【日 付】 2024年1月30日
【山 域】 奥美濃 猫ケ洞 土蔵岳 大ダワ周辺
【天 気】 晴れ
【コース】 八草トンネル口岐阜側~・885~土蔵岳~猫ケ洞~土蔵岳~大ダワ
~・1026~・727~P
標高700m。ふぅふぅと息をつき雑木林の広い尾根を登っていたら、右の方にボコボコとした溝が見えた。
土曜日か日曜日に登った方々のトレースだった。そうか、尾根の末端から登っていたのだ。
トンネル東口に近い、南の支尾根にはトレースが無く「誰も登っていなかったのね。よかった」とここまで登って来たのだが。
残念と思うこころと裏腹に、足はトレースに向かっている。昨日、何となくからだが重かった。
晴れの予報でなかったら、家で本を読もうと思ったが、見事な晴れマーク。
考えていた山は、朝4時に起きなければならないし、ちょっとしんどい。そして浮かんだのが、ここだった。
作シーズンは、お正月、夫と塩見岳に登ることが出来てよかったなぁ、と旅の余韻に浸っていた時、
そのひと月前の12月に何気なく受けた便潜血検査で「陽性」との通知が届き、内視鏡検査をしたところ、
その場では取ることの出来ない2cm、(他に8㎜、4㎜)のポリープが見つかり不安の日々に突入。
2月頭に入院内視鏡手術をして、2週間後に良性と分かりホッとしたものの、今度は膝痛が悪化。
ひとりで山に登るのは不安で怖い日々が春まで続いた。
あれこれ心身の不調が現れる年頃、今シーズンも、あらたな問題を抱えクリニックのお世話にもなっているけれど、
ひとりで歩いても大丈夫と思えるようになった。歩ける時は歩きたい。前向きな気持ちになれるのがうれしいけれど、
やっぱり本調子ではないようだ。
有難くトレースを辿らせていただくと、すぅっとからだが楽になった。足取りが軽くなると、キョロキョロ辺りを見渡している。
ふっと振り返ると、金糞岳が朝の光を浴びて白藍色に輝いていた。
どこかから、シジュウカラか、かわいい鳥の鳴き声が聞こえてきて、頭上を見上げると、私のすぐ横の木が、
少し黄みを帯びた空を掴むように枝を伸ばしている。なんて平和な光景なのだろう。みなが、真冬の穏やかな陽気を楽しんでいる。
風格のあるブナが見えた。・885だ。ここから南に伸びるたおやかな尾根の二重稜線のあたりの風景が気になっている。
でも、また次の機会に。黒々としたスギの方へと足を進める。
八草川右俣砥谷の枝谷がキュっと入ったこの地点は、いきなり空気が変わり、わぁ面白い、と初めて通った3年前の年末、
膝近くまで潜る新雪を漕ぎながら、思ったことを思い出す。
ここを過ぎると、清々しいブナ林のはじまりだ。
わたしは、人は、何故、ブナに魅かれるのだろう。うつくしいと思うのだろう。
うつくしいブナの林があり、うつくしいと感じるわたしがいるのか、ブナに、うつくしいと感じるわたしのこころを見ているのか・・・。
穏やかな陽気に包まれ、迷宮入りしそうなことを考え始めるが、ブナの林は、ほんとうに、しみじみとうつくしく、力強く、神秘に満ちている。
ブナの純林は、雪がたくさん積もる地方に多く見られるそうだ。
ブナは、積雪に強いしなやかな幹を持ち、寿命は300年前後、発芽して最初の実をつけるまで40年ぐらいかかるという。
昨秋は、実が凶作だったが、豊作になるのは、せいぜい5~10年に一度。平常の結実数を少なくしておくことで、
ブナの実を食べる動物の数を抑え、豊作の年に有り余る実を落とし子孫を残そうという寿命の長いブナならではの戦略だと考えられている。
ブナ林を歩くと、一本一本のブナが絶妙な間隔で並んでいるのも感じるが、
それは、ブナは、成長するにしたがって根から毒を出し、弱い木はその毒で枯れてしまい、
一定の範囲内で一番元気なブナが残っていくからともいわれている。
双子のように並んでいるブナは、実の中にふたつある同じ遺伝子型の種から成長したブナなのだそう。
目の前に展開しているブナ林の、一本一本の木の歴史を想像すると圧倒される。
左から尾根が近づいてきた。江美国境稜線だ。ここからの風景がまた素晴らしい。
やわらかにうねりながら広がるまっ白な雪の斜面に、すっくと並ぶ若いブナ。
今日は、右の尾根を行こう。まっさらな雪面に足跡を刻んでいく。
山頂台地の一段下も素敵な台地だ。ぷらりとまわって立ち止まり、金糞岳に見入ってしまう。
誰か歩いているかな。まっ直ぐに伸びる北尾根を、目を凝らして辿っていく。
あの日、この日、夢見心地で歩いていたわたしの姿が浮かんでくる。
山頂から先は、北も南もトレースは無かった。猫ケ洞に向かい、まだ陽の当たらぬ斜面を下っていく。
雪降る日はどれほどの風が吹きすさんでいたのだろう。一面にギザギザの風紋が描かれている。
微かに青みを帯びた雪のさざ波。そして、そのさざ波は、時間を閉じ込めたように動かない。
しんと静まり返った世界に、さざ波を渡るわたしの足音が響き渡る。
ハッと我に返ったみたいに、空気が震える。時が刻まれるのを感じる。
お行儀よく並ぶブナの間を縫い、まあるい台地に出て、下るとあの雪庇だ。
何年前になるのかは、ぱっと思い出せないけれど、Kさんの後に続きながら、土倉谷と登谷にはさまれた尾根を登り、
霧にけぶるブナの林を抜け、要塞のようにそびえ立つ雪庇を見た時の驚きは忘れられない。
山猫の棲む世界との結界のよう、とゾクゾクした。
風景との出会いは一期一会。その後、訪れた時には、あの日ほど威圧感のある雪庇は存在せず、
今日も、それほどではないだろう、と思ってやってきたが、現れた雪庇は、実に長閑だった。
春のような暖かな陽射しの下で、穏やかに光っている。高さもやはりそれほどない。
木の横の雪を崩して登り、山頂に出た。
そのまま北東の台地に進む。半年前、神又谷左俣を遡る旅で訪れた時、ササヤブで覆われて何にも見えなかった台地は、
細かく波打つ雪原となっていて、奥美濃の山やまが一望だった。高丸と烏帽子山の白さが目に沁みる。能郷白山もまっ白だ。
でも、木立の間から望んだ三周ヶ岳が、わたしの目には、どの山よりも白く輝いて見えた。
ここで、ゆっくりしてもいいかな、と思ったが、お昼には早く、あまりにもうららかな陽気で、もう少し歩きたい気持ちにもなり、
引き返して、大ダワへと向かう。
そう、土蔵岳から大ダワへの稜線も大好きなのだ。そしてここは、この、うららかな陽気にぴったりだ。
何度か歩いているが、今日も、わぁ、わぁ、と感激してしまう。たおやかに広がる稜線の、どこを歩こうかと迷ってしまう。
あっちへふらふら、こっちにふらふら。立ち止まり、でんと腰を下ろして、腹這いになり、
雪と風が描いた、やわらかだったり、とんがっていたり、二つとして同じものはない、直に消えてしまう、儚いまっ白な作品を掬い上げ、
こころの小箱にそっと仕舞っていく。いつか忘れてしまうのだろうけれど、いとおしくせつない一期一会の輝きをこころに仕舞いこむ。
ブナに代わり、風格のあるミズナラの木々が現れると、広い広い大ダワの山上台地だ。
ここも、無積雪期は灌木のヤブ。冬は雪の魔法で、こんなにもうつくしい展望広場になる。
坂内川上の夜叉龍神社からもトレースはついていなかった。
どこに座ろう。つるりとした台地を一周して、蕎麦粒山が一番よく見えると思ったところに腰を下ろす。
近江の地に越してきて出会った奥美濃の山。その最初の山が蕎麦粒山だった。
私の奥美濃の山への扉を開いてくれた大切なお山。あの日見た雪庇は、色あせることなく、白く鋭くこころに焼き付いている。
真正面を向くと、八草川を挟んだ向こうに金糞岳。その奥には伊吹山。
日々の暮らしの中で、晴れた日、仰ぎ見る度に、こころの中で手を合わせているいのりの山だ。
そして、母なるうみ、びわ湖が、白い雲が浮かぶ淡青色の空との境に光っている。
なんて、うつくしいのだろう。
数々の偶然が積み重なり、近江に暮らすようになり、今、こうして、静謐さを湛えたお山で、
愛する山とうみを眺めているわたしがいる。しあわせだなぁ、と思う。
さぁっと、灰色の雲がやってきて去っていった。
よし行こう。去り難いけれど、なんだか夕方までに家に帰りたくなった。
立ち上がり、わたしをやさしく包み込むうつくしき世界に手を合わせ、踵を返す。
・1026先で、南の尾根に入る。3年前の年末に歩いた時は、山頂を出発したのが15時で、下山時刻が気になり、
急ぎ足気味になるものの、重くてグズグズの雪で思うように歩けず、ゆったりした気持ちで風景を味わえなかったのだろう。
こんなに素敵なブナ林が続いていたのだ、と目を見張る。蕎麦粒山もずっと見守ってくれている。
ありがとうございますの気持ちでいっぱいになる。
・727では、「どうぞここに腰かけて」と一本の木に呼び止められた。座ると、静かに私を見つめる蕎麦粒山と目が合った。
ここから下の急斜面は、前回は七転八倒状態で大変だった。
昨冬の膝痛のひとつの原因は、スノーシューを履いて変な転び方を何度かしたため。
転ばぬよう細心の注意を払いながら、ゆっくりと下っていく。
廃屋が見えた。一度も転ばずに下山出来た。楽しく下山させていただきました。笑みがこぼれる。
まだ陽の高い湖西道路を走りながら、チラチラと伊吹山を見ていた。
そうか、だから明るい内に帰りたかったのだ。新旭では少し黒みを帯びたちいさな蕎麦粒山を確認して、胸がトクンと鳴る。
我が家を通り越し、湖岸道路に出て車を停めて外に出る。
夕方の霞を帯びたやわらかな陽射しで、あるいは、わたしの目が潤んでいたのか。
淡い水色の空の下、伊吹山が、金糞岳が、乳白色に、うみは、薄浅葱色にゆらゆらと煌めいていた。
やさしくやさしく煌めいていた。
「ありがとうございます」
手を握りしめて立ち尽くしながら、今日何度も呟いた言葉を、また繰り返していた。
sato