【 日 付 】2024年1月9日
【 山 域 】南紀
【メンバー】tsubo、他6名
【 天 候 】快晴
【 ルート 】那智勝浦町大野ー藤綱の要害ー新宮市熊野川町滝本
私が住んでいる和歌山県那智勝浦町色川には平家の落人伝説がある。
平清盛の孫の維盛が色川の大野の集落の奥に隠れ住んだと言われている。藤蔓を綱にして要害を構えたので、藤綱の要害と言われている。
村人が落人のために食事を運んだとも言われている。
ここは沢好きな人がよく行く滝本本谷のコッペ滝のすぐそばだ。以前隣の熊野川町の滝本から行ったことがある。ネットで調べても、みな滝本から行っている。
そこを大野から行くことになった。
このあたりに詳しい50代のyさんと、30代の猟師のh君が案内人だ。
メンバーはほかに20代のo君とtokumori君、30代のi君と40代のh子さんと私の7人。
私が最高齢。みんな特に登山はしないが、体力はあるし、若くて元気だ。付いていけるかな?
民泊ジュゲムの横の石段からスタートだ。
人家がなくなり、山の中の急な登りが続く。
猪垣(シシガキ)が出てくる。全長4kmくらいあるそうだ。
「猪垣は江戸時代の終わりくらいから各地でできたらしいですよ。」
そのころから猪が畑を荒らすようになったのだろうか。
今は1mくらいの高さだが、できたころはもっと高かったのだろう。
「昔はここまで田んぼだったそうです。ここが田んぼの一番上で、ここで牛を飼っていたって聞きました。」
こんな高い所まで牛を連れてきたのか。
しかし、案内役のyさんとh君は歩くのが速い。少し間をおいてh子さん、私の順で歩く。
いつもならもっと軽快に歩くh子さんの足取りが重い。石段で座り込んでしまった。
お腹が痛いらしい。
「戻りますか?それなら誰か一緒に下りた方がいい。」とyさん。
「僕なら一度下って登り返しても追いつけると思うけど・・・」とh君。
「ゆっくりなら平気だと思います。」
ということで、少しペースを落として歩くことにする。私はほっとする。
それからは私にもちょうどいいペースで歩いてくれた。
「このあたりにエビフライがあるはずだがなあ。」
エビフライ?
「あった!」
「これ、リスが松ぼっくりを食べた跡なんです。これがあるってことはリスがいるってこと。」
地面を探すといくつもエビフライが転がっている。このあたりはリスが多く住んでいるようだ。だが、残念ながらリスの姿は見えなかった。
平たい場所に出た。
大野保郷会が立てた看板がある。
「ここが中の平です。ここのカタフタ街道を通って、藤綱の要害に行きます。」
yさんが持ってきた大野保郷会の地図を広げる。地形図には道が書かれてあった。だが、普通の地形図にはそれらの道は出ていない。
さらに歩いていくと、林業用の作業道が出てきた。そこにも地図が立っているが、作業道は書いていない。昔の道は作業道で分断されてしまっていてわかりにくい。
yさんとh君が道を探す。
「こっちです。」
低い木がかぶさってわかりにくかったが、はっきりした道が出てきた。
しばらくトラバースの道を行く。それから急な下りになる。
突然音楽が聞こえてきた。
「新宮市の12時の音楽だわ。」h子さんが言った。そのころにはh子さんはすっかり元気になって足取りも軽くなっていた。
大きな木がある。何の木だろう?
「これはシイの木だと思いますよ。」
やがて石垣が出てくると、そこが藤綱の要害だった。
無事に着くことができてみんなほっとする。
そばにはコッペ滝がある。立派な美しい滝だ。
tokumori君が「村の人がご飯を運んでくれるなら、ここに住んでもいいなあ。」なんて言う。
「偉い人の末裔じゃないとダメよ。」
「平徳盛ってことでどうですか?」
なるほど!tokumori君はもしかしたら平家の末裔かな?いや、違う。(笑)
滝本に下る。
発電所の導水管の巡視路を歩く。ここはわかりやすい。
やがて滝本に着く。置いてあった2台の車に乗り込む。
近くの宝竜滝に寄る。コッペ滝の下流の滝だ。
いつもなら迫力ある大きな滝だが、今年はやけに水が少ない。知っている人はびっくりしている。私もこんなに水量が少ない宝竜滝は初めてだ。
「いつもはこんなんじゃないよ。」yさんが、初めて来た人に必死で話している。
1時間以上の休憩を入れて4時間ほどの山歩き。
地元の山を地元の人たちと歩くのは楽しい。地元の歴史を知るのは興味深い。
いつもの一人での登山とは違った面白さがある。
案内してくれたyさん、h君、同行してくれたみんなに感謝。
この二日後の11日には初登山で、霧氷の三峰山に一人で行った。
グーさんに教えていただいた霧氷ができる条件にぴったりだと思ったからだ。
三峰山から平倉峰にかけては美しい霧氷の森が広がっていた。
ヤマレコを見ると、12日には霧氷はなかったそうなので、やっぱり天気予報を見て霧氷ができる条件にかなった日を見定めることが大事だなと思った。
残念ながら高曇りで青空と霧氷にはならなかったけど、御嶽山を見ることができた。
快晴の藤綱の要害歩き、霧氷の三峰山。
今年の山歩き、幸先よく始めることができた。
ありがとうございました。
tsubo
【南紀】藤綱の要害~地元の山歩き~
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- 記事: 2244
- 登録日時: 2011年2月20日(日) 10:10
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Re: 【南紀】藤綱の要害~地元の山歩き~
tsuboさん、こんにちは。
ここは沢好きな人がよく行く滝本本谷のコッペ滝のすぐそばだ。
シュークリームさんがレスを書くかな?と待っていたけど・・・・
(山以外にお出かけしているのだろうな)
地理を見ようとヤマレコを開いたけど記事が見当たらなかった。
検索しなくてもグーのレスは本題を外してのチャチャだからいいか。
50代のyさんと、30代の猟師のh君 20代のo君とtokumori君、30代のi君と40代のh子さんと私の7人。
いいですね。こういった広い世代の人たちと交わると若返ります。
ヤブネットも老人会になってきたから若い人の参加が望まれます。
「猪垣は江戸時代の終わりくらいから各地でできたらしいですよ。」
三重でも九鬼や新桑竈で見ます。
「ゆっくりなら平気だと思います。」
ということで、少しペースを落として歩くことにする。私はほっとする。
それからは私にもちょうどいいペースで歩いてくれた。
よかったですね。
グーは自分の脚力でしか登れません。
ナズナさんのうしろ姿が見えなくなっても追っかけません。
昔の道は作業道で分断されてしまっていてわかりにくい。
yさんとh君が道を探す。
「こっちです。」
低い木がかぶさってわかりにくかったが、はっきりした道が出てきた。
こうして消えてゆく古道がこれからも多くなってゆくでしょうね。
「偉い人の末裔じゃないとダメよ。」
「平徳盛ってことでどうですか?」
なるほど!tokumori君はもしかしたら平家の末裔かな?いや、違う。(笑)
なるほど意味のあるtokumori君だったのですね。
なぜt君でないのかと不思議に思っていました。
地元の山を地元の人たちと歩くのは楽しい。地元の歴史を知るのは興味深い。
いつもの一人での登山とは違った面白さがある。
こういった仲間と歩く山旅も印象に残りますよね。
人生が豊かになります。
この二日後の11日には初登山で、霧氷の三峰山に一人で行った。
グーさんに教えていただいた霧氷ができる条件にぴったりだと思ったからだ。
三峰山から平倉峰にかけては美しい霧氷の森が広がっていた。
ヤマレコを見ると、12日には霧氷はなかったそうなので、やっぱり天気予報を見て霧氷ができる条件にかなった日を見定めることが大事だなと思った。
ええっ!? 11日は三峰山に霧氷が付いたのですか?
10日に南岸を低気圧が通過したけど、日本海にも低気圧があったはず。
2つの低気圧が東に去って12日は霧氷が付くとグー予報だったのですが・・・・
日本海の低気圧の尻尾があと6時間早く通過してくれていたら・・・・
12日はナズナさんと西風に煽られながらマナコ谷道を登ってました。
桧塚は薄っすらとしか霧氷が付いていませんでした。
快晴の藤綱の要害歩き、霧氷の三峰山。
今年の山歩き、幸先よく始めることができた。
よかったですね。
今年も元気印山旅レポを楽しみにしています。
グー(伊勢山上住人)
Re: 【南紀】藤綱の要害~地元の山歩き~
グーさん、こんにちは。レスをありがとうございます。
地理を見ようとヤマレコを開いたけど記事が見当たらなかった。
検索しなくてもグーのレスは本題を外してのチャチャだからいいか。
ヤマレコは下書き状態です。誰も興味持たないだろうと思いまして。
ヤマレコでとったログを貼り付けようと思いましたが、うまくいきません。
ヤマレコのパソコンの画面をスマホで撮って貼り付けました。
50代のyさんと、30代の猟師のh君 20代のo君とtokumori君、30代のi君と40代のh子さんと私の7人。
いいですね。こういった広い世代の人たちと交わると若返ります。
ヤブネットも老人会になってきたから若い人の参加が望まれます。
最近、いろいろな集まりの場で女性では私が最高齢ということが多くなりました。
他の同年代の女性はあまり若い人の集まりには出てきません。でも、若い人と交流した方が気持ちが若くなりますね。同年代だと話題も健康のこととか・・・
「猪垣は江戸時代の終わりくらいから各地でできたらしいですよ。」
三重でも九鬼や新桑竈で見ます。
オハイに行った時にも見ました。
それからは私にもちょうどいいペースで歩いてくれた。
よかったですね。
グーは自分の脚力でしか登れません。
ナズナさんのうしろ姿が見えなくなっても追っかけません。
無理にペースを上げると、ばててしまいますね。
昔の道は作業道で分断されてしまっていてわかりにくい。
こうして消えてゆく古道がこれからも多くなってゆくでしょうね。
下手に林道ができると、元の山道は分断されてしまいますね。
でも、この道、今は歩く人はめったにないのに、割とちゃんと残っていました。
「偉い人の末裔じゃないとダメよ。」
「平徳盛ってことでどうですか?」
なるほど!tokumori君はもしかしたら平家の末裔かな?いや、違う。(笑)
なるほど意味のあるtokumori君だったのですね。
なぜt君でないのかと不思議に思っていました。
はい、この話が面白かったので、徳森君だけ名前を書きました。
地元の山を地元の人たちと歩くのは楽しい。地元の歴史を知るのは興味深い。
いつもの一人での登山とは違った面白さがある。
こういった仲間と歩く山旅も印象に残りますよね。
人生が豊かになります。
地元の山、歴史は興味深いです。
今回のメンバーはほとんどがIターンです。案内してくれたyさんもそうです。
自分たちの先祖が切り開いたわけではありませんが、その方たちのおかげで今ここで暮らしていられる。
ここを地元と思って大切にしていきたいです。
ええっ!? 11日は三峰山に霧氷が付いたのですか?
10日に南岸を低気圧が通過したけど、日本海にも低気圧があったはず。
2つの低気圧が東に去って12日は霧氷が付くとグー予報だったのですが・・・・
日本海の低気圧の尻尾があと6時間早く通過してくれていたら・・・・
12日はナズナさんと西風に煽られながらマナコ谷道を登ってました。
桧塚は薄っすらとしか霧氷が付いていませんでした。
あら!
以前桧塚奥峰のレポでグーさんが「夜間から朝にかけて北西の季節風が強くガスを山肌に吹き付け、山頂に登り着いた頃にピーカン青空になる日を選んで霧氷を見に行ってください。」とのアドバイスに合っていると思ったんです。
前日は雨予報が曇りになったけど、湿気はあるだろうなと思いました。数日前のヤマテンでは11日はガスから晴れになる予報だったのが曇りになってしまったのが誤算でした。
ヤマレコを見たら、この日は三峰山と高見山ではそこそこの霧氷が見られたけど、桧塚奥峰ではほとんどなかったとか。
ちょっとの場所の違いで霧氷の付き方が変わるんですね。そう思うと、この日三峰山を選んだのは正解でした。
私のヤマ勘、なかなかのものだわ!(笑)
今年も元気印山旅レポを楽しみにしています。
ありがとうございます。
どこかでグーさんとばったり出会えることを楽しみにして、また桧塚奥峰や赤ゾレ山にも足を運びますね。
よろしくお願いいたします。
tsubo
地理を見ようとヤマレコを開いたけど記事が見当たらなかった。
検索しなくてもグーのレスは本題を外してのチャチャだからいいか。
ヤマレコは下書き状態です。誰も興味持たないだろうと思いまして。
ヤマレコでとったログを貼り付けようと思いましたが、うまくいきません。
ヤマレコのパソコンの画面をスマホで撮って貼り付けました。
50代のyさんと、30代の猟師のh君 20代のo君とtokumori君、30代のi君と40代のh子さんと私の7人。
いいですね。こういった広い世代の人たちと交わると若返ります。
ヤブネットも老人会になってきたから若い人の参加が望まれます。
最近、いろいろな集まりの場で女性では私が最高齢ということが多くなりました。
他の同年代の女性はあまり若い人の集まりには出てきません。でも、若い人と交流した方が気持ちが若くなりますね。同年代だと話題も健康のこととか・・・
「猪垣は江戸時代の終わりくらいから各地でできたらしいですよ。」
三重でも九鬼や新桑竈で見ます。
オハイに行った時にも見ました。
それからは私にもちょうどいいペースで歩いてくれた。
よかったですね。
グーは自分の脚力でしか登れません。
ナズナさんのうしろ姿が見えなくなっても追っかけません。
無理にペースを上げると、ばててしまいますね。
昔の道は作業道で分断されてしまっていてわかりにくい。
こうして消えてゆく古道がこれからも多くなってゆくでしょうね。
下手に林道ができると、元の山道は分断されてしまいますね。
でも、この道、今は歩く人はめったにないのに、割とちゃんと残っていました。
「偉い人の末裔じゃないとダメよ。」
「平徳盛ってことでどうですか?」
なるほど!tokumori君はもしかしたら平家の末裔かな?いや、違う。(笑)
なるほど意味のあるtokumori君だったのですね。
なぜt君でないのかと不思議に思っていました。
はい、この話が面白かったので、徳森君だけ名前を書きました。
地元の山を地元の人たちと歩くのは楽しい。地元の歴史を知るのは興味深い。
いつもの一人での登山とは違った面白さがある。
こういった仲間と歩く山旅も印象に残りますよね。
人生が豊かになります。
地元の山、歴史は興味深いです。
今回のメンバーはほとんどがIターンです。案内してくれたyさんもそうです。
自分たちの先祖が切り開いたわけではありませんが、その方たちのおかげで今ここで暮らしていられる。
ここを地元と思って大切にしていきたいです。
ええっ!? 11日は三峰山に霧氷が付いたのですか?
10日に南岸を低気圧が通過したけど、日本海にも低気圧があったはず。
2つの低気圧が東に去って12日は霧氷が付くとグー予報だったのですが・・・・
日本海の低気圧の尻尾があと6時間早く通過してくれていたら・・・・
12日はナズナさんと西風に煽られながらマナコ谷道を登ってました。
桧塚は薄っすらとしか霧氷が付いていませんでした。
あら!
以前桧塚奥峰のレポでグーさんが「夜間から朝にかけて北西の季節風が強くガスを山肌に吹き付け、山頂に登り着いた頃にピーカン青空になる日を選んで霧氷を見に行ってください。」とのアドバイスに合っていると思ったんです。
前日は雨予報が曇りになったけど、湿気はあるだろうなと思いました。数日前のヤマテンでは11日はガスから晴れになる予報だったのが曇りになってしまったのが誤算でした。
ヤマレコを見たら、この日は三峰山と高見山ではそこそこの霧氷が見られたけど、桧塚奥峰ではほとんどなかったとか。
ちょっとの場所の違いで霧氷の付き方が変わるんですね。そう思うと、この日三峰山を選んだのは正解でした。
私のヤマ勘、なかなかのものだわ!(笑)
今年も元気印山旅レポを楽しみにしています。
ありがとうございます。
どこかでグーさんとばったり出会えることを楽しみにして、また桧塚奥峰や赤ゾレ山にも足を運びますね。
よろしくお願いいたします。
tsubo
Re: 【南紀】藤綱の要害~地元の山歩き~
tsuboさま
こんばんは。寒に入り、今日は雪ではありませんでしたが、冷たい雨が降る冷え冷えとした一日でした。
今年最初の山歩きは、地元の方々と地元の山を楽しんでいらっしゃったのですね。
平家の落人伝説の地の探索ですか。
平維盛は、那智の沖で入水したと言われますが、その前、隠れ住んだと伝わる地が色川の山中にあるのですね。
地元の方は「藤綱の要害」と呼んでいるのですね。それだけ厳重に大切に匿ったということなのでしょうね。
昨秋訪れた芸濃町北畑も平家落人伝説の地で、那智で亡くなったと言われている平維盛のお墓があることを知り、
ふっと平家物語を読み直したくなり、そうだ、林真理子の「平家物語」がもう少ししたら発行される、
仕事が落ち着いたら買おうと思ってそのままになっていたことを思い出しました。
要害へ向かう途中でご覧になったシシガキは、4㎞にも渡るのですか。
高島でも、シシガキが見られます。江戸時代を中心に築かれたそうです。各地の山中で開墾が盛んに行われていたのですね。
山に入ると、かつての田畑の跡に必ずといっていいほど出会います。
食べるため、生きるための暮らしの痕跡に出会うと、こういう時代があり、その延長上に、今の私たちの暮らしがあるのだなぁ、
としみじみと感じます。
地元の方が作られた地図からはいろいろなことが見えてきますね。
尾根道、谷道、山腹道、いくつもの道が山中を縫っていたのですね。そしてひとつひとつの道に名前がある。
山がどれだけ人々にとって大切な場所だったかひしひしと感じます。「カタフタ街道」という名称、気になってしまいました。
帰りに寄られた宝竜滝は、迫力を感じますが、本来よりもだいぶ水量が少ないのですね。
南紀も雨が少なかったのでしょうか。びわ湖も、降雨不足による水位低下が深刻で、今日現在-77cmです。
地元の山を地元の方々と歩く。ひとりでは見ることの出来ない風景に出会えますね。
色川を愛するお仲間と色川を感じる山歩き、いい山初めとなりましたね。
私の山初めは、群馬に住む20代からの親友と、彼女の地元のお山、高崎観音が立つ観音山227mへ。
ふたりで、たくさんお話して、いろいろなお山を眺めて、いい一日でした。
三峰山では、素晴らしい霧氷に出会えてよかったですね。
ほんとうに、ありがとうございました、感謝の気持ちに包まれますね。
お山に出かけられるのは、しあわせなことですね。
今年もゆたかな山旅を重ねていけますように。
sato
こんばんは。寒に入り、今日は雪ではありませんでしたが、冷たい雨が降る冷え冷えとした一日でした。
今年最初の山歩きは、地元の方々と地元の山を楽しんでいらっしゃったのですね。
平家の落人伝説の地の探索ですか。
平維盛は、那智の沖で入水したと言われますが、その前、隠れ住んだと伝わる地が色川の山中にあるのですね。
地元の方は「藤綱の要害」と呼んでいるのですね。それだけ厳重に大切に匿ったということなのでしょうね。
昨秋訪れた芸濃町北畑も平家落人伝説の地で、那智で亡くなったと言われている平維盛のお墓があることを知り、
ふっと平家物語を読み直したくなり、そうだ、林真理子の「平家物語」がもう少ししたら発行される、
仕事が落ち着いたら買おうと思ってそのままになっていたことを思い出しました。
要害へ向かう途中でご覧になったシシガキは、4㎞にも渡るのですか。
高島でも、シシガキが見られます。江戸時代を中心に築かれたそうです。各地の山中で開墾が盛んに行われていたのですね。
山に入ると、かつての田畑の跡に必ずといっていいほど出会います。
食べるため、生きるための暮らしの痕跡に出会うと、こういう時代があり、その延長上に、今の私たちの暮らしがあるのだなぁ、
としみじみと感じます。
地元の方が作られた地図からはいろいろなことが見えてきますね。
尾根道、谷道、山腹道、いくつもの道が山中を縫っていたのですね。そしてひとつひとつの道に名前がある。
山がどれだけ人々にとって大切な場所だったかひしひしと感じます。「カタフタ街道」という名称、気になってしまいました。
帰りに寄られた宝竜滝は、迫力を感じますが、本来よりもだいぶ水量が少ないのですね。
南紀も雨が少なかったのでしょうか。びわ湖も、降雨不足による水位低下が深刻で、今日現在-77cmです。
地元の山を地元の方々と歩く。ひとりでは見ることの出来ない風景に出会えますね。
色川を愛するお仲間と色川を感じる山歩き、いい山初めとなりましたね。
私の山初めは、群馬に住む20代からの親友と、彼女の地元のお山、高崎観音が立つ観音山227mへ。
ふたりで、たくさんお話して、いろいろなお山を眺めて、いい一日でした。
三峰山では、素晴らしい霧氷に出会えてよかったですね。
ほんとうに、ありがとうございました、感謝の気持ちに包まれますね。
お山に出かけられるのは、しあわせなことですね。
今年もゆたかな山旅を重ねていけますように。
sato
Re: 【南紀】藤綱の要害~地元の山歩き~
おはようございます、tuboさん。
私が住んでいる和歌山県那智勝浦町色川には平家の落人伝説がある。
平清盛の孫の維盛が色川の大野の集落の奥に隠れ住んだと言われている。藤蔓を綱にして要害を構えたので、藤綱の要害と言われている。
村人が落人のために食事を運んだとも言われている。
津にも維盛の墓のある成覚寺という寺があります。
伊勢平氏の拠点のあった平清盛の父忠盛の生まれた所から山を越えた落合という所です。
住職は知り合いで、小松姓です。
平維盛が京の小松谷に住んでいた所から来ています。
ここは沢好きな人がよく行く滝本本谷のコッペ滝のすぐそばだ。以前隣の熊野川町の滝本から行ったことがある。ネットで調べても、みな滝本から行っている。
ここは沢登りで2回歩きました。
何が怖いっかって
国道から滝本までの1時間にわたるすれ違いの出来ない道でした。
猪垣(シシガキ)が出てくる。全長4kmくらいあるそうだ。
「猪垣は江戸時代の終わりくらいから各地でできたらしいですよ。」
そのころから猪が畑を荒らすようになったのだろうか。
今は1mくらいの高さだが、できたころはもっと高かったのだろう。
熊野や南伊勢の海岸部は猪垣だらけですね。
数少ない農産物を守る昔人の必死さが伝わってきます。
やがて石垣が出てくると、そこが藤綱の要害だった。
無事に着くことができてみんなほっとする。
看板新しくなったようですね。
そばにはコッペ滝がある。立派な美しい滝だ。
近くの宝竜滝に寄る。コッペ滝の下流の滝だ。
いつもなら迫力ある大きな滝だが、今年はやけに水が少ない。知っている人はびっくりしている。私もこんなに水量が少ない宝竜滝は初めてだ。
「いつもはこんなんじゃないよ。」yさんが、初めて来た人に必死で話している。
このあたりも昔は遊歩道を整備して倒壊したようです。
遊歩道の残骸を見ながら沢を登っていきました。
中上健次の本にこのあたりの炭焼きの話が出てきます。
バクチの形に娘が女郎屋に売られたという聞き取り内容でした。
炭焼きというとほんわかしたイメージがありますが・・
新宮が昔は大都会だっただけに、いろんな物が混在していた地域だったのでしょう。
わりばし
私が住んでいる和歌山県那智勝浦町色川には平家の落人伝説がある。
平清盛の孫の維盛が色川の大野の集落の奥に隠れ住んだと言われている。藤蔓を綱にして要害を構えたので、藤綱の要害と言われている。
村人が落人のために食事を運んだとも言われている。
津にも維盛の墓のある成覚寺という寺があります。
伊勢平氏の拠点のあった平清盛の父忠盛の生まれた所から山を越えた落合という所です。
住職は知り合いで、小松姓です。
平維盛が京の小松谷に住んでいた所から来ています。
ここは沢好きな人がよく行く滝本本谷のコッペ滝のすぐそばだ。以前隣の熊野川町の滝本から行ったことがある。ネットで調べても、みな滝本から行っている。
ここは沢登りで2回歩きました。
何が怖いっかって
国道から滝本までの1時間にわたるすれ違いの出来ない道でした。
猪垣(シシガキ)が出てくる。全長4kmくらいあるそうだ。
「猪垣は江戸時代の終わりくらいから各地でできたらしいですよ。」
そのころから猪が畑を荒らすようになったのだろうか。
今は1mくらいの高さだが、できたころはもっと高かったのだろう。
熊野や南伊勢の海岸部は猪垣だらけですね。
数少ない農産物を守る昔人の必死さが伝わってきます。
やがて石垣が出てくると、そこが藤綱の要害だった。
無事に着くことができてみんなほっとする。
看板新しくなったようですね。
そばにはコッペ滝がある。立派な美しい滝だ。
近くの宝竜滝に寄る。コッペ滝の下流の滝だ。
いつもなら迫力ある大きな滝だが、今年はやけに水が少ない。知っている人はびっくりしている。私もこんなに水量が少ない宝竜滝は初めてだ。
「いつもはこんなんじゃないよ。」yさんが、初めて来た人に必死で話している。
このあたりも昔は遊歩道を整備して倒壊したようです。
遊歩道の残骸を見ながら沢を登っていきました。
中上健次の本にこのあたりの炭焼きの話が出てきます。
バクチの形に娘が女郎屋に売られたという聞き取り内容でした。
炭焼きというとほんわかしたイメージがありますが・・
新宮が昔は大都会だっただけに、いろんな物が混在していた地域だったのでしょう。
わりばし
Re: 【南紀】藤綱の要害~地元の山歩き~
satoさん、こんにちは。レスをありがとうございます。
寒に入り、今日は雪ではありませんでしたが、冷たい雨が降る冷え冷えとした一日でした。
日本海側はこの季節、天気が悪い日が多いですね。こちらは晴れ続きです。でも、今日は寒いです。
今年最初の山歩きは、地元の方々と地元の山を楽しんでいらっしゃったのですね。
平家の落人伝説の地の探索ですか。
平維盛は、那智の沖で入水したと言われますが、その前、隠れ住んだと伝わる地が色川の山中にあるのですね。
地元の方は「藤綱の要害」と呼んでいるのですね。それだけ厳重に大切に匿ったということなのでしょうね。
昨秋訪れた芸濃町北畑も平家落人伝説の地で、那智で亡くなったと言われている平維盛のお墓があることを知り、ふっと平家物語を読み直したくなり、そうだ、林真理子の「平家物語」がもう少ししたら発行される、
仕事が落ち着いたら買おうと思ってそのままになっていたことを思い出しました。
1年位前から計画していたのですが、そのたびに天気が悪くて延び延びになっていました。
でも、今回は見事に晴れてくれました。
平維盛の伝説はあっちこっちに残っているようですね。
こちらでは那智浜で入水したように見せかけて、色川まで落ち延びてきたと言われています。
そして、地元の人との間に二人の息子が生まれ、その子孫たちが色川の中心人物になったと言われています。
維盛はその後も各地を転々として源氏から逃げたとされているので、いろいろなところに伝説が残っているのでしょう。
要害へ向かう途中でご覧になったシシガキは、4㎞にも渡るのですか。
高島でも、シシガキが見られます。江戸時代を中心に築かれたそうです。各地の山中で開墾が盛んに行われていたのですね。
山に入ると、かつての田畑の跡に必ずといっていいほど出会います。
食べるため、生きるための暮らしの痕跡に出会うと、こういう時代があり、その延長上に、今の私たちの暮らしがあるのだなぁ、
としみじみと感じます。
こんな感じで残っているそうです。
地元の方が作られた地図からはいろいろなことが見えてきますね。
尾根道、谷道、山腹道、いくつもの道が山中を縫っていたのですね。そしてひとつひとつの道に名前がある。
山がどれだけ人々にとって大切な場所だったかひしひしと感じます。「カタフタ街道」という名称、気になってしまいました。
カタフタ街道、漢字ではどう書くのでしょうね。
帰りに寄られた宝竜滝は、迫力を感じますが、本来よりもだいぶ水量が少ないのですね。
南紀も雨が少なかったのでしょうか。びわ湖も、降雨不足による水位低下が深刻で、今日現在-77cmです。
数年前の2月末の写真です。これでも少ないです。
夏場はもっと迫力があると思います。
地元の山を地元の方々と歩く。ひとりでは見ることの出来ない風景に出会えますね。
色川を愛するお仲間と色川を感じる山歩き、いい山初めとなりましたね。
今はほとんど歩かれることのなくなった道です。
以前もたまに地元の方に色川の山歩きを案内していただきました。
普通の登山とは違った面白さや発見があります。
私の山初めは、群馬に住む20代からの親友と、彼女の地元のお山、高崎観音が立つ観音山227mへ。
ふたりで、たくさんお話して、いろいろなお山を眺めて、いい一日でした。
satoさんも山初めは低山歩きだったんですね。また年末にご主人とアルプスに行かれたのかと思っていましたが、年末は三周ヶ岳でしたね。
高崎観音、今回一緒に歩いた若いo君は高崎の人なんです。東京の大学を休学して2年間色川にいます。今度会ったら聞いてみようっと。
三峰山では、素晴らしい霧氷に出会えてよかったですね。
ほんとうに、ありがとうございました、感謝の気持ちに包まれますね。
お山に出かけられるのは、しあわせなことですね。
今年もゆたかな山旅を重ねていけますように。
霧氷っていろいろなタイミングが重ならないと見られないものだと知りました。
今回はラッキーでした。
本当にいろいろな災害が多くて、平和で普通の日常生活を送れているだけで感謝ですね。
まして、好きな山に行ける。しみじみと幸せだなあと思います。
いろいろなことに感謝の気持ちを忘れずに今年も山に向かいたいと思います。
また、ご一緒させてくださいね。
tsubo
寒に入り、今日は雪ではありませんでしたが、冷たい雨が降る冷え冷えとした一日でした。
日本海側はこの季節、天気が悪い日が多いですね。こちらは晴れ続きです。でも、今日は寒いです。
今年最初の山歩きは、地元の方々と地元の山を楽しんでいらっしゃったのですね。
平家の落人伝説の地の探索ですか。
平維盛は、那智の沖で入水したと言われますが、その前、隠れ住んだと伝わる地が色川の山中にあるのですね。
地元の方は「藤綱の要害」と呼んでいるのですね。それだけ厳重に大切に匿ったということなのでしょうね。
昨秋訪れた芸濃町北畑も平家落人伝説の地で、那智で亡くなったと言われている平維盛のお墓があることを知り、ふっと平家物語を読み直したくなり、そうだ、林真理子の「平家物語」がもう少ししたら発行される、
仕事が落ち着いたら買おうと思ってそのままになっていたことを思い出しました。
1年位前から計画していたのですが、そのたびに天気が悪くて延び延びになっていました。
でも、今回は見事に晴れてくれました。
平維盛の伝説はあっちこっちに残っているようですね。
こちらでは那智浜で入水したように見せかけて、色川まで落ち延びてきたと言われています。
そして、地元の人との間に二人の息子が生まれ、その子孫たちが色川の中心人物になったと言われています。
維盛はその後も各地を転々として源氏から逃げたとされているので、いろいろなところに伝説が残っているのでしょう。
要害へ向かう途中でご覧になったシシガキは、4㎞にも渡るのですか。
高島でも、シシガキが見られます。江戸時代を中心に築かれたそうです。各地の山中で開墾が盛んに行われていたのですね。
山に入ると、かつての田畑の跡に必ずといっていいほど出会います。
食べるため、生きるための暮らしの痕跡に出会うと、こういう時代があり、その延長上に、今の私たちの暮らしがあるのだなぁ、
としみじみと感じます。
こんな感じで残っているそうです。
地元の方が作られた地図からはいろいろなことが見えてきますね。
尾根道、谷道、山腹道、いくつもの道が山中を縫っていたのですね。そしてひとつひとつの道に名前がある。
山がどれだけ人々にとって大切な場所だったかひしひしと感じます。「カタフタ街道」という名称、気になってしまいました。
カタフタ街道、漢字ではどう書くのでしょうね。
帰りに寄られた宝竜滝は、迫力を感じますが、本来よりもだいぶ水量が少ないのですね。
南紀も雨が少なかったのでしょうか。びわ湖も、降雨不足による水位低下が深刻で、今日現在-77cmです。
数年前の2月末の写真です。これでも少ないです。
夏場はもっと迫力があると思います。
地元の山を地元の方々と歩く。ひとりでは見ることの出来ない風景に出会えますね。
色川を愛するお仲間と色川を感じる山歩き、いい山初めとなりましたね。
今はほとんど歩かれることのなくなった道です。
以前もたまに地元の方に色川の山歩きを案内していただきました。
普通の登山とは違った面白さや発見があります。
私の山初めは、群馬に住む20代からの親友と、彼女の地元のお山、高崎観音が立つ観音山227mへ。
ふたりで、たくさんお話して、いろいろなお山を眺めて、いい一日でした。
satoさんも山初めは低山歩きだったんですね。また年末にご主人とアルプスに行かれたのかと思っていましたが、年末は三周ヶ岳でしたね。
高崎観音、今回一緒に歩いた若いo君は高崎の人なんです。東京の大学を休学して2年間色川にいます。今度会ったら聞いてみようっと。
三峰山では、素晴らしい霧氷に出会えてよかったですね。
ほんとうに、ありがとうございました、感謝の気持ちに包まれますね。
お山に出かけられるのは、しあわせなことですね。
今年もゆたかな山旅を重ねていけますように。
霧氷っていろいろなタイミングが重ならないと見られないものだと知りました。
今回はラッキーでした。
本当にいろいろな災害が多くて、平和で普通の日常生活を送れているだけで感謝ですね。
まして、好きな山に行ける。しみじみと幸せだなあと思います。
いろいろなことに感謝の気持ちを忘れずに今年も山に向かいたいと思います。
また、ご一緒させてくださいね。
tsubo
Re: 【南紀】藤綱の要害~地元の山歩き~
わりばしさん、こんにちは。レスをありがとうございます。
津にも維盛の墓のある成覚寺という寺があります。
伊勢平氏の拠点のあった平清盛の父忠盛の生まれた所から山を越えた落合という所です。
住職は知り合いで、小松姓です。
平維盛が京の小松谷に住んでいた所から来ています。
維盛、源氏の追ってを逃れるために、いろいろな場所にお墓を立てたのでしょうか。実際はいつどこで亡くなったんでしょうね。
影武者もいたんでしょうね。
ここは沢登りで2回歩きました。
何が怖いっかって
国道から滝本までの1時間にわたるすれ違いの出来ない道でした。
新宮から滝本までも悪路ですが、色川から滝本はもっと悪路です。
それでも、大阪からカーナビで距離優先で色川に来ようとすると、この道を通るルートが出るそうです。
以前カーナビでこの道を来た人が脱輪したそうです。でも、スマホは通じないし、誰も通らないし、なんとか自力で脱してきたとか。もちろん帰りは無難な高速で帰ると言っていました。
熊野や南伊勢の海岸部は猪垣だらけですね。
数少ない農産物を守る昔人の必死さが伝わってきます。
昔のほうが山に木の実などの食べ物は多かったでしょうがね。
でも、山の中に猪垣を見ると、こんなところまで田んぼだったんだなあと思います。
看板新しくなったようですね。
新宮の郷土史研究家の坂本さんという方が立てた看板です。
色川にもあっちこっちに坂本さんが立てた看板があります。
このあたりも昔は遊歩道を整備して倒壊したようです。
遊歩道の残骸を見ながら沢を登っていきました。
今年は辰年、訪れる人が多くなるかしら。
もしかしたら、熊野川町がまた整備するかもしれませんね。
中上健次の本にこのあたりの炭焼きの話が出てきます。
バクチの形に娘が女郎屋に売られたという聞き取り内容でした。
炭焼きというとほんわかしたイメージがありますが・・
新宮が昔は大都会だっただけに、いろんな物が混在していた地域だったのでしょう。
中上健次さんの本は何冊か読みました。
昔の新宮の栄えた様子が伺えますね。
今はだいぶ寂れてしまいましたが。
もうすぐお燈祭り、今年はコロナ以降、やっと普通に行われるようです。
tsubo
津にも維盛の墓のある成覚寺という寺があります。
伊勢平氏の拠点のあった平清盛の父忠盛の生まれた所から山を越えた落合という所です。
住職は知り合いで、小松姓です。
平維盛が京の小松谷に住んでいた所から来ています。
維盛、源氏の追ってを逃れるために、いろいろな場所にお墓を立てたのでしょうか。実際はいつどこで亡くなったんでしょうね。
影武者もいたんでしょうね。
ここは沢登りで2回歩きました。
何が怖いっかって
国道から滝本までの1時間にわたるすれ違いの出来ない道でした。
新宮から滝本までも悪路ですが、色川から滝本はもっと悪路です。
それでも、大阪からカーナビで距離優先で色川に来ようとすると、この道を通るルートが出るそうです。
以前カーナビでこの道を来た人が脱輪したそうです。でも、スマホは通じないし、誰も通らないし、なんとか自力で脱してきたとか。もちろん帰りは無難な高速で帰ると言っていました。
熊野や南伊勢の海岸部は猪垣だらけですね。
数少ない農産物を守る昔人の必死さが伝わってきます。
昔のほうが山に木の実などの食べ物は多かったでしょうがね。
でも、山の中に猪垣を見ると、こんなところまで田んぼだったんだなあと思います。
看板新しくなったようですね。
新宮の郷土史研究家の坂本さんという方が立てた看板です。
色川にもあっちこっちに坂本さんが立てた看板があります。
このあたりも昔は遊歩道を整備して倒壊したようです。
遊歩道の残骸を見ながら沢を登っていきました。
今年は辰年、訪れる人が多くなるかしら。
もしかしたら、熊野川町がまた整備するかもしれませんね。
中上健次の本にこのあたりの炭焼きの話が出てきます。
バクチの形に娘が女郎屋に売られたという聞き取り内容でした。
炭焼きというとほんわかしたイメージがありますが・・
新宮が昔は大都会だっただけに、いろんな物が混在していた地域だったのでしょう。
中上健次さんの本は何冊か読みました。
昔の新宮の栄えた様子が伺えますね。
今はだいぶ寂れてしまいましたが。
もうすぐお燈祭り、今年はコロナ以降、やっと普通に行われるようです。
tsubo
Re: 【南紀】藤綱の要害~地元の山歩き~
tsuboさん、明けましておめでとうございます。
早いものでもう1月17日、今年は元旦早々から色んな出来事があります。
世界を眺めるとウクライナやイスラエルに代表されるように争いが絶えません。
あらためて日本の安全平和が嬉しく思います。
地元の人達との交流は大変いいことで貴重な話を聞けていいですね。
歴史もこうして年配の方から若い人たちに言い伝えられるのですね。
もうすぐ昨年tsuboさんと出会った時期、局ヶ頂の展望が思い出されます。
砂浜での昼ご飯で出会い、お互いに写真を取り合いっこしましたね。
冬は南勢・南伊勢・尾鷲の温暖で海を眺めながらの山歩きがいいです。
15日にオハイ行ってきました、天気も良くオハイブルー楽しめました。
オハイにも遊歩道の中間くらいに猪垣がありますね。
九鬼は歴史も自然ありお気に入りの場所です。
南紀のことは余り知らないのですが、大峰の南方面は興味あります。
11日に三峰の霧氷見られて良かったですね。
今年は高見山も三峰もあまり良い霧氷記事が見れない感じです。
自分の休みと霧氷の成長するタイミングが合うのは難しいです。
seiichi
早いものでもう1月17日、今年は元旦早々から色んな出来事があります。
世界を眺めるとウクライナやイスラエルに代表されるように争いが絶えません。
あらためて日本の安全平和が嬉しく思います。
地元の人達との交流は大変いいことで貴重な話を聞けていいですね。
歴史もこうして年配の方から若い人たちに言い伝えられるのですね。
もうすぐ昨年tsuboさんと出会った時期、局ヶ頂の展望が思い出されます。
砂浜での昼ご飯で出会い、お互いに写真を取り合いっこしましたね。
冬は南勢・南伊勢・尾鷲の温暖で海を眺めながらの山歩きがいいです。
15日にオハイ行ってきました、天気も良くオハイブルー楽しめました。
オハイにも遊歩道の中間くらいに猪垣がありますね。
九鬼は歴史も自然ありお気に入りの場所です。
南紀のことは余り知らないのですが、大峰の南方面は興味あります。
11日に三峰の霧氷見られて良かったですね。
今年は高見山も三峰もあまり良い霧氷記事が見れない感じです。
自分の休みと霧氷の成長するタイミングが合うのは難しいです。
seiichi
Re: 【南紀】藤綱の要害~地元の山歩き~
seiichiさん、こんにちは。レスをありがとうございます。
地元の人達との交流は大変いいことで貴重な話を聞けていいですね。
歴史もこうして年配の方から若い人たちに言い伝えられるのですね。
今回のメンバー、地元といっても、元々の人はいなくてみんないわゆるIターンです。色川は人口の半分以上がIターンという特殊な地域です。
今回案内してくれたyさんは、地元の方から教えてもらったそうです。
私たちが色川から藤綱の要害に行ったと知った、地元の年配の方からは地元の歴史を大切にしてくれてうれしいと言われました。
私たちは色川の出身ではありませんが、色川を大事に思い、昔の方たちの苦労に感謝しないといけないと思っています。
もうすぐ昨年tsuboさんと出会った時期、局ヶ頂の展望が思い出されます。
砂浜での昼ご飯で出会い、お互いに写真を取り合いっこしましたね。
冬は南勢・南伊勢・尾鷲の温暖で海を眺めながらの山歩きがいいです。
そうですね。
のんびりと陽だまりハイクするには紀伊半島の海岸近くの山はもってこいですね。
15日にオハイ行ってきました、天気も良くオハイブルー楽しめました。
オハイにも遊歩道の中間くらいに猪垣がありますね。
九鬼は歴史も自然ありお気に入りの場所です。
私も去年初めてオハイに行き、その美しい海に感動しました。
seiichiさんは、初めての方を案内して6人で行かれたんですね。皆さん喜ばれたことと思います。
ここは最近とても人気なのでやはり行くなら平日がいいですね。
南紀のことは余り知らないのですが、大峰の南方面は興味あります。
11日に三峰の霧氷見られて良かったですね。
今年は高見山も三峰もあまり良い霧氷記事が見れない感じです。
自分の休みと霧氷の成長するタイミングが合うのは難しいです。
私は大峰の山に行くときは大概国道169号線を使います。昨年、169号線の下北山村で大きな土砂崩れがあり、車が埋まってしまい亡くなられた方がいました。よく通るところだったのでびっくりしました。
まだ通行止めが続いているようですが、春には通れるようになるかしら。安全な道になるのかしら。
三峰山の霧氷、私が行った後のレコを見ても、霧氷はほとんど見られなかったようです。ラッキーでした。
暖かな海を眺める山歩きもいいけど、やっぱりこの季節ならではの霧氷や雪に出会える山歩きもしたいなあと思います。
次に私の都合とお天気が合う日、どんな山がどんな景色を見せてくれるかしら。
tsubo
地元の人達との交流は大変いいことで貴重な話を聞けていいですね。
歴史もこうして年配の方から若い人たちに言い伝えられるのですね。
今回のメンバー、地元といっても、元々の人はいなくてみんないわゆるIターンです。色川は人口の半分以上がIターンという特殊な地域です。
今回案内してくれたyさんは、地元の方から教えてもらったそうです。
私たちが色川から藤綱の要害に行ったと知った、地元の年配の方からは地元の歴史を大切にしてくれてうれしいと言われました。
私たちは色川の出身ではありませんが、色川を大事に思い、昔の方たちの苦労に感謝しないといけないと思っています。
もうすぐ昨年tsuboさんと出会った時期、局ヶ頂の展望が思い出されます。
砂浜での昼ご飯で出会い、お互いに写真を取り合いっこしましたね。
冬は南勢・南伊勢・尾鷲の温暖で海を眺めながらの山歩きがいいです。
そうですね。
のんびりと陽だまりハイクするには紀伊半島の海岸近くの山はもってこいですね。
15日にオハイ行ってきました、天気も良くオハイブルー楽しめました。
オハイにも遊歩道の中間くらいに猪垣がありますね。
九鬼は歴史も自然ありお気に入りの場所です。
私も去年初めてオハイに行き、その美しい海に感動しました。
seiichiさんは、初めての方を案内して6人で行かれたんですね。皆さん喜ばれたことと思います。
ここは最近とても人気なのでやはり行くなら平日がいいですね。
南紀のことは余り知らないのですが、大峰の南方面は興味あります。
11日に三峰の霧氷見られて良かったですね。
今年は高見山も三峰もあまり良い霧氷記事が見れない感じです。
自分の休みと霧氷の成長するタイミングが合うのは難しいです。
私は大峰の山に行くときは大概国道169号線を使います。昨年、169号線の下北山村で大きな土砂崩れがあり、車が埋まってしまい亡くなられた方がいました。よく通るところだったのでびっくりしました。
まだ通行止めが続いているようですが、春には通れるようになるかしら。安全な道になるのかしら。
三峰山の霧氷、私が行った後のレコを見ても、霧氷はほとんど見られなかったようです。ラッキーでした。
暖かな海を眺める山歩きもいいけど、やっぱりこの季節ならではの霧氷や雪に出会える山歩きもしたいなあと思います。
次に私の都合とお天気が合う日、どんな山がどんな景色を見せてくれるかしら。
tsubo