「50歳になり、人生の終点が視界に入ってきたなと思われる頃から。もう死ぬまでにできることに限りがあるのは明らかなので、これまで一度もやってこなかった分野にからだをゆだねてみようと始めた山歩きだった。」
信州佐久平の佐久総合病院で医師をやっている作家南木佳士の文章だ。この人の文章は私の身体に自然に染み込んで来るような気がして昔から愛読している。この人がいつの間にか山登りを始め、ときどき「山と渓谷」に紀行文まで載せるようになっている。
家内の実家が佐久平にある関係で、義父、義母がこの病院に入院していた時に何回か見舞いに訪れたことがある。何かの拍子にすれ違わないかと思ったが、そんな機会はなかった。その頃は古い病棟で、長年の病人の匂いが病院全体に染み込んでいるような気がした。病院のすぐ裏に千曲川が流れていて、見晴らしのいいところから東に浅間山、西に八ヶ岳を望むことができ、美しいところだ。
せっかくなので一度浅間山に登ってみたいと思っているが、最近は家内の実家に行くこともなくなり、まだ果たせていない。地元の人たちは山は見るもので、登るものではないと思っている節があり、家内の親戚で山登りをする人を知らない。山に登って喜んでいるのはすべて東京などの都会から来た人たちばかりなのだ。
私は50歳を過ぎた頃に大病にかかり、肺を全体の4分の1切除した。私の肺の容積は通常の人の75%しかない。手術前にはもう山登りはできないかと思ったが、リハビリがわりに山を歩いていたら、富士山にも登れるまでに回復した。「もう死ぬまでにできることに限りがある」ことを実感し、55歳になった時にそれまで仕事を理由に抑制していた山登りを解禁することにした。それ以来10年ばかりになるが、やぶこぎネットに出会い、沢登りに出会い、色々な経験をさせてもらっている。
スノー衆後の車中泊の時に読むために南木佳士の文庫本を持って行った。その中に山中で用を足し、雪でお尻を拭いたという文章をみつけた。私もその日のスノー衆の時に大雉をうち、たまたま紙をきらしてしまったので、雪でお尻を拭いたのだった。この人の理由は紙で山を汚したくないということだったが、私はそんな立派な倫理観をもたない人間なので、たまたま紙を切らしたという理由だけだったのだが。ジャリジャリした雪でお尻が痛かった。
【 日 付 】2017年3月19日(日)
【 山 域 】江越国境
【メンバー】単独
【 天 候 】花曇り
【 ルート 】浄水場駐車場 7:05 --- 9:52 手倉山 --- 10:42 江越国境稜線 --- 11:08 上谷山 --- 江越国境稜線 --- 11:40 P1082近く(昼食) 12:40 --- 13:49 標高650m付近 --- 15:17 県道 --- 15:27駐車地
登山口の浄水場につくともう3台の車が停まっている。京都、一宮、岐阜ナンバーで福井ナンバーの車はない。やっぱり山に登って喜んでいるのは都会から来た人たちばかりなのか。上谷山は福井の名山だが、福井県に住んでいた頃はその名前も知らなかった。やぶこぎネットの記事を読んで初めて知ったのだった。
このコースは今日で2回目で、大体の様子は把握できているので気が楽だ。除雪が終わっている浄水場の前からスノーシューを履く。しばらくは雪が時に切れ、稜線に乗ってからも灌木の枝が邪魔になって歩きにくい。そのうち標高500mを超えると、潅木は雪の下になり、歩きやすくなった。
周囲はブナ・ナラ混交林である。先日、テレビを見ていたら長野県白馬村で山スキーガイドをしているカナダ人が出て来た。カナダの山はストローブ松が優占しており、冬でもこんなに明るい山にはならないという。いつも、冬になると陽光が差し込む明るい落葉樹林を普通の風景としてなんの感動もなくみているが、確かにこの風景は日本ならではのものなのかもしれない。
標高700m付近からは一定した緩やかな登りとなり、スノーシュー散歩として願ってもない稜線歩きになる。標高が上がるにつれてナラ類が減り、ブナの純林に変化していく。落葉樹に混じって針葉樹の大木が生えている一角が目についた。ヒノキの大木だった。ここにヒノキが自生しているのか。あるいは伐採を免れた植林の跡なのだろうか。だんだん大きなブナが目につくようになる。この広い稜線では雪崩も起きず、ブナが大きく育つ好適な環境なのかもしれない。
手倉山を過ぎたあたりで中高年の男女6人グループに追いつき、追い越す。少し下ると稜線手前の平坦な場所に出る。ここは日当たりが良く、風も防げるので快適なテン場になりそうだ。
- 稜線手前の平坦な場所
少し登って東方を見渡せる稜線に出る。黄砂が来ているようで、越美国境の山々は霞んでいる。右側から、左千方、三国岳、夜叉が丸、三周岳、そして昨日登った美濃俣丸、その向こうには笹ヶ峰があるはずなのだが霞んでいてよく見えない。よく発達した雪庇に気をつけながら県境稜線に上がり、稜線上を上谷山に向かう。最後の登りは壁になっていて、アイゼンが欲しくなるのだが、実は見た目ほど急斜面ではない。特に今日は雪が緩んでいるのでスノーシューの歯がよく効き、あっという間に頂上に着いた。登山口から4時間。歩き始めは疲れを感じ、大丈夫かと心配になったが、まあまあ普通のタイムで登ることができた。
- 県境稜線とその奥に三国岳(左)と左千方(右)
- 発達した雪庇
- 三周ヶ岳
頂上はのっぺりしており、東に越美国境の山々。左千方の右横に霞んでみえるどっしりとした山は横山岳だろう。圧巻は西方に長々と伸びる県境稜線だろう。栃ノ木峠から通しで歩くときっと気持ちいいだろうなと思う。今度はテントを担いてこようか知らん。しばらく山頂を楽しんだ後、後から来ている6人パーティーに山頂を譲るため、県境稜線を降りて行く。実はこの稜線歩きが今日の一番のご馳走なのだ。のっぺりした稜線に自分のフットプリントを刻みながらのんびり降りて行く。寒くも暑くもなく、気持ちがいい。
- 上谷山山頂から見る美濃俣丸
- 県境稜線
P1082の手前でちょっと早いが昼食にする。今日のメニューはカレーうどんにウインナーと餅をトッピンング。締めはもちろん甘酒だ。鈴の音が聞こえたと思ったら70歳前後の大柄の男性がゆっくりと上谷山方向に歩いて行った。単独かと思ったらその少し後から同じようなゆったりとした速度で奥さんと思われる女性が通り過ぎて行く。きっと若い頃に山で鳴らして来た人たちだろう、二人とも歩き方になんとも言えない貫禄がある。早く歩かなくても、ゆっくり歩けば何歳になっても山に登れるんだという見本だろう。ずいぶん経ってから上谷山の頂上にさっきの二人の人影を認めた。
- 気持ちのいい県境稜線
今日は前回と異なり、送電線がある稜線を下ることにしているのだ。稜線をゆったりと下って行く。さっきの二人連れのスノーシューのトレースがある。この尾根を登って来たようだ。標高650m付近にテントが設置してあった。さっきの二人連れのテントだろう。そんなに寒くもなく気持ちのいいテント泊になるだろう。
- テント
それにしてもこの尾根が長い。だんだんと早く終わらないかと思って来てしまう。なかなか標高が下がってこないのだ。ようようP498に着き、ここから右折して右側の尾根から下山することにする。途中でスノーシューを脱ぐ。ずっと尾根筋についていたワカンのトレースもこの尾根を降りたようで、つぼ足になっている。このトレースに沿って降りやすい方向を選んで降りて行く。沢に降り立つ。
あれ、沢沿いに降りられるかと思ったら堰堤があって、その堰堤の両側が切り立っているので巻き降りることができない。「堰堤を作るんだったら巻道くらい作ってね」と言いたいところだが、ここでそんなことを言っていてもしょうがない。地図を見ると、まっすぐに降りればいいものをつぼ足トレースを信じて右に降りてしまったのだ。しかも地図にはしっかり堰堤の表示が出ているし。どうもハニートラップに引っかかったようだ。
不思議なのは、降りて来た尾根の別の場所から九十九折れの道が降りて来ているのだ。こんな出口のない場所になんで道が降りて来ているんだろう???向かい側の尾根に道が続いているのだろうか。増水した川をエイやで渡渉し、対岸に渡る。幸い靴の中には浸水しなかった。対岸を見るとよじ登った跡がある。つぼ足のトレースもこっちに降りて来たはずなので、その人がよじ登ったのだろうか。腐った雪を踏み抜きながらこの斜面をよじ登り、なんとか小尾根に上がる。この尾根を下ろうかと思ったが、下が見えない。こんな時に下が見えない場所を下るのは厳禁である。滑落して死ぬのが落ちだ。
この尾根を諦め、急斜面を隣の尾根にトラバースし、なんとか降りられる斜面を見つけて無事に降りることができた。途中、ストックの先端が抜け落ちて無くなってしまい、シェルズボンを泥で汚してしまった。まあ、これくらいで済めば御の字だろう。いつも沢登りで似たような経験をしていて、どんな斜面を降りることができて、どんな斜面を降りてはいけないかが見極められるのでそんなに危険は感じなかったが、それでもトラップを抜けるのに30分ほどかかった。
前日のスノー衆ではグーさんの意見でアトラクションを回避したのだが、こんなところで最後のアトラクションが出てくるとは思ってもいなかった。それにしてもあのつぼ足トレースさんは無事に降りられたのだろうか。
「50歳になり、人生の終点が視界に入ってきたなと思われる頃から。もう死ぬまでにできることに限りがあるのは明らかなので、これまで一度もやってこなかった分野にからだをゆだねてみようと始めた山歩きだった。」
信州佐久平の佐久総合病院で医師をやっている作家南木佳士の文章だ。この人の文章は私の身体に自然に染み込んで来るような気がして昔から愛読している。この人がいつの間にか山登りを始め、ときどき「山と渓谷」に紀行文まで載せるようになっている。
家内の実家が佐久平にある関係で、義父、義母がこの病院に入院していた時に何回か見舞いに訪れたことがある。何かの拍子にすれ違わないかと思ったが、そんな機会はなかった。その頃は古い病棟で、長年の病人の匂いが病院全体に染み込んでいるような気がした。病院のすぐ裏に千曲川が流れていて、見晴らしのいいところから東に浅間山、西に八ヶ岳を望むことができ、美しいところだ。
せっかくなので一度浅間山に登ってみたいと思っているが、最近は家内の実家に行くこともなくなり、まだ果たせていない。地元の人たちは山は見るもので、登るものではないと思っている節があり、家内の親戚で山登りをする人を知らない。山に登って喜んでいるのはすべて東京などの都会から来た人たちばかりなのだ。
私は50歳を過ぎた頃に大病にかかり、肺を全体の4分の1切除した。私の肺の容積は通常の人の75%しかない。手術前にはもう山登りはできないかと思ったが、リハビリがわりに山を歩いていたら、富士山にも登れるまでに回復した。「もう死ぬまでにできることに限りがある」ことを実感し、55歳になった時にそれまで仕事を理由に抑制していた山登りを解禁することにした。それ以来10年ばかりになるが、やぶこぎネットに出会い、沢登りに出会い、色々な経験をさせてもらっている。
スノー衆後の車中泊の時に読むために南木佳士の文庫本を持って行った。その中に山中で用を足し、雪でお尻を拭いたという文章をみつけた。私もその日のスノー衆の時に大雉をうち、たまたま紙をきらしてしまったので、雪でお尻を拭いたのだった。この人の理由は紙で山を汚したくないということだったが、私はそんな立派な倫理観をもたない人間なので、たまたま紙を切らしたという理由だけだったのだが。ジャリジャリした雪でお尻が痛かった。
【 日 付 】2017年3月19日(日)
【 山 域 】江越国境
【メンバー】単独
【 天 候 】花曇り
【 ルート 】浄水場駐車場 7:05 --- 9:52 手倉山 --- 10:42 江越国境稜線 --- 11:08 上谷山 --- 江越国境稜線 --- 11:40 P1082近く(昼食) 12:40 --- 13:49 標高650m付近 --- 15:17 県道 --- 15:27駐車地
登山口の浄水場につくともう3台の車が停まっている。京都、一宮、岐阜ナンバーで福井ナンバーの車はない。やっぱり山に登って喜んでいるのは都会から来た人たちばかりなのか。上谷山は福井の名山だが、福井県に住んでいた頃はその名前も知らなかった。やぶこぎネットの記事を読んで初めて知ったのだった。
このコースは今日で2回目で、大体の様子は把握できているので気が楽だ。除雪が終わっている浄水場の前からスノーシューを履く。しばらくは雪が時に切れ、稜線に乗ってからも灌木の枝が邪魔になって歩きにくい。そのうち標高500mを超えると、潅木は雪の下になり、歩きやすくなった。
周囲はブナ・ナラ混交林である。先日、テレビを見ていたら長野県白馬村で山スキーガイドをしているカナダ人が出て来た。カナダの山はストローブ松が優占しており、冬でもこんなに明るい山にはならないという。いつも、冬になると陽光が差し込む明るい落葉樹林を普通の風景としてなんの感動もなくみているが、確かにこの風景は日本ならではのものなのかもしれない。
標高700m付近からは一定した緩やかな登りとなり、スノーシュー散歩として願ってもない稜線歩きになる。標高が上がるにつれてナラ類が減り、ブナの純林に変化していく。落葉樹に混じって針葉樹の大木が生えている一角が目についた。ヒノキの大木だった。ここにヒノキが自生しているのか。あるいは伐採を免れた植林の跡なのだろうか。だんだん大きなブナが目につくようになる。この広い稜線では雪崩も起きず、ブナが大きく育つ好適な環境なのかもしれない。
手倉山を過ぎたあたりで中高年の男女6人グループに追いつき、追い越す。少し下ると稜線手前の平坦な場所に出る。ここは日当たりが良く、風も防げるので快適なテン場になりそうだ。
[attachment=0]P3190129.jpg[/attachment]
少し登って東方を見渡せる稜線に出る。黄砂が来ているようで、越美国境の山々は霞んでいる。右側から、左千方、三国岳、夜叉が丸、三周岳、そして昨日登った美濃俣丸、その向こうには笹ヶ峰があるはずなのだが霞んでいてよく見えない。よく発達した雪庇に気をつけながら県境稜線に上がり、稜線上を上谷山に向かう。最後の登りは壁になっていて、アイゼンが欲しくなるのだが、実は見た目ほど急斜面ではない。特に今日は雪が緩んでいるのでスノーシューの歯がよく効き、あっという間に頂上に着いた。登山口から4時間。歩き始めは疲れを感じ、大丈夫かと心配になったが、まあまあ普通のタイムで登ることができた。
[attachment=1]P3190131.jpg[/attachment]
[attachment=2]P3190137.jpg[/attachment]
[attachment=3]P3190145.jpg[/attachment]
頂上はのっぺりしており、東に越美国境の山々。左千方の右横に霞んでみえるどっしりとした山は横山岳だろう。圧巻は西方に長々と伸びる県境稜線だろう。栃ノ木峠から通しで歩くときっと気持ちいいだろうなと思う。今度はテントを担いてこようか知らん。しばらく山頂を楽しんだ後、後から来ている6人パーティーに山頂を譲るため、県境稜線を降りて行く。実はこの稜線歩きが今日の一番のご馳走なのだ。のっぺりした稜線に自分のフットプリントを刻みながらのんびり降りて行く。寒くも暑くもなく、気持ちがいい。
[attachment=5]P3190156.jpg[/attachment]
[attachment=4]P3190154.jpg[/attachment]
P1082の手前でちょっと早いが昼食にする。今日のメニューはカレーうどんにウインナーと餅をトッピンング。締めはもちろん甘酒だ。鈴の音が聞こえたと思ったら70歳前後の大柄の男性がゆっくりと上谷山方向に歩いて行った。単独かと思ったらその少し後から同じようなゆったりとした速度で奥さんと思われる女性が通り過ぎて行く。きっと若い頃に山で鳴らして来た人たちだろう、二人とも歩き方になんとも言えない貫禄がある。早く歩かなくても、ゆっくり歩けば何歳になっても山に登れるんだという見本だろう。ずいぶん経ってから上谷山の頂上にさっきの二人の人影を認めた。
[attachment=6]P3190162.jpg[/attachment]
今日は前回と異なり、送電線がある稜線を下ることにしているのだ。稜線をゆったりと下って行く。さっきの二人連れのスノーシューのトレースがある。この尾根を登って来たようだ。標高650m付近にテントが設置してあった。さっきの二人連れのテントだろう。そんなに寒くもなく気持ちのいいテント泊になるだろう。
[attachment=7]P3190172.jpg[/attachment]
それにしてもこの尾根が長い。だんだんと早く終わらないかと思って来てしまう。なかなか標高が下がってこないのだ。ようようP498に着き、ここから右折して右側の尾根から下山することにする。途中でスノーシューを脱ぐ。ずっと尾根筋についていたワカンのトレースもこの尾根を降りたようで、つぼ足になっている。このトレースに沿って降りやすい方向を選んで降りて行く。沢に降り立つ。
あれ、沢沿いに降りられるかと思ったら堰堤があって、その堰堤の両側が切り立っているので巻き降りることができない。「堰堤を作るんだったら巻道くらい作ってね」と言いたいところだが、ここでそんなことを言っていてもしょうがない。地図を見ると、まっすぐに降りればいいものをつぼ足トレースを信じて右に降りてしまったのだ。しかも地図にはしっかり堰堤の表示が出ているし。どうもハニートラップに引っかかったようだ。
不思議なのは、降りて来た尾根の別の場所から九十九折れの道が降りて来ているのだ。こんな出口のない場所になんで道が降りて来ているんだろう???向かい側の尾根に道が続いているのだろうか。増水した川をエイやで渡渉し、対岸に渡る。幸い靴の中には浸水しなかった。対岸を見るとよじ登った跡がある。つぼ足のトレースもこっちに降りて来たはずなので、その人がよじ登ったのだろうか。腐った雪を踏み抜きながらこの斜面をよじ登り、なんとか小尾根に上がる。この尾根を下ろうかと思ったが、下が見えない。こんな時に下が見えない場所を下るのは厳禁である。滑落して死ぬのが落ちだ。
この尾根を諦め、急斜面を隣の尾根にトラバースし、なんとか降りられる斜面を見つけて無事に降りることができた。途中、ストックの先端が抜け落ちて無くなってしまい、シェルズボンを泥で汚してしまった。まあ、これくらいで済めば御の字だろう。いつも沢登りで似たような経験をしていて、どんな斜面を降りることができて、どんな斜面を降りてはいけないかが見極められるのでそんなに危険は感じなかったが、それでもトラップを抜けるのに30分ほどかかった。
前日のスノー衆ではグーさんの意見でアトラクションを回避したのだが、こんなところで最後のアトラクションが出てくるとは思ってもいなかった。それにしてもあのつぼ足トレースさんは無事に降りられたのだろうか。