八風大明神初詣
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【 日 付 】
【 山 域 】
【メンバー】
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八風大明神初詣
八風大明神初詣
2013.01.06(SUN)晴れのち小雪 単独
射撃場跡P = 三池谷右岸尾根= 584 =お菊池西コバ = 三角点 = 三池岳山頂 = 八風峠 = 八風谷登山道
正月から日本各地で山岳遭難のニュースが報じられている。皆さんは家族団らんの場でこういうニュースが出ると肩身が狭いのではなかろうか。
「この寒いのにわざわざ山へ登って、人に迷惑かけまくって、あいつらはアホや」という意見が出る。
まことにごもっともで返す言葉もなく、黙って針のムシロに座っているしかない。以前は厳冬の八ヶ岳も参戦したが、今は鈴鹿しか行かない私の場合は少し言い訳もできる。アルプスと鈴鹿では全然気象条件も地形も違うから大丈夫やでと。しかし実際鈴鹿でも遭難死亡事故は起きているので大きな顔はできない。
どのみち雪があるのに山なんぞ登るやつは全員アホだということは確定している。なぜアホと言われても山へ登るのか。陳腐な問いかも知れないが、明快な答えもない。私もすっかりレポを上げなくなったが、月に1、2回は登っている。ほかに趣味があってもやはり山はやめない。なぜだろう。何か山が呼んでいる気がする。山が誘っているのだ、壇蜜のように。戒壇の壇にお供えの意を表す蜜。宗教に通ずる意味深でインパクトのある名前だ。山の神に姿かたちがあるならば、きっと彼女のような容姿なのだろう。
初山行は山上社で一番近い八風峠。準氏神さまといえるだろう。こちらの祭神は伊勢津彦命というおっさんだが、道中には壇蜜もいるだろう。いい天気にウキウキと出発する。田光のR306旧道(巡見街道)と八風街道の辻にあったムクノキの巨木が伐採されて、大きな切り株だけになっていた。うーん、歴史的な遺物だけに残念。人家の傍にあるので、老木となっては致し方なしか。射撃場跡の駐車場で積雪10cm弱。意外なことに誰もいない。
嘉助の林道も食傷気味なので、どこから登るか地図を見る。三池谷の左岸は登山道でお菊池に通ずるが、右岸を登ってみよう。地形図・584の尾根である。これなら駐車場からいきなり山の中である。アバウトに山へ入ると深さ1mほどの水路に行く手を阻まれた。下りても何とか這い上がれそうだ。これを過ぎると植林の急登。正月ボケの体が悲鳴をあげる。ただひたすら高い方へ行けば自然に・584に着くだろう。ヤブツバキやカシの常緑林になってきたがヤブコギというほどのものではない。浅い雪の中を獣が駆け回った跡に落ち葉が表れて黒い筋となっている。これを追いかけて登れば効率が良い。途中で福王山が見えた。
・584は細長いピークで殆ど展望はない。緩やかに下ってまた急登になる。これを登りきると、ちょっとした広場になっている。地図を見ると三つの尾根の集合点である(640m)。下りに使うとここで迷いそうだ。もっとも南に外せばこの尾根も使えそうだ。ここからまた急登で、落ち葉の上の浅い雪がよく滑る。一度滑って膝を強打してしまった。油断は禁物。しかしこの尾根、ちょっと整備すれば登山道として使えそうだ。痩せ尾根からは釈迦ヶ岳が見えた。単独の場合マイペースで歩けるのが良い。何処でどれだけ休息するも自由自在。やがて岩場が現れた。小規模なもので困難ではない。これを上がると八風の稜線が見渡せる展望地に出た。初めてのコースは新鮮だ。
800m付近でルートは西から北へと向きを変える。サルの頭蓋骨のような形をした岩があった。傾斜が緩むとようやく三池岳が見えてくる。地図にある左の崩壊地は怖いものではない。でも落ちたら痛いでは済まないかも。ここからアセビの海になった。やはり登山道のような具合にはいかなかった。ガレ場のトラバースはできないので、トンネル状の場所を見つけて匍匐前進する。雪はサラサラなので濡れることはない。ようやく登山道のある稜線に這い上がったが、全くトレースがない。一瞬場所を間違えているのかと不安になる。しかしどう見ても三角点とお菊池の中間コバだ。ここはランチの適地だが時間がまだ早いので、三池岳へと向かう。
三角点や山頂は無人。朝の好天はどこへやら、強風が吹き荒れ、低く垂れこめた鉛色の空から雪が吹き付けてくる。付近の山々も頂上が見えず寒々とした風景である。厳しい山頂から家にメールを打っていると、八風峠側から赤いジャケットを着た単独者が登ってきた。少し話す。東側は怖いから往路を戻ると言っていた。お先に八風峠へ向かう。稜線は雪が多かった。吹き溜まりは膝を超える。
八風大明神にこうべを垂れる。お願い事は多過ぎるが、やはり還暦がリアルに射程圏に入ってくると家内安全と健康が主となる。完全に守りに入っている。50歳になった時は自分で驚いた。俺が50?そんなアホな・・・。60になった暁にはどんな気分がするのだろう。時間は余裕だが帰路は登山道を使おう。万一途中でメニエルの目眩が出たらというセーフティーマージンを見込む。強風の稜線でランチはできないので下りながら探す。なかなかいい場所がないので途中で妥協する。せっかく担ぎ上げた荷物なのに殆ど降りて食うのも悔しいからである。
今日はマルハニチレイの冷凍食品「あおり炒めの焼豚チャーハン」を持ってきた。しかし電子レンジを忘れてきた。代りにフライパンで炒めることにする。コンロを点火してみると恐ろしく心細い火しかでない。家に半端なカートリッジしかなかったのである。これはあかんと観念してツエルトを張る。だんだん風が強くなってきてセットに難儀した。ツエルトの中ではこんなガスでも何とかなる。バターをひとかけら敷いて、中身をフライパンにブチ込む。しかし火力が弱くて長~く炒めた分だけパサパサになりすぎた。如何にチャーハンの極意がパラパラにあると言えど、ものには限度がある。一つ勉強した。手早く炒めないとやはりダメだ。それにしてもやけに量が多いなと思って、帰って家内に聞いたらひと袋二人前だそうな。食べる途中に苦しくなって飲み物が欲しくなったのも頷ける。
ハリマオ
Re: 八風大明神初詣
おはようございます、ハリマオさん。
正月から日本各地で山岳遭難のニュースが報じられている。皆さんは家族団らんの場でこういうニュースが出ると肩身が狭いのではなかろうか。
「この寒いのにわざわざ山へ登って、人に迷惑かけまくって、あいつらはアホや」という意見が出る。
新潟生まれの嫁に「どうして寒い季節にわざわざ雪を見に行きたいと思うのか理解できない」と言われております。
まことにごもっともで返す言葉もなく、黙って針のムシロに座っているしかない。以前は厳冬の八ヶ岳も参戦したが、今は鈴鹿しか行かない私の場合は少し言い訳もできる。アルプスと鈴鹿では全然気象条件も地形も違うから大丈夫やでと。しかし実際鈴鹿でも遭難死亡事故は起きているので大きな顔はできない。
こうした時は、落第忍者尊師の「行きたいから行くんじゃい」というお言葉を思い出しましょう。
どのみち雪があるのに山なんぞ登るやつは全員アホだということは確定している。なぜアホと言われても山へ登るのか。陳腐な問いかも知れないが、明快な答えもない。私もすっかりレポを上げなくなったが、月に1、2回は登っている。ほかに趣味があってもやはり山はやめない。なぜだろう。何か山が呼んでいる気がする。山が誘っているのだ、壇蜜のように。戒壇の壇にお供えの意を表す蜜。宗教に通ずる意味深でインパクトのある名前だ。山の神に姿かたちがあるならば、きっと彼女のような容姿なのだろう。
山は生活のリズムに組み込まれている感じがします。
これまで歩きつくしてきた人間のDNAが呼んでいるんですよ。
檀蜜っていいですねえ。
ちらっと垣間見せるピュアな所が好きです。
スケベで不細工な山の神じゃなくって、檀蜜の方がいいですよねえ。
初山行は山上社で一番近い八風峠。準氏神さまといえるだろう。こちらの祭神は伊勢津彦命というおっさんだが、道中には壇蜜もいるだろう。いい天気にウキウキと出発する。田光のR306旧道(巡見街道)と八風街道の辻にあったムクノキの巨木が伐採されて、大きな切り株だけになっていた。うーん、歴史的な遺物だけに残念。人家の傍にあるので、老木となっては致し方なしか。射撃場跡の駐車場で積雪10cm弱。意外なことに誰もいない。
伊勢津彦は千の風じゃなくこじんまりと八の風になって飛んでいきましたね。
この日は天気が良かったです。
私は奥桧塚方面に行っていましたが、天気が良すぎて霧氷はまったくでした。
・584は細長いピークで殆ど展望はない。緩やかに下ってまた急登になる。これを登りきると、ちょっとした広場になっている。地図を見ると三つの尾根の集合点である(640m)。下りに使うとここで迷いそうだ。もっとも南に外せばこの尾根も使えそうだ。ここからまた急登で、落ち葉の上の浅い雪がよく滑る。一度滑って膝を強打してしまった。油断は禁物。しかしこの尾根、ちょっと整備すれば登山道として使えそうだ。痩せ尾根からは釈迦ヶ岳が見えた。単独の場合マイペースで歩けるのが良い。何処でどれだけ休息するも自由自在。やがて岩場が現れた。小規模なもので困難ではない。これを上がると八風の稜線が見渡せる展望地に出た。初めてのコースは新鮮だ。
八風大明神にこうべを垂れる。お願い事は多過ぎるが、やはり還暦がリアルに射程圏に入ってくると家内安全と健康が主となる。完全に守りに入っている。50歳になった時は自分で驚いた。俺が50?そんなアホな・・・。60になった暁にはどんな気分がするのだろう。時間は余裕だが帰路は登山道を使おう。万一途中でメニエルの目眩が出たらというセーフティーマージンを見込む。強風の稜線でランチはできないので下りながら探す。なかなかいい場所がないので途中で妥協する。せっかく担ぎ上げた荷物なのに殆ど降りて食うのも悔しいからである。
まだ若いつもりなのですが、年は確実に積み重なってきます。
落語のように「枯れた山登り」が出来るようになるといいなあ。
今日はマルハニチレイの冷凍食品「あおり炒めの焼豚チャーハン」を持ってきた。しかし電子レンジを忘れてきた。代りにフライパンで炒めることにする。コンロを点火してみると恐ろしく心細い火しかでない。家に半端なカートリッジしかなかったのである。これはあかんと観念してツエルトを張る。だんだん風が強くなってきてセットに難儀した。ツエルトの中ではこんなガスでも何とかなる。バターをひとかけら敷いて、中身をフライパンにブチ込む。しかし火力が弱くて長~く炒めた分だけパサパサになりすぎた。如何にチャーハンの極意がパラパラにあると言えど、ものには限度がある。一つ勉強した。手早く炒めないとやはりダメだ。それにしてもやけに量が多いなと思って、帰って家内に聞いたらひと袋二人前だそうな。食べる途中に苦しくなって飲み物が欲しくなったのも頷ける。
最近は私も山でランチをするようにしています。
冷凍食品は普通二人前ですよ・・・
わりばし
正月から日本各地で山岳遭難のニュースが報じられている。皆さんは家族団らんの場でこういうニュースが出ると肩身が狭いのではなかろうか。
「この寒いのにわざわざ山へ登って、人に迷惑かけまくって、あいつらはアホや」という意見が出る。
新潟生まれの嫁に「どうして寒い季節にわざわざ雪を見に行きたいと思うのか理解できない」と言われております。
まことにごもっともで返す言葉もなく、黙って針のムシロに座っているしかない。以前は厳冬の八ヶ岳も参戦したが、今は鈴鹿しか行かない私の場合は少し言い訳もできる。アルプスと鈴鹿では全然気象条件も地形も違うから大丈夫やでと。しかし実際鈴鹿でも遭難死亡事故は起きているので大きな顔はできない。
こうした時は、落第忍者尊師の「行きたいから行くんじゃい」というお言葉を思い出しましょう。
どのみち雪があるのに山なんぞ登るやつは全員アホだということは確定している。なぜアホと言われても山へ登るのか。陳腐な問いかも知れないが、明快な答えもない。私もすっかりレポを上げなくなったが、月に1、2回は登っている。ほかに趣味があってもやはり山はやめない。なぜだろう。何か山が呼んでいる気がする。山が誘っているのだ、壇蜜のように。戒壇の壇にお供えの意を表す蜜。宗教に通ずる意味深でインパクトのある名前だ。山の神に姿かたちがあるならば、きっと彼女のような容姿なのだろう。
山は生活のリズムに組み込まれている感じがします。
これまで歩きつくしてきた人間のDNAが呼んでいるんですよ。
檀蜜っていいですねえ。
ちらっと垣間見せるピュアな所が好きです。
スケベで不細工な山の神じゃなくって、檀蜜の方がいいですよねえ。
初山行は山上社で一番近い八風峠。準氏神さまといえるだろう。こちらの祭神は伊勢津彦命というおっさんだが、道中には壇蜜もいるだろう。いい天気にウキウキと出発する。田光のR306旧道(巡見街道)と八風街道の辻にあったムクノキの巨木が伐採されて、大きな切り株だけになっていた。うーん、歴史的な遺物だけに残念。人家の傍にあるので、老木となっては致し方なしか。射撃場跡の駐車場で積雪10cm弱。意外なことに誰もいない。
伊勢津彦は千の風じゃなくこじんまりと八の風になって飛んでいきましたね。
この日は天気が良かったです。
私は奥桧塚方面に行っていましたが、天気が良すぎて霧氷はまったくでした。
・584は細長いピークで殆ど展望はない。緩やかに下ってまた急登になる。これを登りきると、ちょっとした広場になっている。地図を見ると三つの尾根の集合点である(640m)。下りに使うとここで迷いそうだ。もっとも南に外せばこの尾根も使えそうだ。ここからまた急登で、落ち葉の上の浅い雪がよく滑る。一度滑って膝を強打してしまった。油断は禁物。しかしこの尾根、ちょっと整備すれば登山道として使えそうだ。痩せ尾根からは釈迦ヶ岳が見えた。単独の場合マイペースで歩けるのが良い。何処でどれだけ休息するも自由自在。やがて岩場が現れた。小規模なもので困難ではない。これを上がると八風の稜線が見渡せる展望地に出た。初めてのコースは新鮮だ。
八風大明神にこうべを垂れる。お願い事は多過ぎるが、やはり還暦がリアルに射程圏に入ってくると家内安全と健康が主となる。完全に守りに入っている。50歳になった時は自分で驚いた。俺が50?そんなアホな・・・。60になった暁にはどんな気分がするのだろう。時間は余裕だが帰路は登山道を使おう。万一途中でメニエルの目眩が出たらというセーフティーマージンを見込む。強風の稜線でランチはできないので下りながら探す。なかなかいい場所がないので途中で妥協する。せっかく担ぎ上げた荷物なのに殆ど降りて食うのも悔しいからである。
まだ若いつもりなのですが、年は確実に積み重なってきます。
落語のように「枯れた山登り」が出来るようになるといいなあ。
今日はマルハニチレイの冷凍食品「あおり炒めの焼豚チャーハン」を持ってきた。しかし電子レンジを忘れてきた。代りにフライパンで炒めることにする。コンロを点火してみると恐ろしく心細い火しかでない。家に半端なカートリッジしかなかったのである。これはあかんと観念してツエルトを張る。だんだん風が強くなってきてセットに難儀した。ツエルトの中ではこんなガスでも何とかなる。バターをひとかけら敷いて、中身をフライパンにブチ込む。しかし火力が弱くて長~く炒めた分だけパサパサになりすぎた。如何にチャーハンの極意がパラパラにあると言えど、ものには限度がある。一つ勉強した。手早く炒めないとやはりダメだ。それにしてもやけに量が多いなと思って、帰って家内に聞いたらひと袋二人前だそうな。食べる途中に苦しくなって飲み物が欲しくなったのも頷ける。
最近は私も山でランチをするようにしています。
冷凍食品は普通二人前ですよ・・・
わりばし
Re: 八風大明神初詣
ハリ真央さん、おはようございます。今年もよろしくお願いいたしますm(__)m
うちの家内が、真央ちゃんの大ファンなのでこんな変換が出てきました。正月早々失礼。
まことにごもっともで返す言葉もなく、黙って針のムシロに座っているしかない。以前は厳冬の八ヶ岳も参戦したが、今は鈴鹿しか行かない私の場合は少し言い訳もできる。アルプスと鈴鹿では全然気象条件も地形も違うから大丈夫やでと。しかし実際鈴鹿でも遭難死亡事故は起きているので大きな顔はできない。
私も遭難予備軍の一人ですので、遭難の記事が出るたびに身につまされています。無事に帰ってなんぼのもんですので、いつどのような状況でも命だけは失わないようにしたいものです。自分ではなく、周りの人に迷惑がかかりますからね。
山が誘っているのだ、壇蜜のように。戒壇の壇にお供えの意を表す蜜。宗教に通ずる意味深でインパクトのある名前だ。山の神に姿かたちがあるならば、きっと彼女のような容姿なのだろう。
正月早々、壇蜜話ですか。確かに彼女の顔は仏像の妖艶さに通じるものがありますね。中高年がモエちゃうのもわかります
八風大明神にこうべを垂れる。お願い事は多過ぎるが、やはり還暦がリアルに射程圏に入ってくると家内安全と健康が主となる。完全に守りに入っている。50歳になった時は自分で驚いた。俺が50?そんなアホな・・・。60になった暁にはどんな気分がするのだろう。時間は余裕だが帰路は登山道を使おう。
ちなみに私今年で60になりました。これからは赤いちゃんちゃんこ来て山に登ろうかな
と言いながら、これまでも年じゅう赤いウエアで山歩きをしているんだった。
まあ、年はどうでもいいということで。
三角点や山頂は無人。朝の好天はどこへやら、強風が吹き荒れ、低く垂れこめた鉛色の空から雪が吹き付けてくる。付近の山々も頂上が見えず寒々とした風景である。
ほ~、鈴鹿は狂風でしたか(なんでこんな変換になるんだろう?)。私は御嶽にいましたが、1日いい天気で、風も強くはありませんでした。
今日はマルハニチレイの冷凍食品「あおり炒めの焼豚チャーハン」を持ってきた。しかし電子レンジを忘れてきた。代りにフライパンで炒めることにする。コンロを点火してみると恐ろしく心細い火しかでない。家に半端なカートリッジしかなかったのである。これはあかんと観念してツエルトを張る。だんだん風が強くなってきてセットに難儀した。ツエルトの中ではこんなガスでも何とかなる。バターをひとかけら敷いて、中身をフライパンにブチ込む。しかし火力が弱くて長~く炒めた分だけパサパサになりすぎた。如何にチャーハンの極意がパラパラにあると言えど、ものには限度がある。一つ勉強した。手早く炒めないとやはりダメだ。それにしてもやけに量が多いなと思って、帰って家内に聞いたらひと袋二人前だそうな。食べる途中に苦しくなって飲み物が欲しくなったのも頷ける。
おおっ~、ヤブコギはやりの昼食の描写ですね~。やっぱ、食べ物は山での最大の楽しみの一つですね。美味しそうなものがありましたら是非いろいろ紹介して下さいな。
うちの家内が、真央ちゃんの大ファンなのでこんな変換が出てきました。正月早々失礼。
まことにごもっともで返す言葉もなく、黙って針のムシロに座っているしかない。以前は厳冬の八ヶ岳も参戦したが、今は鈴鹿しか行かない私の場合は少し言い訳もできる。アルプスと鈴鹿では全然気象条件も地形も違うから大丈夫やでと。しかし実際鈴鹿でも遭難死亡事故は起きているので大きな顔はできない。
私も遭難予備軍の一人ですので、遭難の記事が出るたびに身につまされています。無事に帰ってなんぼのもんですので、いつどのような状況でも命だけは失わないようにしたいものです。自分ではなく、周りの人に迷惑がかかりますからね。
山が誘っているのだ、壇蜜のように。戒壇の壇にお供えの意を表す蜜。宗教に通ずる意味深でインパクトのある名前だ。山の神に姿かたちがあるならば、きっと彼女のような容姿なのだろう。
正月早々、壇蜜話ですか。確かに彼女の顔は仏像の妖艶さに通じるものがありますね。中高年がモエちゃうのもわかります
八風大明神にこうべを垂れる。お願い事は多過ぎるが、やはり還暦がリアルに射程圏に入ってくると家内安全と健康が主となる。完全に守りに入っている。50歳になった時は自分で驚いた。俺が50?そんなアホな・・・。60になった暁にはどんな気分がするのだろう。時間は余裕だが帰路は登山道を使おう。
ちなみに私今年で60になりました。これからは赤いちゃんちゃんこ来て山に登ろうかな
と言いながら、これまでも年じゅう赤いウエアで山歩きをしているんだった。
まあ、年はどうでもいいということで。
三角点や山頂は無人。朝の好天はどこへやら、強風が吹き荒れ、低く垂れこめた鉛色の空から雪が吹き付けてくる。付近の山々も頂上が見えず寒々とした風景である。
ほ~、鈴鹿は狂風でしたか(なんでこんな変換になるんだろう?)。私は御嶽にいましたが、1日いい天気で、風も強くはありませんでした。
今日はマルハニチレイの冷凍食品「あおり炒めの焼豚チャーハン」を持ってきた。しかし電子レンジを忘れてきた。代りにフライパンで炒めることにする。コンロを点火してみると恐ろしく心細い火しかでない。家に半端なカートリッジしかなかったのである。これはあかんと観念してツエルトを張る。だんだん風が強くなってきてセットに難儀した。ツエルトの中ではこんなガスでも何とかなる。バターをひとかけら敷いて、中身をフライパンにブチ込む。しかし火力が弱くて長~く炒めた分だけパサパサになりすぎた。如何にチャーハンの極意がパラパラにあると言えど、ものには限度がある。一つ勉強した。手早く炒めないとやはりダメだ。それにしてもやけに量が多いなと思って、帰って家内に聞いたらひと袋二人前だそうな。食べる途中に苦しくなって飲み物が欲しくなったのも頷ける。
おおっ~、ヤブコギはやりの昼食の描写ですね~。やっぱ、食べ物は山での最大の楽しみの一つですね。美味しそうなものがありましたら是非いろいろ紹介して下さいな。
@シュークリーム@
Re: 八風大明神初詣
割り箸さん こんにちは
なるほど、開き直りですね。
自分が遭難するのはさほど怖くないですが、人様に迷惑かけることが怖いです。
日本人のルーツは混血だから多様なのかな。
勃ち上がれ日本男児! ってね。
これって撤退? 逃亡?
昼食はやはり山での大きな楽しみのひとつでしょう。
それがメインイベントの人だっているし(^◇^)
そうなんですか?
私は家では「男子厨房に入るべからず」なので、何も知りません。
ハリマオ
ほお。雪国の女性は色白美人とか。羨ましいですね。新潟生まれの嫁に「どうして寒い季節にわざわざ雪を見に行きたいと思うのか理解できない」と言われております。
こうした時は、落第忍者尊師の「行きたいから行くんじゃい」というお言葉を思い出しましょう。
なるほど、開き直りですね。
自分が遭難するのはさほど怖くないですが、人様に迷惑かけることが怖いです。
そういうDNAを受け継ぐ人と、そうでない人がいるのも不思議なことです。山は生活のリズムに組み込まれている感じがします。
これまで歩きつくしてきた人間のDNAが呼んでいるんですよ。
日本人のルーツは混血だから多様なのかな。
彼女は元気を失った現代日本に舞い降りた観音菩薩だと思います檀蜜っていいですねえ。
ちらっと垣間見せるピュアな所が好きです。
勃ち上がれ日本男児! ってね。
「我は今夜、八風を起こして海の水を吹き波に乗りて東に行かむ」伊勢津彦は千の風じゃなくこじんまりと八の風になって飛んでいきましたね。
これって撤退? 逃亡?
ということは以前は食べずに下山?最近は私も山でランチをするようにしています。
昼食はやはり山での大きな楽しみのひとつでしょう。
それがメインイベントの人だっているし(^◇^)
冷凍食品は普通二人前ですよ・・・
そうなんですか?
私は家では「男子厨房に入るべからず」なので、何も知りません。
ハリマオ
Re: 八風大明神初詣
シューさん こんにちは。本年もよろしくです。
遭難しようと思ってする人はいない。でもまず自分も例外じゃないことを肝に命じたいですね。
山を知り、己を知らば百戦危うからず。
天が遣わしたのでしょうね。
昔は寿命が短かったので60ぽっちでお祝いしたのですね。
人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の 如くなり・・・わしもう死んでますわ。
でもまだ両親健在だから死ねません。
山にコンセントがあるといいのだけど・・・鉄塔の誘導電流を利用できんかな。
ハリマオ
誰しも自分は大丈夫だと考えて山へ行くワケですね。私も遭難予備軍の一人ですので、遭難の記事が出るたびに身につまされています。無事に帰ってなんぼのもんですので、いつどのような状況でも命だけは失わないようにしたいものです。自分ではなく、周りの人に迷惑がかかりますからね
遭難しようと思ってする人はいない。でもまず自分も例外じゃないことを肝に命じたいですね。
山を知り、己を知らば百戦危うからず。
そうそう。上でも書いたけど壇蜜はこの時代に降臨された慈母観音だと思います。正月早々、壇蜜話ですか。確かに彼女の顔は仏像の妖艶さに通じるものがありますね。中高年がモエちゃうのもわかります
天が遣わしたのでしょうね。
そうでしたか。人生の先輩ですね。ちなみに私今年で60になりました。これからは赤いちゃんちゃんこ来て山に登ろうかな
昔は寿命が短かったので60ぽっちでお祝いしたのですね。
人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の 如くなり・・・わしもう死んでますわ。
でもまだ両親健在だから死ねません。
御岳は夏でも寒いと言いますが、冬は暖かいのかな(^◇^)ほ~、鈴鹿は狂風でしたか(なんでこんな変換になるんだろう?)。私は御嶽にいましたが、1日いい天気で、風も強くはありませんでした。
料理は苦手なので紹介はできませんが、冬は冷凍食品が使えますね。おおっ~、ヤブコギはやりの昼食の描写ですね~。やっぱ、食べ物は山での最大の楽しみの一つですね。美味しそうなものがありましたら是非いろいろ紹介して下さいな。
山にコンセントがあるといいのだけど・・・鉄塔の誘導電流を利用できんかな。
ハリマオ
Re: 八風大明神初詣
こんにちは~
初詣もサボって破魔矢はもらえなかったけど、ハリマヤさんからレス戴いたんでメデタシメデタシって新年です。
お返しってわけじゃないけど、八風大明神のご利益のおこぼれも戴こうかと覗いております。
biwa爺は西方浄土からしか行ったことありませんけど、東面には射撃場があったんですね。
警察か自衛隊? それとも猟銃の練習場? まさか水鉄砲じゃないですよね。
わたしは言い訳はできんでしょうなあ…。前科が…。(>_<)
壇蜜…ですか。初めてお聞きしました。正直、この人のこと知らなかったんですけど、世間では超人気上昇中なんですか?
うちの山のカミとはエライ違いですけどね…。
おっさん神だけでダンミツノミコトはおわせられなかったですか(@_@;)
「シカが降りる崖を馬が降りられないはずがない…」とヒヨドリ越えを攻め下ったと源平の戦いにありました。獣が通った跡なら人も通れるやろ…とは限らんけどね。
「三重県の山」の改定版に追補コースで入れといてください。
マルハとニチレイは合併したんですね。銀行やカメラ屋さんも合併で長い名前になったところがいろいろあって、覚えるのに苦労します。
弱火で長時間加熱するとパサパサになる? ベチャベチャになりそうだけど…(@_@;)
それにしても寒さを我慢しての食事作りも大変でしたね。
思い出しました。雪の御池(道池辺り)で、へたれガスのため鍋が沸騰するのに数十分もかかったことがあったなあ…。(>_<)
~biwaco
初詣もサボって破魔矢はもらえなかったけど、ハリマヤさんからレス戴いたんでメデタシメデタシって新年です。
お返しってわけじゃないけど、八風大明神のご利益のおこぼれも戴こうかと覗いております。
射撃場跡P = 三池谷右岸尾根= 584 =お菊池西コバ = 三角点 = 三池岳山頂 = 八風峠 = 八風谷登山道
biwa爺は西方浄土からしか行ったことありませんけど、東面には射撃場があったんですね。
警察か自衛隊? それとも猟銃の練習場? まさか水鉄砲じゃないですよね。
正月から日本各地で山岳遭難のニュースが報じられている。皆さんは家族団らんの場でこういうニュースが出ると肩身が狭いのではなかろうか。
「この寒いのにわざわざ山へ登って、人に迷惑かけまくって、あいつらはアホや」という意見が出る。
まことにごもっともで返す言葉もなく、黙って針のムシロに座っているしかない。以前は厳冬の八ヶ岳も参戦したが、今は鈴鹿しか行かない私の場合は少し言い訳もできる。アルプスと鈴鹿では全然気象条件も地形も違うから大丈夫やでと。しかし実際鈴鹿でも遭難死亡事故は起きているので大きな顔はできない。
わたしは言い訳はできんでしょうなあ…。前科が…。(>_<)
何か山が呼んでいる気がする。山が誘っているのだ、壇蜜のように。戒壇の壇にお供えの意を表す蜜。宗教に通ずる意味深でインパクトのある名前だ。山の神に姿かたちがあるならば、きっと彼女のような容姿なのだろう。
壇蜜…ですか。初めてお聞きしました。正直、この人のこと知らなかったんですけど、世間では超人気上昇中なんですか?
うちの山のカミとはエライ違いですけどね…。
初山行は山上社で一番近い八風峠。準氏神さまといえるだろう。こちらの祭神は伊勢津彦命というおっさんだが、道中には壇蜜もいるだろう。いい天気にウキウキと出発する。
射撃場跡の駐車場で積雪10cm弱。意外なことに誰もいない。
おっさん神だけでダンミツノミコトはおわせられなかったですか(@_@;)
浅い雪の中を獣が駆け回った跡に落ち葉が表れて黒い筋となっている。これを追いかけて登れば効率が良い。途中で福王山が見えた。
「シカが降りる崖を馬が降りられないはずがない…」とヒヨドリ越えを攻め下ったと源平の戦いにありました。獣が通った跡なら人も通れるやろ…とは限らんけどね。
・584は細長いピークで殆ど展望はない。緩やかに下ってまた急登になる。これを登りきると、ちょっとした広場になっている。地図を見ると三つの尾根の集合点である(640m)。下りに使うとここで迷いそうだ。もっとも南に外せばこの尾根も使えそうだ。ここからまた急登で、落ち葉の上の浅い雪がよく滑る。一度滑って膝を強打してしまった。油断は禁物。しかしこの尾根、ちょっと整備すれば登山道として使えそうだ。
「三重県の山」の改定版に追補コースで入れといてください。
地図にある左の崩壊地は怖いものではない。でも落ちたら痛いでは済まないかも。ここからアセビの海になった。やはり登山道のような具合にはいかなかった。ガレ場のトラバースはできないので、トンネル状の場所を見つけて匍匐前進する。quote]
これでは一般用ガイドブックには無理か(@_@;)
八風大明神にこうべを垂れる。お願い事は多過ぎるが、やはり還暦がリアルに射程圏に入ってくると家内安全と健康が主となる。完全に守りに入っている。50歳になった時は自分で驚いた。俺が50?そんなアホな・・・。60になった暁にはどんな気分がするのだろう。
「ああ、やっと仕事から解放される! これで自由に山へ行けるぞー」。60歳になった時の感慨でした。
実際はそう単純じゃアないですけどね。(@_@;)
今日はマルハニチレイの冷凍食品「あおり炒めの焼豚チャーハン」を持ってきた。しかし電子レンジを忘れてきた。代りにフライパンで炒めることにする。コンロを点火してみると恐ろしく心細い火しかでない。家に半端なカートリッジしかなかったのである。これはあかんと観念してツエルトを張る。だんだん風が強くなってきてセットに難儀した。ツエルトの中ではこんなガスでも何とかなる。バターをひとかけら敷いて、中身をフライパンにブチ込む。しかし火力が弱くて長~く炒めた分だけパサパサになりすぎた。如何にチャーハンの極意がパラパラにあると言えど、ものには限度がある。一つ勉強した。
マルハとニチレイは合併したんですね。銀行やカメラ屋さんも合併で長い名前になったところがいろいろあって、覚えるのに苦労します。
弱火で長時間加熱するとパサパサになる? ベチャベチャになりそうだけど…(@_@;)
それにしても寒さを我慢しての食事作りも大変でしたね。
思い出しました。雪の御池(道池辺り)で、へたれガスのため鍋が沸騰するのに数十分もかかったことがあったなあ…。(>_<)
~biwaco
Re: 八風大明神初詣
biwacoさん こんにちは
正しい八風街道の歩き方です。どうやって帰るって?
ま、うちで泊めてあげますから翌日また歩いて帰りましょう。
途中で行き倒れになるとハクが付きます。嘉助、伊左衛門に次いで三番目の墓に入れる特典も。
子ども並みの遊びです。
神話に例えれば、閉塞した日本は天照大神が天の岩戸へお隠れになった状態です。
そこで必然的に現代版アメノウズメノミコトが遣わされたわけです。
マルハとニチロが合併したようです。
かつて丸に「は」の字といえば缶詰とか大洋ホエールズのユニフォームでお馴染みでしたが
もう鯨を捕れないから多角経営ですね。
ハリマオ
八日市から杠葉尾を経て八風峠へ登り、田光へ下り、四日市や桑名を目指すのが>射撃場跡P = 三池谷右岸尾根= 584 =お菊池西コバ = 三角点 = 三池岳山頂 = 八風峠 = 八風谷登山道
biwa爺は西方浄土からしか行ったことありませんけど、
正しい八風街道の歩き方です。どうやって帰るって?
ま、うちで泊めてあげますから翌日また歩いて帰りましょう。
途中で行き倒れになるとハクが付きます。嘉助、伊左衛門に次いで三番目の墓に入れる特典も。
練習場というか、クレー射撃という遊びですわな。飛んでくる素焼きの皿を撃って喜ぶわけです。東面には射撃場があったんですね。
警察か自衛隊? それとも猟銃の練習場? まさか水鉄砲じゃないですよね。
子ども並みの遊びです。
赤丸上昇中と言いたいですが、そういう言い方は馴染まないですね。壇蜜…ですか。初めてお聞きしました。正直、この人のこと知らなかったんですけど、世間では超人気上昇中なんですか?
神話に例えれば、閉塞した日本は天照大神が天の岩戸へお隠れになった状態です。
そこで必然的に現代版アメノウズメノミコトが遣わされたわけです。
首になります。>しかしこの尾根、ちょっと整備すれば登山道として使えそうだ。
「三重県の山」の改定版に追補コースで入れといてください。
わしは60になっても解放されないのです。>50歳になった時は自分で驚いた。俺が50?そんなアホな・・・。60になった暁にはどんな気分がするのだろう。
「ああ、やっと仕事から解放される! これで自由に山へ行けるぞー」。60歳になった時の感慨でした。
これは失礼! マルハニチロの誤りです。ニチレイは別の会社です。> 今日はマルハニチレイの冷凍食品「あおり炒めの焼豚チャーハン」を持ってきた。
マルハとニチレイは合併したんですね。
マルハとニチロが合併したようです。
かつて丸に「は」の字といえば缶詰とか大洋ホエールズのユニフォームでお馴染みでしたが
もう鯨を捕れないから多角経営ですね。
全部くっつける方式の社名はセンスがないですね。でも自社の名前に愛着や執着があるのでしょう。銀行やカメラ屋さんも合併で長い名前になったところがいろいろあって、覚えるのに苦労します。
ハリマオ
Re: 八風大明神初詣
ハリさん、おはよう&おめで登ございます。
ふ~さん
まさに、うちのオヤジにも諭されたし、初出勤の際にも「家を出ようとした時にTVで遭難のニュースが始まったから、あんたの名前が出てないことを確認してから出てきた」って言われちゃうし。(>_<)正月から日本各地で山岳遭難のニュースが報じられている。皆さんは家族団らんの場でこういうニュースが出ると肩身が狭いのではなかろうか。
さすがに、わしの報復を恐れて、こういう意見は飲み込んでおったようです。「この寒いのにわざわざ山へ登って、人に迷惑かけまくって、あいつらはアホや」という意見が出る。
あっしも厳冬の八ヶ岳を毎年毎年、北横岳から順に南下してつないでいったのも過去のことです。年末年始というと越年登山がステータスだった頃と比べると、所帯を持って骨抜きのくらげ状態や。その点、ハリさんは年末に暴風低温下のハライドでお祓いしたり、キノコ岩でキノコ祭してるじゃござんせんか(意味不明)まことにごもっともで返す言葉もなく、黙って針のムシロに座っているしかない。以前は厳冬の八ヶ岳も参戦したが、今は鈴鹿しか行かない私の場合は少し言い訳もできる。
うひゃ。先日、某所でハリさんの壇蜜発言が話題になりましたぞ。禁欲的なハリさんはてっきり『断蜜』かと思ったわい。壇蜜と同じく崇高さと下品・お下劣は表裏一体ってわけね。どのみち雪があるのに山なんぞ登るやつは全員アホだということは確定している。なぜアホと言われても山へ登るのか。陳腐な問いかも知れないが、明快な答えもない。私もすっかりレポを上げなくなったが、月に1、2回は登っている。ほかに趣味があってもやはり山はやめない。なぜだろう。何か山が呼んでいる気がする。山が誘っているのだ、壇蜜のように。戒壇の壇にお供えの意を表す蜜。宗教に通ずる意味深でインパクトのある名前だ。山の神に姿かたちがあるならば、きっと彼女のような容姿なのだろう。
ありゃ、これは山レポだったんですか。わしゃ、てっきり洞吹先生のような「どーでもええ話」の類かと思っちょりました。初山行は山上社で一番近い八風峠。準氏神さまといえるだろう。こちらの祭神は伊勢津彦命というおっさんだが、道中には壇蜜もいるだろう。いい天気にウキウキと出発する。田光のR306旧道(巡見街道)と八風街道の辻にあったムクノキの巨木が伐採されて、大きな切り株だけになっていた。うーん、歴史的な遺物だけに残念。人家の傍にあるので、老木となっては致し方なしか。射撃場跡の駐車場で積雪10cm弱。意外なことに誰もいない。
貸し切りの山頂でしたか。わしゃ、その頃には、こたつでぬくぬくしながらミカンの皮をむいていましたわい。三角点や山頂は無人。朝の好天はどこへやら、強風が吹き荒れ、低く垂れこめた鉛色の空から雪が吹き付けてくる。付近の山々も頂上が見えず寒々とした風景である。厳しい山頂から家にメールを打っていると、
ほんまやね。ま、でも諸先輩方に言わせれば、還暦なんてのはまだまだおむつ姿の赤ん坊ですぜ。でも、ご自営さんは退職金がないからなぁ。はやくオイルシェールとかハイ泥メタメタ開発を軌道に乗せなはれ。八風大明神にこうべを垂れる。お願い事は多過ぎるが、やはり還暦がリアルに射程圏に入ってくると家内安全と健康が主となる。完全に守りに入っている。50歳になった時は自分で驚いた。俺が50?そんなアホな・・・。60になった暁にはどんな気分がするのだろう。
ハリさんでも、こんな男所帯風なシェフを演じるんだね~。これは新しい発見。今年はまた新しい自分で出会えそうやね。良いお年を!そして、やぶこぎの糟仲間の絆を大切にしませう。(^o^)バターをひとかけら敷いて、中身をフライパンにブチ込む。しかし火力が弱くて長~く炒めた分だけパサパサになりすぎた。如何にチャーハンの極意がパラパラにあると言えど、ものには限度がある。一つ勉強した。手早く炒めないとやはりダメだ。それにしてもやけに量が多いなと思って、帰って家内に聞いたらひと袋二人前だそうな。食べる途中に苦しくなって飲み物が欲しくなったのも頷ける。
ふ~さん
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- 記事: 719
- 登録日時: 2011年6月06日(月) 01:33
- お住まい: 京都市中京区
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人はなぜ雪山に登るのか
ハリマオさん、kitayama-walkです。初めてコメントさせていただきます。
> 正月から日本各地で山岳遭難のニュースが報じられている。皆さんは家族団らんの場でこういうニュースが出ると肩身が狭い
> のではなかろうか。「この寒いのにわざわざ山へ登って、人に迷惑かけまくって、あいつらはアホや」という意見が出る。
> まことにごもっともで返す言葉もなく、黙って針のムシロに座っているしかない。どのみち雪があるのに山なんぞ登るやつは全
> 員アホだということは確定している。
この年末年始、日本列島は強い西高東低の気圧配置、縦縞の等圧線が並び、上空にはマイナス30℃を超える大寒気団が居座る。
そのため大量の降雪があり、年末年始の少ない休暇を利用して山に入った人たちの間で遭難事故が相次ぎました。
無事に自力で下りてきた、運よく救助されたという報に安堵し、遺体発見のニュースに胸を痛め、行方不明者の捜索にやるせない
思いをする。そんな昨今です。
ハリマオさんの上記の話。私の周囲でも聞かれるものですね。確かに、この文明の発達した現代社会の恩恵を享受していることを
常とする人たちからすれば、「このクソ寒いのに、わざわざもっと寒いところに、大きな荷物を担いで、危険を冒して行って、一体何が
おもしろいのだ!そんなことするより、コタツにでも入って美味しいもの食べて、テレビでも見ている方がよっぽどいい。」というこでしょ
う。つまり、冬に氷雪の山に登ることなど狂気の沙汰なのかもしれません。ましてや、遭難騒動にでもなれば、命の代償を払ってまで
たかが趣味の登山にのめり込み奴らの気が知れないということなのでしょうね。
しかし、最初から命がけの登山計画を立てて山に挑む者はいません。それでもなぜ山に登るのか?その問いに自分自身が答えを
用意しようと自問自答してみました。 やはり、山には登山者を惹きつけてやまない魅力があるからでしょう。天候に恵まれれば、美し
い景色に出会うことができる。 純白の雪と氷で覆われた山の稜線と襞、紺碧の空のコントラストが織りなす光と造形はどんな芸術作
品も及ばない地球の美しさを感じさせてくれるものです。それはどんなにたくさんお金を払っても手に入れることができないものです。
そんな情景に出会ったとき、極寒の中、重い荷物を担いで、長いアプローチを辿ってきてよかったと思う瞬間でしょう。生きる喜びで
あり、また命の賛歌であり、困難を乗り越えて辿り着いた人間的な感動であるはずです。まさに山の女神が微笑んでくれている瞬間
なのです。こういう魅力を知っているからこそ、敢えて雪山に登るのでしょう。
しかし、危険は避けなければならない。ましてや遭難はあってはならない。自然のあらゆる変化を想定し、危険を回避するための
努力を行う。パーティーの技術や体力、経験、装備、食糧、日程などを徹底して点検準備し、雪崩などの危険の少ないルート、通過
時刻の選定、いざというときの連絡方法など用意周到な準備が必要です。もちろん、日常的な訓練や体力づくりなども怠ることはで
きない。そうして初めて挑戦することができるのが雪山なんですね。それでも、自然の驚異は底知れず、不可抗力の事態が発生す
るものです。それをどうやって乗り越えるのかが試されるのではないでしょうか。
いずれにしても、安全な登山を心掛けたいものです。今年も皆さんの怪我や遭難のないことを祈ります。
> 正月から日本各地で山岳遭難のニュースが報じられている。皆さんは家族団らんの場でこういうニュースが出ると肩身が狭い
> のではなかろうか。「この寒いのにわざわざ山へ登って、人に迷惑かけまくって、あいつらはアホや」という意見が出る。
> まことにごもっともで返す言葉もなく、黙って針のムシロに座っているしかない。どのみち雪があるのに山なんぞ登るやつは全
> 員アホだということは確定している。
この年末年始、日本列島は強い西高東低の気圧配置、縦縞の等圧線が並び、上空にはマイナス30℃を超える大寒気団が居座る。
そのため大量の降雪があり、年末年始の少ない休暇を利用して山に入った人たちの間で遭難事故が相次ぎました。
無事に自力で下りてきた、運よく救助されたという報に安堵し、遺体発見のニュースに胸を痛め、行方不明者の捜索にやるせない
思いをする。そんな昨今です。
ハリマオさんの上記の話。私の周囲でも聞かれるものですね。確かに、この文明の発達した現代社会の恩恵を享受していることを
常とする人たちからすれば、「このクソ寒いのに、わざわざもっと寒いところに、大きな荷物を担いで、危険を冒して行って、一体何が
おもしろいのだ!そんなことするより、コタツにでも入って美味しいもの食べて、テレビでも見ている方がよっぽどいい。」というこでしょ
う。つまり、冬に氷雪の山に登ることなど狂気の沙汰なのかもしれません。ましてや、遭難騒動にでもなれば、命の代償を払ってまで
たかが趣味の登山にのめり込み奴らの気が知れないということなのでしょうね。
しかし、最初から命がけの登山計画を立てて山に挑む者はいません。それでもなぜ山に登るのか?その問いに自分自身が答えを
用意しようと自問自答してみました。 やはり、山には登山者を惹きつけてやまない魅力があるからでしょう。天候に恵まれれば、美し
い景色に出会うことができる。 純白の雪と氷で覆われた山の稜線と襞、紺碧の空のコントラストが織りなす光と造形はどんな芸術作
品も及ばない地球の美しさを感じさせてくれるものです。それはどんなにたくさんお金を払っても手に入れることができないものです。
そんな情景に出会ったとき、極寒の中、重い荷物を担いで、長いアプローチを辿ってきてよかったと思う瞬間でしょう。生きる喜びで
あり、また命の賛歌であり、困難を乗り越えて辿り着いた人間的な感動であるはずです。まさに山の女神が微笑んでくれている瞬間
なのです。こういう魅力を知っているからこそ、敢えて雪山に登るのでしょう。
しかし、危険は避けなければならない。ましてや遭難はあってはならない。自然のあらゆる変化を想定し、危険を回避するための
努力を行う。パーティーの技術や体力、経験、装備、食糧、日程などを徹底して点検準備し、雪崩などの危険の少ないルート、通過
時刻の選定、いざというときの連絡方法など用意周到な準備が必要です。もちろん、日常的な訓練や体力づくりなども怠ることはで
きない。そうして初めて挑戦することができるのが雪山なんですね。それでも、自然の驚異は底知れず、不可抗力の事態が発生す
るものです。それをどうやって乗り越えるのかが試されるのではないでしょうか。
いずれにしても、安全な登山を心掛けたいものです。今年も皆さんの怪我や遭難のないことを祈ります。
written by kitayama-walk
Re: 八風大明神初詣
ふ~さん どうも。年末にお会いしましたが、年が変わったので、やはりおめでとうございます。ハリさん、おはよう&おめで登ございます。
あいや、別にふ~さんがオメデタイと言ってるわけではありますん。
ニュースに知人の名前がありゃせんかと思うときがあります。まさに、うちのオヤジにも諭されたし、初出勤の際にも「家を出ようとした時にTVで遭難のニュースが始まったから、あんたの名前が出てないことを確認してから出てきた」って言われちゃうし。(>_<)
ヤブのひとは遭難起こさないから優秀ですわ。
「マウンテン・ウォーズ ・ふ~さんの復讐」ですか?「この寒いのにわざわざ山へ登って、人に迷惑かけまくって、あいつらはアホや」という意見が出る
さすがに、わしの報復を恐れて、こういう意見は飲み込んでおったようです。
でもまあ、客観的かつ冷静に見ればアホと言われてもしょうがない。
だから税金使わず、入山料を取れというマトモな話が出る。
だが、お金を取ると登山道の管理責任を言ってくる客がいることは間違いない。
難しい問題です。
まあそれが常識人というものです。年末年始というと越年登山がステータスだった頃と比べると、所帯を持って骨抜きのくらげ状態や。
でも子供が成人したら義務だけは果たしたので、好きなだけ危険なところへ行って下さい。
奥さんもまあ、ふ~さんのこと用済みだと思ってるでしょうし(^◇^)
あのときは怖かったですな。あれって祭りだったんですか。その点、ハリさんは年末に暴風低温下のハライドでお祓いしたり、キノコ岩でキノコ祭してるじゃござんせんか(意味不明)
あの岩を撫でたら子どもが授かるって祭り?
不妊で悩む奥さん連中集めて、ガイド料一人5万でツアー組もうかな。
無論私は禁欲的です。イスラムの厳しい戒律を守っております。もちろんモーセの十戒も。うひゃ。先日、某所でハリさんの壇蜜発言が話題になりましたぞ。禁欲的なハリさんはてっきり『断蜜』かと思ったわい。
壇蜜はそこらのションベン臭いジャリタレやグラドルとは違いますぞ。
慈母観音でありアメノウズメノミコトであり、性マリアなのです。
表裏一体というより、同じことなのです。壇蜜と同じく崇高さと下品・お下劣は表裏一体ってわけね。
生命とは崇高で神秘なもの。あなたはなぜ生まれたのか。どこから生まれたのか。
簡単な山行レポにどうでもいい話を巧妙に織り込んでいく。ありゃ、これは山レポだったんですか。わしゃ、てっきり洞吹先生のような「どーでもええ話」の類かと思っちょりました。
サブリミナルという高等テクニックです。
こたつみかんというのは日本人の定番なんでしょうか?貸し切りの山頂でしたか。わしゃ、その頃には、こたつでぬくぬくしながらミカンの皮をむいていましたわい。
私はこたつを設置しないし、みかんも勧められない限り食べないので日本人失格のようです。
こたつというものは人間を堕落させる道具であることを幼稚園児の頃、すでに見抜いていました。
するってえとなんですかい。また赤ん坊からやり直し?でも諸先輩方に言わせれば、還暦なんてのはまだまだおむつ姿の赤ん坊ですぜ。
嬉しような、勘弁なような・・・
これからはエネルギー地図が変わりますな。でもしょせん化石燃料だからねえ。はやくオイルシェールとかハイ泥メタメタ開発を軌道に乗せなはれ。
まあ自然エネルギーが軌道に乗るまでの時間稼ぎとしては意義があると思います。
冷凍食品をフライパンに放り込むことぐらいはサルでもできるでしょう。ハリさんでも、こんな男所帯風なシェフを演じるんだね~。これは新しい発見。
糟トモねえ。糟糠の妻とか竹馬の友なら聞いたことがあるけど・・・そして、やぶこぎの糟仲間の絆を大切にしませう。(^o^)
では糟糠の友ということで、また遊んでください。
ハリマオ
Re: 八風大明神初詣
kitayama-walkさん こんにちは
北山さんらしく正面から受けた真面目なご意見で狼狽しています。
私は天気図を見て、また遭難騒ぎが起きるなと思っていました。
正月しかまとまって休めないという日本の社会の貧しさも一因でしょうね。
だから悪天が予想されても無理に行ってしまう。
山登り以外にも門外漢には理解不能の趣味がたくさんあるものです。
登山で問題なのは遭難して「人に迷惑をかける」かもしれない遊びだという一点ですね。
でも登ってみても良さがわからない、あるいは苦労や危険と天秤にかけられないという人も大勢います・・・というか殆どそうでしょうね。
目鼻口や手足の数は同じでも頭の中は一人ひとり違うというのも神様造化の妙ですね。
人に迷惑をかけるかもしれないリスクを理解しながら登ることが道義的に一般人には理解されないところでしょう。
好きで危険を冒すなら血税を使わず、自分のケツは自分で拭けというのが世間の目です。
でも結局のところ、北山さんの言われるあらゆる努力をしながら、後ろめたさを感じつつも登らせてもらうしかないのだけど。
俺だけは遭難しないという根拠のない自信が誰にもあると思いますが、それは幻想だと自覚したいものです。
正当なご意見有難うございました。
ハリマオ
北山さんらしく正面から受けた真面目なご意見で狼狽しています。
これはある程度予想していました。年末になると山男が北アルプスの登山口を発っていく場面がよく放映されます。この年末年始、日本列島は強い西高東低の気圧配置、縦縞の等圧線が並び、上空にはマイナス30℃を超える大寒気団が居座る。そのため大量の降雪があり、年末年始の少ない休暇を利用して山に入った人たちの間で遭難事故が相次ぎました
私は天気図を見て、また遭難騒ぎが起きるなと思っていました。
正月しかまとまって休めないという日本の社会の貧しさも一因でしょうね。
だから悪天が予想されても無理に行ってしまう。
蓼食う虫も好き好きということで、それはまあ趣味全般に言えることでもありますね。ハリマオさんの上記の話。私の周囲でも聞かれるものですね。確かに、この文明の発達した現代社会の恩恵を享受していることを常とする人たちからすれば、「このクソ寒いのに、わざわざもっと寒いところに、大きな荷物を担いで、危険を冒して行って、一体何がおもしろいのだ!そんなことするより、コタツにでも入って美味しいもの食べて、テレビでも見ている方がよっぽどいい。」というこでしょう。
山登り以外にも門外漢には理解不能の趣味がたくさんあるものです。
登山で問題なのは遭難して「人に迷惑をかける」かもしれない遊びだという一点ですね。
仰せの通りで、そこらへんはこのサイトの閲覧者なら容易に理解し賛同してくれることでしょう。純白の雪と氷で覆われた山の稜線と襞、紺碧の空のコントラストが織りなす光と造形はどんな芸術作品も及ばない地球の美しさを感じさせてくれるものです。それはどんなにたくさんお金を払っても手に入れることができないものです。そんな情景に出会ったとき、極寒の中、重い荷物を担いで、長いアプローチを辿ってきてよかったと思う瞬間でしょう。生きる喜びであり、また命の賛歌であり、困難を乗り越えて辿り着いた人間的な感動であるはずです。
でも登ってみても良さがわからない、あるいは苦労や危険と天秤にかけられないという人も大勢います・・・というか殆どそうでしょうね。
目鼻口や手足の数は同じでも頭の中は一人ひとり違うというのも神様造化の妙ですね。
その不可抗力が問題とされるわけですね。努力や周到な用意をしても何%かの遭難は確率的に必ず発生する。しかし、危険は避けなければならない。ましてや遭難はあってはならない。自然のあらゆる変化を想定し、危険を回避するための努力を行う。パーティーの技術や体力、経験、装備、食糧、日程などを徹底して点検準備し、雪崩などの危険の少ないルート、通過時刻の選定、いざというときの連絡方法など用意周到な準備が必要です。もちろん、日常的な訓練や体力づくりなども怠ることはできない。そうして初めて挑戦することができるのが雪山なんですね。それでも、自然の驚異は底知れず、不可抗力の事態が発生するものです。
人に迷惑をかけるかもしれないリスクを理解しながら登ることが道義的に一般人には理解されないところでしょう。
好きで危険を冒すなら血税を使わず、自分のケツは自分で拭けというのが世間の目です。
でも結局のところ、北山さんの言われるあらゆる努力をしながら、後ろめたさを感じつつも登らせてもらうしかないのだけど。
俺だけは遭難しないという根拠のない自信が誰にもあると思いますが、それは幻想だと自覚したいものです。
正当なご意見有難うございました。
ハリマオ