雨子庵です
最近桧塚方面の記事が多いので、せっかくなので豆知識を・・・。
冬場の明神平から桧塚は雪が積もりスノーシューなどで快適なブナ林尾根ハイクができます。ただ途中で一か所だけ、どうしても段差(えぐれているところ)があります。場所は、桧塚奥峰から明神平に向かう際、ちょっと下って、奥ワサビ源流の横を歩き緩やかなくだりを行った最低鞍部、ちょうど尾根の左右の奥ワサビ谷と千石谷源流を結ぶような形でえぐれています。ちなみに登山道をそのまま行くとチョイ先に、「判官平」の標識があります。この登山道を横切るようについた溝は、昔の「掘割(ほりわり)」です。オジヤンの話によると、明治、大正のころ、地元の人が「かんりゅう」とよぶ会社がこの山を所有していたころ作られた木馬(きんま)道の名残だそうです。「かんりゅう」の話はどこかであらためて。当時、切った木を運ぶ際、尾根を乗っ越すのが大変だったため、山を削り、奥ワサビで切った木を蓮側の「かんりゅう」の工場に運んでいたみたいです。オジヤンの話だと、木馬道の名残もそこそこ認められるとのこと。150年近く前にここに職場があり、その人たちの作品を見ているんですね。
ただ、残念なのがオジヤンが青田の人間なので、蓮の「かんりゅう」の工場の位置がわからないこと 。どなたか有力な情報お持ちでないですか?
一度蓮の遺構巡りをしたいのですが・・・・。
【台 高】ワサビ谷源流にある人工遺跡
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山行記などの味付け以外で単独のどうでもいい話、雑談などに使ってちょんまげ~
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Re: 【台 高】ワサビ谷源流にある人工遺跡
ども、雨子庵さん。
この登山道を横切るようについた溝は、昔の「掘割(ほりわり)」です。オジヤンの話によると、明治、大正のころ、地元の人が「かんりゅう」とよぶ会社がこの山を所有していたころ作られた木馬(きんま)道の名残だそうです。
当時、切った木を運ぶ際、尾根を乗っ越すのが大変だったため、山を削り、奥ワサビで切った木を蓮側の「かんりゅう」の工場に運んでいたみたいです。
この掘割は、乾溜工場時代の木馬道だと思ってましたが、青田側から蓮側に材木を運ぶのでしたか。
それで納得です。掘割から先、青田側には道型が少しでわからなくなってしましますもんね。
木馬道は赤嵓滝谷を囲むように途切れつつものこってますよ。
裏ヒキウス道と勝手に名づけて、しばしば使ってます。
ただ、残念なのがオジヤンが青田の人間なので、蓮の「かんりゅう」の工場の位置がわからないこと 。どなたか有力な情報お持ちでないですか?
一度蓮の遺構巡りをしたいのですが・・・・。
赤嵓滝谷に2カ所、喜平小屋谷に一ヵ所、両谷の出合と4カ所は確実にありました。千石谷右岸の開けた広場にもなにかあったのではないかと推測します。そのうち、最奥の赤嵓滝谷の工場は良く遺構が残っています。
zipp
Re: 【台 高】ワサビ谷源流にある人工遺跡
雨子庵さん、おはようございます。
『厄介な溝だなあ』と思うくらいで、何も考えずに歩いていました。
大又から桧塚へは何回か歩いていますが単なる通過点でした。
ピストンばかりですから、その都度2回は通っていると言うのに・・・
次回からは寄り道して探ってみる楽しみが増えました。
ちょっと入り込めばまた違った物が見えることは何回も経験していますから。
興味深い話をありがとうございました。
『厄介な溝だなあ』と思うくらいで、何も考えずに歩いていました。
大又から桧塚へは何回か歩いていますが単なる通過点でした。
ピストンばかりですから、その都度2回は通っていると言うのに・・・
次回からは寄り道して探ってみる楽しみが増えました。
ちょっと入り込めばまた違った物が見えることは何回も経験していますから。
興味深い話をありがとうございました。
落第忍者