zippさん、あけおめです。
> 絶好のピーカンの日に歩かれて羨ましい。
そりゅあ、この日を待っていたんですからね。
待ちに待った日だったんです。だから、天気についてはいうことなしでした。
> 尾鷲道100年は、正確に云うと尾鷲の林業・資産家の土井氏が尾鷲道を寄進して100年で、その道は又口道でした。
> そして近年、尾鷲や紀北の地元の人たちが、古和谷道を整備されて通れるようになりました。
それは知りませんでした。単に100周年ということだけを耳にしましたので。
熊野古道センターのHPには、以下のように書かれていました。
「尾鷲市から大台ヶ原へ登る唯一の登山道である尾鷲道が開通してから今年2015年で100周年を迎えます。
この道は奈良県大台ヶ原にある神習教大台ヶ原大教会(通称:大台教会)へ参拝するための参詣道として、
尾鷲の林業家土井輿八郎が大正4年(1915)に拓いた道です。かつてはこの尾鷲道を利用して多くの参詣者
や登山者が大台ヶ原への行き帰りに利用した道ですが、長い間歩く人が途絶え廃道となっていました。しかし
近年の登山ブームで歩く人も多くなり暫定的ですが歩けるまでに復活しています。道中に はトロッコ軌道跡や
インクライン跡などの産業遺産が見られ、また大峯山脈をはじめ紀伊山地の山並みを望むことができます。」
当時は、又口辻から又口に下る道が本来の尾鷲道だったということですかね。古和谷道というのは、又口辻よりも少し
手前にある分岐ですが、最近はここに新しい「尾鷲道」の表示がありますね。分県登山ガイド「三重県の山」の著書のひ
とりである金丸勝美氏が「マブシ嶺」を紹介していますが、今回はそのコースを辿りました。しかし、金丸氏は最近古和谷
道からのトレッキングをしておられますね。
http://homepage3.nifty.com/photocb/
> マブシ嶺三角点直下からも西側をトラバースして雷峠(檜の大木のあるところ、東川の大谷から道との三叉路)に続い
> てました。今は崩壊しちゃって通れませんが。
そうなんですか。これも初耳です。雷峠は以前通過したことがありますが、檜の大木というのが記憶にありません。
> (京都東ICから海山ICまで2時間ほどで行ける) 速いっ!kitaさん、飛ばし過ぎ!! ・・・ってわけでもないのかな?
まあ時速80㎞というわけではありませんが、そこそこのスピードでいくと2時間あまりですね。もちろん、車の少ない早朝
の時間帯ならではのことです。
> 「清五郎滝の氷瀑」が、近年観光名所となってるため、冬場は落石も退けられて通りやすくなります。
> しかし、舗装されると氷雪が付くと恐いんだよね、ガードレールもなくそのまま谷底だし(^^;。
清五郎の滝というのも聞きますが、この氷瀑が名所になっているのですか。zippさんはご覧になったことがあるのですね。
長い林道ですが、水無峠までは舗装されているので無理なく進めてよかったと思っています。冬場は違うのかと少々不安を
感じました。
> (地蔵峠の標識) この白い木の標識は地元の人が付けたのですが、調べもせず付けたみたい。
> 「地蔵峠」の名称も、この標識から付いたようなものです。龍辻から来た道と木組峠から来た道が合流する追分の地蔵さんが
> 稜線にあるのだけど、手前の林道が稜線を越えるところにあります。
竜辻からきた道というと尾根道ですよね。これが木組峠からきた道と合流する地点は又口辻ではありませんか。地蔵さんは
どこにあるのでしょうか。今言われている地蔵峠とは違うところにあるのですよね。地点を教えてほしいですね。
> (この先にある木組峠と区別するために「新」木組峠と命名されている) 「新」の字が標識に足されてます(^^;。
私の最初、木組峠と新木組峠の二つがあるのが不思議でした。でも、今はわかります。白い標識に「新」の字が補足されて
いましたね。
- 新木組峠です
> (釈迦ヶ岳、孔雀岳、仏生ヶ岳、八経ヶ岳、弥山と続いている。釈迦ヶ岳は槍のように尖って見える。)
> この日は、すばらしい眺望だったでしょうね。
はい。この眺望を見るためにやってきたと言ってもいいくらいです。きてよかったと思う瞬間でもありました。
- 釈迦ヶ岳ですね。
- 行者還岳ですね。
> P1184を山高地図は「光山」と書いてますが、間違いです。
うんと、山と高原地図には、P1184は載っていないと思うのですが。つまり、下にちょうど切れている部分だと思うのです。
木組峠がやっと載っている程度です。
> (尾根の小ピークのP1245とP1216の中間点の鞍部に一本木と書かれた白い標識があった)この標識の場所は間違いです。
> 一本木はマブシ嶺三角点直下あたりで、一本の大きなブナがあったからだそうです(1970年代後半の山高地図の開設から)。
一本木というのは大きなブナがあったことからの命名でしたか。そういえば、マブシ嶺の直下あたりに「一本木」と書かれた
古いプレートがありましたが、そこなんでしょうか。
- 一本木のプレート
> この辺りの地名は、畔田伴存の「和州吉野郡群山記」を読んでたであろう武四郎翁が、地元の案内のものに確認しつつ
> 地名を拾ったのでしょうね。マブシ嶺は「群山記」にも載ってます。ちなみに、マブシ嶺は誰かが勝手につけた山名板「地
> 倉山」をそのまま地図の名称を載せた「山高地図」のピークでしょう。尾鷲道は、ピークも三角点も通ってはいないのです。
zippさんは、この辺りが詳しいようですね。その畦田翠山の「吉野群山記」というのは江戸時代ですよね。松浦武四郎が
読んでということですから。物の本によると、文政から天保にかけての著書だと言われていますね。しかし、三角点の設置
は明治になってからのことですから、マブシ嶺に三角点を設置したのは別の意味があったのでしょうね。
> (ca1305のピークの手前に展望地がある)
> ここから大台ヶ原を見ると、布団を被った頭を出した人の寝姿にみえなかったでせうか(^^)。武四郎翁はそう云ってました。
なるほど、見ようによっては、そう見えないでもないですね。
釈迦が寝ているというのは、阿蘇にありましたね。
- 布団を被った頭を出した人の寝姿?
> (ca1305ピーク周辺)ここが委細谷の龍辻になるように思う。東ノ川から植林が登ってきてますね。
このあたりの山名はちょっとややこしいところがあるのでしょうか。伊勢山の会の「宮川源流」には、ca 1260が竜辻、三角点峰
(1297.4m)が中の岳(委細谷の頭)と記されています。しかし、ca1305は無名ですね。
> へぇ、「委細谷ノ頭」なんて山名板があったのかな?「中ノ嶺」という古くからの名称でいいと思うけど。
以前に「新木組峠の高」なる山名板が掲げられたときには、うんざりしましたが(^^;。
はい、このとおり、「委細谷の頭」というプレートがありましたね。もちろん、「中の嶺」というプレートもありました。
- 委細谷の頭のプレート
> (中の嶺から少し東に下ったところにかなり大きな杉があった)
> 大きな杉だけど、尾鷲や熊野の山には、県境も含めてもっと大きな杉が眠ってそうです。
杉の大木というのは、あまりないです。やはり切り倒されてしまうからでしょうか。
だから、こんなに大きな杉の木にはちょっとびっくりしました。
> (竜辻と呼ばれるピーク(1265m)に着いた)
> このピークがいつの間にか「龍辻」と称されているのは、わたし的には嬉しい。
> もしかしたら、県境稜線をさらに一段降りたところかもしれないけど(^^;。
今回初めて竜辻というピークを踏みましたが、ブナがあって、眺望もあって、いいところでした。ここでランチタイム
してもいいところですね。さきほどのca1305の手前の場所と並んでいいところでした。
- 竜辻のブナ
- 竜辻から尾鷲を見る
> kitaさん、眺望のよい静かな山行が楽しめて良かったですね♪
> 私も、レポで楽しめました(^^)。
はい、ありがとうございます。誰にも会わない静かな山行。しかも眺望も抜群の日に歩けて僥倖でした。