【若狭】 駒ケ岳大滝川 深緑の里山の物語を辿る旅 

山行記、山の思い出、限定
フォーラムルール
新規トピックは文頭に以下のテンプレートをなるべく使ってください。
【 日 付 】
【 山 域 】 
【メンバー】
【 天 候 】
【 ルート 】
※ユーザーでなくても返信が可能です。ユーザー名に名前を入れて返信してください。
返信する
sato
記事: 417
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

【若狭】 駒ケ岳大滝川 深緑の里山の物語を辿る旅 

投稿記事 by sato »

【日 付】2020年7月5日(日)
【山 域】若狭 駒ヶ岳
【天 候】曇りのち晴れ
【コース】大滝橋---林道終点---炭焼窯跡ランチ場---駒ヶ岳---Ca730m分岐---大滝橋
【メンバー】山日和さん、sato

池河内の集落を抜け、昨夏訪れた時と同じ松永川の二俣に車を置く。
昨夏はここから右俣の林道を進み、・463の尾根の西側の谷を桜谷山に向かって遡った。
今日は、左俣の大滝川から駒ヶ岳へと向かうのだ。

池河内を流れる松永川をくるりと囲む小さな山域に魅せられたのは、いつの頃からなのだろう。
始まりは、朽木側から駒ヶ岳を訪れた時、目に留まった、「千石山」と書かれた黄色いテープが巻かれた木だった。
地図を見ては、松永川左俣の両側の尾根を辿る旅を夢見ていたが、なんとなく腰が上がらなかった。
一本の木が、駒ケ岳を訪れる度、若狭側に広がる自然林を眺め、こっちの風景も味わいたいとなぁ思っていた私の背中を押してくれた。
そして、足を踏み入れると、駒ケ岳から桜谷山の若狭側にすっかり魅了されてしまった。
以来、ふと思った時、池河内を訪れている。でも、彷徨うのは尾根ばかり。谷を歩いても岸から眺めるだけ。遡行しようとまでは思わなかった。

昨年、右俣の先の左俣の谷を遡った時の感動は、色あせることなく私の胸に刻まれている。
私にとって沢歩きの真髄を感じさせてくれた山旅だった。

大滝川も最初は林道歩きだ。道路に沿った植林の斜面は段状に整地された跡が見られ、ところどころに石積みも残る。
右俣と同様、この谷もかつては田んぼが広がっていたのだ。
林道終点から流れの中に足を浸す。田んぼが水に流されないよう何重にも積み重ねられた石積みの脇で休憩を取る。
前日は各地で大雨だったが、この谷の水量は多いとは感じない。それでも、増える時はものすごい勢いで増えるのだろう。
頑丈な石積みが、今日を生き抜いていった池河内の人々の強さを物語る。

P7050010_1.JPG

少し進むと、両岸は自然林となり、風景に柔らかさが加わる。
苔むした黒味を帯びた岩の間を、澄んだ水が滑らかな飛沫を上げ、気持ちよさ気に流れ落ちていく。
水に濡れた苔が艶やかに煌めく。その煌めきに負けじと、緑の木々も葉を思いきり広げ、曇天の淡い光を掬い取っている。
なんということもない風景なのかもしれないが、なんてこころに沁みいる風景なのだろうと思う。

今日の谷は右俣の時とは違い、2年前に訪れている山日和さんから聞いた話で、歩く前から素敵な谷なのだと想像している。
それでも、おおげさと思われるくらいうれしくなってしまう。意図してではなく、勝手に、自然に。

P7050018_1.JPG

二俣に着く。真ん中には岩を抱えたトチの木。ハッと、立ち止まる。
インド、ネパールのヒンドゥー世界では、川と川が合わさる場所は、聖なる地と考えられている。
今、目の前にある、いのちの水と水が合わさる風景が、時空を超え、ひとつの真実と繋がるのを感じる。

しっとり情趣を帯びた谷を遡っていく。標高は数百メートル。駒ケ岳の山頂に着いても780メートルだ。
山また山の中ではないのに、深い深い山の中を分け入っているような気分になる。
谷は山襞。谷を遡るとは、山のこころの襞に触れること、山の物語、秘密を感じることなのだなぁとあらためて感じる。
沢歩きの真髄を、今、私たちは味わっているのだ。

山日和さんが、「もう少ししたら、いい雰囲気の場所に着くよ」と呟いた。
これまでもいい雰囲気の場所だらけだったので、ワクワクするがドキドキまではいかない。
三筋の流れが見えた。近づくと美しい夢のような光景がそこにあった。両方の谷から小さな滝が流れ落ちる二俣だった。
左俣は大きな岩が流れを分け、二筋の光となって流れ落ちている。傍らには健やかに枝を広げるカツラの木。
わたしは夢を見ているのだろうか。山の夢をわたしが覗いているのだろうか。予期せぬ風景との出会いに、頭がぼぉっとなる。

P7050045_1.JPG

吸い寄せられるようにカツラの木の下に向かう。何本にも株立ちした一本いっぽんの幹が艶やかに煌めいていた。
その艶めかしさにうっとりして上を見上げると、それぞれの幹の、無数のちいさなまあるい葉で飾られた枝が、
遠い空の向こうにいつか届くのではないかと夢見るようにゆらりゆらりと伸びていた。
山も、木々も、私たちも・・・、そのとき、世界は夢見ていたのかもしれない。

夢見るカツラの木は、次の世界へと私たちを導いた。少し遡ると、今度は流れを塞ぐようにそびえ立つカツラが真ん前に現れた。
駒ケ岳で生まれたいのちの水が、この木に飲みこまれ、あらたないのちとなって大蛇のような根の下から湧き出ているようだった。
森羅万象の一隅の一本のカツラに、森羅万象を見る。

P7050058_1.JPG

透き通った音楽のように流れていく水の音が、どこかの国の大きな木の下で聞いた、何かの音色を呼び寄せる。

谷は緩やかな弧を描き、流れも細くなる。空が近づき、小さな台地に着いた。
そこには苔むした窯跡がしんと残っていた。柔らかな谷の源頭に静かに佇む窯跡。
絶妙の風景と思う。

炭焼き窯は、人の意志で作られたものだけど、人の意志を超え、あらかじめ決まっていたかのように、ここに生まれ、
自身が山となるのを知りつつ、時を送ったのだと思ってしまう。あるいは、炭焼きの人が、聞こえざる山の声に導かれて、ここに作ったのだとも。
ぼんやり考えていると「山頂まであともう少しだけど、ここでランチにしよう」と山日和さんは荷物を降ろし、シートを広げた。

P7050106_1.JPG

緑の海の中に浮かぶ窯跡と水色のシート。傍らには優しい流れ。
あっ、と息を呑む。私の目に映る風景の上に、昨年歩いた鈴鹿の上谷尻谷大滝上の窯跡の風景が浮かび上がる。
そうだ、山の記憶、山に暮らした人々の記憶、そして私たちそれぞれの記憶、さらに私の知らない誰かの記憶・・・
いろんな記憶が重なり合い、風景は輝きを増し、ひとつの世界を創るのだ。

P7050110_1.JPG

ゆっくりと贅沢なお昼の時間を過ごし、緑あふれる穏やかな起伏の中を稜線に向かい登っていく。
駒ケ岳のこころの襞に触れ、物語を感じながら辿り着いた山頂は、どんな表情で私たちを迎えてくれるのだろう。
トクンと胸が鳴る。でも、もう少し物語を味わいたくて、何度も後ろを振り返ってしまう。
いつの間にか木々の間から明るい光が差し込み始めていた。山頂は近い。

sato
アバター
山日和
記事: 3573
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:12
お住まい: 大阪府箕面市

Re: 【若狭】 駒ケ岳大滝川 深緑の里山の物語を辿る旅 

投稿記事 by 山日和 »

satoさん、こんばんは。

池河内を流れる松永川をくるりと囲む小さな山域に魅せられたのは、いつの頃からなのだろう。
始まりは、朽木側から駒ヶ岳を訪れた時、目に留まった、「千石山」と書かれた黄色いテープが巻かれた木だった。
地図を見ては、松永川左俣の両側の尾根を辿る旅を夢見ていたが、なんとなく腰が上がらなかった。
一本の木が、駒ケ岳を訪れる度、若狭側に広がる自然林を眺め、こっちの風景も味わいたいとなぁ思っていた私の背中を押してくれた。
そして、足を踏み入れると、駒ケ岳から桜谷山の若狭側にすっかり魅了されてしまった。
以来、ふと思った時、池河内を訪れている。でも、彷徨うのは尾根ばかり。谷を歩いても岸から眺めるだけ。遡行しようとまでは思わなかった。


私も初めての駒ヶ岳は朽木側からだったけど、増永廸男氏の本を読んで、松永川から小栗、桜谷山、駒ヶ岳、千石山と周回した時、この源流には
どんな風景が広がっているのだろうと興味を持ちました。江若国境稜線と小栗への素晴らしいブナ林を考えれば、その源流はつまらないはずは
ないだろうと。

少し進むと、両岸は自然林となり、風景に柔らかさが加わる。
苔むした黒味を帯びた岩の間を、澄んだ水が滑らかな飛沫を上げ、気持ちよさ気に流れ落ちていく。
水に濡れた苔が艶やかに煌めく。その煌めきに負けじと、緑の木々も葉を思いきり広げ、曇天の淡い光を掬い取っている。
なんということもない風景なのかもしれないが、なんてこころに沁みいる風景なのだろうと思う。


平凡な谷の風景ですが、自然林の中を静かに流れる渓流の佇まいは心惹かれるものがありますね。
別に滝もゴルジュも必要としない。激しい谷の風景とは別の次元の魅力があります。

P7050021_1.JPG

二俣に着く。真ん中には岩を抱えたトチの木。ハッと、立ち止まる。
インド、ネパールのヒンドゥー世界では、川と川が合わさる場所は、聖なる地と考えられている。
今、目の前にある、いのちの水と水が合わさる風景が、時空を超え、ひとつの真実と繋がるのを感じる。


この二俣は、一見インゼルかと思わせるような合流の仕方でしたね。そして右俣に入ると、なんとも特徴的なトチの木が
語りかけるように佇んでいましたね。

しっとり情趣を帯びた谷を遡っていく。標高は数百メートル。駒ケ岳の山頂に着いても780メートルだ。
山また山の中ではないのに、深い深い山の中を分け入っているような気分になる。
谷は山襞。谷を遡るとは、山のこころの襞に触れること、山の物語、秘密を感じることなのだなぁとあらためて感じる。
沢歩きの真髄を、今、私たちは味わっているのだ。


沢歩きの神髄とは大げさですが、こういう谷の魅力を感じる感性を共有できるのはうれしいことです。
若狭の谷はみんな海から近いのに、ずいぶん山奥に来たような感覚に捉われますね。

三筋の流れが見えた。近づくと美しい夢のような光景がそこにあった。両方の谷から小さな滝が流れ落ちる二俣だった。
左俣は大きな岩が流れを分け、二筋の光となって流れ落ちている。傍らには健やかに枝を広げるカツラの木。
わたしは夢を見ているのだろうか。山の夢をわたしが覗いているのだろうか。予期せぬ風景との出会いに、頭がぼぉっとなる。


この二俣のシチュエーションは素晴らしいでしょう。カツラの木から落ちる流れがなんとも言えません。

P7050047_1.JPG

夢見るカツラの木は、次の世界へと私たちを導いた。少し遡ると、今度は流れを塞ぐようにそびえ立つカツラが真ん前に現れた。
駒ケ岳で生まれたいのちの水が、この木に飲みこまれ、あらたないのちとなって大蛇のような根の下から湧き出ているようだった。


次のカツラもまた素晴らしい。甲森谷のような巨樹ではないものの、この谷の主のような風格がありました。

谷は緩やかな弧を描き、流れも細くなる。空が近づき、小さな台地に着いた。
そこには苔むした窯跡がしんと残っていた。柔らかな谷の源頭に静かに佇む窯跡。
絶妙の風景と思う。


この窯跡もまた、ここにあるのが当然のような顔をして佇んでいました。
ここでザックを降ろせと言われているようでしたね。

緑の海の中に浮かぶ窯跡と水色のシート。傍らには優しい流れ。
あっ、と息を呑む。私の目に映る風景の上に、昨年歩いた鈴鹿の上谷尻谷大滝上の窯跡の風景が浮かび上がる。
そうだ、山の記憶、山に暮らした人々の記憶、そして私たちそれぞれの記憶、さらに私の知らない誰かの記憶・・・
いろんな記憶が重なり合い、風景は輝きを増し、ひとつの世界を創るのだ。


状況は違えど、1年前のあの風景と重なるものがありましたね。

P7050115_1_1.JPG
ゆっくりと贅沢なお昼の時間を過ごし、緑あふれる穏やかな起伏の中を稜線に向かい登っていく。
駒ケ岳のこころの襞に触れ、物語を感じながら辿り着いた山頂は、どんな表情で私たちを迎えてくれるのだろう。
トクンと胸が鳴る。でも、もう少し物語を味わいたくて、何度も後ろを振り返ってしまう。
いつの間にか木々の間から明るい光が差し込み始めていた。山頂は近い。


窯跡からの緩やかに広がる源流もまた格別のものがありました。早足で通り過ぎるのがもったいない場所でしたね。
ここまで来てようやく晴れ間が覗いてくれました。

                 山日和
sato
記事: 417
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【若狭】 駒ケ岳大滝川 深緑の里山の物語を辿る旅 

投稿記事 by sato »

山日和さま

こんばんは。
レポをと思いながら書き始めたのですが、やっぱり感覚的な内容になってしまい、レポにはなりませんでした(汗)
こころに刻まれた風景を言葉に紡いでいくと、こうなってしまいます。
何度も訪れている駒ヶ岳のあらたな表情に出会った味わい深い沢山旅でした。ありがとうございました。

沢登りの愉しさ、感動はそれぞれの谷で覚えますが、
こころの奥底の感情が揺り動かされ、山をより深く感じるのは、小さな山の小さな谷だったりします。

山日和さんは松永川の左右の谷と左俣の左右の谷も遡っているのですよね。
私も、こころ惹かれる風景に出会うと、その山、その山域の尾根や谷をひとつずつ辿りたくなります。
実際に歩けなくても夢見て遊んでいます。
松永川の出会いは増永廸男さんの本からだったのですね。「霧の山」に小栗が描かれていたのを思い出して、読み返しました。
「霧の山」は山への憧憬をかきたてられますね。

トチの木の二俣、カツラの木の二俣、水と水の合わさる風景は、
時や場所という概念を超えた、言葉では言い表せない空気に包まれていました。
木々の緑と、透き通った流れを際立たせていた岩壁も印象に残っています。
松永川の上流には、こんなにも美しい世界が展開していたのですね。

そう、ここにあるのが当然のように窯跡は佇んでいました。この窯跡も山日和さんの窯跡100選でしょうか。
大滝川は窯跡の多い谷でしたね。いくつ見ましたっけ。石積みを跨ぐサワグルミには目を見張りました。

谷の最後は稜線に辿り着くうれしさと、夢が終わってしまうようなさみしさが混ざります。
その時、ぱあっと光が差し込み、小さな沢山旅の限りなく広がる世界を感じました。
これから、どんな風景に出会っていくのだろう、何を感じるのだろうとドキドキしました。

sato
返信する