【 日 付 】2019年1月6日(日曜日)
【 山 域 】鈴鹿
【メンバー】山猫+家内
【 天 候 】曇り時々晴れ
【 ルート 】君ヶ畑除雪終了地点9:34~10:30御池川出合~10:49T字尾根登山口~11:46T字尾根 P878~12:16T字尾根P918~12:52T字尾根最高点P967~13:36テーブルランドT字尾根下降点13:49~13:57青のドリーネ~14:16ボタンブチ~14:34御池岳~14:47奥の平~15:11土倉岳下降点~15:28土倉岳~16:35ノタノ坂16:44~17:23御池川出合~18:11君ヶ畑
この日は曇りの予報ではあるが、どうやら今日は高曇りである。この時期、余程の快晴でないと鈴鹿最高峰の御池岳の山頂部は雲に覆われてしまいがちではあるが、今日は期待が出来るかもしれない・・・ということで冬の御池岳への山行を考える。冬の御池岳に滋賀県側からアプローチするのは容易ではないが、いくつかの方法が考えられる。今回、計画したのは御池林道からのT字尾根を登り、下山は土倉岳を経てノタノ坂を下るという周回コースである。
名神で八日市が近づくにつれ、遠くに伊吹山の姿がすっきりと見えると、今日は御池岳の山頂も雲の下だろうと思われる。君ヶ畑集落についたのは9時半頃。登山口までは車で入れるだろうという甘い見込みがあったのだが、それは全くの期待外れであった。除雪の終了地点から雪の上についている車の轍を追って林道に入ったのだが、この数日間で降り積もった雪のせいだろう。すぐにも二駆の前輪がスタックしかける。慌てて車をバックさせて、除雪地点の手前の広い路肩に駐車する。車を諦めて林道を歩くことに家内もすぐに同意をしてくれるが、それは同時に「夕方の5時には帰って来てね」という心配性の次男の要望に添えなくなることを意味するのであった。
林道に入ると車の轍の上には靴の後がある。行きと帰りの一対だ。我々と同じく御池岳を目指したものだろうか。林道を辿るにつれ徐々に雪が深くなる。先行者の足跡がスノーシューに変わった。しばらくはツボ足で歩いていたが、やがて車の轍が消えると、ラッセルとなる。雪の深さに車での進入を諦めて引き返したようである。登山口までは林道はまだまだである。ここでスノーシューを装着する。
御池川出合で林道が二股に分岐するとスノーシューの跡は我々と同様、T字尾根の登山口へと向かっている。しかし、驚いたことに登山口に辿り着くとスノーシューの足跡はここで引き返しているようだ。先行者にどのような事情が生じたのかわからないが、有り難いことにトレースのない雪道を歩く悦びを期せずして味わえることなった。最初は杉の植林地の明瞭な尾根を一直線に登ってゆく。高度が上がると、杉の樹林の切れ目の展望地から後ろに天狗堂の鋭鋒を望む。
T字尾根の端 878m峰に辿り着くと、雲の合間から陽射しが射し込む。ここで尾根は左手に大きく曲がる。正面には全く予期していなかった青空を背景に白い壁のような御池岳の南西斜面が突如として顕れたときの衝撃はあまりにも大きい。山頂直下の急峻な斜面には霧氷を纏った樹々陽光に浴びて眩いほどの白銀に輝いているのだった。辻凉一氏は著書「鈴鹿夢幻」の中で「白い巨船のような」と形容しているが、言い得て妙である。私も全く同感であったが、さらに山頂の平らな稜線は巨大な空母のように思われた。いずれにせよ、このT字尾根から仰ぎ見る御池岳の大迫力を味わうだけでもこの尾根からのルートを選択してよかったと思うのであった。
しかし、すかさず次なる疑念が生じるのだった。果たしてあの急斜面を登ることが出来るのだろうか。御池岳の手前には右手の山上に向かって長い斜線を引くように登ってゆくT字尾根の縦線が目に入ると、少しでも早くあの斜面に取り付きたい欲求が湧き起こるのであった。
尾根がいよいよT字の横線を辿るようになると、西側斜面は杉林であるが、尾根上は広く快適なブナ林となり、落葉したブナの樹間に終始、御池岳を眺めながらの歩行となる。尾根はこれまでとはうってかわってなだらかであり、緩やかにT字の交叉点である918m峰にかけて登ってゆく。918m峰のピークで尾根を右に曲がりT字の縦線に入る。今度は御池岳を左手に仰ぎ見ながら尾根を辿ることになる。
こちらの尾根はすぐにかなりのヤセ尾根となる。南側には静ヶ岳と銚子岳の間に純白の竜ヶ岳が顔を覗かせる。尾根上のピーク967m峰への登りになると、シャクナゲの潅木の樹林となる。シャクナゲがつくる迷路の中を歩きやすい箇所を探して登ってゆく。シャクナゲの樹林で遮られていた視界が再びひらけると、ボタンブチの峻険な壁が屹立するのだった。
967峰のピークを越えるとその先の鞍部にかけて意外なほど急峻な下りが待っていた。立木につかまりながら何とか鞍部に下ると、快適なブナ林となる。そして、開けた雪原に出たと思うと、その向こうの急斜面にはいよいよ白銀の霧氷を纏った樹々が出現する。
おそらく前日に降った雪だろう。樹林の中の雪は乾いており、滑りやすい。前日にラッセルしていた京都の城丹国境尾根とはまるで違う雪質だ。やはり急斜面には難儀するが、木につけられたテープを辿り、斜面を右手に登ってゆく。
霧氷の樹林をようやく抜けると、まず目に飛び込んできたのは大きなうねりを描いて波打つ雪原の丘陵であった。渦巻く雲の間から時折、陽光が零れ落ちては雪原に蒼みがかったモノクロームのコントラストをつけてゆく。山の上にいるのではなく、雲中に北海道の平原にいる夢幻をみているかのようだ。雪原の上では霧氷を纏った疎林が白い雪原の上にアクセントをつけている。孤在する樹に近づくとモノローグを語りかけてくるようである。
雪原を山頂の方向に歩くとついに先客による幾筋かのスノーシューのトレースが現れた。北の大地の雪原と明らかに異なるのは雪原に穿たれたドリーネの存在だ。トレースの跡を追って、青のドリーネに近づいてみる。家内が危ないからと制止するのを聞かずにドリーネの縁に近づくのだが、後でそのことを後悔することになる。
雪原の疎林を抜けて、ボタンブチへと向かう。ボタンブチに近づくと孤独な道標が、その先で渦巻く雲を前に、そこがこの夢幻の果てであることを示しているかのようだ。ボタンブチの縁に立つと、再び視界に入る急斜面の霧氷の樹々についつい視線がいく。
蜘蛛の巣の中心に糸が収束するように、幾筋かのトレースは御池岳の山頂を目指して集まってゆく。御池岳への登りからは広大なテーブルランドを見渡すことが出来る。雲の合間から洩れる光の筋がサーチライトのように西から東へとテーブルランドの上を高速で移動してゆく。上空ではかなりの風が吹いているのだろうが、幸いにしてこの山頂部は驚くほど風も穏やかだ。
山の上で食事を愉しむには程よい天気だ。この日は山料理のためにリュックの中に食材をいろいろと詰めてきたのだが、京都に帰宅する時間を考えると食事を愉しむ時間的余裕は全くなさそうであり、行動食のみで我慢せざるを得ない。
山頂からはまずは奥ノ平へと向かう。わずかな距離であるが、風の強さの違いなのだろうか、この奥ノ平の辺りでは霧氷のつき具合が他とはまるで違う。霧氷は透明度を失い、かわりに魔物か悪霊を思わせるような畸型の装飾を樹々に施している。それはそれで迫力に満ちており、南側の霧氷が優美で繊細な美しさに溢れたものであったことを再認識させるのであった。
疎林をぬけて再び青のドリーネに辿り着くと光の加減でドリーネの深みが美しいグラデーションを呈している。惜しむらくはドリーネの反対側につけられたスノーシューの跡だ。誰だ、この美しいドリーネの縁に近づいて瑕疵をつけたのは・・・家内の抑止に唯々諾々と従っておけばよかったと後悔するのであった。
下山は土倉岳を経由するので、テーブルランドの南西の縁より向かう。このあたりにくると雪の上には足跡はみられない。風が強いせいだろう。雪原の上には見事なシュカブラが目立つ。(ところで、親しいイギリス人に御池岳の写真を見せて話をしていたところ、このシュカブラという語はノルウェー語らしいが、英語にはこれに相応するような語彙はないとのことだった。イギリスではシュカブラが見られるような環境がないので・・・ということらしい。)
名残惜しいが、下山の時間が気になる。土倉岳への下りは尾根上に樹が少ないために美しい雪庇が見られるのだが、T字尾根以上の急峻な下りから始まった。斜面にジグザグのトレースを刻んでゆくことにより何とか最初の急峻な斜面を下る。目の前の樹々の霧氷は急速に傾いてゆく午後の陽光にガラス細工のようにキラキラと輝き、足早に通り過ぎてしまうのがなんとも勿体無い。
土倉岳で左に大きく曲がり尾根を下るようになると霧氷はたちどころに姿を消すのであった。左手には藤原岳を大きく望みながら緩やかに尾根を下るが、ノタノ坂への長い下りに入ると眺望のない植林地の中へと入ってゆく。杉の植林地を足早に下ることになる。日中に陽光に暖められた杉の梢から滴り落ちた水滴のせいで林の中の雪はかなり硬くしまっている。スノーシューが雪を踏みしめる音は落葉した広葉樹林の中ではザクッザクッという音であったのが、シャカッシャカッという硬質な音へと変わってゆく。
送電線鉄塔に出ると、再び藤原岳を正面に大きく望む。電波のアンテナが1本立っている。電話は通じなかったが、長男に帰宅が遅くなる旨をメールする。電話を自宅にかけることが出来るように場所まで出るにはまだまだ時間がかかることだろう。
峠まではかなりの急降であるが、硬くしまった杉林の作業道はスノーシューではあまりにも下り難い。わずかな区間であるが、スノーシューを外す。ノタノ坂からは沢に沿った積雪した送電線巡視路を探り当てて、沢沿いを下ってゆく。小又谷川にかかる細い鉄橋を渡ると最後は再び長い林道あるき。御池川出合からは朝に辿ってきた我々のトレースを辿ることになるが、日中は暖かったのだろう、午前中の足跡はすでに輪郭がぼやけている。緞帳を降ろすかのように急速に夜の帳が下り、早々にヘッデンをつけて歩くことを余儀なくされる。
君ヶ畑の集落にたどり着くとかなりの家々に明かりが灯っていることに驚く。山間の暗い道を運転し、ほどなくR421に出ると、出発して30分ほどで八日市の煌々と明かりのついた街に出る。まるで夢幻境から戻って来たようだった。
この日の晩は子供達とトマト鍋の約束をしていたのだが、夕食の買い物をして京都の自宅に帰り着いたのは8時前、子供たちは腹をすかせながらも健気にもトマト鍋を待っていてくれたのだった。