【台高】「山の神」の日はまったりと(なってしまう・・)

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雨子庵
記事: 491
登録日時: 2011年10月12日(水) 19:40
お住まい: 名古屋(ときどき青田(飯高))

【台高】「山の神」の日はまったりと(なってしまう・・)

投稿記事 by 雨子庵 »

木下山(庵の谷)のヤッチャンから、年明け1月7日の『山の神』に誘われていた。
ワリバシさんも参加できるとのこと。
せっかくなんで飯高町森の深野集落の『山の神』とハシゴ参加をすることに。

【日付】2016年1月7日(山ノ神)
【山域】台高(櫛田川水系)
【メンバー】雨子庵・ワリバシさん・山の人多数
【天候】晴天

深野の『山の神』は黒瀧神社の境内にある。朝7時頃来いと言われていたが、6時50分にワリバシさん発見、早いな~。っていうか7時は僕らだけ。

しばらくしてヤッチャン登場。早速火を起こしてくれる。続々と集まる初対面の人に僕達を紹介してくれる。総勢15名くらいか。
まずは自治会長(?)が一段高いところから挨拶。
『それでは今から始めますが、え~、今日は名古屋から水商売の人たちも来てくれています』
ワザワザ紹介されると恥ずかしいモンです。
深野の山ノ神
深野の山ノ神
注連縄編みこみ
注連縄編みこみ
宮司さん(他の神社から来ているとのこと)の祝詞が終わると、やおら全員参加で『山の神』の前で注連縄を編み出す。社の前を横切るように7~8mくらい。
『雨子庵よお、この稲わらはこれ用に取ってあるんさなあ。最近はコンバインで切ってまうからな』
『このあとこれを切るんさ』
『ヤンワリ編み込めよ、ちゃあんと切れるようになぁ!』
見た感じかなりしっかり締めこんでいる(正にしめなわ)ように見えるけど、これでも加減しているんだろうな。
ワザワザ全員の分を作ってくれていました。この気持ちが大切ですね
ワザワザ全員の分を作ってくれていました。この気持ちが大切ですね
10分程度で完成。歌詞カード?が全員に配られる。
『さあ、これを全員で唱えながらいくぞ』
『ひぃ~とひろ、ふぅ~たひろ、みぃ~ひろ・・・』
ひとりの人が注連縄に手を広げ長さを測るように移動していく。
『さあここからはもっと元気よく!』
『いせのおむぎこめぇ、やまとのぉいとわぁた、だいほうさくのえんえんぼお』
(伊勢の麦米、大和の糸綿、大豊作の延々棒)
『それ切れッ!』
しめたばかりの注連縄を皆で引きちぎっていく。それをまとめて火を起こす。
この火で各自モチを焼きます
この火で各自モチを焼きます
『ほらっ、雨子庵、ワリバシ。それぞれのモチじゃ。この火で自分で焼いて食うんじゃ』ヤッチャンが銀紙でくるんで準備してくれてた。
『焦げたとこを食べると健康に過ごせるぞ』
美味しくいただきました。

引き続き『庵の谷』へ。木下山の『山の神』は計3回行う。12月7日、年末(注連縄つける)、そして1月7日。
木下山は現在3人で管理している。年の順にショウチャン、ヤッチャン、ユキチャン。今日はユキチャンは伐った木の出荷でバタバタしている。駐車場から山の神まで標高差は100m弱か。ショウチャンは前回車のところでお留守番でした。
『ショウチャンも上まで行こうよ。ゆっくりでいいから。起こした火は下りてくるまでもつよ』
4人でユックリユックリ上がる。やがて到着。今日は12月の山の神のような派手さが無い。社の扉を開けるも、幟も特に立てないし、魚とかもない。
『雨子庵さあ、12月は1年の無事を感謝する行事。今日は1年の無事をお祈りする日じゃ』ナルホド。
セッカクなんで持ってきたものをお供えさせてもらう。
『おおっ、「越の寒梅」じゃないか!』
ワリバシさんの持参した一升瓶にヤッチャンの声が1オクターブ上がる。
『あのぉ、僕の「魔王」はセッカクなんで不動明王に・・・』
下の人がショウチャンです
下の人がショウチャンです
ショウチャンがここの『山の神』の由来を解説してくれる。
『わしらの祖先は大和から来た。わしのじいさんがこの庵の谷に入り、当時はいわゆる原生林やな、ここに腰を据えて山をやっていくことを決心したんじゃ。いい加減な気持ちではこんな山の神までは置かんからな』

・・・
『さあヨバレヨ』
焚き火を囲んで早速お備えした「越の寒梅」をありがたくいただく。気がついたら無かった。「魔王」(4合)に手が出る。ヤッチャン、金網やカマスの開きは分かるけど、なんで都合良くお湯を持ってるの?気がついたら「魔王」も空き瓶で、濁り酒を呑んでいた。と思ったらまた透明のアルコールを呑んでいた。
『朝から』『寒中で』『焚き火を囲んで』楽しく呑む条件が揃いすぎてたけど、そこでイロイロな話が聞けました。
・猿山(庵の谷の向かいにあった廃集落)は以前46軒あったこと。
・そこ(斜面)にあった狭い神社の境内で村中の人が集まって盆踊りをしたこと
・猿山と辻堂(ダムの赤い橋)までは山の中腹に連絡道があって、猿山の人たちで管理してたこと。
・夜這いのこと 
他の話はほとんど忘れてしまったけど、ヤッチャンが庵の谷の源流を指差し、
『雨子庵よ、あそこにいいダイラがあるから小屋を建てろ!』と盛んに言われました。・・・秘密基地が増えるのかな・・・?

夕方、青田(雨子庵)に帰るとズッシリと鹿肉が。オジヤンからのお年玉。そして箕面から福の神(拭くの紙)が大量に差し入れ。
福の神(拭くの紙)1年分です
福の神(拭くの紙)1年分です
またまた皆さんの暖かさに触れた山の神の1日でした。
さあ今からはジロニィと呑まなきゃ。

雨子庵
zipp
記事: 1165
登録日時: 2011年3月09日(水) 22:49

Re: 【台高】「山の神」の日はまったりと(なってしまう・・)

投稿記事 by zipp »


 雨子庵主さん、こんばんは。
昨年、雨子庵によると、ドアに鍵が刺したままになっていて、某スーパーでこれこれこれ・・・と話して話し終わった後、「アンタ!だれぇ!?」と云われましたワ。これで二度目(^^;。
 わりばしさんも好きですねぇ。

深野の『山の神』は黒瀧神社の境内にある。

宮司さん(他の神社から来ているとのこと)の祝詞が終わると、やおら全員参加で『山の神』の前で注連縄を編み出す。社の前を横切るように7~8mくらい。
『ひぃ~とひろ、ふぅ~たひろ、みぃ~ひろ・・・』
ひとりの人が注連縄に手を広げ長さを測るように移動していく。
『さあここからはもっと元気よく!』
『いせのおむぎこめぇ、やまとのぉいとわぁた、だいほうさくのえんえんぼお』
(伊勢の麦米、大和の糸綿、大豊作の延々棒)
『それ切れッ!』
しめたばかりの注連縄を皆で引きちぎっていく。それをまとめて火を起こす。

 へぇ、変わったことするんですね。
しめ縄を切ることにどういう意味があるんだろ?

ショウチャンがここの『山の神』の由来を解説してくれる。
『わしらの祖先は大和から来た。わしのじいさんがこの庵の谷に入り、当時はいわゆる原生林やな、ここに腰を据えて山をやっていくことを決心したんじゃ。いい加減な気持ちではこんな山の神までは置かんからな』

 炭焼きから始めたのかな?

・猿山(庵の谷の向かいにあった廃集落)は以前46軒あったこと。
 ここ、大きな集落ですね。石積みも凄いし。

・猿山と辻堂(ダムの赤い橋)までは山の中腹に連絡道があって、猿山の人たちで管理してたこと。
 こンな道もありそうに思えました。

他の話はほとんど忘れてしまったけど、ヤッチャンが庵の谷の源流を指差し、
『雨子庵よ、あそこにいいダイラがあるから小屋を建てろ!』と盛んに言われました。

 ダイラは、迷い大池のダイラかな?それとも稜線から下がったダイラかな?
下のダイラには、祠跡を思わせる石段がまだ残ってますが。その近くには石道に、炭焼き窯跡も。

 雨子庵主どの、ダイラに残る祠跡の事、お不動さんが前にあった場所とか又聞いておいてくださいまし。

[attachment=0]DSCN2811_800.jpg[/attachment]
添付ファイル
祠跡は、この辺りにあった。
祠跡は、この辺りにあった。
   zipp
グー(伊勢山上住人)
記事: 2223
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:10
連絡する:

Re: 【台高】「山の神」の日はまったりと(なってしまう・・)

投稿記事 by グー(伊勢山上住人) »

雨子庵さん、こんばんは。

zippさん・わりばしさん・シュークリームさんたちはグーの全く知らないトコを歩いててレスが書けないの。
ちょっと雨子庵さんトコでお茶濁し。

『それでは今から始めますが、え~、今日は名古屋から水商売の人たちも来てくれています』

あらら、水商売だったの? 繁華街での客引きは禁止になったはずだけど。

『それ切れッ!』
しめたばかりの注連縄を皆で引きちぎっていく。それをまとめて火を起こす。


後世に残せるようにちゃんと記録係を勤めて下さいよ。
わりばしさんの場合は記録の行間に自分の思い込みを装飾して書き込むからねぇ~。

『庵の谷』木下山の『山の神』は駐車場から山の神まで標高差は100m弱か。
ショウチャンは前回車のところでお留守番でした。


ショウチャンの気持ちはよく分かる。きつい登りだモンな。グーもココは登りたくない。

『さあヨバレヨ』
焚き火を囲んで早速お備えした「越の寒梅」「魔王」濁り酒


いろいろな銘柄のノンアルコール飲料があるのですね。

ヤッチャンが庵の谷の源流を指差し、
『雨子庵よ、あそこにいいダイラがあるから小屋を建てろ!』


秘密基地を建てたらグーが利用させてもらいます。
ほぼ水平道で隔世の桃源郷が味わえるいいトコです。

そして箕面から福の神(拭くの紙)が1年分。

??箕面?? ですか。山日和さん7日は台高に入っていたの?

またまた皆さんの暖かさに触れた山の神の1日でした。

雨子庵さんの徳の積立貯金の賜物ですね。大事にしていってくださいな。


               グー(伊勢山上住人)
アバター
わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】「山の神」の日はまったりと(なってしまう・・)

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、雨子庵さん。

木下山(庵の谷)のヤッチャンから、年明け1月7日の『山の神』に誘われていた。
ワリバシさんも参加できるとのこと。
せっかくなんで飯高町森の深野集落の『山の神』とハシゴ参加をすることに。

貴重な体験をさせてもらいありがとうございました。

宮司さん(他の神社から来ているとのこと)の祝詞が終わると、やおら全員参加で『山の神』の前で注連縄を編み出す。社の前を横切るように7~8mくらい。
『雨子庵よお、この稲わらはこれ用に取ってあるんさなあ。最近はコンバインで切ってまうからな』
『このあとこれを切るんさ』
『ヤンワリ編み込めよ、ちゃあんと切れるようになぁ!』
見た感じかなりしっかり締めこんでいる(正にしめなわ)ように見えるけど、これでも加減しているんだろうな。

しめ縄を切るというのは珍しかったです。
山の神のしめ縄
山の神のしめ縄
『いせのおむぎこめぇ、やまとのぉいとわぁた、だいほうさくのえんえんぼお』
(伊勢の麦米、大和の糸綿、大豊作の延々棒)

ところで、「延々棒」って何です?

『朝から』『寒中で』『焚き火を囲んで』楽しく呑む条件が揃いすぎてたけど、そこでイロイロな話が聞けました。

中でも夜這いの話は興味深かったです。
娯楽としての夜這いだったんですね。

昔から日本は性に関して寛容だったんだろうな。
西洋の影響で性に対する考え方が厳格になったてことか。

稲につく害虫を食べるカラスが神の鳥だったのが
西洋の影響で悪いイメージがついたようなものなんだろうな。

夕方、青田(雨子庵)に帰るとズッシリと鹿肉が。オジヤンからのお年玉。

鹿肉ありがとうございました。
おいしくいただきました。

またまた皆さんの暖かさに触れた山の神の1日でした。
さあ今からはジロニィと呑まなきゃ。

また、誘ってください。
青田の事ももっと知りたいし。

                                   わりばし
雨子庵
記事: 491
登録日時: 2011年10月12日(水) 19:40
お住まい: 名古屋(ときどき青田(飯高))

Re: 【台高】「山の神」の日はまったりと(なってしまう・・)

投稿記事 by 雨子庵 »

zippさん オヒサ
雨子庵です。

昨年、雨子庵によると、ドアに鍵が刺したままになっていて、某スーパーでこれこれこれ・・・と話して話し終わった後、「アンタ!だれぇ!?」と云われましたワ。これで二度目(^^;。

うふふっ、ありがとうございます。ノブチャンが雨子庵の掃除をしてくれた際、そのまま帰っちゃったみたい。某スーパーでお相手をしたのは、多分ヤッチャン(♀)で、ノブチャンの奥様です。・・・最近飯高の辺りが物騒で悲しいことに盗難事件多発です(オジヤンはナンと重機盗まれました!)。
ノブチャンが『どうせ雨子庵は盗まれるもん無いしなぁ』と言ったら、
ヤッチャンに『それにしても鍵のつけっぱなしはアカンやろ!』と怒られ、あわてて鍵を取りにいったそうです。
おかげさまで特に異常無しです。
ただヤッチャンは横文字が苦手みたい『雨子庵さあ、ジップ言われても分からんのや』とのこと。

 わりばしさんも好きですねぇ。

そう思います。

 へぇ、変わったことするんですね。
しめ縄を切ることにどういう意味があるんだろ?


このときはなんとも思わなかったけど、たまたまあのあとテレビで、福井県美浜の海の祭りで、注連縄をその場で作って、水中綱引きをして引きちぎるというものを見ました。
また、尾鷲のほうでは注連縄をタタッキル(刀)というものもあるみたいだけど・・・
今度聞いておきますね。

 炭焼きから始めたのかな?

奈良の山を管理している会社(林業)から来たいみたいです。

 ここ、大きな集落ですね。石積みも凄いし。

ワリバシさんにも聞いて、次の休みの日見に行きました。石垣立派ですね。
旧家についていたのは昭和26年、森村の頃の標識
旧家についていたのは昭和26年、森村の頃の標識
何か私が思っているより昔から絵は可愛いんですね
何か私が思っているより昔から絵は可愛いんですね
 ダイラは、迷い大池のダイラかな?それとも稜線から下がったダイラかな?
下のダイラには、祠跡を思わせる石段がまだ残ってますが。その近くには石道に、炭焼き窯跡も。
 雨子庵主どの、ダイラに残る祠跡の事、お不動さんが前にあった場所とか又聞いておいてくださいまし。


酩酊状態での会話に付き、指が庵の谷の上のほう指してたくらいしか覚えてません。
宿題聞いてみます。
次いつ合えるかは不明ですが・・・。

雨子庵
雨子庵
記事: 491
登録日時: 2011年10月12日(水) 19:40
お住まい: 名古屋(ときどき青田(飯高))

Re: 【台高】「山の神」の日はまったりと(なってしまう・・)

投稿記事 by 雨子庵 »

グーさん オヒサ
雨子庵です

あらら、水商売だったの? 繁華街での客引きは禁止になったはずだけど。

昔、『石の上にも3年、水の上にも8年』とトップから言われて粛々と水商売に励んでいます。

後世に残せるようにちゃんと記録係を勤めて下さいよ。
わりばしさんの場合は記録の行間に自分の思い込みを装飾して書き込むからねぇ~。


私は自分が楽しいでいることが多いので・・・・
ワリバシさんはまるで民俗学者のように鋭い目で記録してましたよ。
最後に山の人たちに、
『雨子庵、参加してどうだった?』と聞かれ、
『皆さんが楽しそうにやっているのがよかったとおもいます』とまるで小学生みたいな返事をしてしまい我ながら赤面しました・・・。

いろいろな銘柄のノンアルコール飲料があるのですね。

今の技術はすごいです。本物のアルコールと遜色無いです。
ワリバシさんの『治外法権やな・・・』の言葉が耳に残ってます。

秘密基地を建てたらグーが利用させてもらいます。
ほぼ水平道で隔世の桃源郷が味わえるいいトコです。


私も少々他力本願的なところはありまするが・・・。
じゃダレが作るんだ?

??箕面?? ですか。山日和さん7日は台高に入っていたの?

入っていた袋に大きく『箕面』と書いていたので・・・。
ただ山日和サンがこの『青田トイレメンテナンス問題』をご存知とは思えないですが・・・。

雨子庵さんの徳の積立貯金の賜物ですね。大事にしていってくださいな。

最近は貯金(そもそも殆ど無いですが)を使ってばっかり・・・。

雨子庵
雨子庵
記事: 491
登録日時: 2011年10月12日(水) 19:40
お住まい: 名古屋(ときどき青田(飯高))

Re: 【台高】「山の神」の日はまったりと(なってしまう・・)

投稿記事 by 雨子庵 »

ワリバシさん オヒサです
雨子庵です

貴重な体験をさせてもらいありがとうございました。

私も見ていただけなので・・・。この言葉はあのときの山の人達全員に届けましょう。

しめ縄を切るというのは珍しかったです。

zippさんのとこにも書きましたが、あのあとたまたまテレビで福井県美浜の海の神事で(綱引きですが)、その場で作って引きちぎっていました。

ところで、「延々棒」って何です?

やはり山の神が女性なんでひょっとして下がかった話でしょうか?邪推ですが・・・。

中でも夜這いの話は興味深かったです。
娯楽としての夜這いだったんですね。
昔から日本は性に関して寛容だったんだろうな。
西洋の影響で性に対する考え方が厳格になったてことか。


明かり片手に山を越えて行き、帰りに疲れて途中で寝た、というのも本で読んだことあります。
また、盆踊りなどであった無礼講のランチキ騒ぎ(目が合ったらok)もお上から自粛するようにということもドコカで読んだ気が・・・。

鹿肉ありがとうございました。
おいしくいただきました。


オジヤンに伝えておきます。運よくあの日一頭分もらったらしいです。

また、誘ってください。
青田の事ももっと知りたいし。


鋭い記録お願いしますね。

春のヤミ鍋に木下一族にも声かけてみようかな・・・。

雨子庵
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わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】「山の神」の日はまったりと(なってしまう・・)

投稿記事 by わりばし »

再びおはようございます、雨子庵さん。

しめ縄を切るというのは珍しかったです。

zippさんのとこにも書きましたが、あのあとたまたまテレビで福井県美浜の海の神事で(綱引きですが)、その場で作って引きちぎっていました。

ご存じのように全国の木地師の集団は、蛭谷系と君ケ畑系にわかれ、明治時代まで氏子狩りという勢力争いが全国でくりひろげられていました。

蛭谷系
 (中心社)筒井八幡神社   (中心家)筒井公文書社家 (所在地)東近江市蛭谷   (氏子記録)氏子駈帖

君ケ畑系
 (中心社)大皇器地租神社  (中心家)高松御所社家   (所在地)東近江市君ケ畑  (氏子記録)氏子人別帖、氏子狩帖

三重の木地師の総本山とされる度会郡柏崎の大皇神社は、その名が示す通り君ケ畑系です。
しかし、黒滝神社のある森を中心とした飯高は蛭谷系で筒井八幡神社の氏子駈帖に記載があります。
また、旧中栃村や猿山には八幡社跡の台座も残っています。

[attachment=0]IMG_3651.jpg[/attachment]
『山村生活の研究』には「三重県森村の九谷部落は越前からきた木地屋が拓いた」という記述もあるので、黒滝神社山ノ神のしめ縄切りの儀式は福井とつながる証拠になるかもしれません。
越前から来た木地師であるために他の三重の木地師とは派閥が違ったのでしょう。

柏崎の正月の山ノ神神事では、二本の榊にかけてある古いしめ縄を切り外しその場で新しく編むようですが、編んだしめ縄を引きちぎることはしないようです。

ところで、「延々棒」って何です?

やはり山の神が女性なんでひょっとして下がかった話でしょうか?邪推ですが・・・。

そうか、持続力の延々か大きさの延々ということですか・・・納得

どっちなんでしょうね。 :mrgreen:

                                             わりばし
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八幡社台座(中栃村)
八幡社台座(中栃村)
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