【台高】年末の微妙な時期にマブシ嶺

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easy pace
記事: 38
登録日時: 2012年9月06日(木) 23:29

【台高】年末の微妙な時期にマブシ嶺

投稿記事 by easy pace »

【 日 付 】2013年12月30日(月)
【 山 域 】台高
【メンバー】単独
【 天 候 】晴れ時々曇り
【 ルート 】07:30地蔵峠---09:45木組峠---11:15マブシ嶺---12:20木組峠---14:30地蔵峠

私は、臆病なのでダニとか心配する。だから、東紀州の山は夏期には遠慮していた。一方、冬になってしまうと積雪で台高南部は歩き難くなる。今日12月30日、冬型の気圧配置が緩んで北西風が穏やかで晴れの天気予報とのことで、未だ積雪が少ないマブシ嶺に向かった。

未だ冬至から10日も経ってないので明るい昼の時間が短い。日の出と共に橡山林道へ車で登り、地蔵峠登山口から歩き始めたのは07:30で、丁度朝の光が山の端を照らし始めた頃だった。木段と笹薮斜面が雪で歩き辛い。尾根筋に立つと尾鷲市街が遠望出来る。地蔵峠の西側切り通しから又口辻まで、尾根道の落葉や落ち枝や積雪を踏みつつ登る。

又口辻からは北側斜面・日陰側のトラバース道であり、積雪で踏み跡は見え難いが道型は分かる。しかし、雪の下が落葉なのか落ち枝なのか礫なのかは分からず、足首をひねる可能性があり要注意である。小さな沢に掛かった木製橋では、スリップしそうで慎重に渡る。春になったら落ちているのではないかと思われるが、どうなるだろうか。神明水では朝の雪解け水がツララを伝って滴り落ちている。

09:05ラテン十字型の白い道標に(新)木組峠と書かれた尾根筋に到着。県境尾根の西側のトラバース道は×(ホウラク)と小さな道標に書かれていたので避け、県境の尾根筋を北上することにする。北西風は強くない。尾根の上では西側では強風に吹き飛ばされたのか積雪は浅く、東側に吹き溜まりが出来ており、その下の南東斜面では日射しで雪が解け地面の落葉が剥き出しになっている。西から北西にかけて大峰や台高南部の山々が遠望出来て大満足である。
新木組峠あたりから北方向
新木組峠あたりから北方向
ひたすら県境の尾根筋を辿って歩く。積雪で踏み跡がはっきりしないので、テープ印を探しつつ尾根の真ん中を外さない様に歩く。ブナの木が綺麗で心地良い。

木組峠の南側のピークで東への尾根に迷い込みそうになるが、GPSで確認しつつ北への斜面を下る。クネクネした溝道構造があり、旧道か木場道かと想像する。溝の底には枯れ枝や倒木が落ちている上に雪の吹き溜まりになっているので歩き辛い。
木組峠鞍部から北側の尾根
木組峠鞍部から北側の尾根
地形図に木組峠と書かれている広い鞍部からは、ブナの大木に導かれる様に尾根筋を登ってしまった。帰路で確認したが、尾鷲道は、西側斜面をトラバースしているのだが、地形図では県境の尾根筋に沿って点線道が描かれており、紛らわしい。P 1245から右手・東側に熊野灘が遠望できる。

南側の一本木の白い道標は横板が落ちていた。道端の石の上に腰を下ろしてサーモス紅茶とシリアルバーで休憩。その後、P 1216は西斜面の巻き道でスキップした。南西斜面では積雪が溶け落葉の小道を辿り、尾根先をまわった北西斜面では雪道を歩くことになる。動物の足跡が沢山あって、熊かも知れない大きなものも見掛けたが、冬眠していてねと呟きながら歩く。
西斜面の巻き道
西斜面の巻き道
北側の一本木 海山看板の辺りでは雪が少し深く、アセビのトンネルをくぐる。その後、P 1411.0 mへの登りは南西に向いた急斜面で立木は少なく、北西風が吹き上げる為だろうか雪面が硬い。簡易スノースパイクの爪がカリカリと気持ち良く刺さる。ジグザグを切りながら少し南側へ回ると吹き溜まりの雪が深く、少し西側へ回ると積雪の表面が硬く凍っている。

11:15マブシ嶺だかコブシ嶺だか雷峠IだかのP 1411.0 m三角点に到着。以前、大台ケ原からここまで往復したことがあるので、今日はここで引き返す事にする。さすがに西風は寒くて腰を降ろして休憩する気にはならないが、吹き飛ばされる程の強さではなく、天気は晴れて熊野灘まで遠望でき素晴らしい景色だ。
P 1411.0 m 三角点周辺
P 1411.0 m 三角点周辺
帰路は、一本木の道標の南側から木組峠西側の蛇抜け手前まで西斜面の巻き道を辿り、木組峠の西側で蛇抜けと呼ばれれる崩壊後の溝構造に直面して左折して木組峠の鞍部に登って、その後は県境の尾根筋を戻った。

午後になると薄雲が多くなり、龍辻の北東斜面は日陰になることもあって、日が陰るのが早く感じられて急ぎ足になった。日陰になった神明水では水が凍り付いて水音は消えていた。地蔵峠登山口に降り立ったのは14:30だった。

晩秋から初冬へと移行する微妙な時期に、積雪をかき分けることなく、あまり汗をかかず、あまり体を冷やさず、虫の心配もせず、安全に歩けて良かった。新緑の頃もいいんだろうナ。
zipp
記事: 1165
登録日時: 2011年3月09日(水) 22:49

Re: 【台高】年末の微妙な時期にマブシ嶺

投稿記事 by zipp »


 easy pace さん、こんばんは。
いいお正月をすごされてますか。


私は、臆病なのでダニとか心配する。だから、東紀州の山は夏期には遠慮していた。
 台高南部のダニは、冬でも標高1000mぐらいまでは、笹やアセビのヤブには居そうですよ。

今日12月30日、冬型の気圧配置が緩んで北西風が穏やかで晴れの天気予報とのことで、未だ積雪が少ないマブシ嶺に向かった。
 年末の押し迫った30日となると山へは行きがたくなりますね~。
かくいうわたしも、30日は檜塚でラッセルしておりました(^^;。

日の出と共に橡山林道へ車で登り、地蔵峠登山口から歩き始めたのは07:30で、
 橡山林道は、旧の清五郎滝降口の先にゲートがつくられてしまいましたね。
ゲートから「地蔵峠」の看板のあるところまで、歩いて30分くらいかな?

春になったら落ちているのではないかと思われるが、どうなるだろうか。
 たぶんわたしが想像している木橋だと思いますが、まだのって渡れることが驚きです(^^;。

県境尾根の西側のトラバース道は×(ホウラク)と小さな道標に書かれていたので避け、県境の尾根筋を北上することにする。
 崩落した尾鷲道を辿るより稜線を木組峠へ歩くのが安全ですね。

西から北西にかけて大峰や台高南部の山々が遠望出来て大満足である。
 マブシ嶺もそうですが、展望がのぞまれる尾根ですね。

クネクネした溝道構造があり、旧道か木場道かと想像する。
 不動谷(清五郎滝谷)の二俣に向かう、旧道及び木馬道ですね。
地形図に木組峠と書かれている広い鞍部からは、ブナの大木に導かれる様に尾根筋を登ってしまった。
 尾根筋にマーキングが付けられたのは、何年前だったか・・・。

尾鷲道は、西側斜面をトラバースしているのだが、地形図では県境の尾根筋に沿って点線道が描かれており、紛らわしい。
 地形図は間違ってますね。

南側の一本木
北側の一本木 海山看板
 北側の「一本木」が正解のようですね。
名称の由来は、大きなブナの大木が一本あったからだとか。

動物の足跡が沢山あって、熊かも知れない大きなものも見掛けたが、冬眠していてねと呟きながら歩く。
 このあたりのイノシシ大きくて、足跡もクマかと見まがうばかりです。
先日知人が、カモスケ谷ノ頭付近で、積雪の上に真新しいクマの足跡を見てますから、このあたりのクマは冬眠しないかも(^^;。

天気は晴れて熊野灘まで遠望でき素晴らしい景色だ。
 ここから竜口尾根の向こうに冠雪した大峰は絶景です(^^)。

龍辻の北東斜面は日陰になることもあって、日が陰るのが早く感じられて急ぎ足になった。
 「龍辻」、1297.6三角点=中ノ嶺の南東1260mピークを指すかと思いますが、すでにこの「龍辻」なる名称は定着したのでしょうか?

地蔵峠登山口に降り立ったのは14:30だった。
 「地蔵峠」の由来となったお地蔵は見に行かれませんでしたか?
この地蔵のある場所は、出口から龍辻を経て、また木組からの道との合流点にある追分のお地蔵さんなんです。

晩秋から初冬へと移行する微妙な時期に、積雪をかき分けることなく、あまり汗をかかず、あまり体を冷やさず、虫の心配もせず、安全に歩けて良かった。新緑の頃もいいんだろうナ。
 わたしもこのあたりに入るのは、ほとんど冬で、それでも積雪の心配はあまりせずともいいところかと思います。車道の積雪は困りもんですが…。

 easy pace さんのレポを読んで、またマブシ嶺界隈から冬の展望を望みたくなりました(^^)。
[attachment=0]P1030144_800.jpg[/attachment]
添付ファイル
P1030144_800.jpg
   zipp
easy pace
記事: 38
登録日時: 2012年9月06日(木) 23:29

Re: 【台高】年末の微妙な時期にマブシ嶺

投稿記事 by easy pace »

zip wrote:
 easy pace さん、こんばんは。
 いいお正月をすごされてますか。
  zipさん、こんにちは。

私は、臆病なのでダニとか心配する。だから、東紀州の山は夏期には遠慮していた。
 台高南部のダニは、冬でも標高1000mぐらいまでは、笹やアセビのヤブには居そうですよ。
  そうなんですか、油断してました。

今日12月30日、冬型の気圧配置が緩んで北西風が穏やかで晴れの天気予報とのことで、未だ積雪が少ないマブシ嶺に向かった。
 年末の押し迫った30日となると山へは行きがたくなりますね~。
 かくいうわたしも、30日は檜塚でラッセルしておりました(^^;。
  あの辺りは、もう1回雪が降ってからからかなと思っていました。

日の出と共に橡山林道へ車で登り、地蔵峠登山口から歩き始めたのは07:30で、
 橡山林道は、旧の清五郎滝降口の先にゲートがつくられてしまいましたね。
 ゲートから「地蔵峠」の看板のあるところまで、歩いて30分くらいかな?
  歩けば40分程度です。

春になったら落ちているのではないかと思われるが、どうなるだろうか。
 たぶんわたしが想像している木橋だと思いますが、まだのって渡れることが驚きです(^^;。
  2か所あって両方歩けました。雪が凍り付いた後は、スリップして転落しそうです。
  東側は不安定で、沢に降りても渡れます。西側は比較的安定で、降りたくなさそうな沢です。


龍辻の北東斜面は日陰になることもあって、日が陰るのが早く感じられて急ぎ足になった。
 「龍辻」、1297.6三角点=中ノ嶺の南東1260mピークを指すかと思いますが、すでにこの「龍辻」なる名称は定着したのでしょうか?
 「地蔵峠」の由来となったお地蔵は見に行かれませんでしたか?
 この地蔵のある場所は、出口から龍辻を経て、また木組からの道との合流点にある追分のお地蔵さんなんです。
  林道の東の切り通しの東側に登った所ですね、以前、橡山を縦走した時に見ました。
  昔からここにあったのでしょうか?そうなら、林道切り通しが鞍部を破壊しなくて良かったですね。
  橡山山頂の東側には薮がありましたが、西側は歩き易い尾根で時々大木があって昔の峠道のようでした。
  この尾根道が龍辻越なのでしょうか?地蔵峠の東側に岩場がありますが、岩の北側ギリギリの所で歩けました。
  龍辻がどのピークを指すのか知りませんが、その辺りだろうと思います。古文書とか研究しないと分からないかも。
  辻とか峠とか嶺とか様々な表現がありますが、昔は「こっちとあっちの境界」程度の意味しかなかったのではないかな。
  いろいろ教えて下さい!
zipp
記事: 1165
登録日時: 2011年3月09日(水) 22:49

Re: 【台高】年末の微妙な時期にマブシ嶺

投稿記事 by zipp »


 easy pace さん、こんにちは。

> 橡山林道は、旧の清五郎滝降口の先にゲートがつくられてしまいましたね。
> ゲートから「地蔵峠」の看板のあるところまで、歩いて30分くらいかな?
 
 歩けば40分程度です。

 林道が数年ぶりに整備されたようですが、ゲートができたら歩く距離は変わりませんね(^^;。
せめて、ゲートまでは林道の落石など通年整備していただければ、ありがたいのですが。

  林道の東の切り通しの東側に登った所ですね、以前、橡山を縦走した時に見ました。
  昔からここにあったのでしょうか?そうなら、林道切り通しが鞍部を破壊しなくて良かったですね。

 昔から(と云っても、この地蔵さん明治初めに建立されたものじゃなかったかな?)あったものです。
丁度この地蔵さんの前が出口・木組・木津へ抜ける道が三叉路になってます。
 林道建設の折にこのお地蔵さんを、「発見」?したなる文をどこかで読んだ気がします。

 橡山山頂の東側には薮がありましたが、西側は歩き易い尾根で時々大木があって昔の峠道のようでした。
  この尾根道が龍辻越なのでしょうか?地蔵峠の東側に岩場がありますが、岩の北側ギリギリの所で歩けました。

 easy pace さんは、橡山の稜線も歩かれているのですね。1036ピークも。
追分の地蔵から、道は1036ピークの北側山腹を巻き、釈仙水を経て稜線に戻ってますね。
以降は推測なんですが、そのまま稜線沿いに道は東に進み。水無峠まで行かずに、橡山ピークの北側を回り込んで、東南に向かって木津へと向かったのではないかと思います。
 水無峠の道は、清五郎滝上の水車を動力として使った製板所ができ、そこからトロッコ道が水無峠へ通じていたようです。

  辻とか峠とか嶺とか様々な表現がありますが、昔は「こっちとあっちの境界」程度の意味しかなかったのではないかな。
 「とうげ」 峠と嶺はどちらも読みは一緒ですね。
 しかし、このあたりの「とうげ」は、山稜のピークを指しているとみるべきでしょう。
畔田翆山の「群山記」のいう、正木、本小屋、ありの木、まぶし、中ののそれぞれ峠(嶺)は、吉野側から遠望した紀州・和州の境界稜線上のピークを指すものであろうと考えます。
 ですので、「マブシ嶺」は、1411の三角点ピークではなく、北の1450ピークであろうと考えます。どちらのピークも尾鷲道は通じておらず、西山腹を巻いています(すでに道は、崩壊していますが)。
ちなみにオチウチ越(雷峠)は、1450ピークの北西のコルでしょう。ここは大谷からの道と尾鷲道との辻となります。
もう一つついでに(^^;、マブシは「まぶせ」がなまったもので、「まぶせ猟」が語源だと思われます。この猟は、獲物を「待ち伏せる」ことからその名があるのか思います。1450ピークは尾根が四方に伸び、その猟には最適な場所ではないでしょうか。
ツガの大木の下、追分のお地蔵さん。
ツガの大木の下、追分のお地蔵さん。
   zipp
easy pace
記事: 38
登録日時: 2012年9月06日(木) 23:29

Re: 【台高】年末の微妙な時期にマブシ嶺

投稿記事 by easy pace »

zipさん、こんにちは。
   easy paceです。

 橡山山頂の東側には薮がありましたが、西側は歩き易い尾根で時々大木があって昔の峠道のようでした。
 この尾根道が龍辻越なのでしょうか?地蔵峠の東側に岩場がありますが、岩の北側ギリギリの所で歩けました。
  追分の地蔵から、道は1036ピークの北側山腹を巻き、釈仙水を経て稜線に戻ってますね。
  以降は推測なんですが、そのまま稜線沿いに道は東に進み、水無峠まで行かずに、
  橡山ピークの北側を回り込んで、東南に向かって木津へと向かったのではないかと思います。
   なるほど、橡山山頂の北側には峠かもしれない鞍部がありました。
   橡山山頂からから南または南東方向へ尾根を下るテープ印があり、ちょっと魅力的でした。
   魚跳渓に橡山へ登る道の入口を見掛けましたので、ここに通じているのかな。でも、林道や植林で寸断されてないかな。
   便石の東肩に旧い峠道があったので、ここにも通じているのかな、と想像してみました。

 辻とか峠とか嶺とか様々な表現がありますが、昔は「こっちとあっちの境界」程度の意味しかなかったのではないかな。
  「とうげ」峠と嶺はどちらも読みは一緒ですね。
  しかし、このあたりの「とうげ」は、山稜のピークを指しているとみるべきでしょう。
  畔田翆山の「群山記」のいう、正木、本小屋、ありの木、まぶし、中ののそれぞれ峠(嶺)は、
  吉野側から遠望した紀州・和州の境界稜線上のピークを指すものであろうと考えます。
  ですので「マブシ嶺」は、1411の三角点ピークではなく、北の1450ピークであろうと考えます。
  どちらのピークも尾鷲道は通じておらず、西山腹を巻いています(すでに道は、崩壊していますが)。
  ちなみにオチウチ越(雷峠)は、1450ピークの北西のコルでしょう。ここは大谷からの道と尾鷲道との辻となります。
   なるほど、です。ちゃんと根拠があるのですね。
   確かに1411三角点は山頂っぽくないですね。ただ、三角点があるので、頑張って登る目標にはなりますが。
   北のピークには別名の木札があった様な気がします。名前が様々だと紛らわしいです、地図によっては道に迷う原因になります。
   名前が違っていて統一されないのは、誰かの勘違いか、それとも昔からの土地所有権争い等、何か深遠な意図があるのでしょうかね。
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