わりばしさん、おはようございます。
「近江鈴鹿の鉱山の歴史」の最初の四分の一は政所蓬谷鉱山の記述にさかれている。16世紀後半、茨川蛇谷鉱山と同時期に銀山として開鉱し、明治時代には大阪商工会議所初代会頭の五代友厚が鉱山経営を行っている。
以前、政所~山の神峠経由で岳に登ったことがありましたが、まさかここに鉱山跡があったなんて気が付きませんでした。
治田鉱山の採掘を行った五代アイの父で、NHKの朝ドラ「あさが来た」でディーン・フジオカが演じていた。大阪商工会議所と大阪証券取引所に現在でも銅像がある当時の鉱山王である。
こちらの鉱山は御父上が手掛けられたということですね。
役所跡の上部には「吹き屋跡」といわれた製錬所があったようだが製錬くずのカラミは見つけられなかった。堰堤下の石垣は「四方銀谷鉱山新景」絵図の料亭と見える場所で、「寿司屋跡」と呼ばれた遊郭のようだ。
ちょっとした手掛かりから昔の佇まいを想像するのも面白いですね。
下り藤のように昔の鉱山に遊郭は付き物のようです。
小規模な登れる滝をこなしながら坑口がないか岩肌を見ながら歩く。両岸が狭まった連瀑の中を倒木が埋め尽くしているので、巻くことにする。獣道が続いており、右岸のバンドを使って巻いた。
なかなか鉱口が見つからなかったようですね
小滝を上るが思ったより上部に手がかりがなく慎重に越えると坑口があった。その上の右岸には石垣がありカラミもあるのでここで第1次の製錬をおこなっていたようだ。その先の左岸には右岸よりも大掛かりな石垣がありここが居住場所だったようだ。どうやらここが金山谷の中核施設のようだ。
やっと目標物が見つかってヤレヤレですね
ここで谷は二つに分かれる本流は右俣のようなので、脇ノ谷と思われる左俣を進む。しばらく上ると坑口があり、最初は暗くてわからなかったが坑道の坑木まで残っていた。明治17年には蓬谷鉱山は廃坑になっているので130年以上前の坑木が残っていたのには驚いた。
これだけしっかり残っているのは貴重な歴史物と言えるでしょう。
本の著者もこれは見つけていないのでしょうね
谷のまわりはヤブのない土の肌が丸見えの蟻地獄のようになってきた。これは治田鉱山の上部と似ており、鉱山の影響で草木が育ちにくいのかもしれない。
檜谷や三神谷を詰めていないので分かりませんが、独特の雰囲気でしょうね
旭山には寄らずに山ノ神峠に向かう。ここは員弁の人たちが遠足尾根に取り付き茶屋川に下ったのち政所に出稼ぎに出向いた時に使った峠で、ここを下れば政所はもうすぐだ。
歴史のある峠のようですね。以前行った時、石碑のようなものがあったような記憶があります。
歴史に忘れ去られようとしている政所蓬谷鉱山の金山谷・脇ノ谷を辿りいくつかの産業遺産を見つけられたのは収穫だった。
貴重な調査をありがとうございました。
宮指路