲気でいいですね。歴史にはあまり関心のない私でも癒しの沢歩きとして好きなところです。


 巻き道は右岸のトチノキに下りてきている斜面を上り一端小谷に下りる。そこから滝口向かって小尾根を乗越すと大きな倒木が横たわった滝口に着く。

私はこの巻き道が苦手です。なんで皆さんすいすいと歩けるのだろう。

 右俣の歩きやすい斜面を上った左岸の高台には住居跡があったようで、zippさんの言うようにビール瓶と割れた酒屋の陶器の通い徳利や茶碗などの生活痕があった。ただ、百年前の住居跡で居住期間も短かっただけに、それ以外のものは見つからなかった。その中で、サクラビールの瓶が目についた。サクラビールは、鈴木商店系列の帝国麦酒株式会社が大正2年に発売し、大正13年まで鈴木商店が販売を行っていた。鈴木商店が経営している乾留工場でのサクラビールということは大正13年以前のものと言うことか。当時、高価だったビールだけに鈴木商店からの祝儀だったのだろうか。

山の作業場の跡というと、ビール瓶や酒瓶の散乱が普通ですよね。山の中で、夜は酒を飲むくらいしかすることがなかったんだろうな。

 今日探索した乾留工場は、赤嵓滝が壁となって人の行く手を阻み、大正時代のレンガや土管、ビール瓶などが奇跡的に残されており、タイムマシーンで時空を飛び越えた気分だ。先週はモモクロの「泣いてもいいんだよ」を口ずさみながら登ったが、今回はサディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシーンにおねがい」のメロディが出てきた。あなたにとってミカ・バンドの歌姫は、ミカなのか桐島カレンそれとも木村カエラなのかな。

お疲れさんでした。わりばしさん好みの山歩きができたようでよかったですね。私は今年はもうご一緒できそうにないですが、来年はまたお誘いします。
                         @シュークリーム@
zipp
記事: 1165
登録日時: 2011年3月09日(水) 22:49

Re: 【台高】赤嵓滝谷でタイムマシーンにおねがい

投稿記事 by zipp »


 わりばしさん、こんばんは。
2週続けてこの界隈でしたか。
 新宅のお庭の拡張でもされるのかな? :lol:

青田の乾留工場は集落から近かったこともあり、工場の場所は特定されているが土管やレンガといった残留物はほとんど残っていない。蓮の場合は千石林道終点付近に点在しており、運び出すのは大変だということもあり残留物が残されている。
 千石林道無き時代、大変な労苦だったでしょうね。こんな資材を山中奥深く運び入れること自体大変な作業だったでしょう。

 赤嵓滝は、滝口に光がさし黒い岩肌と周りの緑のコントラストが幽玄な雰囲気をかもしだしている。
 赤グラ滝は、下部の左岸支流の出合から小滝を含めて、いいところです(^^)。

 巻き道は右岸のトチノキに下りてきている斜面を上り一端小谷に下りる。そこから滝口向かって小尾根を乗越すと大きな倒木が横たわった滝口に着く。
 普通、こう巻くよね。

白レンガと言われた耐火レンガには刻印があり、すべて網目模様でモルタルの付きを良くするためにつけられていた。これを調べれば乾留工場の出来た年が特定できそうだ。この乾留工場跡の白レンガは「SHINSGAWA」の刻印がされた品川白煉瓦製のものと「BIZENㅡINBE 」と刻印されたレンガがある。zippさんは、「BIZENㅡINBE」のレンガを九州耐火煉瓦製と書いていたが、九州耐火の工場は岡山県片上で岡山県伊部にあったのは品川白煉瓦なので、同じ会社のレンガかもしれない。ここには通常の大きさの白レンガの他に大型の白レンガもあった。
 う~ん、わたしの発言(文章?)は、記憶にない…、このあたりのこと調べてたの随分前だものな(^^;。
「同じ会社のレンガ」というところ、意味不明なのですが・・・?近くだからってこと?

 先週出向いた喜平小屋谷の乾留工場跡のレンガには「KINJO F.B」と刻印されており、生産量と「金城」という名前からして愛知県刈谷にあった東洋耐火煉瓦製と思われる。ただ愛知県で耐火レンガを作っていたのが他にも3カ所(中京耐火、瀬戸耐火、加藤春吉)あるので、その可能性も捨てきれない。
 三種類あったわけですね。この「kinjyo」もわたしも見てるような・・・。

ここの白レンガは「SHINSGAWA」「BIZENㅡINBE」の他に「IGAㅡBATA」「RENSEKISHA」の物が見つかった。どうやら窯ごとに同じ会社の白レンガを積み上げたようだ。それにしてもこれだけ多くの会社の白レンガを使うというのはどうした事なのか。効率の面からみれば良いはずはなく、在庫の少ない中一時期に全国からかき集めたような気がする。
 「RENSEKISHA」もみたような…。「IGAㅡBATA」ですか・・・、きっと見てない。5種類ですか。
鈴木商店は、「相場師」的な嗅覚の商社でしたね。アセトン不足におちいるとみて、急遽乾溜工場を英国技師まで派遣して作りあげたんでしょうね。

[attachment=1]DSCN9765_640.jpg[/attachment]
 右俣の歩きやすい斜面を上った左岸の高台には住居跡があったようで、zippさんの言うようにビール瓶と割れた酒屋の陶器の通い徳利や茶碗などの生活痕があった。ただ、百年前の住居跡で居住期間も短かっただけに、それ以外のものは見つからなかった。その中で、サクラビールの瓶が目についた。サクラビールは、鈴木商店系列の帝国麦酒株式会社が大正2年に発売し、大正13年まで鈴木商店が販売を行っていた。鈴木商店が経営している乾留工場でのサクラビールということは大正13年以前のものと言うことか。当時、高価だったビールだけに鈴木商店からの祝儀だったのだろうか。
 赤嵓滝上の二つの乾溜工場の宿舎は、左岸工場の対岸の僅か上流の台地にあり、二俣の工場の対岸は、小屋程度のものだっと思います。
ですので、そこには結構な遺留品が残ってましたよ。
 わたしが最初見たときは散らばってましたが、結構集めてあったでしょ(^^)。
あんがい、常時飲んでたんじゃないかな?当時ビンは貴重な品だから、返却してたでしょうしね。

 右俣のゴーロをすぎると歩きやすい小さい斜瀑が続く。二俣に着くと右俣の岩肌から水が流れ落ちる10m滝があるが、ここは左俣を選ぶ。自然林の谷だけに明るく気持ちがいい。
 右俣へは行かなかったのね。
まぁ左俣の方が楽しいですが(^^)。

Co1320mの二俣を越えてから稜線に上がった。
 この辺りの標高を乾溜工場道が赤グラ谷水域をぐるりと水平道がありますが、谷からでは気づき難いですね。
二俣の乾溜工場から、左俣へ行けば15m?、8m?滝を越えれば左岸に明瞭な乾溜工場道が残ってます。

帰りはP1253から南東に降りる尾根に乗ろうと思ったが、植林の杣道をたどるうちに結局北に向かう尾根に乗らされ、千石平の登山口に降りた。
 道は、井戸谷左岸に降りませんでした?・・・崩壊しちゃってるけど。

 モモクロもサディステイックミカバンドも同居しているわりばしさんに光栄あれ!?

[attachment=0]PC207563_640.jpg[/attachment]
添付ファイル
こんなのもありました(回収)。<br />手吹きの白鹿。
こんなのもありました(回収)。
手吹きの白鹿。
宮川大熊谷乾溜工場の耐火煉瓦。<br />「BIZENㅡINBE」ですね。
宮川大熊谷乾溜工場の耐火煉瓦。
「BIZENㅡINBE」ですね。
最後に編集したユーザー zipp [ 2014年7月24日(木) 19:02 ], 累計 1 回
   zipp
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わりばし
記事: 1767
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】赤嵓滝谷でタイムマシーンにおねがい

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、シュークリームさん。

赤嵓滝谷でしたか。歴史好きのわりばしさんには宝石箱みたいに見えたでしょうね。この谷、それほど難度は高くなくて、源流域は「太古の森」のよい雰囲気でいいですね。歴史にはあまり関心のない私でも癒しの沢歩きとして好きなところです。

タイムカプセルみたいで楽しかったです。
RENSEKISHAの白レンガ
RENSEKISHAの白レンガ
 巻き道は右岸のトチノキに下りてきている斜面を上り一端小谷に下りる。そこから滝口向かって小尾根を乗越すと大きな倒木が横たわった滝口に着く。

私はこの巻き道が苦手です。なんで皆さんすいすいと歩けるのだろう。

落葉の状態でかなり感じは変わるんじゃないかな。
気をつけて通過する場所には変わりありませんが。

 右俣の歩きやすい斜面を上った左岸の高台には住居跡があったようで、zippさんの言うようにビール瓶と割れた酒屋の陶器の通い徳利や茶碗などの生活痕があった。ただ、百年前の住居跡で居住期間も短かっただけに、それ以外のものは見つからなかった。その中で、サクラビールの瓶が目についた。サクラビールは、鈴木商店系列の帝国麦酒株式会社が大正2年に発売し、大正13年まで鈴木商店が販売を行っていた。鈴木商店が経営している乾留工場でのサクラビールということは大正13年以前のものと言うことか。当時、高価だったビールだけに鈴木商店からの祝儀だったのだろうか。

山の作業場の跡というと、ビール瓶や酒瓶の散乱が普通ですよね。山の中で、夜は酒を飲むくらいしかすることがなかったんだろうな。

蓮の盆踊りは乾留工場から従業員が下りてきて身動きの取れないほどの盛況だったようです。
盆踊りの夜、かわいあの娘の横顔を思い浮かべながら山道を帰ったのかな。

T字土管
T字土管
 今日探索した乾留工場は、赤嵓滝が壁となって人の行く手を阻み、大正時代のレンガや土管、ビール瓶などが奇跡的に残されており、タイムマシーンで時空を飛び越えた気分だ。先週はモモクロの「泣いてもいいんだよ」を口ずさみながら登ったが、今回はサディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシーンにおねがい」のメロディが出てきた。あなたにとってミカ・バンドの歌姫は、ミカなのか桐島カレンそれとも木村カエラなのかな。

お疲れさんでした。わりばしさん好みの山歩きができたようでよかったですね。私は今年はもうご一緒できそうにないですが、来年はまたお誘いします。

シュークリームさんも忙しそうですね。
また誘ってください。
くれぐれも撃墜されないようにしてくださいね。

                                                          わりばし
グー(伊勢山上住人)
記事: 2227
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:10
連絡する:

Re: 【台高】赤嵓滝谷でタイムマシーンにおねがい

投稿記事 by グー(伊勢山上住人) »

わりばしさん、こんばんは。

高尚な赤嵓滝谷にちょっかいです。(主題はパス)

千石林道は、以前と違い井戸谷までは土砂がどけられている

ということは、谷を跨ぐ橋の工事がまもなく始まるのかな?

P1253から南東に降りる尾根に乗ろうと思ったが、植林の杣道をたどるうちに結局北に向かう尾根に乗らされ、千石平の登山口に降りた。

ドコをドー下りたの? グー道迷い遭難です。

赤嵓滝が壁となって人の行く手を阻み、大正時代のレンガや土管、ビール瓶などが奇跡的に残されており

ソウだよね。レンガを持ち帰って庭に敷き詰めようとしても遠いし、やっかいやし、重いし・・・
で、いくつ持ち帰ったの?

                          グー(伊勢山上住人)
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わりばし
記事: 1767
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】赤嵓滝谷でタイムマシーンにおねがい

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、zippさん。

青田の乾留工場は集落から近かったこともあり、工場の場所は特定されているが土管やレンガといった残留物はほとんど残っていない。蓮の場合は千石林道終点付近に点在しており、運び出すのは大変だということもあり残留物が残されている。
 千石林道無き時代、大変な労苦だったでしょうね。こんな資材を山中奥深く運び入れること自体大変な作業だったでしょう。

あの思いレンガや土管を運んだんですからね、すごいもんです。
危険を伴う筏流しの日給が30銭だった時代に、手車引きが7倍以上の2円20銭ですから。
仕事のしんどさと、需要の大きさがわかります。

 赤嵓滝は、滝口に光がさし黒い岩肌と周りの緑のコントラストが幽玄な雰囲気をかもしだしている。
 赤グラ滝は、下部の左岸支流の出合から小滝を含めて、いいところです(^^)。

完成された箱庭のようです。
赤嵓滝
赤嵓滝
白レンガと言われた耐火レンガには刻印があり、すべて網目模様でモルタルの付きを良くするためにつけられていた。これを調べれば乾留工場の出来た年が特定できそうだ。この乾留工場跡の白レンガは「SHINSGAWA」の刻印がされた品川白煉瓦製のものと「BIZENㅡINBE 」と刻印されたレンガがある。zippさんは、「BIZENㅡINBE」のレンガを九州耐火煉瓦製と書いていたが、九州耐火の工場は岡山県片上で岡山県伊部にあったのは品川白煉瓦なので、同じ会社のレンガかもしれない。ここには通常の大きさの白レンガの他に大型の白レンガもあった。
 う~ん、わたしの発言(文章?)は、記憶にない…、このあたりのこと調べてたの随分前だものな(^^;。
「同じ会社のレンガ」というところ、意味不明なのですが・・・?近くだからってこと?

品川白煉瓦の工場は、福島県湯本、岡山県伊部、片上にあって当時トップシェアを誇っていました。
福島工場のレンガに「SHINSGAWA」と刻印し岡山工場のに「BIZENㅡINBE 」と刻印したのかな思ったのです。
ただ、レポした後に地図で調べると伊部と片上は隣どうしで、片上で作ったレンガに伊部と刻印してもおかしくないなと思い直しました。
zippさんの言うように「BIZENㅡINBE」は片上に工場のあった九州耐火の刻印かもしれません。
品川白煉瓦
品川白煉瓦
 先週出向いた喜平小屋谷の乾留工場跡のレンガには「KINJO F.B」と刻印されており、生産量と「金城」という名前からして愛知県刈谷にあった東洋耐火煉瓦製と思われる。ただ愛知県で耐火レンガを作っていたのが他にも3カ所(中京耐火、瀬戸耐火、加藤春吉)あるので、その可能性も捨てきれない。
 三種類あったわけですね。この「kinjyo」もわたしも見てるような・・・。

ほぼ愛知と特定できるレア物です。

ここの白レンガは「SHINSGAWA」「BIZENㅡINBE」の他に「IGAㅡBATA」「RENSEKISHA」の物が見つかった。どうやら窯ごとに同じ会社の白レンガを積み上げたようだ。それにしてもこれだけ多くの会社の白レンガを使うというのはどうした事なのか。効率の面からみれば良いはずはなく、在庫の少ない中一時期に全国からかき集めたような気がする。
 「RENSEKISHA」もみたような…。「IGAㅡBATA」ですか・・・、きっと見てない。5種類ですか。

今回見たのは5種類です。とはいうものの品川が多いですが・・
「IGAㅡBATA」白レンガ
「IGAㅡBATA」白レンガ
鈴木商店は、「相場師」的な嗅覚の商社でしたね。アセトン不足におちいるとみて、急遽乾溜工場を英国技師まで派遣して作りあげたんでしょうね。

そうでしょうね。
朝鮮戦争と言い、日本の産業が大きく発展する陰には戦争がありますね。 :(

 右俣の歩きやすい斜面を上った左岸の高台には住居跡があったようで、zippさんの言うようにビール瓶と割れた酒屋の陶器の通い徳利や茶碗などの生活痕があった。ただ、百年前の住居跡で居住期間も短かっただけに、それ以外のものは見つからなかった。その中で、サクラビールの瓶が目についた。サクラビールは、鈴木商店系列の帝国麦酒株式会社が大正2年に発売し、大正13年まで鈴木商店が販売を行っていた。鈴木商店が経営している乾留工場でのサクラビールということは大正13年以前のものと言うことか。当時、高価だったビールだけに鈴木商店からの祝儀だったのだろうか。
 赤嵓滝上の二つの乾溜工場の宿舎は、左岸工場の対岸の僅か上流の台地にあり、二俣の工場の対岸は、小屋程度のものだっと思います。
ですので、そこには結構な遺留品が残ってましたよ。
 わたしが最初見たときは散らばってましたが、結構集めてあったでしょ(^^)。
あんがい、常時飲んでたんじゃないかな?当時ビンは貴重な品だから、返却してたでしょうしね。

そんなに無かったんですよね。
ビール瓶もサクラビール以外は無かったような?

 右俣のゴーロをすぎると歩きやすい小さい斜瀑が続く。二俣に着くと右俣の岩肌から水が流れ落ちる10m滝があるが、ここは左俣を選ぶ。自然林の谷だけに明るく気持ちがいい。
 右俣へは行かなかったのね。
まぁ左俣の方が楽しいですが(^^)。

乾留工場住居跡に下りてきている尾根に乗ろうかなとも思ったのですか、赤嵓滝谷は初めてだったのでとりあえず最後まで行こうかなと。

Co1320mの二俣を越えてから稜線に上がった。
 この辺りの標高を乾溜工場道が赤グラ谷水域をぐるりと水平道がありますが、谷からでは気づき難いですね。
二俣の乾溜工場から、左俣へ行けば15m?、8m?滝を越えれば左岸に明瞭な乾溜工場道が残ってます。

P1253のあたりに道型があったのですがあそこに続いているのかな?

帰りはP1253から南東に降りる尾根に乗ろうと思ったが、植林の杣道をたどるうちに結局北に向かう尾根に乗らされ、千石平の登山口に降りた。
 道は、井戸谷左岸に降りませんでした?・・・崩壊しちゃってるけど。

嵓下を横断して井戸谷右岸に下りました。 :oops:

 モモクロもサディステイックミカバンドも同居しているわりばしさんに光栄あれ!?

モモクロといっても「泣いてもいいんだよ」は中島みゆきの曲で、みゆき節炸裂です。
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わりばし
記事: 1767
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】赤嵓滝谷でタイムマシーンにおねがい

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、グーさん。

千石林道は、以前と違い井戸谷までは土砂がどけられている

ということは、谷を跨ぐ橋の工事がまもなく始まるのかな?

ヌタハラ林道の業者と同じだと思います。
ヌタハラ林道が終われば、こっちにも手をつけるんじゃないですかね。
源頭部
源頭部
P1253から南東に降りる尾根に乗ろうと思ったが、植林の杣道をたどるうちに結局北に向かう尾根に乗らされ、千石平の登山口に降りた。

ドコをドー下りたの? グー道迷い遭難です。

南に下りる小尾根に乗せられ、最後は植林が途切れる嵓下を通って井戸谷の右岸に下りちゃいました。 :mrgreen:
桧塚奥峰の夏
桧塚奥峰の夏
赤嵓滝が壁となって人の行く手を阻み、大正時代のレンガや土管、ビール瓶などが奇跡的に残されており

ソウだよね。レンガを持ち帰って庭に敷き詰めようとしても遠いし、やっかいやし、重いし・・・
で、いくつ持ち帰ったの?

いやいや、やわな私に出来る芸当ではありませんよ。
ハハハ・・・    
:lol:                       
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