山行記になってないので雑談コーナーへの投稿です。
【 日 付 】2011/05/01~02
【 山 域 】南東北
【メンバー】あろん
【 天 候 】曇り暴風警報発令中
【 ルート 】八方台登山口~10歩で撤退
なんだか心が折れっぱなしで、かといって情けなくもボランティアにも踏み出せない自分がいた。
なんだかなぁと思いつつも思い立って「金でも落としてくるか」と福島に向うことにした。
たいそうな決意で会社の売り上げを10万ほどわしづかみにして出たものの、こんな大金を持って山へ行ったことはなく、まあわずかでも観光地で使おうと考えていた。
中央高速から上信越自動車道に入れば富岡あたりで渋滞に巻き込まれ、1時間半のトロトロをこなして北関東自動車道~東北自動車道へと入った。
地震の修復工事でつぎはぎだらけの東北自動車道は、ガクンと車が段差を落ちたり、ボンとジャンプするようで応急処置のようなデコボコ工事であった。
すると突然黒磯のPAの手前でピーピーという音が鳴り始めた。
ガイガーカウンターが鳴り始めたのだ。黒磯PAで改めて測ってみると0.36μsv/hだった。アラームを0.3μsv/hにセットしてあったのだ。
警告音が鳴りっぱなしでうるさいのでアラームを解除して、さらに安積PAで計測してみるとついに1μsv/hを超え、1.28μsv/hとなっていた。直線距離にすると福島第一原発から一番近くになるだろう。
この事実も公表すれば風評被害になるのかなぁと思いながら、郡山JCから磐越自動車道を西に向かい磐梯山SAを今日のねぐらとした。
NHK福島放送局のラジオはあの地震当時のマスコミの状況が継続しているようで、わずかな情報も随時放送されていた。
NHK福島はいろんな情報を随時に流していた。思い立って家を出たものの、準備不足の感は否めないもので、NHK福島はいろいろ適切な情報を流していた。
これから被災地にボランティアで行こうとしている方へのアドバイスとして、NHK福島が呼びかけていたこと。
まず、むやみに被災地に入ると救援の妨げになるので、用事がない限り被災地に車で向わないこと。
持って行くものとして、「長靴、マスク、各自の食料」、これが必携だそうです。
そして、まずボランティアの取りまとめ機構の「福島県防災ボランティアセンター」を通して活動をしてほしいということです。
ここを通せばその日に行っても、仕事内容が与えられ適切な活動することが出来るようです。
自分勝手な思いは被災者のニーズと異なる場合もあり、かえって迷惑になることもあるようです。
そうなってしまえば、単なる邪魔者になってしまいますね。
福島県防災ボランティアセンター
こんな話題もありました。
「張り切ってボランティアをされる方にはありがたいのですが、家屋の廃材や家具の片付けの際に、ぐちゃぐちゃのごみを踏みつけてるのは仕方ないんだけど、『それは死んだ夫の使っていた割れた茶碗なんです。』」
NHK福島がんばってます。そんな印象でした。
夜は何度も車が揺れて目が覚める。それが吹きまくっている暴風のせいなのか、時折起きる余震のせいなのかわからないまま朝を迎えた。
翌朝暴風警報が発令されているのを知る。東北新幹線は運休、ビルの屋上の給水タンクが吹っ飛んだともニュースで言っている。
4/29に開通したばかりの磐梯山ゴールドラインを車で登っていくと、まだまだ積雪50cm以上はある八方台登山口に着いた。
ところが、ちょっと様子見で車のドアを開けようとすると、なんとまあ風で開かないのだ。こんなことは初めてだ。
うんせうんせと何とか開けると、レジ袋が矢のように飛んでいってしまった。
なんかまた心が折れてしまった。「もう帰ろうかな」、小一時間ほど待機はしてみるものの改善する気配も無い。
傷心にも似た気持ちで車を走らせた。
被災地の東には申し訳ない思いで行く気にもならず、さりとて岳温泉に投宿するでもなく西に向かう。
そうだ喜多方ラーメンでも食べて帰ろう。先日風評被害で喜多方も困っているようだ。
10年ほど前に親父と行ってうまかった「まこと食堂」へと向う。閑散としているかと思いきや、結構にぎわっていた。
福島で結局使ったのは喜多方で土産も含め1万円ぐらいだった。
帰りは磐越自動車道を西へ新潟回りで帰路に着く、こちらのほうが渋滞は無くスムーズです。
しかしながら情けなく、帰ってきてからも今日はふがいない思いの一日になりそうだ。
でも行けただけでもいいか。そう思うしかない。
つう