【日 時】2011年5月16日(月)
【山 域】鈴鹿
【コース】青川P7:20---10:42県境稜線---12:05展望丘---羽瀬尾13:30---15:28青川P
【メンバー】単独
治田鉱山のひとつに多志田銀山がある。多志田銀山は、多志田不動尊のある祖母谷から藤原岳稜線近くの羽瀬尾銀山まで多志田谷全域にわたる。この中でも産銀量からして中核的な役割をはたしたのが羽瀬尾銀山になる。この銀山に関しては資料も少なく、「伊勢治田銀銅山の今昔」の黒田静夫さんも未調査で、場所さえ特定されていない。今回は、羽瀬尾銀山の探索を行うことにした。
いつもの青川駐車場に到着。青川をつめていく。今日は水量が多く、長靴を履いていても場所を選ばないと徒渡できない。以前に比べ青川の川底が深くなっており、これからの時期は登山靴では厳しいかもしれない。広河原をすぎると下り藤の丘が見えてくる。治田鉱山が華やかかりしころ女郎屋があった場所だ。下り藤をすぎた隋道下は今や水流で大きく掘れてしまい隋道につながる道があったことが想像できない状態になっている。銚子谷の出会いから大きく口を開けた大通洞坑を見送り山光谷に入る。大滝を右手に見ながら歩くと左岸に鉱夫の墓がある。今日は椿の花が活けてある。この付近の右岸に中尾が下りてきている。赤テープの場所から取り付く。
[attachment=4]IMG_3778.jpg[/attachment]
かすかな踏み跡の斜面を上っていくとすぐに明瞭な道に変わっていく。やせ尾根をすぎ尾根が広くなったあたりに赤テープがある。これを三光谷側に下っていけば三神谷に至り、三神谷出合には精錬に使われた焼釜が残っている。しばらく上ると以前に緑青岩から上りついた地点を通過。存在感のある古木が見えると檜谷側から檜谷鉱山の七曲がりから高コバを経て上ってきている尾根が合流してくる。視界が広がるコルに到着。ここは三光谷側の与平治谷が上がってきている。ここまで、中尾は明瞭な人の歩いているよい道で、猟師が使っている。狩猟期には、尾根の両側の三光谷・檜谷で追い込み猟がおこなわれる。谷の上部や中部から追い込みをする猟師が中尾を上り持ち場に向かうようだ。
[attachment=3]IMG_3917.jpg[/attachment]
コルを少し上がると添水銀山に続く道の目印のミズナラが出迎えてくれる。ここをパスし与左ハゲを左に見ながら上り尾根が広くなってくると県境稜線に着く。ここからは登山道を使う。下った所が蛇谷の分岐。福岡野から孫太尾根を使いここまで牛道は通じていた。蛇谷銀山や添水銀山の鉱石を牛に運ばせた道になる。ここには、今でも牛道の溝道が残っている。また、三光谷側にヌタ場のある広い場所も残されている。人足が鉱石を運び上げ、牛に積み替えた集積場所なのだろう。
孫太尾根の分岐をすぎP963のトラバース道に入る。このあたりには足しげく通っているが、孫太尾根から藤原岳まで歩いた事はない。正確に言うと30年前にブッシュをかき分けてキスリングで上った事はあるが、当時とは状況がかなり違う。トラバースするんだなんてお気楽な事を考えながら歩いていく。登山道としては、それほど歩かれていないようだが、赤テープがたくさんあり間違えようがない。水音を聞きながら静かな山路を歩く。トラバースが終わり岩の稜線を歩くとあたりはバイケイソウの道に変わっていく。羽瀬尾に目星をつけながらテーブルランドに到着。弱った笹原が袴腰まで続いている。ひと登りで展望丘に着いた。ここで初めて人に会う。消防隊員が訓練で登ってきていた。ここでアップルパイを食べ一息つき探索に向かう。
笹原を歩き羽瀬尾への降下地点に向かう。目星をつけたのはテーブルランドから多志田谷に向かい南東に下りている尾根で、かなり急な下りだが、少し下れば木が生えているので怖くはない。木と岩をつたいながら下りていくと、尾根らしくなっていく。すると岩クラが連なっている。岩クラの前が大きく開け大きいスペースが作れるエリアがある所など添水銀山とよく似ている。岩クラを探っていくと水抜きの穴を発見。その前には目印となる古木もある。しばらく下るが岩クラがありそうにもないので探索をここで切り上げる。蛇谷銀山も添水銀山も稜線付近にあり、この高さに銀の鉱脈があったのだろう。岩クラの周囲の状況から考えて、この岩クラが羽瀬尾銀山と考えてよさそうだ。そしてこの尾根が羽瀬尾になる。寛延元年(1748)の最盛期には小屋が五軒あり、人夫62人が働いていたようだ。ここには精錬する場所が無かったので、孫太尾根の牛道を使い福岡野に下ろし精錬した。ただ、多志田銀山についてはなぜか資料が少なく、羽瀬尾からどうやって孫太尾根まで運んだかはっきりしない。今後の宿題としたい。
[attachment=2]IMG_3907.jpg[/attachment]
[attachment=1]IMG_3911.jpg[/attachment]
さて、帰ろう。P963のトラバース道を経て中尾を下りる。中尾は上部は道もはっきりしないが、与左ハゲ沿いに下りていくとロスなく下りれる。猟師道に入ってからは良い道をひたすら下りる。ただ二箇所間違いやすい所がある。一箇所目は広い尾根ではなく狭い方の尾根を選ぶ箇所。二箇所目は尾根が二股に分かれる箇所だ、両方とも二万五千の地図を読み、尾根の方向を確かめればクリアできる。中尾の上りは、ひたすら上れば良いが、さすがに下りでは地図読みが必要になる。赤テープはほとんどない。とはいうものの良い道で40分で中尾を下りきった。ここからは、通いなれた青川が待っていた。
[attachment=0]IMG_3892.jpg[/attachment]
【鈴鹿】 福岡野につづく道6 藤原岳羽瀬尾探索
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【 日 付 】
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Re: 【鈴鹿】 福岡野につづく道6 藤原岳羽瀬尾探索
わりばしさんこんばんは
]治田鉱山のひとつに多志田銀山がある。多志田銀山は、多志田不動尊のある祖母谷から藤原岳稜線近くの羽瀬尾銀山まで多志田谷全域にわたる。この中でも産銀量からして中核的な役割をはたしたのが羽瀬尾銀山になる。この銀山に関しては資料も少なく、「伊勢治田銀銅山の今昔」の黒田静夫さんも未調査で、場所さえ特定されていない。今回は、羽瀬尾銀山の探索を行うことにした。
久しぶりの治田鉱山ですね。やはりヒルが出る前に行きたいですね。
今回は多志田不動尊から入ったわけではないんですね。
広河原をすぎると下り藤の丘が見えてくる。治田鉱山が華やかかりしころ女郎屋があった場所だ。下り藤をすぎた隋道下は今や水流で大きく掘れてしまい隋道につながる道があったことが想像できない状態になっている。銚子谷の出会いから大きく口を開けた大通洞坑を見送り山光谷に入る。大滝を右手に見ながら歩くと左岸に鉱夫の墓がある。今日は椿の花が活けてある。この付近の右岸に中尾が下りてきている。赤テープの場所から取り付く。 下り藤とか大通洞坑とか懐かしい固有名詞が出てきますね。このお墓は最初にここに来た時にたまたま一緒になった見学会に着いて行って教えてもらいました。
かすかな踏み跡の斜面を上っいくとすぐに明瞭な道に変わっていく。やせ尾根をすぎ尾根が広くなったあたりに赤テープがある。これを三光谷側に下っていけば三神谷に至り、三神谷出合には精錬に使われた焼釜が残っている。しばらく上ると以前に緑青岩から上りついた地点を通過。
この辺りも行っているので分かります。
存在感のある古木が見えると檜谷側から檜谷鉱山の七曲がりから高コバを経て上ってきている尾根が合流してくる。視界が広がるコルに到着。ここは三光谷側の与平治谷が上がってきている。ここまで、中尾は明瞭な人の歩いているよい道で、猟師が使っている。
私はここから真っ直ぐに上に向かおうとして少し難儀しました。
コルを少し上がると添水銀山に続く道の目印のミズナラが出迎えてくれる。ここをパスし与左ハゲを左に見ながら上り尾根が広くなってくると県境稜線に着く。ここからは登山道を使う。下った所が蛇谷の分岐。福岡野から孫太尾根を使いここまで牛道は通じていた。蛇谷銀山や添水銀山の鉱石を牛に運ばせた道になる。ここには、今でも牛道の溝道が残っている。
このミズナラはアキタヌキさんも気づかなかったと書いていました。
ここら辺りはよく覚えています。蛇谷の方に少し下りたこともあります。牛道の溝らしいものもありましたね。
笹原を歩き羽瀬尾への降下地点に向かう。目星をつけたのはテーブルランドから多志田谷に向かい南東に下りている尾根で、かなり急な下りだが、少し下れば木が生えているので怖くはない。木と岩をつたいながら下りていくと、尾根らしくなっていく。すると岩クラが連なっている。岩クラの前が大きく開け大きいスペースが作れるエリアがある所など添水銀山とよく似ている。岩クラを探っていくと水抜きの穴を発見。その前には目印となる古木もある。
すごい勘ですね。ドンピシャリ!よく穴を発見しましたね。
中尾を下るには尾根の地形と着地点をよく確認する必要がありそうですね。
946
]治田鉱山のひとつに多志田銀山がある。多志田銀山は、多志田不動尊のある祖母谷から藤原岳稜線近くの羽瀬尾銀山まで多志田谷全域にわたる。この中でも産銀量からして中核的な役割をはたしたのが羽瀬尾銀山になる。この銀山に関しては資料も少なく、「伊勢治田銀銅山の今昔」の黒田静夫さんも未調査で、場所さえ特定されていない。今回は、羽瀬尾銀山の探索を行うことにした。
久しぶりの治田鉱山ですね。やはりヒルが出る前に行きたいですね。
今回は多志田不動尊から入ったわけではないんですね。
広河原をすぎると下り藤の丘が見えてくる。治田鉱山が華やかかりしころ女郎屋があった場所だ。下り藤をすぎた隋道下は今や水流で大きく掘れてしまい隋道につながる道があったことが想像できない状態になっている。銚子谷の出会いから大きく口を開けた大通洞坑を見送り山光谷に入る。大滝を右手に見ながら歩くと左岸に鉱夫の墓がある。今日は椿の花が活けてある。この付近の右岸に中尾が下りてきている。赤テープの場所から取り付く。 下り藤とか大通洞坑とか懐かしい固有名詞が出てきますね。このお墓は最初にここに来た時にたまたま一緒になった見学会に着いて行って教えてもらいました。
かすかな踏み跡の斜面を上っいくとすぐに明瞭な道に変わっていく。やせ尾根をすぎ尾根が広くなったあたりに赤テープがある。これを三光谷側に下っていけば三神谷に至り、三神谷出合には精錬に使われた焼釜が残っている。しばらく上ると以前に緑青岩から上りついた地点を通過。
この辺りも行っているので分かります。
存在感のある古木が見えると檜谷側から檜谷鉱山の七曲がりから高コバを経て上ってきている尾根が合流してくる。視界が広がるコルに到着。ここは三光谷側の与平治谷が上がってきている。ここまで、中尾は明瞭な人の歩いているよい道で、猟師が使っている。
私はここから真っ直ぐに上に向かおうとして少し難儀しました。
コルを少し上がると添水銀山に続く道の目印のミズナラが出迎えてくれる。ここをパスし与左ハゲを左に見ながら上り尾根が広くなってくると県境稜線に着く。ここからは登山道を使う。下った所が蛇谷の分岐。福岡野から孫太尾根を使いここまで牛道は通じていた。蛇谷銀山や添水銀山の鉱石を牛に運ばせた道になる。ここには、今でも牛道の溝道が残っている。
このミズナラはアキタヌキさんも気づかなかったと書いていました。
ここら辺りはよく覚えています。蛇谷の方に少し下りたこともあります。牛道の溝らしいものもありましたね。
笹原を歩き羽瀬尾への降下地点に向かう。目星をつけたのはテーブルランドから多志田谷に向かい南東に下りている尾根で、かなり急な下りだが、少し下れば木が生えているので怖くはない。木と岩をつたいながら下りていくと、尾根らしくなっていく。すると岩クラが連なっている。岩クラの前が大きく開け大きいスペースが作れるエリアがある所など添水銀山とよく似ている。岩クラを探っていくと水抜きの穴を発見。その前には目印となる古木もある。
すごい勘ですね。ドンピシャリ!よく穴を発見しましたね。
中尾を下るには尾根の地形と着地点をよく確認する必要がありそうですね。
946
Re: 【鈴鹿】 福岡野につづく道6 藤原岳羽瀬尾探索
おはようございます、宮指路さん。
治田鉱山のひとつに多志田銀山がある。多志田銀山は、多志田不動尊のある祖母谷から藤原岳稜線近くの羽瀬尾銀山まで多志田谷全域にわたる。この中でも産銀量からして中核的な役割をはたしたのが羽瀬尾銀山になる。この銀山に関しては資料も少なく、「伊勢治田銀銅山の今昔」の黒田静夫さんも未調査で、場所さえ特定されていない。今回は、羽瀬尾銀山の探索を行うことにした。
久しぶりの治田鉱山ですね。やはりヒルが出る前に行きたいですね。
今回は多志田不動尊から入ったわけではないんですね。
見透かされていましたか。ここのところ青川に入っている理由は、ヒルが出る前にという事です。
孫太夫尾から下りて、多志田谷をつめようかとも思ったのですが、マヨネコさんのレポによると源流付近は左股に追いやられるようです。
これでは右股上部にある羽瀬尾には着かないなと思い、稜線から向かうことにしました。
広河原をすぎると下り藤の丘が見えてくる。治田鉱山が華やかかりしころ女郎屋があった場所だ。下り藤をすぎた隋道下は今や水流で大きく掘れてしまい隋道につながる道があったことが想像できない状態になっている。銚子谷の出会いから大きく口を開けた大通洞坑を見送り山光谷に入る。大滝を右手に見ながら歩くと左岸に鉱夫の墓がある。今日は椿の花が活けてある。この付近の右岸に中尾が下りてきている。赤テープの場所から取り付く。
下り藤とか大通洞坑とか懐かしい固有名詞が出てきますね。このお墓は最初にここに来た時にたまたま一緒になった見学会に着いて行って教えてもらいました。
宮指路さんも何度か入られていましたね。このあたりは、治田鉱山の目抜き通りですから。
[color=#00BF00]存在感のある古木が見えると檜谷側から檜谷鉱山の七曲がりから高コバを経て上ってきている尾根が合流してくる。視界が広がるコルに到着。ここは三光谷側の与平治谷が上がってきている。ここまで、中尾は明瞭な人の歩いているよい道で、猟師が使っている。[/color]
私はここから真っ直ぐに上に向かおうとして少し難儀しました。
私も今回は直登しました。少しの間急な所がありますね。
鹿の楽園ぽいですが・・
コルを少し上がると添水銀山に続く道の目印のミズナラが出迎えてくれる。ここをパスし与左ハゲを左に見ながら上り尾根が広くなってくると県境稜線に着く。ここからは登山道を使う。下った所が蛇谷の分岐。福岡野から孫太尾根を使いここまで牛道は通じていた。蛇谷銀山や添水銀山の鉱石を牛に運ばせた道になる。ここには、今でも牛道の溝道が残っている。
このミズナラはアキタヌキさんも気づかなかったと書いていました。
ここら辺りはよく覚えています。蛇谷の方に少し下りたこともあります。牛道の溝らしいものもありましたね。
このあたりはよく残っていますね。少し下ると鉱石を吹いた跡もあります。
地盤が固いのかもしれませんね。
笹原を歩き羽瀬尾への降下地点に向かう。目星をつけたのはテーブルランドから多志田谷に向かい南東に下りている尾根で、かなり急な下りだが、少し下れば木が生えているので怖くはない。木と岩をつたいながら下りていくと、尾根らしくなっていく。すると岩クラが連なっている。岩クラの前が大きく開け大きいスペースが作れるエリアがある所など添水銀山とよく似ている。岩クラを探っていくと水抜きの穴を発見。その前には目印となる古木もある。
すごい勘ですね。ドンピシャリ!よく穴を発見しましたね。
目印の木があったので助かりました。
中尾を下るには尾根の地形と着地点をよく確認する必要がありそうですね。
このあたり歩くには中尾は早く歩けるので、おすすめです。
わりばし
治田鉱山のひとつに多志田銀山がある。多志田銀山は、多志田不動尊のある祖母谷から藤原岳稜線近くの羽瀬尾銀山まで多志田谷全域にわたる。この中でも産銀量からして中核的な役割をはたしたのが羽瀬尾銀山になる。この銀山に関しては資料も少なく、「伊勢治田銀銅山の今昔」の黒田静夫さんも未調査で、場所さえ特定されていない。今回は、羽瀬尾銀山の探索を行うことにした。
久しぶりの治田鉱山ですね。やはりヒルが出る前に行きたいですね。
今回は多志田不動尊から入ったわけではないんですね。
見透かされていましたか。ここのところ青川に入っている理由は、ヒルが出る前にという事です。
孫太夫尾から下りて、多志田谷をつめようかとも思ったのですが、マヨネコさんのレポによると源流付近は左股に追いやられるようです。
これでは右股上部にある羽瀬尾には着かないなと思い、稜線から向かうことにしました。
広河原をすぎると下り藤の丘が見えてくる。治田鉱山が華やかかりしころ女郎屋があった場所だ。下り藤をすぎた隋道下は今や水流で大きく掘れてしまい隋道につながる道があったことが想像できない状態になっている。銚子谷の出会いから大きく口を開けた大通洞坑を見送り山光谷に入る。大滝を右手に見ながら歩くと左岸に鉱夫の墓がある。今日は椿の花が活けてある。この付近の右岸に中尾が下りてきている。赤テープの場所から取り付く。
下り藤とか大通洞坑とか懐かしい固有名詞が出てきますね。このお墓は最初にここに来た時にたまたま一緒になった見学会に着いて行って教えてもらいました。
宮指路さんも何度か入られていましたね。このあたりは、治田鉱山の目抜き通りですから。
[color=#00BF00]存在感のある古木が見えると檜谷側から檜谷鉱山の七曲がりから高コバを経て上ってきている尾根が合流してくる。視界が広がるコルに到着。ここは三光谷側の与平治谷が上がってきている。ここまで、中尾は明瞭な人の歩いているよい道で、猟師が使っている。[/color]
私はここから真っ直ぐに上に向かおうとして少し難儀しました。
私も今回は直登しました。少しの間急な所がありますね。
鹿の楽園ぽいですが・・
コルを少し上がると添水銀山に続く道の目印のミズナラが出迎えてくれる。ここをパスし与左ハゲを左に見ながら上り尾根が広くなってくると県境稜線に着く。ここからは登山道を使う。下った所が蛇谷の分岐。福岡野から孫太尾根を使いここまで牛道は通じていた。蛇谷銀山や添水銀山の鉱石を牛に運ばせた道になる。ここには、今でも牛道の溝道が残っている。
このミズナラはアキタヌキさんも気づかなかったと書いていました。
ここら辺りはよく覚えています。蛇谷の方に少し下りたこともあります。牛道の溝らしいものもありましたね。
このあたりはよく残っていますね。少し下ると鉱石を吹いた跡もあります。
地盤が固いのかもしれませんね。
笹原を歩き羽瀬尾への降下地点に向かう。目星をつけたのはテーブルランドから多志田谷に向かい南東に下りている尾根で、かなり急な下りだが、少し下れば木が生えているので怖くはない。木と岩をつたいながら下りていくと、尾根らしくなっていく。すると岩クラが連なっている。岩クラの前が大きく開け大きいスペースが作れるエリアがある所など添水銀山とよく似ている。岩クラを探っていくと水抜きの穴を発見。その前には目印となる古木もある。
すごい勘ですね。ドンピシャリ!よく穴を発見しましたね。
目印の木があったので助かりました。
中尾を下るには尾根の地形と着地点をよく確認する必要がありそうですね。
このあたり歩くには中尾は早く歩けるので、おすすめです。
わりばし
Re: 【鈴鹿】 福岡野につづく道6 藤原岳羽瀬尾探索
わりばし さん、こんにちは。
by サンチョ
GW前半に出かけられたのは、下見と言うことになるんですか?今回は、羽瀬尾銀山の探索を行うことにした。
今回はそんなに水量が多かったですか・・・・・サンチョがGW最終日に赴いた時は水量も少なく楽勝に通過出来ましたが、確かに15日には茶屋川もかなり濁って増水してました。先週の雨の為かも知れませんね。いつもの青川駐車場に到着。青川をつめていく。今日は水量が多く、長靴を履いていても場所を選ばないと徒渡できない。
治田峠へ上がるよりも遙かに楽そうですね・・・・・・。コルを少し上がると添水銀山に続く道の目印のミズナラが出迎えてくれる。ここをパスし与左ハゲを左に見ながら上り尾根が広くなってくると県境稜線に着く。
牛道は、ここまでだったのでしょうか?GW最終日に赴いた時、迷い尾根の茶屋川側に掘れ込んだ古道が併走している区間があり、牛道だ・・・・・と思って眺めてました(写真添付しときます以前も添付したものですが)。下った所が蛇谷の分岐。福岡野から孫太尾根を使いここまで牛道は通じていた。
意外な所を歩いて無いんですね・・・・・10数年前でもある程度熊笹が有り歩き辛く、マムシが沢山居た記憶があります。当時からするとハゲ地になってしまったような・・・・・。孫太尾根の分岐をすぎP963のトラバース道に入る。このあたりには足しげく通っているが、孫太尾根から藤原岳まで歩いた事はない。正確に言うと30年前にブッシュをかき分けてキスリングで上った事はあるが、当時とは状況がかなり違う。
ここは、展望丘から入り込んだところで、人も比較的少ないのでゆっくり休息地できますね。ここで初めて人に会う。消防隊員が訓練で登ってきていた。ここでアップルパイを食べ一息つき探索に向かう。
スゴイ下りですね、木が生えてなければ生きた心地がしないでしょう。笹原を歩き羽瀬尾への降下地点に向かう。目星をつけたのはテーブルランドから多志田谷に向かい南東に下りている尾根で、かなり急な下りだが、少し下れば木が生えているので怖くはない。
おめでとうございます。岩クラの前が大きく開け大きいスペースが作れるエリアがある所など添水銀山とよく似ている。岩クラを探っていくと水抜きの穴を発見。
Co920m付近でしょうか?だとすると多志田山の西面にもトラバース道があったかも知れませんね。精錬する場所が無かったので、孫太尾根の牛道を使い福岡野に下ろし精錬した。ただ、多志田銀山についてはなぜか資料が少なく、羽瀬尾からどうやって孫太尾根まで運んだかはっきりしない。今後の宿題としたい。
下りも意外に楽そうですね、大変参考になります。中尾は上部は道もはっきりしないが、与左ハゲ沿いに下りていくとロスなく下りれる。猟師道に入ってからは良い道をひたすら下りる。ただ二箇所間違いやすい所がある。一箇所目は広い尾根ではなく狭い方の尾根を選ぶ箇所。二箇所目は尾根が二股に分かれる箇所だ、両方とも二万五千の地図を読み、尾根の方向を確かめればクリアできる。中尾の上りは、ひたすら上れば良いが、さすがに下りでは地図読みが必要になる。赤テープはほとんどない。とはいうものの良い道で40分で中尾を下りきった。ここからは、通いなれた青川が待っていた。
by サンチョ
Re: 【鈴鹿】 福岡野につづく道6 藤原岳羽瀬尾探索
おはようございます、サンチョさん。
GWはオノブハゲを探索に行っていました。
こちらは二箇所水抜きがあり水も流れていました。
今回が一番水量が多かったですね。
登山道を歩くよりかは、気分がいいですよ。
なによりも歩く距離が短いし。
蛇谷銀山も資料があまり残っていないんですよね。
牛道でわざわざ運んだんだから規模は大きかったと思うのですが、想像はふくらみますね・・・
なんかわざわざ藤原に登る気がしなかったんですよね。
県境稜線は、当時ヤブを漕いだ記憶しかないですね。
木がなければ落石だらけでヤバイと思います。
もう少し上ですね。
鹿くん達はトラバースして歩いていましたからそうかもしれませんね。
また使ってやってください。
GW前半に出かけられたのは、下見と言うことになるんですか?今回は、羽瀬尾銀山の探索を行うことにした。
GWはオノブハゲを探索に行っていました。
こちらは二箇所水抜きがあり水も流れていました。
今回はそんなに水量が多かったですか・・・・・サンチョがGW最終日に赴いた時は水量も少なく楽勝に通過出来ましたが、確かに15日には茶屋川もかなり濁って増水してました。先週の雨の為かも知れませんね。いつもの青川駐車場に到着。青川をつめていく。今日は水量が多く、長靴を履いていても場所を選ばないと徒渡できない。
今回が一番水量が多かったですね。
治田峠へ上がるよりも遙かに楽そうですね・・・・・・。コルを少し上がると添水銀山に続く道の目印のミズナラが出迎えてくれる。ここをパスし与左ハゲを左に見ながら上り尾根が広くなってくると県境稜線に着く。
登山道を歩くよりかは、気分がいいですよ。
なによりも歩く距離が短いし。
牛道は、ここまでだったのでしょうか?GW最終日に赴いた時、迷い尾根の茶屋川側に掘れ込んだ古道が併走している区間があり、牛道だ・・・・・と思って眺めてました(写真添付しときます以前も添付したものですが)。下った所が蛇谷の分岐。福岡野から孫太尾根を使いここまで牛道は通じていた。
蛇谷銀山も資料があまり残っていないんですよね。
牛道でわざわざ運んだんだから規模は大きかったと思うのですが、想像はふくらみますね・・・
意外な所を歩いて無いんですね・・・・・10数年前でもある程度熊笹が有り歩き辛く、マムシが沢山居た記憶があります。当時からするとハゲ地になってしまったような・・・・・。孫太尾根の分岐をすぎP963のトラバース道に入る。このあたりには足しげく通っているが、孫太尾根から藤原岳まで歩いた事はない。正確に言うと30年前にブッシュをかき分けてキスリングで上った事はあるが、当時とは状況がかなり違う。
なんかわざわざ藤原に登る気がしなかったんですよね。
県境稜線は、当時ヤブを漕いだ記憶しかないですね。
スゴイ下りですね、木が生えてなければ生きた心地がしないでしょう。笹原を歩き羽瀬尾への降下地点に向かう。目星をつけたのはテーブルランドから多志田谷に向かい南東に下りている尾根で、かなり急な下りだが、少し下れば木が生えているので怖くはない。
木がなければ落石だらけでヤバイと思います。
Co920m付近でしょうか?だとすると多志田山の西面にもトラバース道があったかも知れませんね。精錬する場所が無かったので、孫太尾根の牛道を使い福岡野に下ろし精錬した。ただ、多志田銀山についてはなぜか資料が少なく、羽瀬尾からどうやって孫太尾根まで運んだかはっきりしない。今後の宿題としたい。
もう少し上ですね。
鹿くん達はトラバースして歩いていましたからそうかもしれませんね。
下りも意外に楽そうですね、大変参考になります。中尾は上部は道もはっきりしないが、与左ハゲ沿いに下りていくとロスなく下りれる。猟師道に入ってからは良い道をひたすら下りる。ただ二箇所間違いやすい所がある。一箇所目は広い尾根ではなく狭い方の尾根を選ぶ箇所。二箇所目は尾根が二股に分かれる箇所だ、両方とも二万五千の地図を読み、尾根の方向を確かめればクリアできる。中尾の上りは、ひたすら上れば良いが、さすがに下りでは地図読みが必要になる。赤テープはほとんどない。とはいうものの良い道で40分で中尾を下りきった。ここからは、通いなれた青川が待っていた。
また使ってやってください。