【鈴鹿】治田鉱山遺跡が消える
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新規トピックは文頭に以下のテンプレートをなるべく使ってください。
【 日 付 】
【 山 域 】
【メンバー】
【 天 候 】
【 ルート 】
※ユーザーでなくても返信が可能です。ユーザー名に名前を入れて返信してください。
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【鈴鹿】治田鉱山遺跡が消える
【日 付】2014年5月10日(土)
【山 域】鈴鹿
【コース】青川P7:15---10:02緑青滝 ---11:43三神谷口12:30---14:03青川P
【メンバー】単独
青川周辺はヒルのメッカで、やつらが活動するまえに治田鉱山探索に出かけることにした。新たに堰堤を作っているようで、ゲート前の青川駐車場には重機が置かれ駐車できない。しかたがないので、少しもどって青川峡キャンピングパーク前にある大鉢山駐車場に置いた。林道を歩いていくと昨年できた巨大堰堤の横に取りつけ道路がつけられ、この上に新たな堰堤を作るようだ。
荒れた河原を歩いていくが、水が流れていない。工事現場の若者によるとこの1年、小規模な土石流が頻繁に起きているそうで、巨大堰堤にも土砂がたまり当初の大きさは感じさせない。以前はヤスミまで続いた林道の痕跡が多少は残っていたが、今は林道があったことさえ想像できない。ヤスミをすぎても同じで、以前より土砂が増えている気がする。
下り藤も土砂で埋まっている。ここは中洲になっておりこれまで埋まることは無かった場所だけに嫌な予感がする。江戸時代の記録に遊女下り藤という名前が記されており、その遊女がいた女郎屋がここにあった。あたりにはきれいに藤の花が咲いている。下り藤もこの藤の花を見たことだろう。彼女はどんな思いでこの花を見つめたのだろうか。
その先の隧道は崩落の壁の一部になり無くなっている。念のため隧道口まで上がったが見る影もなく完璧に埋まっており、反対側の銚子谷からはどこに隧道があったのかさえわからなかった。水の無い銚子谷を越え日ノ岡に向かおうとすると大通洞坑の大きな坑口が見えない。高台にある2メートルの坑口が消えるはずがないだろうと見に行くが、それらしき物も見つからない。土石流でふさがったのか、穴ごと落盤してしまったのか。
[attachment=4]IMG_8277.jpg[/attachment]
大正時代に大阪商工会議所初代会頭五代友厚の娘五代アイが採掘した大通洞坑とその鉱石を下り藤で精錬するために作った隧道がともに消えてしまった。銚子谷が崩壊した豪雨で大通洞坑から隧道までの線路敷跡や石積みと日ノ岡第一宅地が流され、今回大通洞坑と隧道が消えた。五代アイの足跡は日ノ岡の高台にある日ノ岡稲荷と第二・第三宅地と焼き釜跡だけになった。
日ノ岡を越えた所で入渓。ここにも土砂が、桧谷は大丈夫か。しばらく進むと二股で、黒ダキハゲから下りてきている左股から土砂が流れてきていて、本流の桧谷は大丈夫だ。
桧谷には杣道があり5年前にはだましだましつなげたが、今は崩落もありまったく使えない。大きな滝もないので沢を歩いたほうが安全で早い。ただ、二条5mは左岸を巻くが滑りやすい落ち葉に崩壊気味の道がいやらしい。
5m滝を越えると緑青滝で、上部の石垣も残っている。西尾本には六ショウ滝と書かれているが、これは間違いで緑青滝が正しい。緑青は銅の青緑色のサビの事で、この滝の上部の中尾に緑青岩が南河内絵図(1774年)に画かれており、ここからきたようだ。桧谷銅山の鉱脈を暗示するかのような青緑色の岩は特別な意味があったようだ。
滝の右手に仙右衛門鋪があり、水をたたえた坑口が開いている。治田鉱山中最大の坑で1630年代の銅山古図に画かれている古い坑になる。坑口の前には目印の杉の木があり滝横には精錬クズのカラミが残った吹床(簡易精錬所)跡まできれいに残っている。何重にも積み上げられた石垣や排水用の水路跡なども健在だった。
[attachment=3]IMG_8238.jpg[/attachment]
ここから七曲りまでが坑口の密集地帯なので沢から探索する。暗いゴルジュの谷を歩いていくと左岸の崖中程に坑口があり喜左衛門鋪のようだ。七曲りが見えたあたりの左岸に坑口のような岩肌があったので掘ると埋もれかけた坑口があり、場所からして銀座鋪だろう。この坑の対岸にも石垣が残っている。両方とも江戸時代の坑で、よく残っていたものだ。
[attachment=2]IMG_8253.jpg[/attachment]
これまでは七曲りを上り中尾に上がったが、今日は七曲り手前の山神谷をつめる。出合付近は定右衛門敷と呼ばれ、忠臣蔵当時の浅野家家老大野知房の息子の大野郡右衛門(別名 定右衛門)が採掘した坑があった場所と言われている。新町の旧家には、資金を使いはたし質入れした浅野家の家宝「鳴ひよどり」という画幅や浅野家の家紋の入った刀剣入れが残されている。ただ、この谷は岩の少ない土の涸れ谷だけに坑口は発見できなかった。
中尾まで上り、ゆるやかな斜面を探して反対側の三神谷に向けて下って行く。小谷を慎重に降り谷に着いた。しばらく下ると石垣が残され坑口の目印の杉の木が数本残された場所に着く。ここが山光銅山の中核となる場所だが、ここも坑口はすべて埋もれている。
[attachment=0]IMG_8266.jpg[/attachment]
三鉱谷の水音が聞こえてくると三神谷の出合で、ここには精錬の焼き釜が4基(17釜)原形のまま残っており治田鉱山遺跡の中でも注目すべき場所になる。谷から焼き釜の排水路の石垣が見える。ホッとしたのもつかの間、その向こうの台地が崩れている。4基中、三鉱谷側にあった2基(7釜)が消えていた。桧谷は大丈夫だったが三鉱谷は土石流が起きたようだ。これにはまいった、言葉も出ない。
[attachment=1]IMG_8264.jpg[/attachment]
昼食をとり、荒れて明るくなった谷を下って行くと左岸を巻く滝の右岸上部の斜面が崩壊しここから土砂がさらに増える。滝の形も大きく変わり土石流の激しさがわかる。中尾から下りてくる道は使えそうだが谷は土砂で埋まっている。その先の鉱夫の墓が心配だ。壁際を探るが、案の定流されて消えていた。
大滝をすぎると銚子谷の出合になる。三鉱谷の土石流が大通洞坑と隧道を埋めてしまったようだ。
以下の治田鉱山遺跡が消えてしまった。
① 三神谷出合の精錬の焼き釜2基(7釜)
② 大滝前の鉱夫の墓
③ 大通洞坑
④ 隧道
【山 域】鈴鹿
【コース】青川P7:15---10:02緑青滝 ---11:43三神谷口12:30---14:03青川P
【メンバー】単独
青川周辺はヒルのメッカで、やつらが活動するまえに治田鉱山探索に出かけることにした。新たに堰堤を作っているようで、ゲート前の青川駐車場には重機が置かれ駐車できない。しかたがないので、少しもどって青川峡キャンピングパーク前にある大鉢山駐車場に置いた。林道を歩いていくと昨年できた巨大堰堤の横に取りつけ道路がつけられ、この上に新たな堰堤を作るようだ。
荒れた河原を歩いていくが、水が流れていない。工事現場の若者によるとこの1年、小規模な土石流が頻繁に起きているそうで、巨大堰堤にも土砂がたまり当初の大きさは感じさせない。以前はヤスミまで続いた林道の痕跡が多少は残っていたが、今は林道があったことさえ想像できない。ヤスミをすぎても同じで、以前より土砂が増えている気がする。
下り藤も土砂で埋まっている。ここは中洲になっておりこれまで埋まることは無かった場所だけに嫌な予感がする。江戸時代の記録に遊女下り藤という名前が記されており、その遊女がいた女郎屋がここにあった。あたりにはきれいに藤の花が咲いている。下り藤もこの藤の花を見たことだろう。彼女はどんな思いでこの花を見つめたのだろうか。
その先の隧道は崩落の壁の一部になり無くなっている。念のため隧道口まで上がったが見る影もなく完璧に埋まっており、反対側の銚子谷からはどこに隧道があったのかさえわからなかった。水の無い銚子谷を越え日ノ岡に向かおうとすると大通洞坑の大きな坑口が見えない。高台にある2メートルの坑口が消えるはずがないだろうと見に行くが、それらしき物も見つからない。土石流でふさがったのか、穴ごと落盤してしまったのか。
[attachment=4]IMG_8277.jpg[/attachment]
大正時代に大阪商工会議所初代会頭五代友厚の娘五代アイが採掘した大通洞坑とその鉱石を下り藤で精錬するために作った隧道がともに消えてしまった。銚子谷が崩壊した豪雨で大通洞坑から隧道までの線路敷跡や石積みと日ノ岡第一宅地が流され、今回大通洞坑と隧道が消えた。五代アイの足跡は日ノ岡の高台にある日ノ岡稲荷と第二・第三宅地と焼き釜跡だけになった。
日ノ岡を越えた所で入渓。ここにも土砂が、桧谷は大丈夫か。しばらく進むと二股で、黒ダキハゲから下りてきている左股から土砂が流れてきていて、本流の桧谷は大丈夫だ。
桧谷には杣道があり5年前にはだましだましつなげたが、今は崩落もありまったく使えない。大きな滝もないので沢を歩いたほうが安全で早い。ただ、二条5mは左岸を巻くが滑りやすい落ち葉に崩壊気味の道がいやらしい。
5m滝を越えると緑青滝で、上部の石垣も残っている。西尾本には六ショウ滝と書かれているが、これは間違いで緑青滝が正しい。緑青は銅の青緑色のサビの事で、この滝の上部の中尾に緑青岩が南河内絵図(1774年)に画かれており、ここからきたようだ。桧谷銅山の鉱脈を暗示するかのような青緑色の岩は特別な意味があったようだ。
滝の右手に仙右衛門鋪があり、水をたたえた坑口が開いている。治田鉱山中最大の坑で1630年代の銅山古図に画かれている古い坑になる。坑口の前には目印の杉の木があり滝横には精錬クズのカラミが残った吹床(簡易精錬所)跡まできれいに残っている。何重にも積み上げられた石垣や排水用の水路跡なども健在だった。
[attachment=3]IMG_8238.jpg[/attachment]
ここから七曲りまでが坑口の密集地帯なので沢から探索する。暗いゴルジュの谷を歩いていくと左岸の崖中程に坑口があり喜左衛門鋪のようだ。七曲りが見えたあたりの左岸に坑口のような岩肌があったので掘ると埋もれかけた坑口があり、場所からして銀座鋪だろう。この坑の対岸にも石垣が残っている。両方とも江戸時代の坑で、よく残っていたものだ。
[attachment=2]IMG_8253.jpg[/attachment]
これまでは七曲りを上り中尾に上がったが、今日は七曲り手前の山神谷をつめる。出合付近は定右衛門敷と呼ばれ、忠臣蔵当時の浅野家家老大野知房の息子の大野郡右衛門(別名 定右衛門)が採掘した坑があった場所と言われている。新町の旧家には、資金を使いはたし質入れした浅野家の家宝「鳴ひよどり」という画幅や浅野家の家紋の入った刀剣入れが残されている。ただ、この谷は岩の少ない土の涸れ谷だけに坑口は発見できなかった。
中尾まで上り、ゆるやかな斜面を探して反対側の三神谷に向けて下って行く。小谷を慎重に降り谷に着いた。しばらく下ると石垣が残され坑口の目印の杉の木が数本残された場所に着く。ここが山光銅山の中核となる場所だが、ここも坑口はすべて埋もれている。
[attachment=0]IMG_8266.jpg[/attachment]
三鉱谷の水音が聞こえてくると三神谷の出合で、ここには精錬の焼き釜が4基(17釜)原形のまま残っており治田鉱山遺跡の中でも注目すべき場所になる。谷から焼き釜の排水路の石垣が見える。ホッとしたのもつかの間、その向こうの台地が崩れている。4基中、三鉱谷側にあった2基(7釜)が消えていた。桧谷は大丈夫だったが三鉱谷は土石流が起きたようだ。これにはまいった、言葉も出ない。
[attachment=1]IMG_8264.jpg[/attachment]
昼食をとり、荒れて明るくなった谷を下って行くと左岸を巻く滝の右岸上部の斜面が崩壊しここから土砂がさらに増える。滝の形も大きく変わり土石流の激しさがわかる。中尾から下りてくる道は使えそうだが谷は土砂で埋まっている。その先の鉱夫の墓が心配だ。壁際を探るが、案の定流されて消えていた。
大滝をすぎると銚子谷の出合になる。三鉱谷の土石流が大通洞坑と隧道を埋めてしまったようだ。
以下の治田鉱山遺跡が消えてしまった。
① 三神谷出合の精錬の焼き釜2基(7釜)
② 大滝前の鉱夫の墓
③ 大通洞坑
④ 隧道
最後に編集したユーザー わりばし [ 2014年5月12日(月) 15:48 ], 累計 1 回
【鈴鹿】治田鉱山遺跡が消える 2
消えた治田鉱山遺跡
① 三神谷出合の精錬の焼き釜2基(7釜)
[attachment=3]IMG_2348.jpg[/attachment]
② 大滝前の鉱夫の墓
[attachment=2]IMG_3778.jpg[/attachment]
③ 大通洞坑
[attachment=4]IMG_1438.jpg[/attachment]
④ 隧道
[attachment=0]IMG_1415.jpg[/attachment]
おまけ
[attachment=1]IMG_2695.jpg[/attachment]
① 三神谷出合の精錬の焼き釜2基(7釜)
[attachment=3]IMG_2348.jpg[/attachment]
② 大滝前の鉱夫の墓
[attachment=2]IMG_3778.jpg[/attachment]
③ 大通洞坑
[attachment=4]IMG_1438.jpg[/attachment]
④ 隧道
[attachment=0]IMG_1415.jpg[/attachment]
おまけ
[attachment=1]IMG_2695.jpg[/attachment]
最後に編集したユーザー わりばし [ 2014年5月13日(火) 06:03 ], 累計 1 回
Re: 【鈴鹿】治田鉱山遺跡が消える
わりばしさん こんばんは
【日 付】2014年5月10日(土)
【山 域】鈴鹿
【コース】青川P7:15---10:02緑青滝 ---11:43三神谷口12:30---14:03青川P
この辺は、10年ほど前に孫太尾根を歩いて以来で情景が浮かんできませんが、
歴史ものを読んでる感じで興味深く読み込みました。
下り藤も土砂で埋まっている。ここは中洲になっておりこれまで埋まることは無かった場所だけに嫌な予感がする。江戸時代の記録に遊女下り藤という名前が記されており、その遊女がいた女郎屋がここにあった。あたりにはきれいに藤の花が咲いている。下り藤もこの藤の花を見たことだろう。彼女はどんな思いでこの花を見つめたのだろうか。
物語がひとつできそうですね。
浅田か宮部あたりに書いてもらいたい??
以下の治田鉱山遺跡が消えてしまった。
① 三神谷出合の精錬の焼き釜2基(7釜)
② 大滝前の鉱夫の墓
③ 大通洞坑
④ 隧道
[/color][/quote]
そうでしたか・・・・
自己resの画像もいいですね。
では また 上高地 川の畔で
SHIGEKI
【日 付】2014年5月10日(土)
【山 域】鈴鹿
【コース】青川P7:15---10:02緑青滝 ---11:43三神谷口12:30---14:03青川P
この辺は、10年ほど前に孫太尾根を歩いて以来で情景が浮かんできませんが、
歴史ものを読んでる感じで興味深く読み込みました。
下り藤も土砂で埋まっている。ここは中洲になっておりこれまで埋まることは無かった場所だけに嫌な予感がする。江戸時代の記録に遊女下り藤という名前が記されており、その遊女がいた女郎屋がここにあった。あたりにはきれいに藤の花が咲いている。下り藤もこの藤の花を見たことだろう。彼女はどんな思いでこの花を見つめたのだろうか。
物語がひとつできそうですね。
浅田か宮部あたりに書いてもらいたい??
以下の治田鉱山遺跡が消えてしまった。
① 三神谷出合の精錬の焼き釜2基(7釜)
② 大滝前の鉱夫の墓
③ 大通洞坑
④ 隧道
[/color][/quote]
そうでしたか・・・・
自己resの画像もいいですね。
では また 上高地 川の畔で
SHIGEKI
Re: 【鈴鹿】治田鉱山遺跡が消える
わりばしさん、おはようございます
青川周辺はヒルのメッカで、やつらが活動するまえに治田鉱山探索に出かけることにした。
私もそう思いましたが、鈴鹿の花情報にうつつを抜かして治田鉱山跡は残念ながらまだ行けていません。
下り藤も土砂で埋まっている。ここは中洲になっておりこれまで埋まることは無かった場所だけに嫌な予感がする。江戸時代の記録に遊女下り藤という名前が記されており、その遊女がいた女郎屋がここにあった。あたりにはきれいに藤の花が咲いている。下り藤もこの藤の花を見たことだろう。彼女はどんな思いでこの花を見つめたのだろうか。
下り藤の藤の花は気がつきませんでした。
その先の隧道は崩落の壁の一部になり無くなっている。念のため隧道口まで上がったが見る影もなく完璧に埋まっており、反対側の銚子谷からはどこに隧道があったのかさえわからなかった。
何たることでしょう
水の無い銚子谷を越え日ノ岡に向かおうとすると大通洞坑の大きな坑口が見えない。高台にある2メートルの坑口が消えるはずがないだろうと見に行くが、それらしき物も見つからない。土石流でふさがったのか、穴ごと落盤してしまったのか。
昨年行った時に大通洞坑が見つからないのが不思議でたまりませんでしたがやはり無くなっていたのですね。
治田鉱山の二大名物がなくなるなんて何てこった!
5m滝を越えると緑青滝で、上部の石垣も残っている。西尾本には六ショウ滝と書かれているが、これは間違いで緑青滝が正しい。
そうなんですか 知りませんでした。
滝の右手に仙右衛門鋪があり、水をたたえた坑口が開いている。治田鉱山中最大の坑で1630年代の銅山古図に画かれている古い坑になる。坑口の前には目印の杉の木があり滝横には精錬クズのカラミが残った吹床(簡易精錬所)跡まできれいに残っている。何重にも積み上げられた石垣や排水用の水路跡なども健在だった。
ここは何とか残っているのですね。良かった。
ここから七曲りまでが坑口の密集地帯なので沢から探索する。暗いゴルジュの谷を歩いていくと左岸の崖中程に坑口があり喜左衛門鋪のようだ。
ここは前回行った時に発見しました。桧谷は2回目だったんですが、一回目の時は見逃しました。
三鉱谷の水音が聞こえてくると三神谷の出合で、ここには精錬の焼き釜が4基(17釜)原形のまま残っており治田鉱山遺跡の中でも注目すべき場所になる。谷から焼き釜の排水路の石垣が見える。ホッとしたのもつかの間、その向こうの台地が崩れている。4基中、三鉱谷側にあった2基(7釜)が消えていた。桧谷は大丈夫だったが三鉱谷は土石流が起きたようだ。これにはまいった、言葉も出ない。
ここも治田鉱山の中では三本の指に入る名所ですが、裏側が崩れているとなると危ないですね。
学術的にも意味のある場所だと思うので何かの形で保護してほしいですね。
宮指路
青川周辺はヒルのメッカで、やつらが活動するまえに治田鉱山探索に出かけることにした。
私もそう思いましたが、鈴鹿の花情報にうつつを抜かして治田鉱山跡は残念ながらまだ行けていません。
下り藤も土砂で埋まっている。ここは中洲になっておりこれまで埋まることは無かった場所だけに嫌な予感がする。江戸時代の記録に遊女下り藤という名前が記されており、その遊女がいた女郎屋がここにあった。あたりにはきれいに藤の花が咲いている。下り藤もこの藤の花を見たことだろう。彼女はどんな思いでこの花を見つめたのだろうか。
下り藤の藤の花は気がつきませんでした。
その先の隧道は崩落の壁の一部になり無くなっている。念のため隧道口まで上がったが見る影もなく完璧に埋まっており、反対側の銚子谷からはどこに隧道があったのかさえわからなかった。
何たることでしょう
水の無い銚子谷を越え日ノ岡に向かおうとすると大通洞坑の大きな坑口が見えない。高台にある2メートルの坑口が消えるはずがないだろうと見に行くが、それらしき物も見つからない。土石流でふさがったのか、穴ごと落盤してしまったのか。
昨年行った時に大通洞坑が見つからないのが不思議でたまりませんでしたがやはり無くなっていたのですね。
治田鉱山の二大名物がなくなるなんて何てこった!
5m滝を越えると緑青滝で、上部の石垣も残っている。西尾本には六ショウ滝と書かれているが、これは間違いで緑青滝が正しい。
そうなんですか 知りませんでした。
滝の右手に仙右衛門鋪があり、水をたたえた坑口が開いている。治田鉱山中最大の坑で1630年代の銅山古図に画かれている古い坑になる。坑口の前には目印の杉の木があり滝横には精錬クズのカラミが残った吹床(簡易精錬所)跡まできれいに残っている。何重にも積み上げられた石垣や排水用の水路跡なども健在だった。
ここは何とか残っているのですね。良かった。
ここから七曲りまでが坑口の密集地帯なので沢から探索する。暗いゴルジュの谷を歩いていくと左岸の崖中程に坑口があり喜左衛門鋪のようだ。
ここは前回行った時に発見しました。桧谷は2回目だったんですが、一回目の時は見逃しました。
三鉱谷の水音が聞こえてくると三神谷の出合で、ここには精錬の焼き釜が4基(17釜)原形のまま残っており治田鉱山遺跡の中でも注目すべき場所になる。谷から焼き釜の排水路の石垣が見える。ホッとしたのもつかの間、その向こうの台地が崩れている。4基中、三鉱谷側にあった2基(7釜)が消えていた。桧谷は大丈夫だったが三鉱谷は土石流が起きたようだ。これにはまいった、言葉も出ない。
ここも治田鉱山の中では三本の指に入る名所ですが、裏側が崩れているとなると危ないですね。
学術的にも意味のある場所だと思うので何かの形で保護してほしいですね。
宮指路
Re: 【鈴鹿】治田鉱山遺跡が消える
おはようございます、SHIGEKIさん。
【日 付】2014年5月10日(土)
【山 域】鈴鹿
【コース】青川P7:15---10:02緑青滝 ---11:43三神谷口12:30---14:03青川P
この辺は、10年ほど前に孫太尾根を歩いて以来で情景が浮かんできませんが、
歴史ものを読んでる感じで興味深く読み込みました。
治田鉱山の登場人物は多彩でおもしろいです。
忠臣蔵の大野郡右衛門は討ち入りには参加していないので、悪人ということになっていますが、そうでもないようです。
「大野郡右衛門」赤穂浪士外伝(宗方翔著)という小説があるんですが、これを読むとよくわかります。
下り藤も土砂で埋まっている。ここは中洲になっておりこれまで埋まることは無かった場所だけに嫌な予感がする。江戸時代の記録に遊女下り藤という名前が記されており、その遊女がいた女郎屋がここにあった。あたりにはきれいに藤の花が咲いている。下り藤もこの藤の花を見たことだろう。彼女はどんな思いでこの花を見つめたのだろうか。
物語がひとつできそうですね。
浅田か宮部あたりに書いてもらいたい??
治田鉱山には2つ寺があったぐらいですから、女郎屋も繁盛していたのか?
鉱山関係者から、遊女はご法度だという通知は出ていましたが・・・
以下の治田鉱山遺跡が消えてしまった。
① 三神谷出合の精錬の焼き釜2基(7釜)
② 大滝前の鉱夫の墓
③ 大通洞坑
④ 隧道
そうでしたか・・・・
自己resの画像もいいですね。
では また 上高地 川の畔で
無くなったものだけに、気持ちが動かされます。
【日 付】2014年5月10日(土)
【山 域】鈴鹿
【コース】青川P7:15---10:02緑青滝 ---11:43三神谷口12:30---14:03青川P
この辺は、10年ほど前に孫太尾根を歩いて以来で情景が浮かんできませんが、
歴史ものを読んでる感じで興味深く読み込みました。
治田鉱山の登場人物は多彩でおもしろいです。
忠臣蔵の大野郡右衛門は討ち入りには参加していないので、悪人ということになっていますが、そうでもないようです。
「大野郡右衛門」赤穂浪士外伝(宗方翔著)という小説があるんですが、これを読むとよくわかります。
下り藤も土砂で埋まっている。ここは中洲になっておりこれまで埋まることは無かった場所だけに嫌な予感がする。江戸時代の記録に遊女下り藤という名前が記されており、その遊女がいた女郎屋がここにあった。あたりにはきれいに藤の花が咲いている。下り藤もこの藤の花を見たことだろう。彼女はどんな思いでこの花を見つめたのだろうか。
物語がひとつできそうですね。
浅田か宮部あたりに書いてもらいたい??
治田鉱山には2つ寺があったぐらいですから、女郎屋も繁盛していたのか?
鉱山関係者から、遊女はご法度だという通知は出ていましたが・・・
以下の治田鉱山遺跡が消えてしまった。
① 三神谷出合の精錬の焼き釜2基(7釜)
② 大滝前の鉱夫の墓
③ 大通洞坑
④ 隧道
そうでしたか・・・・
自己resの画像もいいですね。
では また 上高地 川の畔で
無くなったものだけに、気持ちが動かされます。
Re: 【鈴鹿】治田鉱山遺跡が消える
こんばんわ、鉱山歴史だけが残りました。わりばし さんが書きました:【日 付】2014年5月10日(土)
【山 域】鈴鹿
【コース】青川P7:15---10:02緑青滝 ---11:43三神谷口12:30---14:03青川P
【メンバー】単独
青川周辺はヒルのメッカで、やつらが活動するまえに治田鉱山探索に出かけることにした。新たに堰堤を作っているようで、ゲート前の青川駐車場には重機が置かれ駐車できない。しかたがないので、少しもどって青川峡キャンピングパーク前にある大鉢山駐車場に置いた。林道を歩いていくと昨年できた巨大堰堤の横に取りつけ道路がつけられ、この上に新たな堰堤を作るようだ。
あの美しかった、青川渓谷は完全に死んでしまいました。
孫太尾根から桧谷、青川にアワビと降りた時、環境調査の役人が視察に来てた。
そのあと堰堤工事が始まりました。
銚子岳からの遠足尾根を見れば、まだ崩落が続いてる。
鉱山採掘の後遺症なんだろうな。
わりばしさん、調べ本をだしてくださいな。
緑水
Re: 【鈴鹿】治田鉱山遺跡が消える
おはようございます、宮指路さん。
下り藤も土砂で埋まっている。ここは中洲になっておりこれまで埋まることは無かった場所だけに嫌な予感がする。江戸時代の記録に遊女下り藤という名前が記されており、その遊女がいた女郎屋がここにあった。あたりにはきれいに藤の花が咲いている。下り藤もこの藤の花を見たことだろう。彼女はどんな思いでこの花を見つめたのだろうか。
下り藤の藤の花は気がつきませんでした。
この時期、青川で一番目立つ花が藤で、けっこう咲いていました。
その先の隧道は崩落の壁の一部になり無くなっている。念のため隧道口まで上がったが見る影もなく完璧に埋まっており、反対側の銚子谷からはどこに隧道があったのかさえわからなかった。
何たることでしょう
銚子谷の崩壊の時は土石流が横を流れてくれたのですが、真正面から来る三鉱谷の土石流には耐えられなかったみたいです。
水の無い銚子谷を越え日ノ岡に向かおうとすると大通洞坑の大きな坑口が見えない。高台にある2メートルの坑口が消えるはずがないだろうと見に行くが、それらしき物も見つからない。土石流でふさがったのか、穴ごと落盤してしまったのか。
昨年行った時に大通洞坑が見つからないのが不思議でたまりませんでしたがやはり無くなっていたのですね。
治田鉱山の二大名物がなくなるなんて何てこった!
そうでしたか。
昨年の段階で無くなっていたんだ。
工事現場の人が言うように土石流が頻繁に起きているようですね。
滝の右手に仙右衛門鋪があり、水をたたえた坑口が開いている。治田鉱山中最大の坑で1630年代の銅山古図に画かれている古い坑になる。坑口の前には目印の杉の木があり滝横には精錬クズのカラミが残った吹床(簡易精錬所)跡まできれいに残っている。何重にも積み上げられた石垣や排水用の水路跡なども健在だった。
ここは何とか残っているのですね。良かった。
銚子谷崩壊の豪雨で遠足尾根側がやられ、孫太尾根側も今回三鉱谷がやられて桧谷がどうにか残ったって感じです。
三鉱谷の水音が聞こえてくると三神谷の出合で、ここには精錬の焼き釜が4基(17釜)原形のまま残っており治田鉱山遺跡の中でも注目すべき場所になる。谷から焼き釜の排水路の石垣が見える。ホッとしたのもつかの間、その向こうの台地が崩れている。4基中、三鉱谷側にあった2基(7釜)が消えていた。桧谷は大丈夫だったが三鉱谷は土石流が起きたようだ。これにはまいった、言葉も出ない。
ここも治田鉱山の中では三本の指に入る名所ですが、裏側が崩れているとなると危ないですね。
学術的にも意味のある場所だと思うので何かの形で保護してほしいですね。
三神谷出合の焼き釜は三鉱谷側が崩れています。
台地の崩落が進まないといいのですが・・
このままだと全部の焼き釜がやられてしまいそうです。
下り藤も土砂で埋まっている。ここは中洲になっておりこれまで埋まることは無かった場所だけに嫌な予感がする。江戸時代の記録に遊女下り藤という名前が記されており、その遊女がいた女郎屋がここにあった。あたりにはきれいに藤の花が咲いている。下り藤もこの藤の花を見たことだろう。彼女はどんな思いでこの花を見つめたのだろうか。
下り藤の藤の花は気がつきませんでした。
この時期、青川で一番目立つ花が藤で、けっこう咲いていました。
その先の隧道は崩落の壁の一部になり無くなっている。念のため隧道口まで上がったが見る影もなく完璧に埋まっており、反対側の銚子谷からはどこに隧道があったのかさえわからなかった。
何たることでしょう
銚子谷の崩壊の時は土石流が横を流れてくれたのですが、真正面から来る三鉱谷の土石流には耐えられなかったみたいです。
水の無い銚子谷を越え日ノ岡に向かおうとすると大通洞坑の大きな坑口が見えない。高台にある2メートルの坑口が消えるはずがないだろうと見に行くが、それらしき物も見つからない。土石流でふさがったのか、穴ごと落盤してしまったのか。
昨年行った時に大通洞坑が見つからないのが不思議でたまりませんでしたがやはり無くなっていたのですね。
治田鉱山の二大名物がなくなるなんて何てこった!
そうでしたか。
昨年の段階で無くなっていたんだ。
工事現場の人が言うように土石流が頻繁に起きているようですね。
滝の右手に仙右衛門鋪があり、水をたたえた坑口が開いている。治田鉱山中最大の坑で1630年代の銅山古図に画かれている古い坑になる。坑口の前には目印の杉の木があり滝横には精錬クズのカラミが残った吹床(簡易精錬所)跡まできれいに残っている。何重にも積み上げられた石垣や排水用の水路跡なども健在だった。
ここは何とか残っているのですね。良かった。
銚子谷崩壊の豪雨で遠足尾根側がやられ、孫太尾根側も今回三鉱谷がやられて桧谷がどうにか残ったって感じです。
三鉱谷の水音が聞こえてくると三神谷の出合で、ここには精錬の焼き釜が4基(17釜)原形のまま残っており治田鉱山遺跡の中でも注目すべき場所になる。谷から焼き釜の排水路の石垣が見える。ホッとしたのもつかの間、その向こうの台地が崩れている。4基中、三鉱谷側にあった2基(7釜)が消えていた。桧谷は大丈夫だったが三鉱谷は土石流が起きたようだ。これにはまいった、言葉も出ない。
ここも治田鉱山の中では三本の指に入る名所ですが、裏側が崩れているとなると危ないですね。
学術的にも意味のある場所だと思うので何かの形で保護してほしいですね。
三神谷出合の焼き釜は三鉱谷側が崩れています。
台地の崩落が進まないといいのですが・・
このままだと全部の焼き釜がやられてしまいそうです。
Re: 【鈴鹿】治田鉱山遺跡が消える
わりばしさん、こんにちは。
わりばしさんの大好きな遠足尾根~孫太尾根がどんどん削られてしまって、実に悲しい状態になってますね。
銚子谷が埋まったのがもう十年以上前ですね。これで止まるのかと思ったら崩落がどんどん進んで行ってしまってます。
トンネルなど手掘りと言われ昔の人の苦労に感慨深く通った覚えがあります。
僕が好きなのは遠足尾根のホタガ谷下降点から反対側のクラの青川側へ降りたところにある、風穴からジャージャー水が出ているところです。
ガラン谷の左股源流です。
ここの下流域も悲惨な状態のようですね。この竜の吐水もいずれは崩れ去ってしまうのでしょうか?
地名も歴史も一気に失ってしまう自然の猛威なのか、それとも人災なのか。
いずれにせよ、わびしいものですね。
わりばしさんががんばってなんとか資料を残してもらえるといいんですが。
つう
わりばしさんの大好きな遠足尾根~孫太尾根がどんどん削られてしまって、実に悲しい状態になってますね。
銚子谷が埋まったのがもう十年以上前ですね。これで止まるのかと思ったら崩落がどんどん進んで行ってしまってます。
トンネルなど手掘りと言われ昔の人の苦労に感慨深く通った覚えがあります。
僕が好きなのは遠足尾根のホタガ谷下降点から反対側のクラの青川側へ降りたところにある、風穴からジャージャー水が出ているところです。
ガラン谷の左股源流です。
ここの下流域も悲惨な状態のようですね。この竜の吐水もいずれは崩れ去ってしまうのでしょうか?
地名も歴史も一気に失ってしまう自然の猛威なのか、それとも人災なのか。
いずれにせよ、わびしいものですね。
わりばしさんががんばってなんとか資料を残してもらえるといいんですが。
つう
通風山
Re: 【鈴鹿】治田鉱山遺跡が消える
わりばしさん、こんにちわ。
ちょうどこの日、青川に入っていたのでコメントしました。
8:40に入山し日岡稲荷の先のえらいガケのトラバースで、びびって引き返し12:10に下山しました。
河原を歩いているとき単独の方が下山してきただけでしたが、
そのさらに奥に誰かが歩いているとは思いませんでした。
三神谷やら緑青滝やら全然わかりませんが、よく調べておられますね。
手掘りの洞窟なんかも楽しいところだったのに
なくなってしまって残念です。
ちょうどこの日、青川に入っていたのでコメントしました。
8:40に入山し日岡稲荷の先のえらいガケのトラバースで、びびって引き返し12:10に下山しました。
河原を歩いているとき単独の方が下山してきただけでしたが、
そのさらに奥に誰かが歩いているとは思いませんでした。
三神谷やら緑青滝やら全然わかりませんが、よく調べておられますね。
手掘りの洞窟なんかも楽しいところだったのに
なくなってしまって残念です。
Re: 【鈴鹿】治田鉱山遺跡が消える
おはようございます、緑水さん。
こんばんわ、鉱山歴史だけが残りました。
あの美しかった、青川渓谷は完全に死んでしまいました。
今回が一番ひどかったです。
これまでは、まがりなりにも水は流れていましたが、土砂の下にもぐってしまいました。
渓谷があったことなどまったく想像できない感じです。
銚子岳からの遠足尾根を見れば、まだ崩落が続いてる。
鉱山採掘の後遺症なんだろうな。
遠足尾根側の崩落はひどいですね。
孫太尾根側は大丈夫と思っていただけにショックです。
わりばしさん、調べ本をだしてくださいな。
本は難しいにしても記録は残していきたいですね。
こんばんわ、鉱山歴史だけが残りました。
あの美しかった、青川渓谷は完全に死んでしまいました。
今回が一番ひどかったです。
これまでは、まがりなりにも水は流れていましたが、土砂の下にもぐってしまいました。
渓谷があったことなどまったく想像できない感じです。
銚子岳からの遠足尾根を見れば、まだ崩落が続いてる。
鉱山採掘の後遺症なんだろうな。
遠足尾根側の崩落はひどいですね。
孫太尾根側は大丈夫と思っていただけにショックです。
わりばしさん、調べ本をだしてくださいな。
本は難しいにしても記録は残していきたいですね。
Re: 【鈴鹿】治田鉱山遺跡が消える
おはようございます、通風山さん。
わりばしさんの大好きな遠足尾根~孫太尾根がどんどん削られてしまって、実に悲しい状態になってますね。
銚子谷が埋まったのがもう十年以上前ですね。これで止まるのかと思ったら崩落がどんどん進んで行ってしまってます。
工事現場の人の言うように、大規模なものじゃなく小規模な崩落がひんぱんに起こっている感じです。
銚子谷と三鉱谷の出合も今回崩落が起きた三鉱谷だけじゃなく銚子谷の土砂も増えていました。
トンネルなど手掘りと言われ昔の人の苦労に感慨深く通った覚えがあります。
僕が好きなのは遠足尾根のホタガ谷下降点から反対側のクラの青川側へ降りたところにある、風穴からジャージャー水が出ているところです。
ガラン谷の左股源流です。
ここの下流域も悲惨な状態のようですね。この竜の吐水もいずれは崩れ去ってしまうのでしょうか?
竜神ブナも消えちゃいましたし、遠足尾根の崩落はどこで止まるのかな?
地名も歴史も一気に失ってしまう自然の猛威なのか、それとも人災なのか。
いずれにせよ、わびしいものですね。
わりばしさんががんばってなんとか資料を残してもらえるといいんですが。
しょせんは、「伊勢治田銀銅山の今昔」(黒川静夫著)の受け入りなんですが・・・
この本には載っていない発見もいくつかありますので、残していきたい資料ですね。
わりばしさんの大好きな遠足尾根~孫太尾根がどんどん削られてしまって、実に悲しい状態になってますね。
銚子谷が埋まったのがもう十年以上前ですね。これで止まるのかと思ったら崩落がどんどん進んで行ってしまってます。
工事現場の人の言うように、大規模なものじゃなく小規模な崩落がひんぱんに起こっている感じです。
銚子谷と三鉱谷の出合も今回崩落が起きた三鉱谷だけじゃなく銚子谷の土砂も増えていました。
トンネルなど手掘りと言われ昔の人の苦労に感慨深く通った覚えがあります。
僕が好きなのは遠足尾根のホタガ谷下降点から反対側のクラの青川側へ降りたところにある、風穴からジャージャー水が出ているところです。
ガラン谷の左股源流です。
ここの下流域も悲惨な状態のようですね。この竜の吐水もいずれは崩れ去ってしまうのでしょうか?
竜神ブナも消えちゃいましたし、遠足尾根の崩落はどこで止まるのかな?
地名も歴史も一気に失ってしまう自然の猛威なのか、それとも人災なのか。
いずれにせよ、わびしいものですね。
わりばしさんががんばってなんとか資料を残してもらえるといいんですが。
しょせんは、「伊勢治田銀銅山の今昔」(黒川静夫著)の受け入りなんですが・・・
この本には載っていない発見もいくつかありますので、残していきたい資料ですね。
Re: 【鈴鹿】治田鉱山遺跡が消える
わりばしさん、お久です
どこかにヤブに一年間レポもレスもしないとクビになるとか書いてあった記憶があります。
先日ぶらりとヤブのオーナーが拙宅におみえになり、そのときはそんな話はしなかったのですが
思い出してしまいました(^◇^)。ちとたまには重い腰を上げます。
隧道は4年前、手前がえぐれていましたが、穴自体はあって向こうが見えていました。 歴史遺産というべきものが、残念なことになりましたね。 でも大きな目で見れば昔のものが風化したり、埋没していくのは自然の摂理だと思います。
それ以前に10mの銚子大滝が平坦になっていて驚いたものです。いつぞやブナが消えたレポをあげたとおり、土砂の大半は遠足尾根に食い込むガラン谷左俣から運ばれてくるようです。やがて遠足尾根に大きなキレットができるかも知れませんね。
ハリマオ
どこかにヤブに一年間レポもレスもしないとクビになるとか書いてあった記憶があります。
先日ぶらりとヤブのオーナーが拙宅におみえになり、そのときはそんな話はしなかったのですが
思い出してしまいました(^◇^)。ちとたまには重い腰を上げます。
もう青川からは随分遠ざかっていますが(山行が激減したのでどこも同じですが)、調べてみたら4年前に入っています。すでに荒れた後ですが、林道の痕跡はありました。昔はヤスミまで車で入っていたのが嘘のようですね。今は林道があったことさえ想像できない。ヤスミをすぎても同じで、以前より土砂が増えている気がする。
下り藤と坑道まで埋まりましたか。崩壊は留まるところを知りませんね。・下り藤も土砂で埋まっている。
・隧道は崩落の壁の一部になり無くなっている。
・大通洞坑の大きな坑口が見えない。
隧道は4年前、手前がえぐれていましたが、穴自体はあって向こうが見えていました。 歴史遺産というべきものが、残念なことになりましたね。 でも大きな目で見れば昔のものが風化したり、埋没していくのは自然の摂理だと思います。
それ以前に10mの銚子大滝が平坦になっていて驚いたものです。いつぞやブナが消えたレポをあげたとおり、土砂の大半は遠足尾根に食い込むガラン谷左俣から運ばれてくるようです。やがて遠足尾根に大きなキレットができるかも知れませんね。
ハリマオ
Re: 【鈴鹿】治田鉱山遺跡が消える
はじめまして、RINさん。
ブログ見させてもらっています。
ちょうどこの日、青川に入っていたのでコメントしました。
8:40に入山し日岡稲荷の先のえらいガケのトラバースで、びびって引き返し12:10に下山しました。
河原を歩いているとき単独の方が下山してきただけでしたが、
そのさらに奥に誰かが歩いているとは思いませんでした。
桧谷も黒ダキハゲから下りてきている左股までは荒れていましたね。
私は沢の中だったので問題なかったのですが、治田峠の登山道に行きつくには沢沿いを歩いて、どこかを無理やり登るしかなさそうです。
三神谷やら緑青滝やら全然わかりませんが、よく調べておられますね。
三神谷は三鉱谷の支流で、緑青滝は桧谷にかかっています。
手掘りの洞窟なんかも楽しいところだったのに
なくなってしまって残念です。
堰堤工事の関係もあって気づかれなかったみたいです。
本当にもったいないことをしました。
ブログ見させてもらっています。
ちょうどこの日、青川に入っていたのでコメントしました。
8:40に入山し日岡稲荷の先のえらいガケのトラバースで、びびって引き返し12:10に下山しました。
河原を歩いているとき単独の方が下山してきただけでしたが、
そのさらに奥に誰かが歩いているとは思いませんでした。
桧谷も黒ダキハゲから下りてきている左股までは荒れていましたね。
私は沢の中だったので問題なかったのですが、治田峠の登山道に行きつくには沢沿いを歩いて、どこかを無理やり登るしかなさそうです。
三神谷やら緑青滝やら全然わかりませんが、よく調べておられますね。
三神谷は三鉱谷の支流で、緑青滝は桧谷にかかっています。
手掘りの洞窟なんかも楽しいところだったのに
なくなってしまって残念です。
堰堤工事の関係もあって気づかれなかったみたいです。
本当にもったいないことをしました。
Re: 【鈴鹿】治田鉱山遺跡が消える
おはようございます、ハリマオさん。
どこかにヤブに一年間レポもレスもしないとクビになるとか書いてあった記憶があります。
先日ぶらりとヤブのオーナーが拙宅におみえになり、そのときはそんな話はしなかったのですが
思い出してしまいました(^◇^)。ちとたまには重い腰を上げます。
通さん行かれましたか。
久々のレスありがとうございます。
ヤスミから上って行く林道が痕跡を残しているだけです。
隧道は4年前、手前がえぐれていましたが、穴自体はあって向こうが見えていました。
坑道が消えたのは不思議です。
あんなでかい穴消えるんですね?
歴史遺産というべきものが、残念なことになりましたね。
大切な遺跡が消えていくというのは昔の人の足跡まで消えてしまうようで・・
でも大きな目で見れば昔のものが風化したり、埋没していくのは自然の摂理だと思います。
それ以前に10mの銚子大滝が平坦になっていて驚いたものです。いつぞやブナが消えたレポをあげたとおり、土砂の大半は遠足尾根に食い込むガラン谷左俣から運ばれてくるようです。やがて遠足尾根に大きなキレットができるかも知れませんね。
牛道の尾根にキレットですか。
可能性があるだけに、怖いですね。
銚子滝は、南河内絵図(1774年)にも画かれており昔からこのあたりの名所だったようです。
それだけに、今の現状はだれも想像しなかったでしょうね。
どこかにヤブに一年間レポもレスもしないとクビになるとか書いてあった記憶があります。
先日ぶらりとヤブのオーナーが拙宅におみえになり、そのときはそんな話はしなかったのですが
思い出してしまいました(^◇^)。ちとたまには重い腰を上げます。
通さん行かれましたか。
久々のレスありがとうございます。
もう青川からは随分遠ざかっていますが(山行が激減したのでどこも同じですが)、調べてみたら4年前に入っています。すでに荒れた後ですが、林道の痕跡はありました。昔はヤスミまで車で入っていたのが嘘のようですね。今は林道があったことさえ想像できない。ヤスミをすぎても同じで、以前より土砂が増えている気がする。
ヤスミから上って行く林道が痕跡を残しているだけです。
下り藤と坑道まで埋まりましたか。崩壊は留まるところを知りませんね。・下り藤も土砂で埋まっている。
・隧道は崩落の壁の一部になり無くなっている。
・大通洞坑の大きな坑口が見えない。
隧道は4年前、手前がえぐれていましたが、穴自体はあって向こうが見えていました。
坑道が消えたのは不思議です。
あんなでかい穴消えるんですね?
歴史遺産というべきものが、残念なことになりましたね。
大切な遺跡が消えていくというのは昔の人の足跡まで消えてしまうようで・・
でも大きな目で見れば昔のものが風化したり、埋没していくのは自然の摂理だと思います。
それ以前に10mの銚子大滝が平坦になっていて驚いたものです。いつぞやブナが消えたレポをあげたとおり、土砂の大半は遠足尾根に食い込むガラン谷左俣から運ばれてくるようです。やがて遠足尾根に大きなキレットができるかも知れませんね。
牛道の尾根にキレットですか。
可能性があるだけに、怖いですね。
銚子滝は、南河内絵図(1774年)にも画かれており昔からこのあたりの名所だったようです。
それだけに、今の現状はだれも想像しなかったでしょうね。