【 日 付 】2024年1月23日(火)〜 26日(金)
【メンバー】単独
「枯木灘」は紀伊半島南西部に存在する海岸線の名称であり,中上健次の小説のタイトルともなっている。小説「枯木灘」は中上健次の数多くの作品の中でも最高傑作と思う。今回,熊野古道大辺路ルートとして紀伊田辺から田子までを歩いたが,ここは中上健次の紀行文「紀州 木の国・根の国物語」の舞台ともなっており,図らずも中上健次を偲びながらの街道歩きとなった。
出発の1週間前になって,ちょうど計画した期間に今冬一番の寒気が流れ込み,暖かいと期待した南紀も予想外の低温になるらしいことがわかってきた。寒そうだが,天気予報には晴れマークが付いている。気温が低いことだけで計画を中止するのはどうかと思い,とりあえず出かけることにした。
1月23日(火) 歩行距離 14.1 km
【 天 候 】晴れ時々曇り
【 ルート】津新町駅 6:33 ---
--- 11:21 紀伊田辺駅 11:26 --- 11:42 闘鶏神社 --- 14:12 山王橋 --- 15:42 紀伊富田駅 17:11 ---
--- 17:34 周参見駅(泊)
近鉄津新町駅を早朝に出,近鉄とJRを乗り継いで,11時21分に紀伊田辺駅に着く。まずは大辺路の出発点である闘鶏神社にお参りし,旅の安全を祈る。神社横の無料休憩所に熊野古道の地図入り小冊子が置いてあったのでいただいていく。
この日は行程の大部分が車道歩き。道は紀勢本線に沿って続き,田辺の次が紀伊新庄,その次の駅は朝来。中上健次の「紀州」によると「あっそ」とふりがなが付されている。一体に,このあたりの地名の漢字はあて字のようなものが多い。例えば,富田と書いて「とんだ」と発音する。
朝来の市街地を過ぎ,富田川で山王橋を渡る。山王橋は増水時には橋自体が水の下になる潜水橋である。潜水橋を渡るのは初めてなので楽しかった。四国の四万十川には潜水橋が多いが,紀州では珍しい気がする。
- 山王橋(沈下橋)
この後は国道42号線をひたすら歩いて,午後3時42分に紀伊富田駅に到着。歩いている間は寒さを感じなかったが,吹き抜けの駅舎で1時間半じっと待っている間に強風に吹かれて体が冷えてしまう。ようやく電車の中に入るとその暖かさがひどく気持ちよかった。周参見駅で下車,今回の旅のベースキャンプである駅近くの元国民宿舎にチェックインする。アルカリ度が強いまったりした温泉がひどく気持ちよかった。
1月24日(水) 歩行距離 20.3 km
【 天 候 】晴れ時々曇り
【 ルート】周参見駅 7:13 ---
--- 7:35 紀伊富田駅 7:43 --- 10:10 安居辻松峠 --- 11:56 安居の渡し場 --- 13:15 紀伊日置駅 14:17 ---
--- 14:25 周参見駅(泊)
大急ぎで朝食を食べて,電車で昨日の終了点の紀伊富田駅に移動する。天気予報通り気温は低く,強風が吹いている。早めに切り上げて,宿の温泉でまったりしたいものだ。
今日は富田坂越えのルートである。富田坂の山中に入ると風がさえぎられ,心地がいい。風さえ吹かなければ気温が低くてもそれほど寒さを感じない。山中では山の方から吹き流されてくる雪がちらほら舞っているが,地面を濡らすほどのこともなく,風情があっていい。
標高400mほども登ると道はよく整備された平坦路になり,気持ちがいい。やはり車道歩きよりはよっぽど快適だ。安居辻松峠を越えると,道は林道になり,林道を下り切ると日置(ひき)川に突き当たる。安居の集落を突っ切ると安居の渡し場である。
ここは「安居の渡し保存会」によってボランティアで渡し船が運営されていたが,出発直前にネットでチェックすると,2023年1月から休止しているらしい。今年の2月から土,日,祝日に限って再開するらしいが,この時点では渡しは休止している。
- 安居の渡し場
地図を見る限り迂回路はなさそうだ。安居の渡し場から南へ6キロ下るとJRの紀伊日置駅があることが分かったので,ここから電車で周参見に帰ることにする。日置川の右岸をひたすら南に下る。日置川は熊野川を小さくした感じで,広い河原を水が蛇行して流れており,雰囲気がいい。
- 日置川と田野井集落
5キロほど歩き,JRの線路近くに来ると田野井という集落がある。中上健次の小説「鳳仙花」では主人公のフサの母親であるトミの実家が,日置の田の井ということになっており,おそらくこの集落を念頭に置いているのだろう。トミは出会った木馬引きと駆け落ちして古座に来,そこでフサが生まれることになる。田野井の集落で日置川は東に向きを変え,川に沿って1キロほど降ると紀伊日置駅だった。
気温は昨日よりも低いようで,吹きさらしの駅舎で一時間電車を待っている間に,手袋をしていても手がかじかんでしまった。
1月25日(木) 歩行距離 12.4 km
【 天 候 】晴れ
【 ルート】周参見駅 8:36 ---
--- 8:45 見老津駅 8:46 --- 8:56 長井坂東口 --- 10:56 長井坂西口 --- 11:10 和深川王子神社 --- 13:17 周参見(泊)
今期最強寒波の影響で,暖かいはずの周参見でも朝から雪がちらついている。事前の計画では田子(たこ)まで約25キロ歩く予定だったのだが,こんな寒中を無理して歩いても楽しくないので,計画を変更して見老津(みろづ)から周参見までの約12キロでやめておくことにする。
吹きさらしの駅で長いこと待つのはもうこりごりなので,先に電車で見老津まで行き,周参見に帰ることにする。JR見老津駅に降りるとそこは枯木灘だった。東へ歩くとすぐに長井坂の登り口。街道とは思えないような急登である。まあいい。昔の熊野古道をそのまま忠実に辿っているわけでもないのだろう。
- 長井坂
標高差200mの急登を登りきると舗装された林道にで,その後はゆるやかな登りに変わる。ゆるやかな登り道は山腹道で,北風が遮られて気持ちがい。左側を見下ろすと眼下に枯木灘が見えている。
長井坂を下ると国道42号線に出,さらに道標に従って国道脇から右側斜面に入ると,旧街道とは思えないような荒れた斜面が続き,標高にして100mほども登らされる。上から眺めると下に広大な太陽発電施設が建設されており,どうもこの施設のためにルートが迂回させられたらしい。世界文化遺産をこんな風に勝手に現状変更していいのだろうか。
再び国道に戻り,しばらく歩くと周参見だった。
1月26日(金) 歩行距離 13.9 km
【 天 候 】晴れ
【 ルート】周参見駅 8:36 ---
--- 8:45 見老津駅 8:55 --- 9:41 道の駅周参見 10:03 --- 10:11 江住駅 --- 12:33 和深駅 --- 13:31 田子駅 14:52 ---
--- 16:12 新宮駅 17:31 ---
--- 19:53 津駅
電車で昨日の始点の見老津に着く。今シーズン最強寒波も過ぎ去ったようで,朝から南紀らしい陽光が降り注いでいる。今日は楽しいハイキングになりそうだ。駅の目の前には枯木灘が広がっている。
前日までの峠越えとは趣を変えて,この日は海岸沿いを歩く1日になった。1時間ほど歩くと道の駅周参見。ここで昼食用のサンマ寿司を買う。このあたりからずっといわゆる「鬼の洗濯板」と呼ばれる海岸地形が続くようになる。隆起海床というものだそうで,深い海で堆積した地層が隆起によって海面に現れたものらしい。
また,「平見」とついた地名が多くなる。「平見」というのは海岸の隆起によって作られた海岸段丘によって形成された地形で,この辺りでは海岸から20〜30mほど上がったところに平地があり,ここに集落が形成されている。街道はこの平見と海岸沿いの道を何度もアップダウンしながらつけられている。
雨島の木ノ本神社から海岸に下りる南向き斜面に腰を据えて,「鬼の洗濯板」を眺めながら道の駅で買ったサンマ寿司を食べる。もう風はなく,南紀の陽光が惜しげもなく降り注いでいる。これが今回期待した街道歩きだったのだが,最終日にしてようやく思ったような歩きになった。終着点の田子駅まではあと1時間ちょっとだろう。急ぐ必要は少しもない。
13時30分,田子駅着。小さな駅舎がポツンとあるだけの小さな駅だった。風もなく暖かいホームに座り込んで3時間に1本の電車を待つ。時間通りに来た電車は新宮駅行き。終点の新宮で1時間半ほど待ち,名古屋駅行きの特急南紀に乗って帰った。
あとがき
熊野古道は2004年前にユネスコの世界文化遺産に指定され,日本人だけでなく,欧米を中心とした世界各国からのハイカーが数多く訪れる巡礼の道になっている。しかし,熊野古道の中心である中辺路は兎も角として,伊勢路の特に紀伊長島から熊野までの区間は浦々をつなぐルートとして,昭和初期まで住民に実際に使われていた生活道路の側面が大きいように思われる。今回,初めて大辺路を歩く機会を得たが,やはり同じような印象を得た。今回の旅は自分の両親や祖父母が生きた時代の風景を偲びながら歩く旅になった。また,この地は中上健次の小説の舞台になった場所でもあり,小説に出てくる地名をなぞりながらの旅ともなった。
今回は途中の田子までで終了したが,次回は中上健次の故郷であり,小説の主舞台である新宮を目指しての旅となる。次回の旅も印象の深い歩きになることを確信している。