【 日 付 】2018年11月17日(土)
【 山 域 】京都北山
【メンバー】家内
【 天 候 】雨~曇り~晴れ~曇り~雨
【 ルート 】佐々里峠11:49~866m峰12:36~12;57品谷山13:09~14:06廃村八丁14:21~刑部滝14:58~866m峰16:15~佐々里峠16:48
廃村八丁・・・この京都の北山の最深部に位置するわずか八丁ばかりの山林を巡って、かつて江戸時代には熾烈な境界争いの舞台となり、民間人が立ち入り禁止の御留山(おとめやま)となったという意外な歴史がある。明治時代になって新たにに入植した村人も昭和8年の3mを超えたという豪雪では死者が出るほどに生活に難儀を強いられ、昭和11年に最後の一戸が村を離れ廃村となったという。この小さな廃村跡がこの人里離れた奥深い山域に不思議な郷愁を与えているのも確かだろう。
この週は久しぶりに仕事から開放された週末であった。しばらく前までこの日の天気予報はあまり良くなかったのだが、いつの間にか予報が好転している。当初は先週に引き続き大見湿原から大見尾根を辿ろうかと考えていたが、天気が良さそうであれば晩秋の品谷山から木洩れ陽がさす廃村八丁もいいかな・・・と思っていたところに、ふと家内が廃村八丁を訪ねてみたいと云い出す。朝に市内で小さな用事を片付けてからの山行になるのだが、おそらく丁度良いコースタイムとなるだろう。午前中の用事が終わると市内はすっかり晴れているではないか。
廃村八丁に入るには広河原の手前の菅原からダンノ峠を経て入るルートも考えられるのだが、冬季通行止めになる前に佐々里峠からアプローチすることにする。京都市内では大きく広がっていた青空も北山に入るつれ重苦しい曇天となり、広河原を過ぎるあたりから雨が降り出した。佐々里峠に到着すると週末だというのに車は一台もないのは天気の悪さを心配してのことだろうか。峠の北側には芦生演習林の紅葉がまだ美しい色合いを見せている。
雨具を羽織って峠からあるき始めると、すぐに快適な尾根歩きとなり、尾根芯には大きな杉の大樹が歓迎してくれる。既にかなり葉が落ちてしまった広葉樹の樹間からは遠く美山のハナノ木段山が垣間見える。どうやら雲の高さは高いようだ・・・雨はそう長くは続かないだろう。
品谷山とダンノ峠への分岐となる860mピークが近づく頃になるといつしか雨は上がり、雲を介して薄く陽光がさし始める。右手には均整のとれた品谷山へと続く稜線がみえる。
860m峰のピークに達すると南斜面からは八丁山の大きな山容を正面に望む。ここから品谷山方面へは、既に葉が落ちてしまったブナの明るい尾根となる。
尾根上には見事なブナの大樹が次々と現れる。866m峰のピークにも西側にブナの大樹が聳え立つ。ブナの大樹を見上げると、空にはいつのまにか蒼空が広がっている。視線をブナの幹に落とすと多数の熊の爪の削ぎ跡が目につく。快適な尾根をたどるうちに品谷山のピークに辿り着く。幾つもの山名標が掛けられている。倒木に掛けられていた古い山名標を外して、新たに樹にかけ直すのにいつの間にか時間を費やしてしまう。
小さな鞍部とピークを通過すると品谷峠に到着する。廃村八丁へと下っていく道は鬱蒼とした杉林の中に入っていく。杉林の中は意外にも倒木は少なく、登山路も明瞭である。杉林を抜けると突然、落葉した明るいブナの林に出る。左手から流れ出してくる小さなせせらぎに出ると、道は沢に沿って下ってゆくが、沢筋は多数の倒木によって荒れている。
倒木を跨いだり潜ったり・・・道が沢筋を離れて杉林の中の明瞭な踏み跡を辿るうちに突然、立派な石垣が林の中に出現する。廃村八丁にたどり着いたようだ。
石垣に沿って進んでいくと、特徴的な三角屋根が林の向こうに見える。三角小屋と呼ばれる建物だ。廃村の名残りではなく、廃村後に建てられた森林管理組合のものらしく、この辺り一体の森林を手入れするために訪れる人のためのもののようだ。小屋の前の樹は廃村八丁の標識が掛けられたまま倒れてしまっている。小屋の右手にある樹には土蔵跡というPeakHunter氏によるプレートがある。この廃村をとりまくように大きく蛇行する八丁のほとりにはしばらく前まで土蔵があったらしい。土蔵の二階の板の間では宿泊することも出来たようであり、その壁には水着美人と富士山の見事な落書きがあったという。
廃村となり既に80年あまりの歳月が流れているのだが、かつて人が何世代にもわたり生活をした場というのは独特の気配が残っているものだ。暗い歴史とは裏腹に清々しい郷愁感が漂うのは雨上がりの後でますます透明感を増してゆく秋の空気のせいだろうか。
左手には美しい広葉樹の林が広がっている。稜線の上からは透明感の漂う空気の中に陽光が差し込むが、奥深い山間のためだろう陽のあたる場所も少ない。この廃村をとりまくように大きく蛇行する八丁川を踏み跡に沿って南に渡渉すると小さな祠がある。苔むした祠には小さな石仏が祀られている。
川べりの渡渉点には一盞の小さな杯がある。ここで盃を傾けたのはきっと月明かりの下ではないだろうか。渓流を長めながら川面に移る満月の情景を想像する・・・さぞかし幻想的なことだろう。月夜に訪れてみたいものだ。
廃村八丁を後にすると古い石垣に沿って八丁川の左岸に沿って遡行する。谷に入るとこちらも多数の倒木で荒れているが、倒木には最近のものと思われるチェーンソーの切り口が見られる。お陰で倒木の通過に難儀せずに通過することが出来る。峠へと続く四郎五郎谷への道を見送って右側の刑部谷に入る。
渡渉を繰り返しながら沢を遡行してゆくと、沢が左右にわかれ左手には滝がみえる。刑部滝だろうか。ダンノ峠へと向かう道は右手の沢に沿ってついているようだ。滝の左手には斜面を高巻く踏み跡が見えるので、躊躇なくこの踏み跡を辿って滝の上部に出る。滝の落口へ出る手前では木橋が掛けられている。崩壊しつつあるようだが、あとどのくらいこの木橋がもつのか心配だ。
沢に沿ってしばらく行くと今度は二段の滝である。ここでも滝の左手に沿って踏み跡を見つけるので、左から斜面を登る。滝の上部に出るとすぐにその上に連続する数段の滝がある。滝の左側は急峻な崖となっており、到底、登攀は困難であるので、右手の斜面をあがる。数日前に通過した人のものと思われる踏み跡がある。
斜面をあがると、数本のトラロープがある。この滝を高巻くために用意されたものだろう。尾根に上がることも考えられるが、ここから先は滝はないはずなので斜面をトラバースして滝の上部に出る。沢に沿って少し進むとなだらかな場所となり、沢沿いに明瞭な道が現れる。どうしてこのような明瞭な道があるのかと一瞬疑問に思ったが、左手の斜面から沢に下ってくる道が目に入り、すぐに合点する。四郎五郎峠からの沢沿いにダンノ峠に至る道だろう。
なだらかな道を辿るとすぐに四郎五郎峠に辿り着く。ここから尾根沿いに866m峰を目指すのが帰路の近道となる。この日はかなりゆっくりと歩いていたせいか、いつしか夕闇を気にしなければならない時間となっていた。尾根筋はブナが多い快適な林であり、ところどころに馬酔木の藪があるものの藪を避けて通過することが可能である。いつしか雲が濃くなり、尾根を歩くうちに再び雨が降り始めた。
なだらかな尾根を辿り866m峰を経ると、尾根上の立派な芦生台杉が我々を見送る。佐々里峠への道のりは短く感じられた。峠の北側には芦生演習林の紅葉がまだ美しい色合いを見せているが、この紅葉が見られるのもあとわずかだろう。佐々里峠が雪に閉ざされて、冬季通行止め(12/15~翌年3/15)となるのはもう間もなくだ。
結果的には佐々里峠から860m峰の分岐までは行きも還りも雨天であり、品谷山から廃村八丁のあたりだけ晴天に恵まれたのであった。偶々ではあるがこの天候の移り変わりのせいもあり、あたかも廃村八丁のあたりだけが桃源郷のような異次元空間であるといった印象をさらに強くするのであった。
※この山行記録はヤマレコにおける以下のレコを加筆改訂したものです。
https://www.yamareco.com/modules/yamare ... 52293.html